薬に頼って恋を成就させた錬金術師~他の薬剤との併用時には効果を失います~
惚れ薬というものは、案外簡単に作れる。
もちろん、本当に人を惚れさせることはできない。
人の気持ちを薬一本で変えられるなら錬金術師はとっくに王侯貴族に囲われている。
できるのは、もう少し単純なことだ。
心臓の鼓動を少し速くする。
頬の血の巡りをよくする。
呼吸をわずかに浅くする。
人が誰かを意識した時、身体にはそういう変化が起こる。
ならば先に身体を同じ状態にしてやれば目の前の相手を少しくらい意識するのではないか。
そういう薬だ。
私が調合している《恋誘香》は、主に貴族へ卸している。
使われるのは見合いの席が多い。
家柄も財産も申し分ない。それでも、初対面の男女を向かい合わせただけでは何も始まらないことがある。
そんな時、香炉へ二、三滴。
胸が少し高鳴る。
頬が少し熱くなる。
目の前にいる相手がほんの少し気になる。
あとは本人たち次第。
評判は悪くなかった。
薄桃色の液体を小さな硝子瓶へ一本ずつ移していく。十二本を納品用の木箱へ並べた。
十三本目だけは、作業台の上に残した。瓶には、ほかの十二本と同じ説明書きを貼る。
『他の薬剤と併用しても健康上の問題はありません』
毒性なし。
依存性なし。
効果は一時間ほど。
人の判断や意思そのものには作用しない。
何十本と作ってきた。
自分で使ったことは一度もない。
私は十三本目を作業台の引き出しへ入れた。
今日の注文は十二本だった。けれど私は十三本作った。量を間違えたわけではない。その時、扉の鈴が鳴った。
「こんにちは」
「い、いらっしゃいませ」
私は引き出しを勢いよく閉めた。
店に入ってきたのはカイルだった。
カイルは肩から提げていた革袋を作業台へ下ろす。背が高い。山を歩く仕事をしているせいか肩も広く、厚い外套の上からでもしっかりした体つきが分かる。
少しくせのある焦げ茶色の髪は、今日も手で後ろへ流しただけらしい。日に焼けた肌。右の眉尻には、昔魔物につけられたという細い傷が一本ある。
灰色がかった青い目がこちらを向いた。私はすぐに手元へ視線を落とした。
「頼まれてた月白草。二十本で足りる?」
「はい。十分です」
「赤斑茸も採れた」
「ありがとうございます」
「うん」
会話が終わった。
いつもこうだった。
カイルは山や森から薬草や魔物素材を採ってくる採取人でうちの店には月に何度も顔を出す。
知り合って三年。
好きになって、たぶん二年。
まともに世間話ができるようになったのが半年前。
そこからは、一歩も進んでいない。
カイルが袋から月白草を取り出す。
私は一本ずつ受け取った。
ふと自分の指先が気になった。
朝に砕いた薬草が、爪の際に少し残っている。袖には乾いた粉。腰まである栗色の髪も邪魔だからという理由だけで後ろへ一つに束ねていた。
店に立つなら清潔であればいい。錬金術師に洒落っ気なんて必要ない。ずっとそう思っていた。
「それと、いつもの」
「あ、はい」
棚から青い小瓶を取った。
《浄気薬》。
毒草の胞子や魔物の瘴気に近づく者が使う解毒薬で、朝に一度飲めば日が暮れる頃まで効く。
カイルは森へ入る日は、出発前に必ず飲んでいる。
「最近、減るの早いですね」
「北の森へ入る日が増えたから。今日も朝に飲んできた」
「また北の森ですか」
「うん。そのままここに来た」
カイルは瓶を受け取りながら、少し嫌そうな顔をした。
「これ便利だけど、飲んでる間は頭痛薬とかも効かなくなるんでしょ?」
「そうです。頭痛薬も一緒に打ち消されますから。飲むなら効き目が切れてからにしてください」
「そこだけ面倒なんだよな」
「森で毒を吸うよりはいいでしょう」
「それはそう」
カイルが笑った。
それだけで、心臓が大きく跳ねた。
四日後。
今日はカイルが来る日だ。
朝から店を掃除した。棚を拭き、床を掃き、普段なら後回しにする窓まで磨いた。
それから鏡の前に立つ。
栗色の髪をほどき、櫛を通した。
全部を後ろへ束ねかけて、やめる。
顔の横へ少しだけ髪を残した。
いつもの茶色い紐ではなく、以前布屋でもらった青いリボンを使う。
服も替えた。染みのない灰色の作業着に白い前掛け。鏡の中には、普段よりほんの少しだけ整った私がいた。
「……何してるんだろ」
誰も見ていないのに顔が熱くなった。
昼を過ぎた頃、引き出しから先日作った十三本目を取り出した。
いつもなら貴族の見合いの席で使われる薬。
今日は自分の店で使う。
栓を開け、香炉へ二滴落とした。
