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『おとん、あいたいよ』長編小説  作者: のん


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9/11

最終章 『父という名の屈強な精神力で生き尽くした証』

12月17日

実家のリビングには、お父さんを迎えるための介護用ベッドやサイドテーブルが運び込まれた。かつて家族団欒の中心だった場所に。  


私はその日の夜から実家に泊まり込んだ。

一秒でも早く、お父さんの帰りをその肌で感じたかったから。


12月19日、金曜日

待ちに待った退院の朝。けれど、いざ病院を後にしようとするお父さんの顔には、どこか怯えるような、不安そうな表情が浮かんでいた。


車椅子に揺られながら、お父さんは何度も、小さく、不安げに周囲を見渡していた。


護用タクシーの揺れは今の父の身体にはあまりにも過酷だった。


尿管はつけたまま、お腹には医療用麻薬の針が刺さっている。


お父さんは、込み上げる激痛を捩じ伏せるように両手を固く握りしめ、一言も弱音を吐かずに耐えていた。 私は、その震える肩や背中をさすり続けることしかできなかった。


一刻も早く父を痛みから解き放ってあげたい。その一心だった。


ようやく、自宅に帰ってこられた。 

待ち望んでいた「我が家」の空気を吸い込んだ瞬間、父が真っ先に口にしたのは、一言だった。

「……タバコ」


普段はメビウスの8mgを愛用していた父。

身体を気遣って1mgを渡すと、

父は真顔で「これじゃない」と首を振った。  

しぶしぶ、いつものタバコを渡すと父は深く煙を吸い込み、魂から安堵したような顔で言った。


「…これを楽しみに、頑張ってきたんだからな」


その一口は、どんな薬よりもお父さんの心に効いたのかもしれない。


やがて訪問診療の医師や看護師が去り、てんやわんやだった家の中がようやく静かになって私たち家族だけになった。


お風呂に浸かりたがっていた父のために、私とお姉ちゃんは温泉の入浴剤を溶かした桶を用意した。父のむくみでパンパンに膨れ上がった両足をそっとその中に浸し、洗い流してあげた。


お父さんは、心底気持ちよさそうに目を細めた。

その穏やかな表情を見ただけで、今日までの苦労が報われるような気がした。


父は隣にいた義兄に向かって、誇らしげに、自慢げに言った。

「…お前も、こんな娘に育てろよ」 「……こんな娘たちが、他にいるか?」


「何言ってるの、これから毎日やるんだからね!」 私たちがそういうとお父さんはより一層嬉しそうに笑った。


痛みに耐え、死の影を振り払ってまで父が帰りたかった理由。 それは家族とのこの瞬間を生き尽くすためだった。


夕方過ぎ、お父さんは静かに強い意志を秘めて動き出した。


「恩返しに、ラーメンを作る」  


その言葉に、私とお姉ちゃんは慌てて止めた。「本当、無理しないで」と。


けれど、屈強な精神力かつ頑固な面を持つお父さんは、私たちの制止を振り払うようにして、自らの足で立ち上がった。


私たちが両脇を支え、ゆっくりと一歩ずつ。

お父さんは険しい表情でキッチンに立った。


医療用麻薬の針が刺さり身体は悲鳴を上げているはずなのに。せん妄で手元が少しもたつきながらも、お父さんは豚骨を煮込み、渾身の力を込めて湯切りをした。


『究極に美味しい、お父さんの最期のラーメン』出来上がった一杯を見届け、ベッドに横たわったお父さんは、どこか遠くを見つめるようにフッと微笑んでこう言った。


「……明日は、もう作れないな」


その一言には、やり遂げた男の満足感と、もう二度と戻れない場所へ行く寂しさが、静かに混ざり合っていた。


お姉ちゃんがそのラーメンを一口啜り、涙を浮かべて私に「食べな」と差し出した。


口に入れると、私たちへの底知れない愛情が身体中に染み渡った。 涙が止まらなかった。温かくて世界で一番優しいその味は、お父さんが命を削って絞り出した最後のメッセージだった。


