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『おとん、あいたいよ』長編小説  作者: のん


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8/11

第8章:『薄れゆく意識のなかで、最後まで「父」であろうとした』

ナースステーションの目の前にある個室へ移されてから、私は毎日朝一番に病院へ向かった。 揺られるバスの中でイヤホンから流れてくるのは『愛し君へ』。


その歌詞が、今の自分の祈りと重なって、胸の奥が痛くなるほど締め付けられた。


病院に着くと、まずは自販機に向かうのが私のルーティンになった。

お父さんのための冷たいアイスココアと、自分のためのコーヒー。


二つのカップを手にエレベーターに乗りナースステーションの横を通り過ぎ、お父さんの部屋の前へ立つ。


すぐにはドアを開けられなかった。 私はいつも、閉ざされたカーテンのわずかな隙間に目をやり、中の様子をそっと覗き込んだ。 静かに眠っているのか、それとも痛みと闘っているのか。


あるいは、お母さんが言っていたように「弱っちいところを見せたくない」と、一人で踏ん張っているのではないか。

その数センチの隙間から見えるお父さんの姿を確認して、手足が動いているのを確認して『お父さん、生きてる』と、ふう、と一つ呼吸を整えてから、私は

「おはよう」と部屋に入っていった。

部屋に入り、サイドテーブルにお父さんのココアを置く。


お父さんは私の姿に気づくと、少しだけ表情を緩める。  


私がコーヒーを飲み、お父さんがゆっくりとココアを口にする。漂うコーヒーの香りと、ココアの甘い匂い。それだけが、この無機質な白い部屋のなかで、私たちの「日常」を繋ぎ止めてくれる唯一の絆だった。


何気ない言葉をかけながら、私はお父さんの傍らに座る。

お父さんは、多くを語らずとも、そのココアを飲むひとときを大切にしているようだった。


かつて大型トラックを転がし、高速のパーキングで豪快に飯を食っていたあの背中は、今はもうずっと小さくなってしまったけれど。


それでも、ココアを飲むお父さんの横顔には、家族に囲まれ、娘が届けてくれるものを喜ぶ「一人の父親」としての、穏やかな時間に包まれていた。


私が横にいることを確かめるように、時折視線を向けてくれた。 その瞳は、濁流のような「せん妄」のなかにあっても、私を見つけると一瞬だけ、かつての力強い光を取り戻したかのような眼差しだった。


医学的には「昏睡していてもおかしくない」状況。


それでもお父さんは、毎朝やってくる私のために家族のために、懸命に「こちらの世界」へ踏みとどまってくれていた。


『愛し君へ』のメロディを心の中で繰り返しながら、私は、この静かな時間が一秒でも長く続くようにと、それだけをただ祈り続けていた。


かつてハンドルを握り、私たちをどこまでも運んでくれた、大きくて頼もしかった手。

今は少し痩せてしまったその手を握りしめ、私は優しく語りかけた。


「……にぎにぎは?」


それは、毎朝私が会いに行くたびに交わす、二人だけの合言葉だった。


お父さんは私の声に反応するように、残された力を振り絞って、私の手をぎゅっと握り返してくれる。その微かな、けれど確かな感触が、何よりも嬉しい「おはよう」の返事だった。


「にぎにぎは?」と尋ねるたびに、お父さんが私の存在を認識し、この世界のこちら側に踏みとどまってくれていることを確かめる。


握り返してくれる力の強さが、お父さんのその日の生命力のバロメーターのようでもあった。


言葉にならない想いが、その「にぎにぎ」を通じて、私の心に深く、静かに伝わってきた。


けれど、せん妄の症状は着実にお父さんの「今」を浸食していた。


話しかけても、お父さんの中では過去と現在が混ざり合っているようだった。


「孫は、いま何歳?」 そう聞いてみると、お父さんは「二歳」と答えた。


本当はもっと大きくなっている孫。けれどお父さんは、一番穏やかな記憶の中に帰っていたのかもしれない。


確かな病名も、病状のステージも、まだ正式には告げられていなかった。


けれどそんなある日、医師から尋ねられた。 「……今、会わせたい人はいますか?」


その言葉の意図を、説明されずとも私たちは悟った。悟らざるを得なかった。


私たちはすぐに連絡を入れた。お父さんがお世話になり、心から慕っていた親戚たちが、報せを聞いて足早に駆けつけてくれた。


お父さんを「あんちゃん」と呼び、自分の子供のように可愛がってくれた叔父さんや叔母さんたち。 「まだ、あんちゃんが必要なんだからよ……」


そう声をかける皆の顔は、あまりにも早く変わり果ててしまったお父さんの姿を見るのが辛そうで、やりきれない悲しみに満ちていた。


ベッドのそばに寄り添うことさえ躊躇うほど、少し離れた場所から見守る皆の視線が、お父さんがどれほど愛されていたか、そしてこの現実がいかに残酷かを物語っていた。


過去と現在が交錯する意識のなか、大好きな人たちに囲まれて、お父さんは何を想っていたのだろう。 私たちはただ、握り返してくれるその手の温もりだけを信じて、理不尽な時の流れを必死に押し留めようとしていた。


