幽霊を怖がれるのはなぜか?
自分は霊能力者でもなければ、霊感があるわけでもないので、今までの長い人生の中で、幽霊
というものをただの一度も見たことがない。子供のころは見たことがある、とか、途中から見るようになった、もしくは見ないようになった、など、そういう話も聞いたことがある。
幽霊はいるのかいないのか?そんな話を真剣にする機会はまずないだろうが、飲み会のときやら、ちょっとしたきっかけで、案外、本気で幽霊を見たとか、怖がってるような人がいるのを知って、私はかなり驚いたのだ。
そもそも幽霊が出現するおおまかな特徴をとらえると、かなり不自然極まりないことがわかる。「暗闇にでる」幽霊は太陽光にでも弱いのか?「死んだ時の姿で出る」バラバラになって死んだりした場合は無数の肉片で現れるのか?あまり聞いたことがないが?「1人になった時に出る」なぜ大勢の前には現れないのか?幽霊は恥ずかしがり屋か?「とりついて、病気にさせる」なぜ、死んだら超能力が使えるようになる?超能力が使えるほどの高次元な存在になったのに、人を怖がらせたり、とり付いて狂わせるなどの、およそあまり頭がよくない行動しかできないのはなぜなのだ?まあ疑問に思いだしたらきりがないのでこの辺でやめておく。さて、幽霊に関する様々な特徴を分析することで、色々と納得させられることがある。たとえば、幽霊は水があるところに出る、とか聞いたことがある人は結構いるだろう。
たとえば薄暗い廃墟、じめじめとしていて、空気が悪い、そんな場所。いかにも幽霊が出やすそうだ。考えてみたのだけれど、そういう場所は、おそらく衛生状態がよくない。喚起がされていないのでカビの胞子が漂っている可能性もあるし、廃墟の場合、散乱した木材や動物の死骸などがあったりで非常に人体に有害な状況を作り出している可能性が高い。こんなところへ行くとたとえ霊感のない人でも気分は悪くなるだろう。ピラミッドのなかに入った墓荒らしが、罰あたりか霊に取りつかれてうなされて死んだ、という話があるが、これもピラミッドなどという太古の昔から閉鎖された空間内は未知のウイルスやカビなど、非常に人体に有害なものが閉じ込められているかもしれないのだ。これらが原因であるか、もしくは霊に取りつかれたという思い込みで気がおかしくなったりするのだろう。そういうわけで、幽霊が水場に出るというのは、水たまりがある、じめじめした衛生状態のよくない場所だからである。他にも霊的な現象に金縛りというものがあるが、これも精神的な疲れが原因であることが多い。一昔前だと、脳は起きているけど体は眠っているから、半分眠っている状態で、目だけ開けていられるが、その時に体を動かすことができなかったり幻覚を見たりするのだ、という説があったが、これも実は眉唾もので、体を動かすことができない状態なのになぜまぶたの筋肉だけ動いて目があくのだ?と考えると、実際は、『自分の部屋の中を目だけあけて体が動かない状態である夢』を見ているのだ。
私はホラーものの映画やゲームがわりと好きな方だが、あくまで創作物としてそれらを楽しんでいるから楽しめるのだ、人間は恐怖というものを求めるようにできているのだ。それはなぜか?今が安全すぎるからである。太古の人類は、マンモスや猛獣を命がけで狩り、常に命の危険を感じていた。死の恐怖が生活の中に普通にあった。手に汗にぎる、という反応も、命に危険を感じた時、手に汗をかくことにより、滑り止めの役割をする、槍などを握りやすくするための反応だという。
今の日本人が、命の危険を感じることはほとんどないと思う、これは物足りないのだ。ここで『安全な恐怖』を人は求める。ジェットコースターやお化け屋敷なんてものは、この安全な恐怖を楽しみやすい。もっとレベルを下げると、ホラー映画を見る、ホラーゲームをやるといった完全に視覚と聴覚だけに限られた恐怖を楽しむ。
実際に死ぬような目に会うのはまずいが、死なない保証のあるなかで、昔のようにライフワークの中にあった恐怖を感じたい、恐怖を感じることは欲望なのである。恐怖が欲望というと変に思うかもしれないが、要はスリルを味わいたいのだ。
しかしこれは、本来、大丈夫だと思ってるから楽しめるのである。
自分は昔、警備員のバイトをしていたことがあったのだが、夜中にある施設内の巡回をする際に、同僚が時刻になったのに行きたがらない、なんで行かないんだと聞いたら、あそこは幽霊が出るから行きたくない、このまえ見たんです。と、こういうことを言うのだ。私は耳を疑ったよ、大の大人がこういうことを本気で言うことがあるのだろうか。なるほど、霊能者がいまだにそれで飯を食っていけるわけがわかったような気がした。
