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実家のために犠牲になれと? 甘えないでください! 見栄と虚飾と欺瞞しかない貴方たちには愛想が尽きました。実家がなくなっても良いのかって? もちろんですよ。私には信頼できる大切な家族ができたので。

作者: 大濠泉

◆1


 私、タルトは、夏の暑い季節を前にして、下女同然の暮らしから脱け出して、めでたく就職が決まりました。

 私が勤める場所は、王都にある、小さいけれども、効果抜群の香水やお薬(その素材も)を売っているお店です。

 若い女性からお年寄りまで、いつも大勢のお客様で賑わう一方で、大型店舗から素材の注文を受けたりもしていました。

 私は、ほんとうにその店に採用されたことを、誇りに思っています。

 店主のフランソワ様はまだお若くて、二十歳そこそこ。

 そして通いの従業員から「伯母様」と呼ばれる老婦人が後見人となって、お店を切り盛りしていました。



 私がそのお店に勤めてから二ヶ月以上が過ぎようとした、ある日の夕刻ーー。

 ビックリしたことがありました。


 私、タルトが、閉店のため、看板を下ろそうとしたところ、いきなり大きな馬車が石畳の狭い道を通って、店の前に止まったのです。


 そのとき、馬車の扉に刻まれた紋章を見ました。

 その紋章は薔薇とライオンによって(かたど)られたもので、見たときがある紋章だな、とは思いましたが、どの家の紋章かはわからず、少なくとも上位の貴族階級の馬車だと思われました。


 案の定、馬車の中から、襟元が整えられた背広を着こなす老紳士が姿を現しました。


 ですが、ウチは平民街の裏通りに店を構えている小規模店舗です。

 貴族様を相手にするような準備が出来ていません。

 彼が口を開く前に、終業時間であることを口実に、私はお引き取り願おうとしました。


「すみません。

 もう閉店の時間ですので、今日のところはお引き取りを……」


 ところが、老紳士は丁寧に頭を下げながらも、聞き入れてくれません。


「急にお尋ねして、申し訳ありません。

 こちらの香水を、私の主人がご所望なのです。

 ぜひ使わせていただきたいので、納めていただけますか」


 という、突然の依頼でした。

 私は目を白黒させながらも、断り続けます。


「しかし、もうお店を閉めますので……」


「そこを、どうにか。

 馬車には私の主人を待たせておりますので、手ぶらでは帰れません」


 と言って、店の中に入ろうとします。


 私が玄関先で戸惑っていると、


「どうしたの?」


 と、店の扉が開き、金髪のお嬢様ーー店主フランソワ様が、顔を出してきました。

 お嬢様は、店前に停車する馬車の紋章をチラッと見て、怪訝そうな顔をします。


「いったい、何の御用でしょう?

 ウチは街中の商店に、薬材や香材を卸す小さなお店です。

 王宮に差し上げるようなものは置いておりません」


 フランソワお嬢様の発した言葉を耳にして、私は内心、酷く驚きました。


(王宮!?)


 薔薇とライオンの紋章ーー今、思い出しました。

 このアサルト王国の国旗に記された紋章ーーつまり、王家の紋章がついた馬車が、お店の前に停まったのです。

 間近で接することがあり得ないほど、高貴なお方が、目の前にやって来たのだ、と私はようやく悟ったのです。



 そこへ、明るい声が、店内から響いてきました。


「あらあら。

 ちょっと警戒しすぎよ、フランソワ。

 そのような怖い顔をなさらずとも」


 店に関わる人たちから「伯母様」と称される老婦人が、杖をつきながら姿を現しました。

 皺だらけの伯母様ですが、碧色の瞳は精気に溢れています。

 伯母様は杖を突きながら、ゆっくり歩を進めて、老紳士の手を取り、ねぎらいました。


「こんな街中にまで、ようこそ、おいでくださいました。

 こちらのお客様は、私がお呼びしたのよ。

 そろそろ来る頃だと思っていたわ」


 伯母様がそう発言すると、それに呼応するかのごとく、大型馬車の中から、美しい青いドレスを身にまとった、豊かな赤髪をなびかせる貴婦人が現れました。

 老紳士はすかさず片膝立ちになって控えます。

 妙齢の貴婦人は当然のように、居並ぶ私たちの前を進んで店内に入り込むと、椅子に座りました。

 そして、扇子を広げ、いかにも女主人のような振る舞いで、安堵の吐息を漏らします。


「ああ、良かったわ。

 夕暮れ刻なのでよく見えず、ここが指定された場所かどうか怪しく思っていたんです。

 これで安心することができました」


 赤髪の貴婦人がパチンと指を鳴らすと、老紳士とともに、メイド服を着込んだ若い女性が、うやうやしげに何かを胸に抱えたまま、歩を進めてきました。

 抱かれていたのは、おくるみに包まれた、可愛らしい、赤い髪をした赤ちゃんでした。

 生後三、四ヶ月といったところでしょうか。


「だーだ」


 と、小さな手を目一杯、宙に向けて伸ばしています。

 そのさまを、女主人が碧色の瞳を細めながら、見詰めています。

 赤ちゃんが機嫌良さそうなのを目にして、嬉しいようでした。


 伯母様が、私に目配せします。


「これからお嬢様と私は商談がありますから、この可愛らしいお客様は、侍女の方と一緒に、貴女があやしてね。

 そうそう、屋根裏の薬草部屋、あそこにこの子をお連れしてくださいな。

 きっと気に入るはずよ」


 私は店主であるお嬢様の方を見ましたが、お嬢様は相変わらずお客様の一行に対して警戒心を持ちつつも、黙って私に向けて(うなず)きます。


 結局、私は、赤ちゃんを抱える侍女の方に軽く挨拶をしてから、屋根裏の薬草部屋へと案内しました。


 屋根裏部屋は、森から採取した薬草や香草が、山のように積まれて放置されています。

 薬や香水を作るための素材となる薬草を、たくさん保管しているのです。

 本来なら、とてもお客様をお迎えできるような場所ではありません。

 ですが、薬や香水を調合する作業場でもあるので、大きな長机と椅子はあるし、私が仮眠を取るためのベッドまであります。

 大きな窓もあり、今宵は大きな満月が、窓から見られることでしょう。

 赤ちゃんも眠くなっているようで、目を細めながらも、「だー」と明るい声を出して、私に向けて小さな手を伸ばしてきます。

 私は侍女の方の許可を得て、赤ん坊を抱きかかえました。


「良かったわ。

 この子、この部屋を気に入ってくれたようね。

 私と一緒で、薬草が好きなんだわ。

 しばらくは、ここで静かにしていましょうね」


 赤ちゃんは嬉しそうにキャイキャイと笑っていました。


◆2


 王都の外れーー北面の壁近くには、様々な店舗や製作所が軒を連ねています。

 表通りには、衣服や食器類のほか、剣や甲冑などの武具、建築用の工具、さらには薬剤店、化粧品店など、様々な加工製品を取り揃える店舗が建ち並んでいます。

 そして、裏通りには、そうした店に卸すための素材を作る、製綿所、製鉄所、工務店、素材精製場などが従業員を抱えて、様々に事業展開していました。

 街を取り囲む壁から出ると、すぐ近くに広大な森が広がっており、そこで薬草や獣の骨、鉱石といった、様々な加工品の原材料を採取できるからです。


 森には巨大な植物がたくさん生い茂っていて、地面まで日光が届かないため、〈漆黒の森〉などと呼ばれています。

 ですが、森の奥には猛獣も棲息するとはいえ、良質な薬草や鉱石も手に入れることができるので、〈漆黒の森〉は、素材工場や加工品店にとっては最重要な採掘現場でした。



 香料と薬の素材店「フランソワの香り店」での、私、タルトの普段の生活は、次のようになります。


 朝から私、タルトは、店主であるフランソワお嬢様に付き従って、薬草を採取しに、森に出かけます。

「フランソワの香り店」では、薬草と香草を調合して、薬や香水を生み出しているからです。


 おかげで、若い女性にも、お年寄りにとっても、評判のお店でした。

 若い女性にとっては、香りの良い香水が売っていたり、手や肌につけるクリームや化粧水がとっても香りが良くて心地良いとの評判でした。

 そして、お年寄りにとっては、「このお店のハーブティーを飲むとぐっすり眠れる」とか、腕や足の関節に塗ると効果のある薬用クリームが販売されているので、「スッとして身体が楽になって気持ち良い」と噂されています。

 若い女性からお年寄りまで、いつも満員で、最近、流行っているお店なんです。


 でも、肝心の店主であるフランソワお嬢様は、ちょっと偏屈でした。


 いつも納入している薬剤店や化粧品店から頼まれるものは、だいたい一定のものなのに、そうした商売に役立つ素材よりも、むしろ珍しい香りを放つ香草を中心に採取しようとするのです。


「取引先から依頼されたものを中心に、採取すれば良いのに」


 と私が不満げに言うと、お嬢様はニッコリと微笑み、それでいて頑固に言い放ちます。


「もちろん、表通りのお店は、売上第一にするものよ。

 衣服やお薬なんかの既製品を売っているんだからね。

 売り上げを良くすることで、お客様に喜ばれ、従業員も豊かにし、国の経済を回すことが大きなお店の役割というものでしょう。

 でも、私の店は、裏通りの小さなお店。

 香草や薬草を扱う専門店なの。

 だから、珍しい香りがする稀少な香草、そして、薬が効かないと言われている症状に効くような薬草を選んで採取して、新たな香水や薬を研究開発することが、本来の役割なんです。

 ウチみたいな、小さな素材店は、稀少価値で保つものなのよ」


「そうでしょうか?」


 やっぱり、私は首を(かし)げてしまいます。

 誰も手に付けていない素材を揃えていると、他の店からありがたがられるのはわかります。

 でもウチは素材店として優秀過ぎるほど優秀で、ひっきりなしに表通りの大店や貴族街の大型店舗からも、素材の収集依頼が来ています。

 しかも、普通の小売店としても、薬や化粧品も飛ぶように売れて、繁盛しています。

 そうしたニーズに応えるだけでも手一杯で、本来なら、依頼以外の、ニッチな素材探しをしているゆとりなんか、ないのでは?


