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愛の表現者たち

作者: 赤松みと
掲載日:2026/02/07

 たった一音。


 それだけで、人生が変わる世界で、僕たちは息をしている。


「……………また負けたっ!」


 ぐしゃっとパンフレットを両手でしめたのは、色の薄い髪を肩まで伸ばした少年、一条(いちじょう)怜志(れいじ)だった。


「ふん、余裕✨」


 その隣でドヤ顔をかますのが、クセっ毛を遊ばせた少年、有川(ありかわ)陽斗(はると)


「今日は、陽斗くんの調子がよかったね。いい音してた」


 ぼんやりした顔で首位に賞賛を贈るのは、優しげな顔をした少年、朝倉(あさくら)真弘(まひろ)


「だろっ!」


「っ! でも、今日の僕はノーミスだ。陽斗は今日2回もミスタッチした」


「俺のは『ひょーげんりょく』が良かったんだよ! 俺ぁ天才だからな!」


「自分で自分を天才と言う天才は居ないんだぞ」


「んだと!?」


 言い争いをはじめる2人に、真ん中のひとりはため息をついた。


 そこに、ふたりの大人が声をかける。和装の老婆は怜志の乳母、もう1人の女性は陽斗の母だ。


「じゃあな!」「また大会で」「次の一位は僕だ!」


 この日、怜志は、ピアニスト界から姿を消した。


 そして数年後、彼は、ヴァイオリニストとして音楽界に返り咲くこととなる。


***


「なんっでだよ!」


「どうどう」


 陽斗がキレちらかすのを真弘が宥める。


「だってッ、アイツあんなに楽しそうに弾いてたのに!」


「確かに……、それにヴァイオリン、機械みたいだった」


 氷のような表情で楽譜をさらうだけのヴァイオリニストは、数年前まで表現豊かなピアニストだったとは思えなかった。


「別に機械が悪いわけじゃないけれど、少なくとも彼は、苦しそうだった」


 真弘は少し考えるように顎に指を添えた。


「………真弘?」


「………陽斗くん、僕、今日負けるね」


 陽斗が目を大きく見開く。真弘はまっすぐ、どこか面白そうに陽斗を見る。


「ごめんね」


「…っ、……勝手にしろ!」


***


 どいつもこいつも。と、陽斗は歯を噛み締める。鍵盤に向かい、指を構える。


 陽斗の家は、貧乏寄りの普通の家だった。マンションに母親と下に3人の弟妹と5人で暮らしている。だからいつも、電子ピアノにヘッドホンを繋いで練習しているのだ。


 そしてたまに、近くの喫茶店にあるピアノを借りて練習している。


 だから、簡単に手を抜けるほど、陽斗のピアノは安く無いのだ。一曲一曲が貴重で大切で、一つだって無駄にはできない。


(君はそれでいい)


 舞台で喝采をあびる陽斗を見ながら、真弘は笑う。3人の役目はたいだい決まっている。


 陽斗は明るく先を照らす。それだけでいい。


(そして僕は、彼に少しいじわるをする)


 トン、と鍵盤を鳴らす。


 客席から息をのむ音が聞こえる。


「なんだこの曲は」「課題曲じゃないぞ」


 陽斗が眉間にしわを寄せた。


 中継が流れている前で、今しがたヴァイオリンを片した怜志は、はく、と口を開けて、歯を噛み締めた。


「ばかにするな!」


 聞こえもしない、画面のむこうに叫び散らす。


(ピアノが好きだった。君たちが大切だった!)


 真弘の家の大人が、真弘を迎えにきた日は無かった。真弘の家は父親がいなくて、母親は病にふせっていたらしい。


―お母さん、ヴァイオリニストだったんだ。だから僕は、お母さんにまたヴァイオリン引いてほしくて、ピアノやってるの


 その母親は、今から2年ほど前に亡くなったらしい。それでも彼はまだピアノを弾く。たったひとりの、ヴァイオリニストのために。


「っ!」


 僕とは真逆だ、と怜志が思う。


―ピアノはもうだめだな。いつまでたっても三位どまり。明日からはヴァイオリンにしなさい

―……はい


 こちらを見ない父親にそう答えたのは、陽斗とミスタッチだの表現力だのと言い合いをした日の夜だった。


 自分の唯一だったと言っても過言ではない乳母は、ヴァイオリンを始めてすぐの頃に老衰で亡くなった。


 それからは、ただ人形のように楽譜をさらえた。天才だと褒め称えられても、一位をとっても嬉しく無かった。ただ、父親に認めて欲しかった。陽斗や真弘とピアノを弾いていたかった。


 振り上げたヴァイオリンのケースを、そのまま胸に抱き寄せる。大切なものだった。


「………ごめん、僕、忘れ物を思い出したよ」


***


「ひっでえ顔」


「うるさい」


 陽斗が言うのに、怜志はそれを睨みつけた。


 真弘が苦笑いをする。


「ごめんね、少しいじわるが過ぎたよ」


「いや、いいんだ。おかげでピアノへの未練に気づけた。……ヴァイオリンはやめられない、僕はお父様には逆らえない……。けれど、ピアノも続けるよ」


 真弘と陽斗が顔を見合わせた。陽斗は小さくため息をついてそっぽを向くが、真弘は微笑んで「うん、それがいいよ」と言う。


「陽斗くんも寂しそうだったしね」


「はあ!?」


 さらりと暴露する真弘に、陽斗が声を荒げる。


「そうなの?」


 少しきょとんとして怜志が問うと、真弘も陽斗に目を向けた。


 二対の目に見つめられた陽斗は「お、」とこぼす。


「お前らが揃ってねぇと、……張り合い甲斐がねえんだよ……」


「「……………」」


「だからなるべく揃ってろ! ばか!」


「………なんだか、愛の告白みたいだね」


 真弘が笑うと、陽斗は真っ赤になって「はあ⁉︎」と真弘に噛み付いた。


 怜志は「せっかく黙っていたのに、」と真弘を見るが、真弘はなんでもないようにまた笑う。


「何も恥ずかしがることなんてないさ。だって僕らは、(それ)の表現者なのだから」


 ピアノの鍵盤に指を置くように手を掲げながら、真弘が言うと、今度は怜志と陽斗が目を合わせる。


「………なんか、真弘には一生敵わない気がする」


「うん、わかる」


「へ? どうして?」


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