親戚たちが集まった病室で、叔母さんに帰り際喝を入れられると


お父さんは一瞬、元気を装うように笑って「オッス」と空手の構えを見せた。

その力強い素振りは、かつての元気な頃のお父さんそのもので、私たちはその一瞬の輝きに、奇跡を信じたくなってしまった。


けれど、運命の濁流は止まらなかった。


12月5日。


お父さんのお腹が張り始め、呼吸も次第に苦しそうになっていった。鼻から酸素を入れていても、数値は88まで落ち込んでいる。

 

午前10時、私はお父さんの身体が僅かに震えていることに気づいた。


「……どうしたの?」 私が尋ねると、

お父さんは弱々しく「さむい」とだけ答えた。


震えは次第に激しくなり、痙攣の様に震え始め私は心底怖くなり、必死でナースコールを押した。


生まれてから一度もお父さんがあんなにも激しく震える姿を見たことがなかった。


「悪寒戦慄です」


駆けつけた看護師さんの言葉通り、お父さんの体温は40度まで跳ね上がった。


代わってあげられるものなら代わりたい。なぜお父さんだけがこんなにも痛くて熱くて寒い思いをしなければならないのか。


あまりの理不尽さに、私はただ震えるお父さんの手を握り続けることしかできなかった。


ようやく熱が落ち着き始めた頃、お父さんは不思議な行動を取り始めた。  


両手の人差し指をクルクルと回すその姿を見て、私とお姉ちゃんは顔を見合わせ、必死にその意味を探った。


「なんだろう、トイレットペーパーでも巻いてるのかな?」

「仕事の動きかな?」 「……いーとーまきまき、してるのかな?」  


そんなふうにお姉ちゃんと言い合っていると、お父さんの動きはさらに大きくなり、今度は指だけでなく両腕を大きくクルクルと回し始めた。その一生懸命で、どこか可笑しな動きに私たちはたまらず笑ってしまった。


「おとん、何してるのってば!」


笑いながらもう一度聞いてみる。すると、あれほど何かに取り憑かれたように動いていたお父さんの腕が、ピタッと止まった。

そして少し困ったような照れくさいような顔で、一言だけこう答えた。


「……わからん」


その拍子抜けするような返事に、私たちはまた笑った。


さっきまでの恐ろしい悪寒も、下がらない酸素濃度も、モニターの不気味な警告音も、その一瞬だけはすべて消え去っていた。


そこには、真面目な顔をして変なことをし、娘たちに突っ込まれて「わからん」とボヤく、大好きだったいつものお父さんがいた。


お父さん自身も、自分がなぜそんな動きをしていたのか分からなかったのかもしれない。

けれど、あの瞬間、お父さんは間違いなく「お父さん」として、私たちを笑わせてくれた。 身体がボロボロになっても、意識が混濁しても、家族を笑わせたいというお父さんの「家族思い」な本能は、病にさえ侵されていなかった。


夜が更けるとともに、せん妄の影はさらに深くお父さんを飲み込んでいった。


お母さんと二人きりになった病室。お父さんの目には現実には存在しない、恐ろしい「怪獣や化け物」が見え始めていた。それは決してお父さんを癒やすものではなく、命を脅かすような禍々しい存在だったのだろう。


お父さんは、恐怖に震えながらも必死にお母さんを守ろうとした。


「逃げろ! 早く逃げろ!」 何度も何度も、お父さんは叫び続けた。あまりの剣幕にお母さんは一度部屋を出て、様子を伺いながら数分後に戻った。


するとお父さんは、ナースステーションまで響き渡るような大声で怒鳴りつけた。


「なんで戻ってきたんだ! お前のせいで台無しだ!」


それは、お母さんを拒絶する言葉ではなかった。 (戻ってこなければ、お前だけでも救えたのに。お前だけでも助かってほしかったのに……)