 でも、フランソワお嬢様は、碧色の瞳を輝かせて、断言します。


「このままでは、世に出回る薬品も香水も標準化されてしまって発展がなくなるわ。

 研究機関がほとんどない現状では、利益にならない基礎研究はおろそかになるものよ。

 だからこそ、誰かがやらなければいけないの。

 そして、どこの店でも調達できるようなものを納入することばかりしているよりも、『ウチでしか得られない』というものを見出し、調合する方が、いずれは誰からも、感謝されるものなのよ」と。


 そう。

 フランソワお嬢様は、誰よりも(こころざし)が高く、気高いのでした。



「気高い」と言えば、私、タルトは、フランソワお嬢様と初めてお会いしたときから、その「気高さ」に驚かされてばかりでした。


 フランソワお嬢様は平民街の店舗を切り盛りしているお方なのですが、相手が貴族の方であっても、まったく気後れすることがありません。

 おかげで、私は地獄のような環境から、脱け出せることができたのでした。


 私、タルトは貧民の生まれです。

 母はビルド男爵家で下女勤めをしていましたが、病を得て亡くなり、身寄りのない私は、母の勤め先だった男爵家に拾っていただきました。

 いまだ肌寒い、三月のことです。


 食器を洗ったり、部屋や廊下の掃除をしたりする毎日でした。

 でも、私は身体が弱いうえに、臭いに敏感すぎて、洗濯の最中にすぐ吐きそうになるし、掃除の際にも埃をかぶるだけで咳き込み、仕事になりませんでした。

 その頃の私は身体が弱くて、とても痩せていたのです。

 ですから、朝早くから夜遅くまで働く侍女(メイド)の仕事は、正直、大変でした。

「ちょっと休んで良いですか」と言っては、部屋に閉じ篭りがちになっていました。

 その結果、他の侍女たちから、


「あの子、使えないわ。

 サボってばっかり。

 あんな子、置いておく意味ある?」


 と陰口を叩かれたものですが、甘受するしかありません。



 そんな、ある日のこと。

 ビルド男爵家に貰われてから三ヶ月ほど経ったときーー。


 裏庭でゴミを捨てていると、お屋敷の勝手口から、良い香りが漂ってきたことに気がついたのです。

 何の香りだろうと惹きつけられたら、匂いの発生源に、一人の女性がいました。

 金髪で碧色の瞳をした女性が小さな壺を持っていて、そこから良い香りが漂っていたのです。

 さらに惹きつけられるようにして、黒い衣装を身にまとった彼女の後についていきました。

 その壺を持っていたお方が、フランソワお嬢様でした。

 お嬢様は、ビルド男爵家に香水を納めに来ていたのです。


 嗅いだときのない匂いだったので、


「これは何の匂いなんでしょうか?」


 と思わず口にしたところ、その金髪女性は、


「あら、貴女、香りに興味があるの?

 これは薬草と鉱石を混ぜたものなの。

 でも、作り方は秘密ね」


 と指を立てて口に当て、微笑みます。

 金髪がキラキラ輝き、碧色の瞳が悪戯っぽくクルクルとしていました。


 すると、眉間に縦皺を刻んだ下女頭が、亜麻色の髪を振り乱してやって来て、私を脇へと突き飛ばしました。


「お恥ずかしい。

 ウチの下女が何か話しかけたようで……」


 お嬢様は優雅に金髪を撫でながら、


「あら、良いのよ。

 この子、鼻が利くようですわね」


 と、私について言及します。

 そして、サッと私の身体付きに目を遣って、


「この子、かなり身体が弱いでしょう?

 栄養が全身に行き渡っていない感じ。

 こちらのお屋敷でお仕事が務まるかしら?」


「そうなんですよ!

 何をやらせても、すぐに息切れして……」


 勢い込んで同意する下女頭に、お嬢様は顎に手を当てて(つぶや)きました。


「私の店で扱っている薬を使えば、体調も良くなるかも……」と。


 すると、下女頭は、慌てて手を振ります。


「そんな! 冗談じゃありませんよ。

 お薬なんかを使えるのは、旦那様や奥様ぐらいで、こんな下女になんか。

 実際、私だけじゃなく、奥様までもが、

『役に立たない娘を引き取ってしまったわ』

 とお嘆きで……」


「でしたら、私が引き取っても?」


 そう言ってから、金髪のお嬢様は、侍女頭に香り袋を一つ手渡します。

 喜んで、香り袋を懐に仕舞いながら、下女頭は、喜色満面になりました。


「どうぞ、どうぞ。

 奥様には上手く言っておきます」


「よろしくね」


 お嬢様は、今度は私に顔を向けて、問いかけます。


「持って行きたい私物とか、ある?」


「大切な私物は、母の形見の櫛ぐらいで、それは今も懐に入っています」


「だったら、今すぐ、私に付いてきなさい。

 私なら、貴女の能力、活かせてみせるわ」


 キッパリ口にすると、お嬢様は美しい金髪をなびかせて、(きびす)を返します。

 私は慌ててお辞儀をして、お嬢様のあとを付いて行きました。


 すると、男爵邸に裏門に停めてあった馬車に、私の手を取り、乗せてくださいました。

 下女には過ぎた扱いで、「そんな、お嬢様。私なんかに」と口篭り、緊張します。

 それでも、馬車に乗るのは生まれて初めてなので、珍しそうに内装を眺め回しながら、椅子に腰を落ち着かせてしまいました。

 私と向かい合って座ったお嬢様は、クスクスと笑いました。


「あの下女頭は馬鹿ね。

 香り袋一つで、貴女をくれるだなんて。

 後になって、貴女を返してくれって言われたら嫌だから、もう、あの男爵家とは取り引きをやめるわね」


「そんな。私を必要としてくれるはずが……」


「男爵夫人は香水がお好きだから、いずれ貴女が能力を発揮すれば、手放したことを悔やむはずよ」


 青い扇子を広げて、金髪のお嬢様は楽しそうに声を弾ませていました。



 こうして私、タルトは、お嬢様に連れられて、王都の外れの専門店街にある、香料と薬の素材店「フランソワの香り店」を紹介されたのでした。



 六月になって、かなり蒸し暑くなり始めた頃のことです。

 お店を紹介するなり、お嬢様は腰に手を当てて、胸を張って、私に言いました。


「今日からタルトは、このお店で働くのよ!」と。


 そして、まずは教育されることから始まりました。

 五冊の分厚い本を渡され、図解されている薬草と香草を、全て目で覚えなさいと言われたのです。

 そして実際に薬草や香草の中で、どれがどの種類として使えるか、草の茎を見ただけで、色づいた花を見ただけで、これは回復薬に使えるのか、傷薬に使えるのか、どんな香りがするのか、その種類ごとに分類することを要求されました。


 初めは戸惑いましたが、本の図解と格闘しながら、笊に積み上げられた薬草や香草を選り分けていきました。

 その作業を眺めているだけで、フランソワお嬢様は、私を褒めてくださいました。


「タルト、貴女はたいしたものね。

 これだけの草の中から、ちゃんと葉っぱや根、実が、薬や香水の原料になるものを選別してる。

 しかも右から順に質の良い草を並べている。

 貴女は目利きとしての素質があるわ」


 銀髪頭をグリグリと撫でられました。

 年長者から褒められたことなんて、今までなかったことなので、顔が赤くなりました。



 やがて一ヵ月もすると、本に記載されていた草、480種類を全て頭に叩き込み、多種多様な草から、テキパキと効能ごとに分類することが簡単にできるようになっていました。


 その間、フランソワお嬢様は、私がいる屋根裏部屋をしょっちゅう訪ねて来ては、様子を窺ってくださいました。


「これ使ってみてちょうだい」


 と言われて、塗り薬や、粉末状の、呼吸器に良く効くお薬などを手渡されたものです。

 実際、使ってみたら、効果覿面で、翌日には、すっかり顔色も良くなっていました。


「お嬢様、ありがとうございます。

 だいぶ息をするのも楽になって、元気になりました!」


 嬉しくなって報告すると、フランソワお嬢様は照れたように顔をほんのりと赤くしながらも、その都度、


「別に、感謝なんか、要らないわ。

 お薬の実験をしただけなんだから」


 と小声で応えて、ソッポを向きます。

 もう二十歳にもなろうかという年齢なのに、フランソワお嬢様は、どこか子供っぽいところがあって、可愛くて仕方がありません。


 こうして一ヶ月もする頃には、私もだいぶ体調が良くなって、食欲も出て、食事の量も増えてきました。

 痩せっぽちだった身体が、ふっくらと、ふくよかになったのです。


 ついには活発に動き回れるようになったので、私はお嬢様のことを、


「命の恩人です!」


 と言って後ろから抱きついたら、


「わかった、わかった。

 お仕事に集中!」


 と微笑みながらも、叱ってくれました。



 やがて私は、本格的にお嬢様の香水作りを手伝うようになりました。


 フランソワお嬢様が、屋根裏部屋にやって来て、


「そろそろ、調合を教える頃合いね」


 と言って、乳鉢と薬研を持ってきて、薬や香料の調合を教えようとします。


「あ、それとも、貴女、私のお店で働くのはお嫌?」


 今更なことをおっしゃるので、私はお嬢様の手を取って、笑顔で答えました。


「とんでもございません!