甘い花の香りが薄く広がる。
どくん。
と、思ったより心臓が早鐘を打った。
頬も熱い。
息が少し浅くなる。
自分で作っておきながら実際に使うのは初めてだった。これならカイルも、少しくらい私を意識するかもしれない。
扉の鈴が鳴った。
「こんにちは」
「ひゃい」
変な声が出た。
カイルが入口で止まった。
「……大丈夫?」
「大丈夫です」
「顔赤いけど」
「暑くて」
カイルが窓の外を見た。雪が降っていた。
「今日は寒いと思う」
「……そうですね」
消えたかった。
カイルが店へ入ってくる。
外套の肩には細かな枯れ葉がついていた。
今日も森から直接来たらしい。
彼がこちらを見て、少しだけ目を止めた。
「髪」
「え?」
「いつもと違うね」
心臓が跳ねた。
「た、たまたまです」
「似合ってる」
「……ありがとうございます」
せっかく褒められたのに、そこから先が続かなかった。
喉の奥が固まったようで何も出てこない。《恋誘香》で速くなった心臓だけが、さらに忙しく鳴っていた。
しばらくすると、カイルの耳も少し赤くなった。
何度かこちらを見る。
目が合うと逸らす。
落ち着かないように首の後ろを触っている。
効いている。
たぶん、効いている。
そう思うと、こっちの心臓はさらに速くなった。
「今日は、そのーー」
カイルが口を開いた。私は相槌を打った。
「はい」
「月白草をーー」
「はい」
「持ってきた」
「ありがとうございます」
「うん」
そして会話は終わった。
《恋誘香》は効いた。
たぶん。
ただし、二人でどきどきしているだけでは何も起こらないらしい。
むしろ以前より喋れなくなった。
それから何度か《恋誘香》を使った。
カイルが来る日には髪を整えるようになった。
青いリボンのほかに、薄緑色のものも買った。
染みのある前掛けは奥の作業用にした。
指先に薬草の色が残った日は、来店前に念入りに洗った。
小さな耳飾りまで一つ買った。
以前の私なら、全部無駄だと思ったはずだ。
でも、扉を開けたカイルが一瞬こちらを見るのが嬉しかった。
問題は、その先だった。
彼の顔は赤くなる。
私も赤くなる。
視線が合う。
二人とも逸らす。
会話は増えない。
《恋誘香》を使う前より悪化している気さえした。
「本音を口にしやすくする薬?」
そんな話を聞いたのは、材料を仕入れに市場へ出た時だった。
「南通りの錬金術師が売ってるよ」
顔見知りの商人が教えてくれた。
「酔っ払いみたいに何でも喋る薬じゃない。言いたいのに言えないことが、少し出やすくなるらしい」
欲しい。
ものすごく欲しい。
同業者から薬を買うのは少し悔しかったが、翌朝には南通りへ向かっていた。
店主は私より十歳ほど年上の女性だった。
「《リベラ》ね」
透明な小瓶を出してくる。
「飲み薬じゃないんですね」
「首につけるの。左右に二滴ずつ」
「首に?」
「喉や呼吸の緊張を和らげるの。考えてもいないことを喋らせる薬じゃないよ。言いたいのに喉で止まっている言葉を少し出しやすくするだけ」
理想的だった。
「ください」
「はいよ」
私は代金を払って、小瓶を持ち帰った。
次にカイルが来る日。
髪を整えた。
今日は薄緑のリボン。
《恋誘香》を香炉へ二滴落とす。
心臓が脈打つ。
続いて《リベラ》の栓を開けた。
首の右側に二滴。
左側にも二滴。
冷たい液体が皮膚を伝う。
指先で軽く馴染ませた。
少し待った。
何も変わらない。
「こんなものなのかな」
扉の鈴が鳴った。
「こんにちは」
カイルだった。
やっぱり胸が跳ねる。
今日も外套には森の土がついている。
彼もこちらを見ると、少しだけ目を逸らした。
「今日は月白草と、あとこれ」
「ありがとうございます」
袋を受け取る。
ここまではいつも通り。
カイルが代金を受け取り、帰ろうとする。
言わなければ。
今日は言える。
首には《リベラ》がついている。
「あの」
声が出た。
カイルが振り返る。
「何?」
「もし、時間があるならーー」
喉が止まる。
言え。
薬を使った。
今日は言える。
「お茶……飲んでいきませんか」
言った。
カイルが目を丸くした。
「いいの?」
「はい」
「じゃあ、飲みたい」
カイルは笑った。
私は急いで奥から椅子を出した。
手が震えていた。
それは《恋誘香》のせい。
言えたのは《リベラ》のおかげ。
そう思った。
そこから少しずつ変わった。
カイルが来る日には《恋誘香》を焚く。
首へ《リベラ》を垂らす。
「その外套、似合っています」
言えた。