お父さんの叫びには、そんな、命がけの想いが詰まっていた。


自分の命が尽きようとしているその時でさえ、お父さんはお母様を守り抜こうとする「夫」であり、一人の「男」であり続けたのだ。

心配して看護師が駆けつけるほどの怒号。

けれど、その嵐のような激しさこそが、お父さんが人生をかけて貫いてきた「家族思い」な本能の最後の咆哮だった。


お父さんも、そしてそれを受け止めたお母さんも、どれほど怖く、どれほど哀しい夜を過ごしただろう。


暗闇のなかで戦うお父さんの背中は、かつての大型トラックの運転席で見た時と同じように、私たちのために風雨を凌ごうとする、大きく誇り高いものだった。


嵐のような夜が明けた、12月6日。

私がいつものように病院へ向かうと、お父さんは昨夜のことを、どこか覚えているようだった。


「……おかんは、今日来るかな」


ポツリと漏らしたその声は、ひどく小さく不安そうだった。あんなに怒鳴り散らしてしまったことを、お父さんなりに悔やみ、お母さんに拒絶されることを恐れていたのかもしれない。


「大丈夫、あとで来るよ。おとんはお母さんを守ろうとしていたんでしょ?」


私がそう尋ねると、お父さんは「うん……」と、切なそうに、けれど深く頷いた。


化け物からお母さんを遠ざけ、自分一人で引き受けようとした、不器用で真っ直ぐな愛情。


その真意を私が理解していると分かった時、お父さんの張り詰めていた肩の力が、少しだけ抜けたように見えた。 その日は、いつものようにアイスココアを飲みながら、穏やかにお母さんの到着を待つことができた。


けれど、そんな静かな時間は、長くは続かなかった。  


12月7日。お父さんの意識は、私たちの手の届かない場所へと漂い始めていた。 「高台に逃げないと……。向こうの島に逃げないと。窓のところにいると危ないぞ」 。


お父さんは迫りくる何かから私を守ろうと、必死に警告を発し続けていた。けれどその瞳には、恐ろしいものだけではなく、不思議な光景も映っていたようだった。


「部屋で、子供が二人チャンバラごっこをしてるぞ」 お父さんはそう言った。

「話しかけてこないの?」と私が尋ねると、「覗いてはくるな」と答えた。


お父さんの目に映るその子供たちは、かつての私たち姉妹だったのか、それともまだ見ぬ未来の姿だったのか。


その日は、病室がかつてないほど賑やかだった。孫たち5人が、じいに会いに駆けつけてくれたのだ。 なかでもお父さんが目に入れても痛くないほど可愛がっていた初孫が、お父さんの耳元で、あの大好きだった懐かしいドリフターズの曲を流し始めた。


その瞬間、奇跡のような光景が起きた。


薬の影響で、脳は深い眠りの中に沈んでいるはずだった。呼びかけにも応じるのが精一杯だったはずのお父さんの身体が、リズムに合わせて小刻みに揺れ始めた。


お父さんは両手両足を動かし曲に合わせて踊り始めた。身体を蝕む激痛も、数値が示す絶望も、その時ばかりはどこかへ吹き飛んでしまったかのようだった。


「じいー!」「踊ってる!」 と孫たちや私たちの笑い声がお父さんの耳に届く。


お父さんは、最期の最期まで「面白くて、強くて、かっこいいじい」であり続けようとした。


すさまじい気力でその場を笑いに包んだお父さん。理不尽な運命に対してお父さんは「笑い」という最大の武器で、最後の反撃を試みているようだった。


ダンスを踊りきったあと、

私たちが「疲れないの?」と尋ねると、

お父さんは一息ついて、

「……非常に疲れた」 と真顔でボヤいた。


そのお父さんらしい絶妙な言い回しに、病室はドッと大きな笑いに包まれた。薬の影響で混濁しているはずなのに、ここぞという場面で皆を笑わせる。そのサービス精神は、病にさえ侵されることはなかった。


その後、個室の空気は一変した。


病院の消毒液の匂いをかき消すように、部屋中が強烈な「ラーメン」の香りに包まれたのだ。 お姉ちゃん夫婦が買ってきたラーメンや食べ物を、孫たちも一緒になって、みんなで囲んで食べる。まるで、かつてお父さんが長距離ドライバーの仕事から帰り、家族全員で食卓を囲んでいたあの頃のような光景だった。