 私はようやく自分の肌に合った仕事を見つけた気がします」


 お嬢様は手に力を込め、私の手をしっかりと握り直しました。


「その目利きと鼻で、私を手伝ってね、タルト。

 私が目指しているのは、この国では、まだ誰も嗅いだことのない、それでいながら、嗅いだ途端に、えもいわれぬ、天国にでも昇ったような気持ちになる、素晴らしい香りを調合すること、そして、人の活力と気力を豊かに取り戻す、生命の源に触れるかのような、万能薬を生み出すこと。

 それが私の願いなのです」


 気後れするほどの、気宇壮大な目標で、私はビックリしてしまいました。

 私が目を丸くしてドン引きしていることに気付いたとみえて、フランソワお嬢様は悪戯(イタズラ)っぽくウインクしました。


「でも、正直、私としては、貴女を手に入れられただけで、かなり満足してるわ。

 この草とあの草の違いが、臭いを嗅いだだけでわかるのは、私を除けば、貴女ぐらいですもの。

 初めて、真っ当に薬草や香草について話し合えるお友達ができて、私は嬉しいのよ!」


「お友達だなんて……私は助手になれれば満足です」


「何を水臭い。

 これからも、貴女は私と一緒に生活するのよ。

 一つ屋根の下で。

 それってもう家族も一緒ってことじゃない?」


 お嬢様は私の手を強く握ったまま、優しく微笑まれます。

 そのときの、凛としたお姿ーー。

 並の貴族令嬢では醸し出せない、気高い雰囲気が溢れかえっていました。



◆3


 私、タルトが、ビルド男爵家から、「フランソワの香り店」に貰われたことが明らかになった頃から、より深く、お嬢様とお仕事を共にすることになりました。

 鼻が利く私には、ぜひ紹介したい場所がある、とお嬢様に言われて、ある日、同行したのです。


「フランソワの香り店」がある場所よりも、さらに街の壁際に向かいます。

 王都を取り囲む壁の周辺地域は物騒で、スラム街にも近いところです。

 ハッキリ言って、治安が悪い、危険区域でした。

 女性二人でここら近辺を歩いていられるのは、先導し、お守りをする護衛騎士パーシー・アサエルが、青い瞳で四方に睨みを利かせているからでした。

 お嬢様と森の中に入る際にも、彼、パーシー騎士は黙って、ついて来てくれます。


「目的地は壁の向こう側。

〈漆黒の森〉の中にあるのよ」


 フランソワお嬢様は上機嫌ですが、私はおっかなびっくりでした。

 王都を取り囲む壁を超えたのは初めてだったのです。

 お嬢様が門番にお金を払って、巨大な鉄門が開かれました。

 前方は一本道と、その両脇には黒々とした巨木が生い茂っていました。


 壁の向こうには〈漆黒の森〉があると聞き知ってはいましたが、こんなに壁の間近にまで、森が迫っていたとは。


 そのまま右方向に折れて、細い道なりに進み、〈漆黒の森〉の中に入っていきます。

 やがて、切り立った崖の岩肌を後ろにした、一つの丸太小屋を紹介されました。


 フランソワお嬢様は、得意げに両手を広げて言いました。


「ようこそ、私の〈森の研究所〉へ!

 これからタルトは、ここで薬草や香草を集めて研究するのよ。

 この研究所付きの研究員第一号にしてあげるわ!」


 丸太造りの、木樵(きこり)小屋を改造した、小さな研究所でした。

 けれども、その中には無数の薬草と香草が収められていました。

 時間の許す限り、薬草の成分研究や、香水作りに熱中できそうです。


「この研究所でも、屋根裏部屋に、薬草と香草が集められているの。

 上がってみたら驚くわよ」


 たしかに、上がってみたら、「わああ!」と私は思わず声をあげてしまいました。


 窓が大きくて、周囲を取り囲む緑が青々と見えます。

 ですが、そういった視覚的な刺激よりも驚いたのは、鼻腔を打つ芳醇な香りでした。

 香りが強いだけではなく、気品が感じられるような柔らかさもあります。

 そういった、高品質の薬草や香草ばかりが集められ、保存されている部屋でした。


 私はうっとりとしました。


「貴女ならわかってくれると思うけど、ここまで薬草や香草を集めて、保存するの、大変だったんだから。

 保存にも工夫が必要で、乾燥させるのにも苦労したのよ。

 どうやったら根付くかわからない植物も鉢植えに植えたりして、試行錯誤の連続よ」


 お嬢様が苦労話を自慢げに披露するのを、私はウンウンと相槌を打ちながら聞きました。


「ええ、わかります。

 このような香りに囲まれる生活を送れるのだったら、寿命が伸びるような気がします」


「あはは。

 褒めてくれて、嬉しいわ。

 皆さんも、貴女ほど、この香りの価値がわかってくだされば良いのですけど」


 お嬢様の指導に従って、私はさっそく乳鉢で、花や薬草を擦り潰しては、それを蒸留水で濾して、香りを嗅いだりしました。

 その臭いがどのような効果を人体に及ぼすのかを探究するため、自分の肌や頬にペタペタと塗っては、試します。


 ツンと鼻に突く匂いが、部屋いっぱいに広がりました。

 この香りを直接嗅ぐと、のぼせてしまう人もいると思います。

 お嬢様も、


「やはり水で薄めたりして、肌につける香水にして販売するしかないわね」


 と(つぶや)いたので、私も提案しました。


「ほんのちょっと、数滴だけ、油に混ぜたらどうでしょう?

 肌に塗るんですよ。

 良い香りがすると思います」


 これほど芳醇で濃い香りだと、エッセンシャルオイルの原料に持って来いな気がしたのです。

 濃縮したエキスを、ちょっとだけオイルに混ぜて使うのです。


 お嬢様から借り受けた書物によれば、ハーブなどの葉っぱに蒸気を当てて気化させ、その後に冷却して液体にしたり、果物の皮に圧力をかけて絞って液体を出す方法などで、香草から芳香成分だけを抽出することができるんだそうです。


 ですが、いずれの方法でも、原液は僅かしか抽出できません。

 数日の間、お嬢様と実験しただけでも、実感させられました。

 花や草、果実の皮など、それぞれをたくさん取ってきて、それを温め、その水滴の一つ一つをエッセンシャルオイルの原液として溜めていくのです。

 それはそれは、長い長い時間がかかりました。

 気の遠くなるような長い時間を経て、ようやく一滴、一滴と集まったものを原液として、これを油に混ぜることによって、エッセンシャルオイルになるのです。

 原液を油に溶かして皮膚に塗ったり、アルコールに溶かして空気中に撒いたりすると、たしかに、素晴らしい香りが広がっていきました。


 特に私の体質には良く合ったようで、エッセンシャルオイルを肌に塗ると、気分が落ち着きました。

 なので、たくさんの種類の花や草木の根など、いろんなものを集めては、ほんの一滴でも原液が取れるように頑張りました。


 こうして一緒に研究するたびに、お嬢様は名残惜しそうに言いました。


「私も、もっと研究したいけど、店も見なきゃいけないから、街に帰ります。

 貴女はしばらく、ずっとここに残って研究を続けなさい。

 野菜ばかりだけど食材は倉庫にたっぷりあるから、好きに調理して。

 そして、この屋根裏部屋を貴女のお部屋として使いなさい。

 何日かけても良いから、この研究所と森の間を行き来して、香草を採取して、私が知らない香りを見つけ出して欲しいのよ」


 毎度、同じような指示を受けながら、いつものように私は(うなず)いていました。

 内心、歓喜に浸りながら。


 なんて贅沢なことでしょう。

 実際、ビルド男爵家にいたときの侍女部屋は個室ではなく、相部屋で、六人が一緒に寝泊まりしていました。

 一部屋に、ぎゅうぎゅうと詰められていたのです。

 ところが、こちらでは、私、タルト独りで、屋根裏全体を使って良いというのです。

 しかも部屋に充満する草花の香りが心地良く、人によっては息苦しいかもしれませんが、私にとってはスーッと全身の力が抜ける心持ちがするのです。

 寿命が伸びてしまうんじゃないか、と感じられるほどの気持ち良さでした。


 それから数日の間、私は森で草花を採って来ては、研究所で擦り潰したり、乾燥させたりして、香りの鮮度を保つための工夫をし続けました。

 その間、毎日、お忙しいであろうのに、お嬢様も顔を出して来て、何時間かは居座って、私が採取した草花や、乾燥させた香草の成分確認に(いそ)しんでいました。


 フランソワお嬢様は、いつでも嫌な顔ひとつなさいません。

 嬉しそうにニコニコしています。

 ほんとうに、薬草や香草の研究が大好きなようでした。

 私も釣られて笑顔になります。


 お嬢様は拡大レンズなどを駆使して、一階の作業所で、研究に没頭なさいます。

 そんなときは、私はしばらくやることがありません。

 なので、お嬢様がいらしたのだから、おもてなし気分で、侍女働きをしようと思い、研究所の周囲で掃除を始めました。

 すると、手伝ってくれる人がいます。

 お嬢様の護衛役の騎士パーシー・アサエルさんです。


 彼、パーシー騎士は山のような巨体で、いつもお嬢様のそばにいるのですが、お嬢様が机に座って研究に取り掛かると、気を利かして小屋の外に出て、薪を割ってくれます。

 この研究所には料理人がいないので、私が厨房に入って料理を作ったりすると、薪を運んでくれたり、野菜が入った笊を抱えて持ってきたり、お湯を沸かしたりなどの雑用を、騎士様なのにパーシーさんはこなしてくれました。