カイルは耳まで赤くした。
「ありがとう」
次には、
「カイルさんが来る日は、少し楽しみなんです」
と口にした。
言った瞬間、作業台の下へ潜りたくなった。
それでもカイルは、
「俺も、ここに来るの好きだよ」
と答えてくれた。
さらに次。
「今度、店じゃないところでも会いませんか」
そこまで言えた。
二年間、何もできなかった。
それが《リベラ》を使い始めて一月もしないうちに、二人で食事へ行くことになった。
初めて店の外で会う日は、朝から三度服を替えた。
最後に選んだのは、淡い青色のワンピースだった。
仕事着では隠れている首元が少し見える。髪も全部は束ねず、上半分だけを後ろで留めた。小さな耳飾りもつけた。
鏡を見る時間が明らかに増えている。でも、以前ほど恥ずかしいとは思わなくなっていた。
待ち合わせ場所へ着くと、カイルがしばらくこちらを見た。
「何ですか?」
「いや」
「変ですか?」
「逆だよ」
「逆?」
「……きれいだと思った」
その日の夕食が何味だったのか、ほとんど覚えていない。ただ、帰り際に、
「また行こう」
と言われたことだけは覚えている。
薬は偉大だと思った。
少なくとも《リベラ》がなければ、私はここまで来られなかった。
そして、その《リベラ》がなくなった。
「……ない」
小瓶を逆さにしても、一滴も落ちなかった。
三日後には、カイルと二度目の食事へ行く。
薬なしで何を話せばいい。
前回はずっと喋れた。
好きな食べ物。
仕事のこと。
子どもの頃のこと。
行ってみたい場所。
全部、薬のおかげだ。
薬がなければ、また「はい」と「ありがとうございます」だけの私に戻る。
翌朝、私は南通りへ向かった。
「あら。この前のーー」
「《リベラ》をください」
「気に入った?」
「はい」
即答した。
店主が棚へ手を伸ばし、途中で止まった。
「あ」
「どうしました?」
「そういえば前回、これ渡したっけ」
一枚の紙を取り出す。
「注意書きを?」
「うん。渡したつもりだったんだけど、たぶん入れ忘れてる」
私は紙を受け取った。
一行目。
『一度に左右二滴を目安として首筋へ使用してください』
二行目。
『皮膚に異常が現れた場合は使用を中止してください』
三行目。
『本剤は、身体が他の薬剤の作用を受けていない状態でのみ効果を発揮します。他の薬剤との併用時には効果を失います』
読み直した。
もう一度読んだ。
「……他の薬?」
「そう。他の薬が効いてる最中だと駄目なの。身体が素の状態じゃないと効かない」
頭の中に香炉が浮かんだ。
薄桃色の液体。
甘い香り。
速くなる心臓。
「香も?」
「薬効があるなら薬でしょ」
「……そうですよね」
当然だった。
私は錬金術師だ。
そんなことは知っている。
カイルが来る日は必ず《恋誘香》を焚いていた。
《リベラ》を使った日も、一度も忘れていない。
「……何やってるんだろ、私」
「何?」
「いえ」
お茶に誘った時も。
外套を褒めた時も。
来るのが楽しみだと言った時も。
食事へ誘った時も。
首には《リベラ》をつけていた。
同時に《恋誘香》も効いていた。
つまり、《リベラ》は一度も効いていなかった。
「……全部、私だったんだ」
「だから何の話?」
「何でもありません」
店主が新しい瓶を手に取った。
「《リベラ》いる?」
私は瓶を見る。
少し前までなら、何本でも欲しかった。
「やめておきます」
「あら」
「たぶん、もういりません」
店を出た。
恥ずかしかった。
ものすごく恥ずかしかった。
薬に言わされたと思っていた言葉を全部自分で言っていた。
お茶に誘ったのも私。
褒めたのも私。
食事に誘ったのも私。
でも、歩いているうちに少しずつ足が軽くなった。
一度できた。
何度もできた。
薬ではなかった。
なら、もう一度くらいできる。
三日後。
いつもより少し早く起きた。
髪に櫛を通す。薄緑色のリボンを手に取り、そのまま結んだ。きれいな前掛けを選んで、指先に残った薬草の色も落とした。小さな耳飾りもつけた。
もう、これは薬の影響ではない。
私がそうしたいからするだけだ。
《リベラ》はいらない。
そこまでは迷わなかった。
迷ったのは、作業台の引き出しを開けてからだった。
十三本目の《恋誘香》。
まだ何度か使える。
瓶を手に取った。
私がお茶に誘ったのは、薬のおかげではなかった。
外套を褒めたのも。
会えるのが楽しみだと言ったのも。
食事へ誘ったのも。
全部、私だった。
そこまでは分かっている。
でも。
カイルは?
