第6章 『何故、こんなにも理不尽に事が進んでゆくのか』
お父さんの入院が決まり、私たちの日常は、剥ぎ取られるようにして「病院」という冷たい空間へと移っていった。 あんなに強くあんなに豪快に笑っていたお父さん。腰が溶けるような激痛のなかで、「痛くもかゆくもねえ」と笑って姉の新居にワックスをかけてくれたお父さん。
そんな人が、どうして真っ白なシーツの上に横たわっていなければならないのか。運命というものの理不尽さに、胸が掻きむしられる思いだった。
入院生活が始まれば、少しは痛みが和らぐはずだと私たちはそう期待を持っていた。
けれど現実は、私たちの淡い期待を無惨に打ち砕いた。
入院当初、お父さんにはまだ点滴などの処置はなく、痛み止めは服薬のみで処方されたのは医療用麻薬だった。
普通なら感覚を麻痺させるはずのその薬ですら、お父さんの身体を蝕む激痛の前では、まるで無力だった。
横になれば腰に痛みが走り、眠ることさえできない。
お父さんにとっては、横たわるよりも「立っている」ほうがまだ楽に感じたという。夜通し、病室で一人、立ったまま朝が来るのを待つ。どれほど孤独でどれほど長く苦しい夜だっただろう。
お父さんは必死に、医者や看護師に痛みを訴え続けた。けれど、どれほど訴えても、なかなかお父さんの身体に合う薬は見つからなかった。
「何のための入院なのか」
「どうしてこれほど苦しまなければならないのか」
日に日に衰えていくお父さんの姿を前に、私たちはやり場のない怒りと悲しみに震えていた。
病室という守られるべき場所で、お父さんはただ一人、剥き出しの激痛と闘っていた。
痛みの正体を見極めるための生検が、十一月十一日に行われることになった。
病室の窓の外では季節が冬へと向かって着実に進んでいる。お父さんの時間は、
その痛みとともに、あまりにも残酷で理不尽なスピードで削り取られていった。
11月11日、生検が行われた。 検査を終えたお父さんから、家族のグループラインに何度も届いたのは、意外な言葉だった。 『腹減った』 激痛に耐え、身体を蝕まれながらも、お父さんは空腹を訴えた。
その一言に、私たちは少しだけホッとした。
胃癌を乗り越えた後のあのお父さんの食欲が、まだここにある。
それはお父さんが、まだ病に魂まで明け渡していない証のように思えた。
精密なPET検査を受けるため、お父さんは一度退院し、外来で検査を受けることになった。検査の日、私も一緒に病院へ向かった。
けれど、そこでも長い待ち時間が私たちを待っていた。
空腹のまま待たされるお父さんは次第にイライラし始めた。
あんなに痛みに耐えている人が、お腹が空いたことで機嫌を損ねている。
「本当にお父さんは『腹減った』しか言わないな」と私は少しだけ笑ってしまった。
夕方、ようやく検査が終わると、私たちは三人で回転寿司へ向かった。
あの時、三人で並んで食べたお寿司の味は、その後の嵐のような日々のなかで、最後の「普通の幸せ」として私の記憶に深く刻まれることになった。
十一月十八日、再入院が決まった。
運命の歯車はそこから残酷なほどの加速を見せた。 その日の夜、お父さんからグループラインに連絡が入る。
『急に熱が出て、個室に移された』 急激な高熱。そして、それまでとは違う緊迫した処置。
一歩ずつ進んでいたはずの時間は、この夜を境に私たちの手の届かない速さで濁流のように流れ始めた。緊迫した空気のなかで抗生剤や点滴の処置が始まり、幸いにも翌日には熱が下がって元の部屋に戻ることができた。
検査の結果は、まだ誰も聞かされていない。
私たちはただ、お父さんの身体のなかで何が起きているのか分からないまま、
祈るような気持ちでそばにいることしかできなかった。
唯一の救いはあんなに苦しんでいた痛みが、ようやく薬でコントロールできるようになったことだ。夜通し立ったまま過ごすような壮絶な時間は去り、お父さんはようやく、眠りにつくことができるようになった。
けれど、少し体調が落ち着いてくると、次なる「理不尽」がお父さんを悩ませた。
病院食。胃癌を乗り越えた後、あれほど「米」にこだわり、サービスエリアでガツガツと力強く食べていたお父さんにとって、薄味で彩りの乏しい病院の食事は、あまりに味気なく、受け入れがたいものだった。
「腹減った」と繰り返していたあのお父さんの食欲を満たすには、あまりに静かすぎる食事。 お父さんは、配膳されたトレーを眺めながら、どんな思いを噛み締めていたのだろう。
痛みは引いても心に溜まっていくもどかしさと焦り。 嵐の前の静けさのようなその日々は、お父さんのプライドを少しずつ、けれど確実に削り取っていこうとしていた。
日に日に食が細くなっていくお父さんの姿を見て、最初にお母さんの痺れが切れた。
「少しでも、お父さんが食べられるものを」。
お母さんは毎日、家でおかずを作りそれを抱えて病院へ通った。お父さんの好みを誰よりも知っているお母さんが、工夫を凝らして作る「家の味」。
お父さんはその手作りの料理を口にする時だけは、かつての力強さを少しだけ取り戻したかのように見えた。
私やお姉ちゃんも、面会に行くたびにお父さんが喜びそうなものを選んで持って行った。
「これなら食べられるかな」
「お父さん、これ好きだったよね」
病室の小さなテーブルに並ぶ家族からの差し入れは、無機質な病院のなかで、
そこだけが唯一、私たちの「家」と繋がっている聖域のようだった。
お父さんは私たちが持っていく食べ物を、どんな表情で受け取っていたのだろう。
検査結果への恐怖を、必死に紛らわせながらも家族には気を使い、そこでも笑わせようとしてくれていた。