 掃除もしてくれたり、お皿も洗ってくれたりします。


 強面(コワモテ)の男性なのに、マメに働くので、驚きました。

 パーシーさんは元々は傭兵だったそうで、戦場で炊事することは当たり前なので、料理を作ったり、調理道具の手入れ全般、一通りこなせるといいます。

 しかも、どれも私よりうまいのだから、私が恥ずかしくなるほどでした。


 休憩時、私と並んで丸太椅子に腰掛けていた際、騎士様が口を開きました。


「お嬢様がお喜びになる人材を得て、私は嬉しい。

 ホッとしている。

 まだお店を始める前、それこそ子供の時分から、お嬢様はこの小屋で薬草や香草を集めていて、気が合った人を連れて来ては、一緒に薬草取りに行ったものでした。

 男女合わせて十人以上はいたでしょうか。

 それでも、誰も長続きしなかった。

『この人は鼻が利かない』

 と、お嬢様は、ふうっと溜息をついてばかりいた。

 特に、お店を始めてからは、人材探しに懸命になられていたが、不発でした。

 どの人相手にも、お嬢様は怒ったりはなさらない。

 だけど、やはり薬草や香草の選定が誤っていたり、肝心の薬草の種類ごとの仕分けができないようでは、使い物にならないので、静かに解雇を言い渡す場面を何度も見てきた。

 中には解雇を不満に感じて、暴れたり、泣き落としにかかる者もいた。

 その能力がある者しかわからないのだから、選定基準が目に見えて示されることがないので、解雇されると、納得いかないと食ってかかる人がいても当然といえました。

 そうした場合は、私が間に立ってお引き取り願うことになる。

 私は護衛というより、むしろ解雇宣告する専門家のような、嫌な役回りだったよ。

 でも貴女には、それはしなくて良くて、私は嬉しい」


 何も語らない護衛役の騎士様が、思ったより饒舌に語るのに驚きつつ、相槌を打っていると、ちょうどそのときーー。


 森の中では、耳慣れない金属音が、樹々の間から響いてきました。


 森の出入口の方から、ガシャガシャと音がして、十名を超える鎧を着た騎士の集団が現れたのです。

 そして馬車が後続してきました。

 馬車の側面には、青い花と蔦の紋章が、あしらわれていました。

 良くはわかりませんが、かなり家柄の良い貴族のようです。


(どうして、〈漆黒の森〉の中にまで、貴族の馬車が?)


 鎧騎士の連中が小屋に押し入ろうとするので、私は驚いて、両手を広げました。


「こちらは、フランソワお嬢様の研究所です。

 部外者が立ち入られては困ります!」


 馬車から降りたのは、豪華な刺繍をほどこした衣服をまとう、いかにも貴族然とした身なりをした、成人男女でした。

 男性が顎をしゃくると、周りにいた騎士たちが一斉に門に押し入ってきたので、私は弾き飛ばされてしまいました。

 いつもは頼りになる護衛役のパーシー騎士も、彼ら相手には、不思議と抵抗しません。

 やれやれとばかり溜息をついて、私を抱えるような格好で、脇に退きます。


 貴族然とした男が、私に向けて甲高い声を張り上げました。


「女風情が邪魔立てするな!

 研究所だと!?

 大層なもの言いだが、この小屋の持主は俺なのだ。

 フランソワを呼んでこい!」


 私のような雇われ従業員などとは、口を利きたくもなさそうでした。

 しきりにお嬢様の名前を呼びつけます。

 そして、とんでもないことを口走りました。


「この研究所を今すぐ俺様に寄越せ。

 さもなければ、焼き払う!」


 仕方ないとばかりに、フランソワお嬢様が玄関から顔を出してきました。


「騒々しいわよ、ランド!

 相変わらず、我儘な子供のようね、貴方は!」


「うるさい。

 姉上こそ、いつまで研究者を気取ってやがる。

 おとなしく我が家の資産を明け渡せ!」


「明け渡す?

 構わないわよ。

 でも、貴方たちに扱えるようなものは、何一つないわよ」


 馬車から降りてきた貴族と、お嬢様の言い争いが始まりました。


 そんなところを私がウロウロしても、どうしようもありません。

 騎士様が私の身体を抱えるようにして、さらに脇へと誘い出しました。


 私はパーシー騎士に尋ねます。


「いったい、何がどうなってるの?

 研究所はお嬢様のものじゃないって?

 騎士様は、あの客を知っているの?」


 パーシー騎士は、苦い顔をして、肩をすくめました。


「あの方はお嬢様の弟君、ランド・デュビー伯爵だ。

 隣におられるのは、そのお嫁さん、ミレーユ・デュビー伯爵夫人。

 ほんの二、三ヶ月前、弟君がデュビー伯爵家の家督を継いだから、今や貴族の当主だ。

 それ以来、お姉様であられるフランソワお嬢様は不自由を強いられるようになった。

 先代の当主テムル様は放任主義だったので、お嬢様は自由に活動なさっておられたが、弟君が当主になった今では……。

 残念ながら、貴族令嬢は当主の命令には逆らえない」


 気高いお方だと思っていたが、フランソワお嬢様は平民ではなく、歴とした伯爵令嬢だったようです。

 このとき、初めて知りました。


 でも、どうして伯爵家のご令嬢が、平民街でお店を経営していたり、こんな森の中で草花の研究をしているのでしょう?

 わからないことばかりでした。


 見るからに傲慢そうな弟君、ランド・デュビー伯爵は、フランソワお嬢様に対して顎を突き出します。


「たしかに、父上は、姉上に対し、

『店でも何でも開いて、平民相手にでも、売れば良かろう!』

 とおっしゃった。

 でも、香水を作るためのレシピぐらい、我が家に残しておくべきだろうが。

 それに、材料として集めた草花もだ。

 全部、デュビー伯爵家当主たる俺のものだ!」


 フランソワお嬢様は、地団駄を踏みながら言い返します。


「私を実家から追い出したのに、今度は研究所まで奪い取ろうというの!?

 私が手入れしなければ、単なる作業小屋として使用人が使っていただけなのに」


 だが、聞く耳がないようで、弟ランドはせせら笑いました。


「どう言おうと、俺様の資産なんだから、俺の勝手だ。

 姉上の好きにはさせない!」


 次いで、弟嫁のミレーユ・デュビー伯爵夫人が、扇子を広げました。


「当主の命令には素直に従いなさいな。

 それが貴族令嬢というものでしょう?」


 そう言ってから、得意げに自慢話を始めたのです。


「知ってる?

 私の名前を冠した香水が、王宮で評判になったのよ」と。


◇◇◇


 七月の初夏、王宮で開かれた舞踏会でのこと。


 新当主ランド・デュビー伯爵は、在庫処分とばかりに、フランソワお嬢様が作っておいた、たくさんの香水を、ダンスを踊る皆に配ったそうです。

 各貴族家の令嬢たちが、花の蜜に集まる蝶のように、ランドとミレーユの許へ集まってきました。


「まぁ。素敵な香り……」


「こちらの香水は、どちらのかしら?」


「私もその香りを身に付けたいわ」


 と口々に尋ねてきて、数多の貴族令嬢が、うっとりと香りを嗅いでいます。


 ついには王妃ラメル・アサルト様までが席を立って近づいて来て、ランド・デュビー伯爵に言葉をかけたのです。


「ほんとうに、この香り素敵ね。

 きっと王太子殿下もお喜びになるわ」と。


 突然、王妃様からお褒めの言葉をいただき、ランド伯爵は舞い上がって、ペラペラと虚言を吐いてしまったのでした。


「これは私が香料を選定して、作らせていただいた香水です。

 私の妻の名前から、ミレーユと名付けました。

 お気に召したのなら、是非、デュビー伯爵家より、王宮へと贈らせていただきます」と。


 おおお!


 周囲から、感嘆の声と拍手が湧き起こり、デュビー伯爵夫妻は皆から褒め称えられたーー。


◇◇◇


 つまり、王妃様の手前、弟夫妻は、つい見栄を張ってしまった、というわけです。

 それなのに、やらかした本人であるにも関わらず、彼らは偉そうな口調を改めません。

 むしろ夫婦揃って、得意げに鼻を鳴らしていました。


 ミレーユ伯爵夫人は扇子を広げて、言いました。


「だって王妃様相手に言ってしまった手前、後には退けないじゃない?」と。


 ランド伯爵は改めて前へと進んで、姉のフランソワ様に指を突き立てました。


「王妃様が香水をお褒めくださったんだ。

 デュビー伯爵家として、この上ない名誉だ。

 だから、近々、王宮へと香水を収める必要がある。

 それに、所属派閥の公爵家や辺境伯家からも、注文が殺到しておってな。

 ところが、香水を贈ろうにも、我が屋敷内では、原料が足りないのだ。

 だから、この丸太小屋ごと接収する。

 本来、この建物と近在の土地は、父上ーー先代当主の名義になっている。

 だったら、今現在は、家督を継いだ俺のものだ。

 わかったなら、姉上はとっとと出て行け。

 目障りだ」


 フランソワお嬢様は、フンと鼻息荒く、挑発します。


「私に調合を頼まなくても良いの?

 大丈夫?

 貴方たちに作れて?」


 ケッ! と、弟は舌打ちしました。


「姉上に恩を売らせるものか。

 どうせ、

『目利き、鼻利きが出来ない者にはわからない』

 とかうそぶいて、俺たちに原料を秘密にして、香水を作れないようにするんだろ?

 その手に乗るもんか。

 俺の妻、ミレーユに香水の調合を任せることにしたんだ。

 ちょうど香水の名前もミレーユなんだからな!」


 弟嫁のミレーユは張り切って、扇子を閉じ、パン! と赤いドレスの裾を叩きます。


「任せて!

