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『おとん、あいたいよ』長編小説  作者: NON


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第5章 『平穏な毎日が、ずっと続くと思っていた』

胃癌という大きな嵐が過ぎ去り、

穏やかに過ごす日々だった。

そんな月日を重ねるうちに私たちはどこかで

「もう大丈夫だ、お父さんは病気に勝った』と安心し始めていた。


この平穏な日々を一番近くで一番必死に支えていたのはお母さんだった。

お父さんが長距離ドライバーとして全国を駆け回っていた頃から、

お母さんはずっとお父さんが帰ってくる場所を守り続けてきた。


お父さんが胃を摘出した後もお母さんはその不規則な生活や食の変化を丸ごと受け入れ、

隣で静かに見守っていた。 お父さんが強気で豪快に笑っていられたのは、どんな時も変わらずそこにいてくれるお母さんの存在があったから。


お父さんという「船」にとって、お母さんは代わりのきかない世界でたった一つの「帰るべき場所」だったのだと思う。


その裏側でお父さんとお母さんの間には家族にしか分からない、そして家族だからこそ抱え続けてきた「歪み」と「絆」が混在していた。


お父さんは、完璧な人間ではなかった。

何度も作った借金の肩代わりをしたのは、他ならぬお母さんだった。


長距離ドライバーとして家族を支える一方でお父さんが抱えた負の側面を、

お母さんは黙って背負い家計を切り盛りし泥を被るようにして支え続けてきた。


お父さん自身、お母さんへの感謝は間違いなく胸の奥にあったはず。

けれど照れ隠しなのか、あるいは自分の不甲斐なさへの苛立ちなのか、お母さんに向ける口調や当たりは、時として強かった。


お母さんはそんな弱さも、すべてを飲み込んで、この家という船が沈まないように

必死で踏ん張っていた。


お父さんという「船」がどれほど荒れても、お母さんという「帰るべき場所」は、そこにあることをやめなかった。


孫たちの成長を感じる日々、そして愛犬レオのレオと過ごす日々。  


そんな当たり前の景色がこれからも十年、二十年と、当たり前に続いていくのだと信じて疑わなかった。お父さんの吸うタバコの匂いも時折漏らす冗談もずっとこの家の一部であり続けるのだと。


けれど、運命は残酷なほど静かに、その「当たり前」を奪い始めていた。


私たちが安心しきっていたその背後で雲行きが少しずつ少しずつ変わり始めていた。


異変にいち早く気づいたのは紛れもなくお母さんだった。


お父さんとお母さん二人だけで出かけた最後の夫婦旅行。楽しいはずの旅の最中、お父さんはどこか具合が悪そうにしていた。


長年お父さんという「船」が帰る港であり続けたお母さんにとって、そのわずかな揺らぎは見過ごすことのできない不穏な予兆だった。


「何かがおかしい」 お母さんが感じたその嫌な予感は、医師の宣告を待たずして静かに、けれど確信を持って心に居座り始めた。


そんな日常に突然の宣告が届く。

旅行から帰宅し後日、内科と放射線科での検査を終えたお父さんから、家族のグループラインに一通のメッセージが入った。


『すまんな、最悪の結果だよ』  


肝臓に映る大きな影と複数の小さな影。

そして腰の激痛の原因は「骨が溶けている」ことにあるという事実。


病名こそまだ確定していなかったが、その一言には、お父さんの本能的な覚悟が滲んでいた。

けれど、そこからお父さんは命を削るような速さで家族との思い出を刻み始めた。


当時、お姉ちゃん一家は引っ越しの準備に追われていた。


お父さんは腰に激痛が走るなか、「今のおとんには、これぐらいしかやってあげられないから、やらせてくれ」と、新居の掃除やワックスがけを自ら買って出た。


一番下の孫も「じいとやる」と、お父さんの隣で一生懸命に手を動かしていた。


お姉ちゃん夫婦が「無理しないで」と何度も止めたけれど、お父さんは私たち皆に向かって、力強く言い放った。


『お前らが健康でいてくれるなら、こんなの痛くもかゆくもねえ』


しかし、その強がりは激痛に耐えるためのギリギリの防波堤だった。


掃除の間も隠しきれないほど辛そうにしていたお父さんは、家に帰るとすぐ倒れ込むように横になった。


後でお母さんから聞いた話では、お父さんはしょぼんとした様子でこう言っていたという。


「娘たちに、弱っちいところを見せてしまったな」


それを聞いて、私たちは涙が溢れて止まらなかった。どこが弱っちいんだ、と思った。

あんなに痛い身体を引きずって、私たちのためにワックスをかけてくれた。


その背中のどこが「弱っちい」のか。


そんなの見せてくれていいんだよ、もっと甘えてくれていいと、心の中で叫ばずにはいられなかった。


11月1日の土曜日、入院前に思い出作りをするかのように、グループラインに

『瞳、希、気分転換に足利フラワーパークのイルミネーション見に行かないか?』と送ってきた。


私とお姉ちゃんは咄嗟に悟った。

電話で『なんか思い出作りしているみたいで嫌だね』って、戸惑いを隠せずにいた。


でも、お父さんの望みも叶えたかったし、私たちもお父さんの傍にいたかった。腰に激痛が走っているはずなのに、お父さんはそれをおくびにも出さず、藤の花の様に吊るされていたイルミネーションを見に連れて行ってくれた。


水面にかかる橋を先頭をきっていつもの様に歩いてゆくお父さんの背中「後ろに続く私たち娘が感じた「悲しみに近い想い」は、あのラインの一言の重みが形になったものだったのかもしれない。


がん専門病院への入院が決まるまでの間、お父さんはまるで、この世に思い出を刻みつけるかのように動き続けた。


激痛を抱えながらも孫を公園に連れていき、愛犬のレオと全力で遊び、そして最後にお母さんと二人で牛久大仏へ日帰りの夫婦旅行に出かけた。


お母さんへの不器用な感謝を、その「時間」という形で示そうとしていたのだろうと思う。


自分の身体が砂時計のように崩れていくのを感じながら、お父さんは最後まで、ただの病人ではなく「父親」であり「夫」であり「じい」であろうとした。


そうしてすべてをやり切ったかのように、お父さんの入院生活が始まった。



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