お父さんも、そのラーメンを少しだけすすってくれた。


あんなに食欲が落ちていたのに賑やかな匂いと家族の笑い声に誘われるようにして口にした。


せん妄が深まってから、お父さんは飲み物を独特の呼び方で区別するようになっていた。

いつものジュースを一口飲んでは「おいしいジュース」と喜び、普通の麦茶を飲んでは「まずいおちゃ」と顔をしかめる。


素直で不器用で、どこか子供のようなお父さんのその言葉。


「おいしい」と感じる心。

家族の輪の中で「疲れた」と笑わせる力。


理不尽な運命に翻弄されながらも、お父さんはこの個室の中に、自分だけの、そして私たちだけの「家」を築き上げていた。


その日の午後。

お母さんがやってきて、お父さんの横に、そっと一緒に横になった。

お父さんは眠っていてお母さんが隣にいることに気づいていたのかはわからない。


けれど、かつて家でそうしていたように、二人が肩を並べて横たわるその姿は、どんな言葉よりも深く、強く、結ばれている夫婦の形そのものだった。


けれど、そんな穏やかな午後は静かに幕を閉じようとしていた。


この日を境に、お父さんの「帰りたい」という願いは、現実の準備となって動き始めることになる。


12月8日、早朝。

まだ夜も明けきらぬ午前6時半、お父さんから珍しく寂しさを滲ませるメッセージが届いた。 『皆来ないし、不安で不安で』 いつもなら「大丈夫だ」と強がるお父さんが、

この時ばかりは孤独という影に怯えているようだった。


私は祈るような思いでバスに乗り、午前8時前には病院に駆けつけた。

病室に入ると、お父さんはどこか寂しそうに、けれど私を待つように眠っていた。


「娘さんはまだですか、って、ずっと気にされていましたよ」


どんなに意識が混濁していても、

お父さんの心の中には、私たち家族がいた。

看護師さんの言葉を聞いて私はお父さんの痩せた手を強く握りしめた。


私がいつものように部屋に入り、「おはよう」と声をかけると、お父さんは真っ先にこう口にした。


「……おかん、ばぁは無事か?」


それは、静かだけれど切実な響きを持った問いかけだった。


なぜそんなことを聞いたのか、理由はわからない。

けれどお父さんの中では、まだ「見えない敵」との戦いが続いていたのかもしれない。


あるいは、お母さんを怒鳴ってまで遠ざけようとした自分の記憶が、不安となってお父さんの胸を突き動かしていたのかな。


「大丈夫だよ、無事だよ。あとで来るよ」


私がそう答えると、お父さんはようやく安心したように表情を緩めた。


自分自身の身体は、もう限界を超えているはずなのに。意識の混濁のなかで、お父さんが真っ先に確かめたのは、自分ではなく長年連れ添った妻の無事だった。


お母さんの無事を確かめて安心したのか、その日のお父さんは、少しだけ「いつものお父さん」に戻ったような茶目っ気を見せてくれた。


私が、お父さんの頭を優しく拭いてあげていた時のこと。

お父さんの頭の上に汗拭き用ティッシュを置いておくと、お父さんはそれをヒョイと手に取り、自分の顔にバサッとかけ始めた。


そんなふうに悪ふざけをして私を笑わせようとする姿は、病室にいることを忘れさせるほどに無邪気で、愛おしかった。


身体を動かすのも、呼吸をするのも、本当は「非常に疲れる」はずなのに。


12月10日

お昼ごはんが運ばれてくると私とお姉ちゃんはベッドの左右に陣取り、

「お父さん、食べて」と促した。


するとお父さんは、しぶしぶといった様子で、けれど少しだけ悪戯っぽく笑ってこう言った。 「……2対1じゃ、勝てないな」 娘たちの愛ある包囲網に、お父さんは完敗を認めるように食事を口にしてくれた。