 良い香りがする草花を集めて作れば、素敵な香水ができるに決まってるわ。

 なんなら、有名ブランドの香水をちょっと拝借しちゃえば良いのよ」


 ピンクの髪をいじりながら、弟嫁ミレーユは軽やかに放言します。

 その軽さに乗せられるように、夫のランド伯爵は高らかに宣言しました。


「姉上ができることなら、ほんとうなら誰にだってできるんだ。

 良い香りを掛け合わせれば、良い香水になるに決まってるだろう?

 それに、俺の嫁の実家は財力もある。

 おまえがチマチマ研究と称して遊び半分でやっているのより、よほど良い原料を集めることができる。

 良い材料を使うんだから、姉上が作った香水なんかよりもっと良いのが、たくさんできるんだぞ。

 だから、自惚れるなよ。

 この研究所を貰うのは、あくまで本来の持ち物を返してもらうためであって、姉上の成果を盗みたいってわけじゃないんだからな!」


「……」


 お嬢様は、しばらくの間、悔しそうに唇を咬んでいました。

 ですが、やがて吹っ切れたように、両手を挙げ、


「好きにしな。

 どうなっても知らないから!」


 と言って、私と騎士様がいるところへとやって来て、


「お店に帰りましょう」


 と言いました。


「薬草は?」


 と私は問いかけます。

 これまでお嬢様がコツコツと採取して集めた、たくさんの草花と、精製途中のエッセンシャルオイルの原液が、今も小屋にあります。


 フランソワお嬢様は、歯噛みしながら言いました。


「今は持っていくことはできないわ。

 あの鎧を着飾った騎士どもを見たでしょ?

 貴女が乱暴にされるのを見たくはありませんし、私の護衛騎士が剣を揮うべき相手は、あのような我儘な主人の言いなりになっている腑抜けどもではありません」


 こうして、私とお嬢様は、護衛騎士に守られながら、森を出て行くことになりました。

 その途上で、お嬢様のご実家であったはずのデュビー伯爵家の鎧騎士たちから、嘲笑われました。


「どうなさってんですかぁ、お転婆お嬢様ぁ?」


「草ばっか集めてないで、オトコ漁りでもしたらどうですか?」


「このままじゃ、()き遅れますよぉ!」


 ぎゃははは!



 下品な笑い声を後にして、私たちはまっすぐ道を進み、鉄門の中に入って、王都の外れにある「フランソワの香り店」に戻って行きました。


 すると、私たちが帰って来ることを承知していたかのように、従業員が何人も出てきて、出迎えてくれました。

 それだけではなく、一人の老婦人が杖をつきながら待っていたのです。


 お嬢様が老婦人に声をかけました。


「留守の間、ご迷惑をおかけしたわね。伯母様」


 このときが、私、タルトにとって、「伯母様」との初対面でした。

 スッキリとした身なりの伯母様は、皺だらけの手を軽く振ります。


「別に気にしなくても、良いわよ。

 私が何も言わなくても、従業員が勝手に動いてくれるので、手持ち無沙汰だったわ。

 それより、やっぱり貴女の馬鹿弟とその嫁が、森の小屋にも行ったみたいね。

 あの人たち、その前に、この店に押しかけて来て、朝から居座ってね。

『自分たちが碌な薬や香水が作れないのは、材料と作り方のレシピが公開されてないせいだ』とか、貴女が嫌がらせをしてる、などと大声でご近所さんに吹聴したりして、聞くに耐えなかったわ。

 でも、相手にするだけ、無駄だよ。

 どうせ、困るのは、アイツらなんだから。

 どれだけ素材が良いもの集めたところで、それを選定して調合する能力までは、貴女から奪うことができない。

 貴女の真似をすることはできないっていうことが、どうしてわからないのかしらね?

 ほんとうに愚かなこと」


 そこまで話してから、伯母様は私に気付いたようで、


「あら。この娘は?」


 と言いながら、顔を向けました。


「私の研究仲間よ」


 とフランソワお嬢様が言うと、伯母様は碧色の瞳を爛々と輝かせました。


「まあ、研究仲間!?

 貴女がそれほど評価する人材が現れるだなんて、これは末頼もしい。

 よろしくね、お嬢さん」


 お婆さんは私を見て、ウインクしました。



 森の中の研究所から追い出されて、フランソワお嬢様と護衛騎士パーシーさんに導かれて、私、タルトは街中の裏通りの店舗に帰ってきました。

 そこで人心地をつくと、私がまだ面識のない「伯母様」も交えて、お嬢様の実家デュビー伯爵家のゴタゴタについて話を伺うことになりました。


 晩餐の後、フランソワお嬢様が選りすぐったハーブによって淹れたハーブティーを飲みながら、伯母様が主に話をしてくださいました。


「森の研究所から、追い出されたそうね?」


 そう話を切り出されますと、即座にフランソワお嬢様が、


「ごめんなさい」


 と謝りました。

 別に、お嬢様が悪いわけじゃないことを百も承知している伯母様は、穏やかそうな外貌に似合わず、大きく舌打ちをしました。


「ったく、貴女の弟も大概よね。

 でも、あんな馬鹿息子に家督を継がせた、私の弟がいけないのよ」


 今日は扉の内側に、珍しく護衛役のパーシー騎士も立っていましたが、彼は事情を知っているらしく、黙って(うなず)くだけでした。


 伯母様は、私、タルトに顔を向けて、説明してくれました。


「こちらのお嬢様の公式名はね、フランソワ・デュビー伯爵令嬢って言って、私、マリアンヌの姪っ子なの。

 つまり、フランソワお嬢様の父親テムル・デュビーってのが、私の弟ってわけ。

 でね、私の実家デュビー伯爵家は、もともと薬や香水を特別に調合して王家に提供してきた家柄だったの。

 でも、私のお祖父様の代あたりから、不出来になってね。

 私の頃には形式的にお薬や香水を王家に差し出すだけになっていたわ。

 その役目も私、マリアンヌが結婚前に務めていてね。

 一応、私は、駄目な草花や毒草を除くぐらいは出来たんだけど、弟はまるで駄目でね。

 男だってだけでテムルのやつは家督を継いだのに、薬草や香草の目利きも出来ないし、鼻も利かなかった。

 でも、テムルの夫婦に、この娘、フランソワが生まれてね。

 私は安堵したもんさ。

 これでデュビー伯爵家も再興できるって。

 フランソワは生まれながら才能の持主で、子供の頃から薬草も香草も選り分け、様々な種類の草花を思い通りに調合する力も豊かだった」


 そこへフランソワお嬢様がティーカップ片手に、


「伯母様は、私の師匠だったのよ」


 と口を挟む。

 苦笑いを浮かべつつ、マリアンヌ伯母様は話を続けた。


「師匠といっても、すぐに教えることはなくなったわ。

 だから、私は安心してトロワ伯爵家に嫁いで行った。

 とうに婚約していたんだけど、実家の行末が心配で、なかなか結婚に踏み切れなかったのよ。

 ところが、私が家を出た途端、家督を継いだテルムが馬鹿なことをしてしまってね。

 この子の父親、つまり私の弟テムルが、いまだ幼い自分の娘、フランソワが調合した薬や香水を、『自分が配合して、作った』などと、王様相手にまで嘘をつくようになったの。

 さらに悪いことに、数年して、フランソワの弟ランドが生まれた途端、フランソワを冷遇し始めてね。

 研究は好きにさせるものの、『家督は絶対に男に継がせるんだ』と、ランドに詰め込み教育を施したってわけ。

 でも、やっぱり才能がなかったのね。

 ランドは勉強を投げ出し、放蕩するようになった。

 それでも、『家督は男児が継ぐもの。嫁を娶れば真面目になるだろう』という、ふざけた考えで、ミレーユ・ダニエル子爵令嬢と結婚させた。

 そしてテムルは無能な息子ランドに家督を譲って、自分は隠居してしまった。

 それが今年の五月、二ヶ月半ほど前のこと。

 そして、家督を継いだランド伯爵様が、自分の姉であるフランソワを、デュビー伯爵邸から追い出したのよ。

 酷いものよね。

 たまたま、私、マリアンヌが嫁いだ先であるトロワ伯爵家が武器や工具の卸業の元締めをやっていてね。

 空いていた物件を好きにして良いって、フランソワに貸してあげたのよ。

 それがこの『フランソワの香り店』ってわけ。

 ほんと、私が行き場を提供できたから良かったのだけど、並の貴族令嬢じゃあ、路頭に迷うところだったわ。

 しかも、今年の七月、間が悪いことに、フランソワが作った香水が王宮で評判になっちゃったのよ。

 で、たまたま新婚二ヶ月のミレーユと一緒にパーティーに出てたのね。

 この子の弟ランドと、父親のテルムが。

 そしたら、案の定、『この香水は自分が作った。香水の名前は、同伴していた妻ミレーユの名前を付けております』と、ランドが大見栄を切っちゃった。

 さらには、嫁のミレーユも一緒になって、『幾つもの香草を選んで配合したのは私よ!』などと言い出した。

 フランソワが実家に残した香水を、ただ配っただけなのにね。

 父親テムルの悪いところを、馬鹿息子のランドがすっかり真似したってわけ。

 テムルの馬鹿も、同様の嘘をついてきたのだから、息子を叱りつけるはずもなく、そのまま押し通しちゃったらしいの」


 話の途中でしたが、私は疑問を差し挟みました。


「でも、どうしても研究所まで奪ったのでしょう?」


 マリアンヌ伯母様は、即座に言葉をかぶせます。


「ランドの馬鹿夫婦は、材料さえ手に入れば、自分たちだってやれると思ったのよ。

 保管されていた薬草や香草を狙ったのでしょう。

 おまけに、何人もの薬師や植物採集者を雇い入れたというわ」


「でも……」


 おそらく、碌な香水が作れないーーと、私、タルトが皆まで口にする前に、伯母様が前のめりになりました。


「そうなのよ!

