【第8話】
次の日、未由は何時もより早く店に入った。彼女は店のカギを預かる立場にある。
何時もは長谷部が必ず一番にくる。その後が未由だ。早く来たからどうだと言う事は無く、清掃の時間までバックルームでお茶を飲んでタバコを吸っているのだ。
勿論、特別な場合を除いて、規定の時間までタイムカードを切ってはいけない事になっているから、本人にとって何の徳もないのだが、早く来るのが好きな人がいる事は確かだ。
未由は、まだ誰も来ていない店のセキュリティーを解除して、従業員通用口のドアのカギを開けた。 長谷部が休みの日は、当然未由が一番に来る。
しかし、彼が休みの日まで待てなかった。
未由は昨日の黒い車のお客を突き止めた。店を出る姿を見たとき、車に乗り込むのが見えて、慌てて今精算したPOSレジの画面を確認した。
メンバーズカードの会員番号が表示されている。それを暗記したのだ。
POSの端末には会員の住所録が全て入っている。それを呼び出して調べれば、あの男が何処の誰かが判るはずなのだ。
未由は荷物を置くと直ぐにレジカウンターへ行ってPOSを立ち上げた。
コンピュータのPOSレジは、電源をONにしただけで直ぐに使用できるわけではない。
立ち上がったPOSから、顧客リストを呼び出すと、画面いっぱいにポイント会員の住所録が出て来る。
会員番号を検索にかけて呼び出す。
「出た!」
『谷脇秀隆:住所-東京都練馬区中村橋・・・ 』
未由は住所と電話番号全てをメモして、POSを通常画面に戻した。
「どうしたの?」
長谷部がすぐ横に来ていた。
未由はメモした紙を慌ててポケットに仕舞い込んで
「えっ、ううん、別に。いまレジを立ち上げたところよ」
「そう」
「あ、コーヒー入れようか?今日は何だか、朝早く目が覚めちゃってさ。それで、早く来ちゃった」
未由は矢継ぎ早にそう言いながら、バックルームへ戻って流し場でコーヒーを入れた。
長谷部は、少し怪訝そうな顔で彼女を眺めていた。
「ねぇ、車の塗装って何処に頼むのかしら」
未由はベッドの中で敦に訊いた。
「車の塗装?」
「ええ、車の色を塗り替える時とか」
「どうしたの?車でも買うの?」
「まさか。ちょっと気になっただけ」
未由はそういって、敦の胸に頭を寄せた。狭いシングルベッドの上では、もともと身体がくっ付き合ったままだが、彼女はさらに彼に寄り添った。
あの車の持ち主がわかった。住んでいる所も自転車で行ける距離だったので、未由は直に確認に行ったのだ。
アパートの駐車場には、確かにあの黒い車が停まっていた。
しかし、そこまでだった。
それ以上は調べようがない。
まさか、いきなりあの男を捕まえて、ひき逃げ犯だろうと迫る事も出来ない。
何時、何処で色を塗り替えたのか、修理の跡はあるのか、そう言った事は未由にはまるっきり調べようが無かったのだ。