思い込みというものは、プラスに作用させることは大いにプラスになるし、ある意味人生はこの思い込みの力がかなり大事だと私は思う、しかし、この思い込みをマイナスに作用させることには何の意味もない。これは頭で理解してもらえればどうとでもなると思うのだ。
私は、霊魂や霊界があることを否定しない、しかし、これはとらえ方がおそらく幽霊を見る人とは違うと思うのだ。いうなれば、聖書にのっている伝説的事象を、実際に起こったことであるととらえている人と、その話の中で言わんとしている意味をとらえようとしてる人と同じくらい違う。たとえば、聖書に出てくる『ノアの洪水』だが、地球上の生物を死に耐えさせるほどの大洪水が起こった、と本気で信じられる人は、敬虔なクリスチャンであろうといったいどれほどいるだろうか?この話を実際に起こったことととらえるか、その真意を探ろうとすることとは次元が全く違う。
以前、私が書いたが、何も無いところで人は死ぬことができるし、また、とんでもない力を発揮させることもできる。過呼吸や心臓発作、恐怖のあまり死ぬ、あんてこともあるだろうし、火事場の馬鹿力や信念の力で、ありえないようなパワーを発揮させることもできる。
自分は、幽霊を本気で怖がっている人が自分の間近に存在したことで、霊能力者や占い師といった職種の人たちが太古の昔から今現在までも存在し続けられる理由がわかったような気がした。占いは統計学だ、だから信用できる、などという人もいるが、たとえば手相を見て、生命線が長いから長生きする、とか言うけど、これは本当に統計をとったのか?生命線が長かった人と短かった人とを比べて死ぬまでの期間を確かめたことがあるのだろうか?
それぞれ100組ずつちゃんと確かめたというならそこに信憑性も生まれようが、それがないのだとすれば、はっきりいって占い師を信じる理由がまったくわからない、ただの気休めなのか、占い師がカウンセラーというなら心療内科にでもいったほうがよほど効果があるのではなかろうか?風水においてもそうなのだ、北は死を意味する方角、風水ではこう言われている、だから北の方向に玄関があると悪い気が入ってくるからどうたらこうたらとか言う
風水占い師がいるが、これはまったくもってナンセンスである。北が死の方角を意味するのは、古代の中国で万里の長城を築いた理由をよく考えてほしい、匈奴と呼ばれるモンゴル民族が襲来してきた方角はどこだろう?そう、北だ。つまり北が死の方角を意味するのは、北方から匈奴が襲ってくるからである。これを現代の日本に適用して、北は死の方角だから~とかなんとか言うのは、どんだけあほらしいことか考えてみればわかるだろう。いや別にいのだ、それで気持ちが落ち着くなら、北の方角に悪い気を中和する花瓶を置けばいいでしょうとか、絵を飾るといいでしょうとか、それくらいのことで、当人が気持ちを良い方向に持っていくことができるなら大いに結構と思う。家を引っ越せだの取り壊せだの、おそらくあまり無茶な要求はしないはずだ、それはさすがに本人に対する影響力が大きすぎて風水占い師も心が痛むだろうから。
ながながと書いてきたが、幽霊を怖いという人は、自分の心が生み出した妄想と必死に戦っているということを自覚したほうがいいだろう。しかしこれは、他のことにもあてはめて考えることができる。自分は無能な人間だ、幸せな人生を送ることはできない、そう考えることも妄想なのだ。なぜ自分の妄想を悪いように持っていきたがるのか?どうせならプラスに持っていけばいいじゃないか?この妄想や思い込みはどういうわけかマイナスに作用させられる事例が非常に多い。恐怖症にしてもそうだ。対人恐怖症や視線恐怖症、ひきこもりの人は外に出ることさえ怖くなるという。どうせなら自信過剰でも思い上がりでもいいから、プラスに作用させてみればいいじゃないか。占いやジンクスもプラスに作用させるものは活用していけばいい。ある意味で、私のように全てを深く考察することによって、占いやジンクスのたぐいを、ただの思い込みであると結論付けてしまった瞬間に、その効果を受けることができなくなるのは、ある意味で不幸なことかもしれない。信じる者は救われる、というが
占いやジンクスで自分の気持ちをいい方向に持っていける人はある意味で救われているのだから。信じることによってそうなる。すごいことだ。警備員の同僚も幽霊がいるから怖いと信じることによって、実際に巡回に行かないという行動を選択するのだから、信じる力というものは全くすごいと思う。心身症という言葉もあるが、心と体はまさに一体だ。この力をプラスに作用させて自分の人生をプラスにもっていけるようにしたいものだ。