【第9話】
今日は朝から冷たい雨が降っていた。一日中降り続いた雨は、夜になっても止む気配はなく雨足はだいぶ弱まったものの、まだ小雨がぱらついていた。
日曜日と土曜日は、未由も朝から閉店までバイトに入る事が多い。学校が休みの日は出来るだけ通しシフトで入るのだ。
夜の11時まで営業しているこの店は、高校生のバイトを夜9時で上がりにする。
閉店処理が終わって、正社員の柴田、未由、長谷部がラストのメンバーだった。
店長は10時頃帰って行った。
それなりに商品整理も終わって、バックルームで一服と、柴田と長谷部は缶コーヒーを片手にタバコに火をつけた。
二つの揺らいだ煙が、換気扇の方に向かって薄らいで消えていく。
タバコを吸わない未由は、缶コーヒーだけを手にしていた。
「今日は暇だったなぁ」
柴田が言った。
「一日中雨でしたからね」
長谷部が笑って、応える。
「でも、何だか靴下がやたら売れてましたよ」
未由が笑って言うと
「あれ、何だろうね」と、柴田。
夕方来たおじさんが、30足ほど靴下を買って行ったのだ。
「発注出しておきましたから」
と未由が言った。
「さて、そろそろ帰るか」
柴田が、タバコを揉み消して「明日、二人共早番だよね」
「そうです」
未由と長谷部が同時に肯いた。
長谷部が吸殻を流し場の三角コーナーに捨てる。
燃え残りによる出火事故を防ぐ為に、タバコの吸殻はゴミ箱には入れず、必ず湿気のある流しの三角コーナーへ捨てるのだ。
その時、突然従業員通用口の扉が開いて、中にいた3人は驚いてドアの方を振り返った。
通用口から2人の男が入って来た。
いや、顔には目出し帽を被っていたので、正確には男と判らないが、ガ体からして男に間違いなかった。
「なんだ、お前ら」
長谷部が言った。
一番出口に近いところにいた未由は一人にあっという間に抑えられて、ナイフを突きつけられた。
何が何だか判らないうちに捉まってしまった。突然の事で、未由は声も出なかった。
「静かにしろ!声を出すな」
もう一人が、大きくはないが良く通る声で言った。
「社員は誰だ?」
柴田は震えた。
「俺だ」
柴田は強張った口調で、それでもしっかりと言った。
「よし、俺たちは金が欲しいだけだ。言う事をきけば誰も怪我はしない」
手の空いている男はそう言ってから「お前もバイトか?」
流しの前に立つ長谷部に言った。
長谷部は小さく肯いて「僕と彼女を交換して下さい」
「なんだお前、この女に惚れてんのか?」
未由を捕まえている男が笑った。
「お前も来い」
もう一人の男が長谷部を呼び寄せて自分のナイフを突きつけた。
「いいか、言う事をきかないと、死人が2人は出るかもしれないぞ」
長谷部を捕まえた男は柴田に向かって言った。その落ち着いた声が、逆に不気味で危機感を煽った。
柴田はぎこちなく肯いて
「金はほとんど無いぞ。売上は夜間金庫にもう入れてきた」
「じゃぁ、つり銭だけでいい。金庫を開けろ」
柴田は仕方なく、バックルーム奥の金庫に向かった。
彼は何も考えないようにした。言われるままにする他はない。
下手に動いて、本当に誰かが怪我でもしたら……いや、怪我で済めばいいが、誰かの命を落とす事にでもなったら取り返しがつかない。
それは管理者として適切な判断だった。
しかし、その時、長谷部が自分を捕まえている男の腕を掴んで壁に突き飛ばした。
完全に油断していた男は、されるがままに大きな音を立てて全身を壁にぶつけた。
未由は驚いた。彼がそんな行動を取るとは思わなかったのだ。
「てめぇ!」
突き飛ばされた男は壁にぶつかった拍子にナイフを落とした。
すかさず拾おうとして屈んだその時、ナイフがひとりでに、まるで坂を滑り落ちるかのように床を滑って柴田の足元まで移動した。
そのナイフには、未由の視線が注がれていたのだ。
手を伸ばした男は唖然とした。平らな床に落ちたナイフが、勝手に滑って行ったのだから…
それを見ていた、未由を掴んでいた男も呆然として腕の力が抜けた。
長谷部はとっさにパイプ椅子を掴んで、ナイフを拾おうとした男の頭を力いっぱい殴った。
男はそのまま、うつ伏せに倒れ込んで動かなくなった。
未由を抑えていた男は動揺していた。彼女を掴む手が小刻みに震えているのが、未由の身体にも伝わってきた。
後に下がればすぐに外へ通じるドアが在って、簡単に逃げられた。しかしその男は、長谷部に向かってナイフを手に突進した。
「ダメ!やめて」
未由はとっさに床の隅に置いてあったバケツに視線を送った。ほんとに偶然、さっき視界に入っていたのだ。そうでなければ、きっと間に合わなかった。
そのバケツは物凄い速さで床を滑って移動した。
長谷部に向かって足を踏み出した男は、目の前に滑ってきたバケツに足を突っ込んでしまい、前のめりに転がった。
何が何だか判らない長谷部だったが、とりあえず、そいつの頭もパイプ椅子で殴りつけた。
金庫の前で一人呆然と立ち尽くす柴田は、突然我に帰って
「け、警察に電話だ!」