【第1話】
「いらっしゃいませ」
未由は昼間、カジュアルショップでアルバイトをしている。
彼女の両親は3年前に離婚した。未由が中学3年生の時だった。
父親に女が出来て、家を出て行ったのだ。母親は何も言わずにそれを受け入れた。
財産なんて何も無かった。
活発で明るい未由は学校の成績はよく、友達も沢山いた。何よりも、小柄でよく笑う彼女は男子からも慕われていた。
しかし彼女は、母親を助ける為に全日制の高校を諦めて、定時制に通いながら働く事にしたのだ。
担任教師も何とかならんものかと最善を尽くしてくれたが、未由自身が面倒臭くなったのだ。
何も、無理をして全日制の高校へ行く事も無い。諦めてしまえば何の事は無かった。
ところが1年前に、母親に新しい男の人ができた事を知った。
未由はそれを喜んだ。
父親は酒に溺れるだらしない男で、母に苦労が絶えなかった事を知っているからだ。
別に新しい父親が欲しいとは思わなかった。ただ、母がこれから幸せに生きてくれればいいと思ったのだ。
だから、未由は家を出た。
少しの貯金はあるし、3年目になる今の仕事も板について、発注作業も任されている。
引越し費用は中田が出してくれた。中田とは、母親の恋人だ。
清涼飲料水のメーカーで専務をしているらしい彼とは、再婚する気はないそうだが、未由にとってそれはどうでもいい事だった。
母がしたい様にすればいい。ただ、それだけだ。
「あたしの事は気にしないで。同じ都内なんだから、何時でも会えるし」
未由は何時も口癖のように母に言うのだった。
未由は桜台に小さなアパートを借りた。高校のある江古田にも近いし、働いているお店にも近かった。
彼女のアパートから自転車で5分。富士街道を渡って路地を抜け、新目白通りに面した場所にその店は在る。
「すみません。ウエスト測ってもらえます?」
若い主婦っぽい女性が声をかけて来た。
「はい。少々お待ちください」
未由はミシンの横にかけてある巻尺を手に、女性のウエストを測る。
「上かはら測って64センチくらいですので、60センチ、28インチで大丈夫だと思います」
彼女は笑顔のまま「どういったタイプをお探しですか?」
大きなショップの為、セルフが基本だが、声を掛けられればいくらでも接客はする。
未由が、試着室に入ったお客を待ってフロアーに立っていた時、脚立に乗って子供服のディスプレイをしていた長谷部徹が声を出した
「あっ」
未由が、その声に視線を移すと、長谷部が大きな脚立の一番上で、落としたディスプレイ用のポーチを再び掴もうと手を伸ばしてバランスを崩す姿が視界に入った。
未由は瞬間的に、落ちたポーチに視線を集中させた。
長谷部は無事ポーチを落とす事無く再び掴んだ。それは、まるでポーチの方から彼の手の中に飛び込んだようにも見えた。
長谷部はぐらついた身体で危うく転落しそうになり、空いたもう一方の手で小さな脚立のテッペン、丁度脚が乗っている小さな部分を掴んで
「やべー、危なかった………」
それを見た未由は息をついて、呟いた。
「まったく、長谷部はそそっかしいんだから」
相楽未由、もう直ぐ19歳の18歳。
彼女はちょっぴり訳ありの普通の女の子だが、少しだけ不思議な特殊能力がある。
手を使わずにモノを動かせる力があるのだ。
それに、気付いたのは小学3年生の時だった。クラスメイトが入院して、みんなで千羽鶴を作ろうと言う事になり、それぞれにノルマが課せられた。
家の茶の間で鶴を折っていたとき、少々飽きた未由は、これが飛んだらなぁ。などと思いながら鶴を見つめていると、テーブルの上の折鶴数羽が、突然宙に浮いたのだ。
しかしそれは、超能力と呼ぶには恥ずかしいくらい小さなものだ。
彼女が自分で実験した結果、大きさはともかく、最高3キログラムくらいのモノまでしか動かす事はできない。
しかも、調子が悪いと、3キログラムも動かない。補償範囲は1.5キログラムだ。
それが、いったい何の役に立つの……
妙に中途半端。
どうせなら自動車を吹き飛ばしたり、人間を宙に浮かせたりできればみんなに自慢もできるのに……
こんなの恥ずかしくて誰にも言えない。
まだ、スプーンでも曲げれる方が面白い。
未由は、自分で思う中途半端な能力を、誰かに言おうとは思わなかった。