「おとん、美味しいよ。本当に美味しい」涙ながらに皆で一杯を食べた。


お父さんの凄まじさは、ラーメンを作り終えた後も衰えることはなかった。


普通なら尿管をつけベッドの上で全てを済ませていてもおかしくない状態だった。

けれどお父さんは、それを良しとしなかった。


「……トイレに行く」


そう言って、お父さんは再び自分の足で立ち上がった。私たちが両脇を支え、一歩一歩と慎重に歩を進める。


介助されながらではあるけれどお父さんは自分の足で床を踏み締め、トイレへと向かった。医療用麻薬の助けを借りなければならないほどの激痛。思うように動かない身体。


それでも誰かに全てを委ねて寝たきりになるのではなく、最期まで「自分のことは自分でする」という、長距離ドライバーとして長年培ってきた自立心とプライドをお父さんは一瞬たりとも手放すことはなかった。


声がかすれて出なくなっていたお父さんのために、私たちはクイズ番組で使うような

「ピンポン!」と鳴るボタンを準備していた。


「お父さん、終わったらこれで呼んでね!」 そう伝えて、

私たちはトイレの扉をそっと閉めた。


数分後。静まり返った家の中に、明るく、けれどどこか切ない「ピンポン!」という音が響き渡った。


真っ先に駆けつけたのは、お母さんだった。

長年連れ添いお父さんの背中を追い続けてきたお母さんが、今度はそのお父さんの「一番しんどい場所」を支える。  


言葉を交わさずとも、お母さんの献身的な下の世話を受け入れるお父さんの姿。


そこには長い年月をかけて築き上げてきた夫婦にしかわからない、深い深い信頼と慈しみがあったはずだと思う。


お母さんが下の世話を終えると、トイレから「むすめたちー!」という、かすれた、けれど必死な呼び声が聞こえてきた。


私たちは待ってましたとばかりに駆けつけ、お父さんの体を支えながら、介護用のオムツやズボンを整える。


そして、トイレからベッドへの、数メートルという名の長い帰路が始まる。


私が先頭に立ち、お父さんの両手を私の肩に乗せてもらう。 私の肩にお父さんの腕の重みを感じていた。私がお父さんをゆっくりと誘導し、後ろをお姉ちゃんやお母さんが支える。 家族が一つに繋がって、廊下をゆっくりと進んでいく。


私の両肩にお父さんがしっかりとつかまり、その後ろでお母さんが尿管のパックを大切そうに抱えて歩く。 「…電車ごっこだ」 私は、なぜだか幼い子供のような心地になって、そう口にしていた。


お父さんに甘え、お父さんの背中を追いかけていたあの頃の記憶が、この切ない歩みのなかに重なっていた。


不思議なことに「家」に帰って来てから一度も病院では毎日頻繁に出ていた熱が出ないでいた。夜も更けた頃、お父さんが静かに口を開いた。


「…何か、映画を見よう」


その一言に、お父さんの願いがすべて詰まっているのがわかった。


昔の様に同じ映画を観て、とりとめもない時間を過ごす。そんな、かつて当たり前だった「家族の団らん」を、お父さんはもう一度だけ心に刻みたかった。私はそう感じとっていた。