 先程も言ったように、いくら草花を集めたところで、目利きができない、嗅ぎ分けられないようでは、微妙な香水の配合や、効き目のある薬品を作ることなんて出来ないのよ」


 今度はフランソワお嬢様が、話を引き継ぎます。


「弟嫁のミレーユのご実家、ダニエル子爵家は、ドレスなどの衣類に付ける装飾品を作る家柄で、それはそれで一つの技能なんでしょうけど、ミレーユ自身は、薬剤や香水の調合なんか、したことがないはずなの。

 ただ、自分本人が着飾ったり、化粧することが大好きなので、

『私にだって良い化粧品はわかる。良い香水はわかるわ』

 ということで、ランドと一緒に盛り上がってしまったのね」


 マリアンヌ伯母様が、吐息を漏らします。


「まぁ、いずれ困るのは、あの弟夫婦(ヒトたち)でしょう。

 王宮の方々はもちろん、今までこの子がお付き合いしてきた貴族家の方々も、現在のデュビー伯爵家が提供できる品物では、いつまでも使っていられないことがわかるはず。

 だからせめて私、マリアンヌが、師匠として、この姪っ子、フランソワの後見人になって、資金とコネを融通してあげよう、ついでに、私の関節痛に効く薬もいただけないかしらと思って、この店の後見人を務め続けてきたってわけ。

 フランソワ、ごめんなさいね。迷惑だったかしら?」


 伯母様は痛風の気があるので、フランソワが調合した薬草のハーブが痛みを和らげるので、それを愛用していたのでした。


「ぐっすり眠れないときなどは、このハーブはどうかしら?」


 と言って、寝る前に、弟子が師匠に、ハーブティーを差し上げると、翌朝、


「おかげさまで、ぐっすり眠れたわ」


 と師匠は喜んでくれたものです。

 それが、マリアンヌ伯母様が今でも弟子とつるんでいる、大きな理由の一つでした。


 でもマリアンヌとの繋がりは、フランソワにとっても、大きな助けとなっていました。


「とんでもないわ、お師匠様。

 おかげで私が研究所に行っている間にも、店番もしていただけて、助かっています。

 それに、昔ながらの取引相手の貴族家の方々にも事情を説明していただいて、デュビー伯爵家から、こちらの店舗に契約を移し替えていただけて、従業員ともども、なんとか食い繋いでおりますわ」


 弟子が手を取って励ましてくれたので、今度は師匠が皺だらけの指に力を込めます。


「こちらこそ。

 貴族家の方々も大喜びよ。

 最近は香水の効き目も悪い、体調が優れなくなったとかの声も上がっていてね。

 派閥長のクレティア・ナモル公爵夫人なんかは、現在のデュビー伯爵家夫婦から提供された薬を服用して、むしろ病状が悪化して、死に頻したしたそうよ。

 その後、この店の薬に差し替えて、一命を取り留めたの。

 お礼を言われたわ。

 この事件が密かに評判になって、以前から取引があった貴族家のほとんどを、こちらの顧客に取り込めているわ。

 ーーただ、そんなことがなくても、貴女は豊かになってたみたいだけど」


「フランソワの香り店」は、大通りの化粧品店や薬局に素材を提供したり、調合された香水や薬品を卸すことによって、結果的に平民層にも販路を広げている最中でした。

 そうした状況を鑑みて、マリアンヌの伯母様は、鼻息を荒くしました。


「何しろ平民は、貴族の人口に比べて百倍はいますからね。

 たしかに平民相手の商売は、一つ一つの利鞘は少ないけれども、これから大きく利益を上げていくと思うのよ」


 まるで商人のような口振りをする伯母様に、姪っ子は辟易としました。


「伯母様。そのように利益、利益とおっしゃられては、困ります。

 私は効き目のある薬と豊かな香りで、人々を幸せにする薬品や香水を作りたいんです。

 利益は、すべてそのための活動資金と考えているんですけど」


「はい、はい。わかってますよ。

 でも先立つものは、お金ですよ。

 ウチの馬鹿弟や、貴女の弟夫妻のような、愚か者どもに振り回されないためにも、財力は必要なのよ。

 貴女も、いつまでも子供じゃないんだから、わきまえなさい。

 このお店のために、そしてタルトちゃんのような、助手や従業員が生活していけるように、ちゃんと利益を叩き出せる仕組みを作りなさい。

 必要な人に必要なものを融通しつつも、私たちの暮らし向きが傾かないように配慮ができる主人になりなさい。

 身分が上の者や、男どもに任せて、人生を無駄にしては絶対、駄目!

 貴女はせっかく、凡百の草花から、効果が高い薬草や香草を嗅ぎ分ける才能があるのだから、それを活かすために何をしたらいいのか、積極的に考えるべきなのよ」


「もう、いつまで経っても、口うるさいお師匠様ね」


 老婦人の師匠と、二十歳の女主人が、軽やかに師弟の会話を楽しんでいます。

 そこで、改めて私は、フランソワお嬢様に対して、感謝の意を表明しました。


「でも、お嬢様は気高くて、ご立派ですよ。

 利益に関係なく、私なんかも見出してくださり、こうして使ってくださった。

 だからこそ、今の私があるんです」


 マリアンヌ伯母様は目を光らせ、私の手を握り、ブンブン振り回します。


「それ! それなのよ!

 タルトちゃん。貴女こそ、今後の私たちの希望なのよ。

 私が思うに、平民ーーいえ、貧民の中にすら、ほんとうは大勢いると思うんですよ、貴女のような、才能の持主が。

 なにせ貴族の百倍の人口なんですからね。

 そういう人たちを雇って、使用人にするだけでなく、研究を進めて、薬草や香草についての分類を今よりも体系化したら、きっとこの国のためになると思うのよ。

 いえ、国を超えて、世界中の人類のためになるはずだわ。

 ーーああ、もう、困っちゃうわ。

 もう良い年齢だというのに、弟子のせいで、やることが増えちゃったじゃない!」


 フランソワお嬢様は、金髪を掻き上げ、呆れたように笑います。


「私の夢はささやかなものよ。

 まだ嗅いだことのない、(かぐわ)しい香りの香水を作ること、それだけ。

 あと、すべての疲労を回復させる、生命力を高めるような薬を調合できないものか、と。

 そう、ロマンは、研究そのものにあるのよ!」


「はい、はい。わかりました」


 そう言ってから、伯母様はこっそりと私に耳打ちします。


「そういったロマンは、すべてフランソワお嬢様に任せておいて、私たちは現実的にいきましょうよ。

 取るところを取らないと、かえって薬の研究も、香水の研究も、維持できなくなるんですからね」


「はい、わかりました。伯母様」


「もう!」と言って、頬を膨らますフランソワお嬢様を、私と伯母様で、指をさして笑い転げました。



 そうした話をしてから、ほぼ一ヶ月後のことでした。

 王家の紋章が入った馬車が、突然、店先に停車したのは。


◆4


 王家の紋章が入った馬車から、まずは老紳士が降りてきて、次いで綺麗な赤髪のご婦人と、赤ちゃんを抱えた侍女とが入店して来ました。

 そして、お嬢様と伯母様とで、何事かを語り合ったようでした。


 その間、私は侍女の方と一緒に、赤ちゃんを屋根裏部屋へとお通しして、面倒を見ていました。



 それから、さらに一週間ほどが過ぎた頃のことでした。


 またも物々しい鎧騎士たちとともに、馬車がやって来て、


「おい、居るんだろう。

 姉上! 堂々と顔を出せ!」


 と店前で叫ぶ男がいました。

 お嬢様の弟君、ランド・デュビー伯爵です。

 続いて、ミレーユ・デュビー伯爵夫人が、


「平民街って、埃臭くて嫌だわ」


 と言いながら、馬車から顔を出してきました。

 さらに、以前は見なかった、老貴族も姿を見せています。



 私は両手を広げて、彼らの前に、立ちはだかりました。


「大声を出すのは、おやめください。

 店先ですよ?

 近所の皆様のご迷惑にーー」


 案の定、彼らは最後まで言わせてくれません。

 怒鳴り声で、私の制止する声を(さえぎ)ったのです。


「うるさい!

 平民どもが迷惑しようが、構うものか。

 平民どもこそ、伯爵である俺様相手に控えるべきなのだ」


 とランド・デュビー伯爵が言ったところで、周囲の街並みで変化が起こりました。


 バタンバタンと隣近所の店の扉が開き、次から次へと、図体がデカい、腕っぷしが強そうな男どもが何十人も姿を現したのです。

 近所には、武器店や工具店もあり、鍛冶屋の男もいます。

 彼らの中には、従軍体験者もいれば、傭兵崩れの男もいます。

 そんな男どもが皆、指の関節をポキポキと鳴らしたり、腕を回したりしながら、デュビー伯爵家の馬車や、鎧騎士どもが居る場所へと、詰め寄せていきました。


「おい。平民がなんだって?」


「おまえらこそ、何しに来たんだ? ああん!?」


 怯えたデュビー伯爵夫妻は、私に向かって、


「おい。さっさと俺を店の中に入れろ。

 こんな野蛮なところで放置する気か!」


「そうよ、そうよ。

 失礼でしょ?」


 と、途端に弱気になった、(かす)れ声を出します。

 そこをギロッと睨み付ける感じで、うちの護衛騎士パーシー・アサエルが、鎧騎士どもを扉の外で足止めします。

 結局、ランド・デュビー伯爵と、その妻ミレーユ、そして初見の老貴族だけを、店の中に入れたのでした。



 彼らが店の中に入った途端、驚くべき態度の変化がありました。

 謎の老貴族がいきなりランド夫妻を押し除け、偉そうに胸を張ったのです。

 どうやら、ゴテゴテに装飾された黒服を着る、白髪の老貴族が一番、偉いようでした。

 そして、部屋の奥にいた、フランソワお嬢様の姿を目に止めるやいなや、


「おい、フランソワ!