私の言葉が私のものだったことと彼の反応が本物だったかは別だ。
《恋誘香》を焚くたび、彼は耳を赤くした。
こちらを見た。
目が合えば逸らした。
私が話しかければ嬉しそうに笑った。
もし、あれが全部この薬のおかげだったら。
瓶を引き出しへ戻そうとして、手が止まった。しばらくそのまま立っていた。
「……今日だけ」
結局、香炉へ二滴落とした。
甘い花の香りが広がる。
心臓の鼓動が少しずつ速くなる。
そしてーー扉の鈴が鳴った。
「こんにちは」
カイルだった。
「こんにちは。北の森に行っていたんですか?」
今日も外套には森の細かな葉がついていた。
「うん。朝から。今日は茸が多かった」
今日も森から直接来たらしい。
けれどそんなことより、今は言わなければならないことがある。
「月白草と、赤斑茸も少し」
「ありがとうございます」
カイルが革袋を作業台へ置いた。
袋を受け取る。
いつもなら、ここで素材の話をする。
今日は、その前に言う。
「カイルさん」
「うん」
「この前の食事、楽しかったです」
「俺も」
「また行きたいです」
「行こう」
「それとーー」
喉が止まりかけた。
首には何もついていない。
《リベラ》はない。
言わせてくれる薬は、もうない。けれどいつもと何も変わらない気がした。一度、息を吸った。
「私、カイルさんが好きです」
言った。
心臓がものすごい勢いで鳴った。
逃げたい。
作業台の下にでも潜り込みたい。
それでも顔を上げた。
カイルは黙っていた。
やがて耳が赤くなっていく。
「……よかった」
「何がですか」
「俺だけかと思ってた」
今度は私が黙った。
「俺も好きだよ」
身体中が熱くなった。
思わず俯く。
口元が勝手に緩んだ。
嬉しい。
間違いなく嬉しい。
でも、香炉から流れてきた甘い香りが鼻をかすめた。頭の奥に、小さな疑問が残った。
本当に?
今の言葉も。
赤くなった耳も。
私を見る目も。
本当に、カイルのものなのだろうか。
香炉から細い煙が上がっていた。
聞けなかった。
「ーーそうだ」
カイルが恥ずかしさを紛らわすかのように言った。
「はい」
「いつもの《浄気薬》を一本もらえる?」
「あ、はい」
棚から青い小瓶を取った。
《浄気薬》には、一瓶ごとに効能と用法を書いた紙を添えている。
最初の一本を渡した時には、カイルにも一通り説明した。
二本目からは、
「同じなら、もう入れなくていいよ。最初のを取ってあるから」
と言われている。
「説明の紙は今回もいりませんよね」
「うん。いつものだから大丈夫」
「分かりました」
私は紙を抜き取り、作業台の脇にある屑籠へ落とした。それから瓶を差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
カイルが手を伸ばした。
瓶を受け取る指が、私の指に触れた。
ふと目が合い、ほんの一瞬が妙に長く感じられる。
胸がざわついた。
カイルの指がわずかに動き、そのまま私の手を握った。
私も離さなかった。
しばらくして、急に顔が熱くなる。目の前のカイルも耳まで赤くなっていた。
どちらからともなく手を離した。
「じゃ、じゃあ次の休み」
「はい」
「また食べに行こう」
「……はい」
カイルは《浄気薬》を持ったまま照れたように笑った。
カイルが外へ出ていったあとも《恋誘香》の甘い香りは店に残っていた。
私は自分の手を見る。
さっき握られていたところが、まだ熱い。
嬉しかった。
それでも香炉から細く上がる煙を見るとほんの少しだけ不安が残った。
好きだと言ってくれたことも。
手を握ってくれたことも。
あんなに赤くなったことも。
どこまでがカイルで、どこからが《恋誘香》だったのだろう。
私は香炉の火を消して、店の奥に戻った。
誰もいなくなった店内に《恋誘香》の甘い匂いだけが残る。
作業台の脇では、さっき捨てた紙が屑籠の縁に引っかかっていた。
やがて折り目がゆっくりと戻り、半分ほど開いた。
『《浄気薬》』
『用法――一日一回、朝に服用してください。効果は日没まで持続します』
『効能――服用中、体内へ侵入する毒性物質および薬効成分を無効化します』
『この作用により、飲用薬だけでなく《恋誘香》等の惚れ薬の効果も無効化されます』
消したはずの香炉から、最後の一筋だけ甘い煙が上がったーー。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
楽しんでいただけましたら、評価を入れていただけると今後の短編を書く励みになります。
最後まで読んだあとで、タイトルと副題の意味が少し違って見えていたら嬉しいです。




