第一章 『子供のころの父の記憶』
お父さんの手は、大きかった。
そのごつい手のひらは、人生のほとんどの時間を重たいハンドルを握ることに捧げてきた証。
私の小さな手とは比べものにならないほど厚みがあり、そこには家族を路頭に迷わせないという、静かな覚悟が染み込んでいるようだった。
「行くか」と休日になると、お父さんのその一言で、我が家は動き出す。
お母さんの支度や準備に時間かかるためお父さんはいつも先に下に降りて、車を家の前に出して出かける準備をしていた。
お父さんは愛車のグランディスに座りタバコを吸って私たちが降りてくるのを待っていた。
お父さんは、自分から大きな声を出して笑い転げるような人ではなかった。
お父さんは、声も立てずににっこりと、ただ優しく目を細めていた。
カーステレオから流れる長渕剛さんの歌声が、エンジンの心地よい振動とともに車内に満ちていく。 後部座席から眺めていたお父さんの大きな背中、大きな手でハンドルを握る姿。子供のころはその後部座席から見るお父さんの背中は広く大きく見えていた。
夏になると、お父さんは「しらこばと水上公園」や『清水公園のアスレチック』を目指して走った。車内には私と姉だけでなく、私の友達も乗せてくれていたときもあった。
お父さんは相変わらずバックミラー越しに静かにこちらをみつめ微笑みながら、慣れた手つきでハンドル握り車を走らせる。
プールや海に着くと、お父さんは「寡黙な運転手」から、最強の「遊び相手」に変身した。 「のぞみ、行くぞ!」 そう言ったかと思うと、
お父さんの大きな手が私の体に添えられる。当時私は結構なほど太っていた。
それでも次の瞬間 お父さんに投げ飛ばされ、放物線を描いて水中に飛び込む。鼻がツンとするけれど、水面に顔を出すと、お父さんが少し肩を揺らして、いたずらっ子のような顔で笑っているのが見えた。
私の友達も、後には孫たちも、みんなお父さんの「餌食」になった。
アスレチック公園では、吊り橋を渡る孫の背後から、わざと橋を揺らして驚かせたり
外側からニヤニヤしながら揺さぶりをかけるその姿は、どちらが子供かわからないほどだった。
幼い孫たちは橋を揺らされ、必死に縄にしがみつきお姉ちゃんや私から『危ないよー』と声をかけながらも『じぃ』に遊んでもらって心底楽しんでいた。
普段は多くを語らないお父さん。
けれど、プールやアスレチックではお父さんは誰よりも楽しんでいたのだ。投げ飛ばされた時のあの浮遊感と、水の中から見上げたお父さんの楽しそうに笑う様子。それは、何にも代えがたい夏の記憶だった。
お父さんは、どんなに仕事で身体が疲れていても、休日は家族を連れて車を走らせてくれた。お母さんが大好きな道の駅を目指して、群馬や栃木、千葉……。目的地で、お母さんが地元の特産品を嬉しそうに選んでいる間、お父さんは大きな背中でそれを見守っていた。
そんな移動の車内や、夕飯を待つリビング。
お父さんは時々、狙いすましたようなタイミングで家族を笑わせにかかる。
中学の運動会が終わって、 「あの二人三脚」 とお父さんがボソッと口を開いた。
「お前ら、トドとアザラシが走ってるみたいだったな」
一瞬の静寂の後、私は笑いながら食ってかかった。 「ちょっと! 誰がトドじゃ!」
お父さんは、私のその反応を待っていたかのように、嬉しそうににっこりと目を細めた。
お父さんの比喩はいつも独特で、なんだか的を射ていて言われた方は笑ってしまう。
それはお父さんが私たちのことをよく見ていて、どうすればみんながドッと沸くかを知っているからこその、お父さんなりのの愛情表現だった。
お父さんが口を開くと、私やお姉ちゃんはすぐにツボにハマって大笑いする。
そんな賑やかな家族の真ん中で、お父さんは時差があるような絶妙なタイミングで言葉を添え、みんなの笑顔を静かに眺めていた。 お父さんのそんな「ぼやき」こそが、我が家の平和な日常だった。