 いつまでも()ねてないで、家に帰ってこい。

 そして、おまえが香水を調合しろ。

 薬もだ。

 みんな、おまえに任せるから、我がデュビー伯爵家を救え!」


 と金切り声を発したのです。

 彼こそが、マリアンヌの弟にして、フランソワの父親、テムル・デュビー元伯爵でした。


「お父様……」


 とだけ口にして、フランソワお嬢様は、唇を咬んで黙っています。

 すると、


「相変わらず我儘なオトコだね。

 喚き散らせば、何でも思い通りになるとでも思ってるの?」


 と、怒鳴り返しつつ、マリアンヌ伯母様が、二階から降りてきました。

 お嬢様のお父上、テムル・デュビー元伯爵が、(しゃが)れ声をあげました。


「姉上は、黙っていてください。

 もう貴女は旦那のトロワ伯爵も亡くなって、息子も独り立ちして、本来なら、その息子の世話になっているところなのに、どうしてデュビー伯爵家(ウチ)の娘のところに上がり込んでいるんだ!?」


 マリアンヌは扇子を広げて、せせら笑います。


「どこが『デュビー伯爵家(ウチ)の娘』だい?

 貴方が捨てた娘でしょう?

 馬鹿息子と、その嫁を選んで、実の娘であるフランソワを捨てたのは、貴方じゃないの。

 だから私は、ありがたく拾わせていただいただけよ。

 私の可愛い弟子をね」


「ぐぬぬ……」


「それに『帰ってこい』って、どういうこと?

 ようやく、わかったのかしら?

 貴方たちの誰もが、薬も香水も作ることもできないということを」


 ここで弟嫁ミレーユ伯爵夫人が、ピンク色の瞳を潤ませつつ手を合わせ、懇願し始めました。


「お願い。早く家に戻ってきて。

 今、デュビー伯爵家では、大変なことになっているの」


◇◇◇


 七月の舞踏会での高評価を受けて、貴族社会では、瞬く間にデュビー伯爵家が提供する香水が出回り始めました。

 八月期の香水の売り上げはかなりのもので、デュビー家は伯爵家の筆頭と目されるようになったほどです。

 ですが、その栄光も束の間の出来事でした。


 半月後、夏期の舞踏会までは、いまだフランソワが調合した香水が出回っており、気品ある高貴な香りが漂っていて、皆、気持ち良くワルツを踊ったりして、楽しいひとときを過ごしていました。


 ところが、初秋の舞踏会になると、とてもキツイ香りが充満して、さらに多くの令嬢が身に付けている臭い香りが混じり合って、酷い悪臭が漂うようになってしまったのです。

 皆、頭痛や吐き気がして、とても気持ち良く踊れる状態ではありませんでした。

 音楽を演奏している楽団の人もむせたり、咳き込んだり、途中でふらついて、演奏を止めてしまったほどです。

 王様も腹を立て、「気分が悪い」と言って、自室に引き上げてしまわれました。

 舞踏会は滅茶苦茶になってしまったのです。


 参加者たちは口々に(ささや)き合いました。


「いったい、どうしたことなのかしら?

 前のような良い香りではないわ」


「このドレスに吹き付けたときは、良い香りだと思ったけれども……」


「そうなのよ。

 長時間付けていると、ほんとに臭いがキツく感じて、頭が痛くなるほどだわ」


 多くの令嬢たちが、それぞれキツイ匂いを辺りに振り撒いているので、それも当然でした。

 誰もが、もう、こんな場所に居たくないと思って、舞踏会場から立ち去り、家路を急いでしまったのです。


 すべて、デュビー伯爵家が売り捌いた「ミレーユ香水」が悪いのだ、と多くの貴族家、果ては王家にまで、ランドたちは非難されるようになったのでした。


◇◇◇


 弟嫁ミレーユ・デュビー伯爵夫人は、双眸に涙すら浮かべて訴えました。


「ね、フランソワお義姉様、実家の危機をお助けくださいな。

 夫が調合した香料で、頭痛やめまい、吐き気を覚えた人が出ているってことで、その材料を調べに、近衛騎士団がデュビー伯爵家に調査に来るっていうの。

 ほんとに困っている」


 ですが、ミレーユ伯爵夫人の振る舞いは芝居がかっていて、かえって空々しく感じられるものでした。

 案の定、ここで、夫のランド・デュビー伯爵が、居直り発言をしました。

 本心を暴露したのです。


「あぁ、姉上も、文句言いの貴族どもも、そうやって、好きにするが良いさ。

 皆、大袈裟なんだよ。

 貴族家ってのは神経質なヤツが多いから、やれ、病が深くなっただの、やれ、匂いが気持ち悪いだのと。

 こんなの、俺たちが舞踏会で悪役になってしまっただけのことだ。

 俺たちが王妃様からも褒められて成功していることが、妬ましくて仕方ないんだ。

 だから、今頃になって、我が家が提供した香水のせいで、周囲に悪臭が漂った、体調を崩した、王太子が寝込んだ、と文句ばかり。

 このままでは、我がデュビー伯爵家に、王宮の監査が入るそうだ。

 被害を受けたと訴える貴族が大勢出たらしくてね。

 もっとも、たいがいの家は抑え込めたんだが、俺の家柄と同じ程度の伯爵家が三つ、公爵家が二つ、そして何より王家がクレーマーになってるんで、こちらとしても対処しかねている。

 だから、姉上。

 早く戻って、きちんとした品揃えをしてくれ。

 そうじゃないと、我がデュビー伯爵家が罰を受けることになるんだぞ。

 どうするんだ。

 姉上は、実家がどうなっても良いのか?」


 そこで、さらにお父様ーーテルム・デュビー元伯爵が、口を挟みます。


「いや。今更、きちんとしても遅い。

 すでに悪臭騒ぎは起こってしまったのだからな。

 誰かが責任を負わねばならん。

 だからフランソワに帰って来てもらって、問題の香水は、おまえが調合したことにすれば良い。

 今から好きにここにある薬草や香草を持っていってかまわん。

 いくらでも奇抜な植物や素材を持っていって、それを使って香水を作ったと言ってくれ」


 お嬢様や伯母様のみならず、私ですら、呆気に取られました。


「それではフランソワお嬢様が、無実の罪をかぶることに……」


 と私が口にすると、老貴族ーーお嬢様のお父上テルムは、ウンウンと(うなず)きながら言い放ちました。


「まさに、そうだ。

 フランソワ、おまえが罪をかぶれば良いのだ。

 なに、こんなの、王宮を舞台にした集団ヒステリーみたいなもんだ。

 誰に罪をかぶせたって、一緒なんだよ。

 人身御供が必要なだけだ。

 だったら、おまえがやったってことにすれば良いじゃないか。

 実家を守るためなんだよ。

 香水の悪評ごときで、先祖代々、継承されてきたデュビー伯爵家を潰すわけにはいかないだろう?」


 フランソワお嬢様が、ついにキレました。

 当然です。

 お嬢様は、握り締めた両拳をワナワナと震わせていました。


「お父様!

 薬草や香草の調合について、これ以上侮辱なさらないでください!

 誰でもできるなどと傲慢な態度でいるから、このような事件になったのです。

 挙句、罪を誰にかぶせても同じだ、などと。

 罪は、犯罪人がかぶるべきなのです。

 当然、貴方たちが!」


 父親のテルムは、信じられない、といった顔をします。


「馬鹿なことを。

 おまえはデュビー伯爵家が潰れても良いのか?

 おまえの実家がなくなるんだぞ!」


「無能な弟に、家督を継がせたのはお父様です。

 その結果が、これですよ!」


 とフランソワが言い返すと、今度は弟ランドが癇癪を起こします。


「無能だなんて!

 言って良いことと、悪いことがあるぞ、姉上!

 デュビー伯爵家が潰れたら、姉上も困るでしょう!?」


 父と弟が、揃って馬鹿げたことを言います。

 このオトコどもは、フランソワにしてきた仕打ちの意味すら、わかっていなかったようでした。

 二人の男が、むしろこちらを叱りつけるつもりでいる様子をみると、自然とバカバカしくなって、フランソワに笑いが込み上げてきました。


「あははは!

 何を言ってるのよ、貴方たちは。

 私が困るわけ、ないじゃない!

 デュビー伯爵家なんか、潰れてくれた方が、むしろせいせいするわ。

 私を勘当しておいて、今更、私に何を期待しているの?

 赤の他人ですよ、今の私は。

 デュビー伯爵家?

 知るもんですか、そんなの。

 私にとっては、この店が、貴方たちに奪われたあの森の研究所が、私の居場所ーー私の家です!

 それに、香水が悪評だった、被害が訴えられたって?

 無能なだけの馬鹿が作れば、そうなるに決まってるじゃない。

 香水なんて、誰にだって作れるって言ったのは、貴方たちじゃない?

 自分のやったことなら、自分で責任持って欲しいわね。

 私は今ここの平民街で、皆に喜ばれて、信頼されているお店を持っているんだから、もうあの伯爵家は実家だと思っていません。

 貴方たちのお家でしょう。

 貴方たちが家を継いで、私を追い出したんでしょ?