けれど、穏やかな時間は終わりを告げようとしていた。


12月12日

この頃から、看護師さんや医師に何度もある問いを投げかけられるようになった。


「このまま病院で、完治の保証はないけれど抗がん剤治療を続けるか。それとも……最後は家で過ごすか」という選択。


それは決して突き放すような冷たい響きではなく、むしろ私たち家族に寄り添おうとする慈悲に近い提案だった。


抗がん剤治療がどれほどお父さんの身体を削り取るか。今のお父さんの状態がどれほど限界に近いか。


日々誰よりも近くでお父さんを看てくれていた看護師さんだからこそ、家族が後悔しないための「時間」を考え、あえて言葉にしてくれた。


そんな私たちの葛藤をよそに、お父さんの身体には不気味な異変が起きていた。


食事はほとんど喉を通っていないというのに、お父さんの体重は少しずつ、けれど確実に増え始めていたのだ。お腹は張っているけれど、医師によれば腹水でもないという。


食べていないのに重くなっていく身体。その数字の一つひとつが、お父さんの体内で何かが暴走していることを示しているようで、私は言いようのない恐怖を感じていた。


私たちは、断を迫られていた。 このまま、白い壁に囲まれた病室で過ごすほうが安全なのか。


それとも、お父さんが心の底から帰りたがっていた、あの「我が家」へ帰るべきなのか。


残された時間は、もう砂時計の最後の一粒のように静かに、けれど確実にこぼれ落ちようとしていた。


私たちはお父さんに医師から余命を聞かされたことを話すべきかどうか悩んでいた。


お父さん自身も医師から余命は言われなかったものの今の自分の状態を説明され、血液検査の結果が悪く抗がん剤をやった場合のリスクや効かないかもしれないこと。


その残酷な言葉にどれだけ打ちのめされただろう、どれだけ悲痛な思いをしたのだろう。

前に私たちに『一人になると泣いてるの』と両指を目に持っていって泣いてるフリをして見せた。


それは真面目なトーンじゃなくいつもの様に家族を笑わせようとしながら話してくれたことがあった


12月13日土曜日

病院へ着いた。いつもの様に飲み物を買って病室へ向かい、『おはよう』とお父さんにこえをかける。


普段何気なくしていたその『おはよう』のやりとりさえ、尊く儚く感じ始めていた。


その日お父さんは『ずっと、死んだらいかんいかん、死ぬまで生きなさい』と長渕剛さんの曲が頭の中で流れてるんだって教えてくれた。


『生きて生きて生きまくれじゃないの?』と私は返した。すると


『それは胃癌の時に聴き尽くした』と答えた。


その後私はお父さんの横に身を縮めて横になった。いつもの様に。


そしたらお父さんは急に『色々ありがとうな』と頭をポンポンとしてくれた。

泣かないようにしていたのに堪えきれず涙が流れた。


それを感じたお父さんも顔をそむけつつかすれた声で『笑って癌を消そう』と力強く言った。


12月14日、日曜日

いつもの様に病室に入っていくと、看護師と楽しそうに話していたお父さんがいた。

『おはよう』と声をかけると、『そりゃ家に帰りたいよ。だってこんな可愛い娘がいるんだもん』と嬉しそうに話していた。


看護師さん達の間で私たちがお父さんの横に一緒になって横になっていたのが話題になっていたらしく『どうしてそんなに親子で仲がいいの?普通、横に寝ないよ!』と声を掛けられ『うちは普通なんだけどなぁ』と誇らしげに答えていたみたいだった。


身体に起きている異変を、お父さんは彼なりの「希望」として受け取っていた。


増えていく体重の数値を、お父さんは体力が戻ってきた証拠だと信じていたのだ。


「……これには、先生もたまげるんじゃないか?」 そう言って笑うお父さんの見てその明るさが、真実を飲み込もうとしている私たちの心をさらに激しく揺さぶっていた。


それからの数日、食べたい物リストがお父さんの口から出てきた。


具体的な食べ物の名前が次々と溢れ出した。

「マックのチーズバーガー、食べたいな」 「なか卯の親子丼が食べたいな」

「希、もう遅いかなココイチの、チキンカレーライスが食べたい」とお願いをしてきた。


私は、病室にデリバリーを頼んだ。医師からも看護師からも好きなものを食べさせてあげてと言われていたあり、看護師がデリバリーしたものをお父さんが食べているのを見て

ニコニコと『そっちのほうがおいしいよね』と共感してくれていた。


やがて、ナースステーションの前の個室に、チーズバーガーの香ばしい匂いや、ココイチの食欲をそそるスパイスの香りが立ち込める。 白い壁と電子音に囲まれた冷たい病室が、その瞬間だけは、デリバリーの容器を囲む賑やかな「家」に変わった。


お父さんは、自分がリクエストしたチキンカレーを前にして、少しだけ誇らしげに、そして何よりも嬉しそうにスプーンを動かした。


「おいしいジュース」と「ココイチのカレー」に彩られた、この愛おしい時間の続きは、病院のベッドの上ではなく、お父さんが一番安心できる、あの場所で叶えるべきなのだ。

お父さんが本当にいたい場所は、ここじゃない。


私たちは、お父さんの生命力を信じ、ずっと悩んでいたお母さんを説得し

大きな決断を下した。


「おとん、家に帰ろう」。



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