12月20日の朝が来た。


起床後、酸素濃度や血圧を測っても数値に大きな変化はなかった。けれど、お父さんは朝からどこか苦しそうにしていた。


「薬の時間もあるし、先にお父さんだけ朝ご飯にする?」 私がそう尋ねると、

お父さんは首を振った。


「…いや、お前たちの準備が終わるまで待つ」


その言葉の意図を、私は痛いほどわかっていた。一人で先に食べるのではなく、家族全員が同じ空間で、同じ時間を共有しながら食事をする。


お父さんは、その温もりを心に焼き付けようとしていたんだよねって。


お父さんは休み休み、最後まで自分の力で食べきった。 「食べてるぞ」 そう証明するように私の向けるカメラの前で完食して見せたお父さん。


その姿は病に蝕まれた患者ではなく、

最後まで自分の足で立ち、自分の口で命を繋ぐ誇り高き私たちの最強なお父さん。


その後、訪問看護師がやってきた。手続きや説明が続く長い時間、お父さんにとっては一分一秒が過酷な闘いだった。


看護師が電話で席を外した隙にお父さんは絞り出すような声で


「……いてぇ、なげぇ」と嘆いた。

看護師が帰って間もなく、静寂は一変した。


お父さんの顔色が急激に変わる。

急変だった。

鼻から酸素を送り込んでいても、数値は無情にも下がり続ける。


お父さんは苦しみに悶えながら、

ベッドのシーツ柵を強く掴み必死に自分の胸に手を伸ばし掴んだ。


『なんでこんなに苦しいんだ』と、呼吸を乱しながら叫ぶお父さん。


『たすけてくれ』と求められた私は傍に寄り添い酸素のレベルをあげお父さんと呼び続けることしか出来ずにいた。


「お父さん! お父さん!」


私は狂ったように酸素の目盛りを上げ、何度もその名前を叫んだ。

お母さんは震える手で119番通報をし、私はスマホを握りしめてお姉ちゃんに電話をかけた。


「……いそいで! お父さんが、お父さんが!」と。


数時間前まで「食べてるぞ」と笑っていた、あの穏やかな朝食の風景が遠い過去のことのように感じられた。


お姉ちゃんは近所のスーパーで買い物中だった。私の悲鳴のような電話を受けレジでの精算を全て投げ出し、お姉ちゃん夫婦と下の孫二人を連れて、実家へと車を飛ばした。


「はやく! はやく!」


私は電話を繋いだまま、お父さんの枕元でお姉ちゃんを呼び続けた。電話の向こうからも、お姉ちゃんがお父さんの名前を必死に呼ぶ声が聞こえていた。


お姉ちゃんたちが家に飛び込んでくる。

家族全員がお父さんの周りに駆け寄った。

 

私とお姉ちゃんはお父さんが横たわるベッドに乗り、今にも止まりそうなその胸に手を当て、心臓マッサージを続けた。

「お母さん、人工呼吸して!」 叫びながら、私たちは交互にお父さんの体を押し続けた。


その剣幕にまだ小さな孫たちも何が起きているかを悟り、声を上げずに静かに涙を流しながら、私たちの姿を見守っていた。


救急隊が来るまでの間、お父さんの呼吸は三回止まりかけた。 けれど、そのたびに私たちの「お父さん!」「おとん!」という叫びに

呼び戻されるように、お父さんは大きく息を吹き返した。


それは最後まで家族のそばにいたいと願った、お父さんの屈強な精神力が起こした


「最期の奇跡」だった。


運命の波は非情だった。

目の黄疸は濃くなり瞳の色がゆっくりと薄れていく。お父さんは私たちの愛に包まれながら壮絶な苦しみの果てに旅立っていった。


救急隊が到着しお父さんの心肺蘇生をし始めた。そして姉の電話で駆けつけた上の初孫も加わり病院へと向かった。


12月20日、13時39分。

入院していた病院の救急外来の一室で、死亡宣告が下された。 私はこれまで必死に涙を堪えていた甥っ子を抱きしめた。甥っ子も体が震えていた。私たち家族は、お父さんを失った悲しみを分かち合うように、ただひたすらに泣き合った。


冷たくなったお父さんと対面した時、

そこにあったのは、

全ての苦しみから解放された穏やかな顔だった。


「がんばったね、おとん」

「がんばったね、じい」


家族みんなで声をかけ、

お父さんの体を撫でた。


長距離ドライバーとして日本中を走り抜け、胃癌さえも笑い飛ばし、最後は家族のために「究極のラーメン」を作り上げ、

三度も呼吸を吹き返して見せた屈強な精神力の私たちの厳しくも温かく優しい自慢の父。


お父さんはその一生を、

そしてその最期の瞬間までを最高に格好いい「父」として生き尽くした。


決して真似できることのない父の生きた証。

生き尽くした証。享年61歳と若すぎる死だった。




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