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『おとん、あいたいよ』長編小説  作者: のん


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第2章『子供のころの記憶2』

私がまだ小学生だった頃、我が家は団地に住んでいた。


あの頃は、子供が近所の商店にタバコを買いに行っても、誰も不思議な顔をしない時代だった。


「のぞみ、ちょっと行ってきてくれ」

お父さんに頼まれるのは、決まって『ラーク』の赤。

小銭を握りしめてタバコを買いにいく。


ある時、帰宅してお釣りを眺めながら何のつもりもなく聞いてみたことがあった。



「ねえ、お父さん。お釣り、いる?」


それを聞いたお父さんは、一瞬きょとんとした後、肩を揺らしてにっこりと笑った。


「そう聞かれるとなぁ……。お前は、ずる賢いなぁ。」


結局お釣りは私のポケットに収まった。お父さんはお気に入りのジッポをカチンと鳴らして、満足そうにタバコを吸っていた。


お父さんの仕事は過酷だった。長距離ドライバーとして、何百キロという道のりを一人で走り抜く。帰宅したときのお父さんの背中には、いつも隠しきれない疲労が滲んでいた。


けれど、休日になるとお父さんは当たり前のようにグランディスの鍵を手にする。


「今日はどこへ行くんだ?」

お母さんが嬉しそうに「あそこの道の駅に行ってみたい」と言えば、お父さんはお母さんのリクエスト通りに車を走らせてくれた。


群馬、栃木、千葉……。旅行の帰り道には必ずどこかの道の駅に寄り、時には道の駅そのものを目的地にして出かけた。

お母さんが地元の野菜や特産品を楽しそうに選んでいる間、お父さんは大きな背中でそれを見守っている。 仕事で走り慣れたはずの道を、家族を乗せて走る時のお父さんは、どこか誇らしげでもあった。


お父さんは高校を中退して「九州ラーメン」の店で働いていた。お父さんはたった一人で厨房を切り盛りしていたという。


「客が次から次へとバラバラな注文してくるからよ、『同じもんにしてくれ!』って怒鳴ってやったんだ」 そんな威勢のいい武勇伝を語る時、お父さんは少しだけ鼻を高くする。


家族に振る舞ってくれるラーメンやモツ炒めがどこか本格的で、手早く、そして抜群に美味いのは、その時の職人魂が腕に染み付いているからなのだろう。


そんなお父さんが人生の指針にしていたのは、映画『トラック野郎』の菅原文太さんだった。 お父さんが長距離ドライバーの道を選んだのも、間違いなく「一番星」への憧れがあったからだと思う。寡黙で、不器用で、けれど情に厚い。


お父さんが目指した「男の美学」は、

いつもあの大きなトラックのハンドルの中にあったはず。


けれど、そんな強気なお父さんにも、一生に一度の「敗北」がある。


「……文太さん本人が来た時は、さすがに声が出なかったなぁ」  


お父さんが働いていた所に憧れの菅原文太さんが現れた際、普段の威勢はどこへやら、

あのお父さんが萎縮してしまったという。その話をするときのお父さんは

いつもの「一家の主」ではなく、憧れのスターを前にした一人の少年の顔に戻っていた。


家族旅行で沖縄の那覇に旅行に行ったときに沖縄の無人島で、マリンスポーツをやるもバナナボートのスピードに悲鳴を上げるお母さんを横目に、私とお父さんは顔を見合わせて笑った。お父さんは、お母さんのぼやきを

「賑やかなBGM」くらいに思っている節があって、マリンスポーツのお兄さんの冗談に、肩を揺らしてにっこりと笑っていた。


那覇で車で移動中、信号待ちの際バス停にいた若者たちが、窓を開けていた私にふざけて声をかけてきた時のこと。

「綺麗なおねえさーん!」

刹那、お父様の空気が凍りついた。


「ギロっ」と窓越しに睨みつけた。

本物のトラック乗りが纏う、一瞥で相手を黙らせる威圧感。 若者たちが慌てて首を引っ込めるのを見て、私は「お父さんの前で、私に手を出す奴なんていないんだ」と、誇らしいような、少しくすぐったいような安心感に包まれた。


お父さんは、多くを語らない。

けれど、グランディスを走らせるその横顔には、家族をどんな危険からも守り抜くという、静かな決意が刻まれているようだった。



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