 その結果を直視し、責任ぐらい負いなさいよ。

 自分でやったことの尻拭いは、自分たちでやってください!」


 狂ったように笑うフランソワを目にして、父と弟、そして弟嫁は身を強張らせます。

 一瞬で、緊張が場を支配しました。


 そのときです。


 突然、あああん! と、赤ちゃんが泣く声が、上の階から響き渡ってきました。

 階下が騒々しくなったので、寝入っていたのに、目を覚ましてしまったようです。


 それを聞き、老貴族のテムルは、髭を震わせて怒鳴りました。


「フランソワ!

 貴様、やはり子をなしていたのか!?

 そうか。その護衛騎士と出来てたんだな!

 イカれた女に相応しい相手だな。

 貴様は伯爵家の令嬢とは認められん!」


 テムルは、自分の娘に反抗されて、気が動転していました。

 とにかく、言い返したい、マウントを取りたいとしか思わず、愚かな発言を繰り返したのです。


 さすがに、はらわたが煮え繰り返ったのは、娘のフランソワだけではありませんでした。


 護衛騎士パーシー・アサエルが顔を真っ赤にさせて、剣を水平に振りました。


「ひいっ!」


 テルム・デュビー元伯爵が悲鳴をあげます。

 一瞬のうちに、その頭髪の頭頂部がバサッと切り裂かれ、禿げのようになりました。

 怯えて首を引っ込めていなかったら、頭が斬り裂かれていたことでしょう。

 そのままテルム元伯爵は、へたり込んで、小便を漏らしました。


 そこへ悠然と上の階から降りて来る、豊かな赤髪をなびかせ、碧色の瞳を輝かす、貴婦人がいました。

 自ら、赤髪の赤ん坊を抱えています。

 その姿を見て、さらにテムルは両目を見開き、顔面蒼白となりました。


「ま、まさか、そこにおわすのは、王妃殿下!?」


 まさか、平民街の店舗の上の階から、ラメル・アサルト王妃殿下がお姿を現すとは!

 ランドとミレーユの弟夫妻も、驚愕の態で、身体ごと飛び跳ねます。

 それから、慌てて両手をついて、床にひれ伏しました。



 この一週間というもの、屋根裏部屋では、ラメル王妃様とジャモ王太子殿下、そしてその従者たちが寝泊まりしていたのでした。


◇◇◇


 アサルト王国は今年の春、王太子誕生の吉報に湧いていました。

 ですが、密かに国王夫妻は悩んでいました。

 ジャモ王太子が生まれながら身体が弱く、行く末を案じていたのです。


 ところが、夏に王宮で開かれた舞踏会で、嬉しい発見がありました。

 (かんば)しい香りを放った香水を、デュビー伯爵家から提供されたのです。

 試しにその香水を染み込ませた布地やガーゼに、ジャモ王太子を包んでみました。

 その途端、王太子は泣き止んで、スヤスヤと眠り出したのです。

 さらに、デュビー伯爵家から提供された回復薬を王太子に投与したところ、見事に効いて、お抱えの医師や薬師が驚嘆するほど、王太子の体調が良くなりました。


 シオノ国王陛下と、ラメル王妃殿下は、手を取り合って喜びました。

 これからは、デュビー伯爵家から、香水も薬剤も仕入れよう。

 かつては「薬草と香草のデュビー伯爵家」と呼ばれていたそうだが、伝統は伊達ではなかった、と歓喜したものでした。


 ところが、国王夫妻の喜びも束の間でした。

 デュビー伯爵家から新たに提供された薬は効かず、香水からは芳しい香りもなくなって、王太子は再び体調を崩してしまったのです。

 そして、初秋の舞踏会では、異臭騒ぎが起こってしまいました。


 どうして、デュビー伯爵家の香水や薬が、突然、劣化したのか?


 ジャモ王太子の生命にかかわりかねないことゆえ、王妃様は困惑しつつも、不思議に思っていたところ、デュビー伯爵家を実家に持つマリアンヌが進言してきたのです。

 デュビー伯爵家の内紛を。


 事情を知ったラメル・アサルト王妃殿下は、真っ赤な髪を震わせ、激怒しました。

 さっそくジャモ王太子を専任侍女マロニーに抱かせて随行させ、執事トマスとともに、この「フランソワの香り店」に自ら足を運びました。

 ジャモ王太子にとって良い薬や香水を得るためですから、シオノ国王陛下も、王妃が平民街を訪れることを黙認したのです。


 実際、ジャモ王太子にとって効き目のある薬や香りが得られるかどうかは、王太子本人にしかわかりません。

 しかも、生後数ヶ月の赤ちゃんゆえに、言葉で意思を表明できません。

 ですから、細心の注意を払いながらも、ジャモ王太子自身をこの店にまで連れて来るしかなかったのです。


 そして、「フランソワの香り店」へと乗り込み、薬草や香草を保管している屋根裏部屋に連れて行ったら、ジャモ王太子はご機嫌になって、部屋から出そうとすると、泣き(わめ)くほど、屋根裏部屋に充満する香りがお気に入りになってしまいました。


 仕方ないので、一週間もの間、この店の屋根裏部屋で、ラメル王妃様とジャモ王太子殿下は、従者を引き連れて寝泊まりすることになりました。


 ちなみに、店主のフランソワが、王宮からの来訪者ーー王妃様と王太子殿下の一行に対して、執拗に警戒心を持ち続けていたのは、二つほど理由があったそうです。

 一つには、ラメル王妃は、ランドら弟夫婦の虚言を信じて褒めそやし、結果として増長させて、自分から研究所を奪わせた元凶の人間であり、信用ができなかったということ。

 あともう一つには、権力者に近づくと、政争に巻き込まれがちになる、それは薬草や香草の研究の妨げになる、と思ったからでした。

 ですが、王妃様は懇切丁寧に、王太子の健康増進のために香水や薬を求めてきたこと、いずれ虚言を吐いて、「香水を自作した」と偽ったランドとミレーユに罰を下し、森の研究所もフランソワの手に返すよう尽力する、と約束することによって、めでたく和解し、フランソワは王妃一行に対する警戒を解いたそうです。


 それからというもの、お店をしばらく臨時休業にして、フランソワが調合した薬や香水をたっぷり詰め込んだ馬車を、王宮と店との間で行き来させ、フランソワとマリアンヌの指揮の下、ありったけの従業員、数十名を動員して、王宮の浄化作戦を敢行しました。

 その結果、汚れに敏感な王太子にとっても、王宮の環境は改善されていったのです。


 さらに、この店で提供された料理が美味しく、今度はラメル王妃様ご自身が、王宮へと帰りたがらなくなってしまいました。

 ジャモ王太子の離乳食も美味しいらしく、たっぷり飲んで、たっぷり休んで、王太子の肌もツヤツヤになっていったのです。


 実際、私、タルトと王太子は似たような体質とみえて、自分の身体を改善させた体験から、必要な薬を与え、お気に入りの香料を漂わせたら、ご機嫌になって、いつの間にか私は、言葉が出ない彼の意思を汲み取って代弁できる人材となっていたのでした。


◇◇◇


 王妃様ご一行が、街中の店舗の屋根裏部屋で寝泊まりし始めてから、一週間後ーー。


 ラメル・アサルト王妃殿下は、ジャモ王太子を抱えたまま、椅子に腰掛けると、足下にひれ伏す三人のデュビー伯爵家の面々に向かって、冷たい視線を向けました。


「貴方がたによる、虚偽の報告によって、私たち王家の者は酷い仕打ちを受けました。

 すでに多くの貴族家から、貴方たちは訴えられておりますが、それらの罪状に加えて、王太子殿下は大きく体調を崩し、私自身も、貴方がたのエセ香水を貴族社会に広める広告塔の役割を担ってしまい、真の香水製作者であるフランソワ嬢からの不信を買ってしまいました。

 貴方がたの、奢った振る舞いには、もはや我慢ができません」


 王妃様がサッと手を挙げると、老執事トマスが、外から白い鎧をまとった、何十名もの騎士団を店内に呼び込みます。

 王家に仕える近衛騎士団でした。

 執事によって王宮へと連絡が行き、いつでも店舗に突入できるよう、近場で待機していたのです。

 これまで店前でたむろしていた伯爵家の騎士団は、街の男どもに威嚇されて身動きできなくなっていたうえに、近衛騎士団が突撃して来たので、すっかりお店から遠くへと追い払われていました。


 ラメル王妃は、赤髪をたくし上げて、冷然と言い放ちました。


「王家への詐欺罪、あるいは叛逆罪として、この者どもを拘束します」と。


 テルムとランド、デュビー伯爵家のオトコどもは、土下座したまま相貌をあげ、青褪めながらも訴えます。


「は、叛逆罪だ、などと。

 そのような意図は決してーー」


「お慈悲を、お慈悲を!」


 一方で、逆にミレーユ・デュビー伯爵夫人はピンクの髪を逆立たせ、怒りを露わにしていました。


「ひどいわ、ひどいわ!

 どうしてフランソワお義姉様ばっかり、チヤホヤされるの?

 学園時代は、私の方がモテていたし、化粧術だって優れているのに!」


 デュビー伯爵家の面々が、それぞれに、勝手に(わめ)き散らします。

 ただ、父親のテルム元伯爵だけは、次第に意気消沈して、黙り込んでいきました。


 マリアンヌの伯母様が、


「ザマァないわね!

 我が弟ながら、ちっとも同情できないわ」


 と口にすると、フランソワお嬢様が低い声で(つぶや)きます。


「ランド、そしてミレーユ。

 貴方たち夫婦は、ほんとうに良く似ているわ。

 外見ばかりに気遣って、中身がない。

 ほんと、お父様そっくり」


 近衛騎士が「連れて行け!」と声を上げて、三人を外へと連れ出していきました。


 その間、ジャモ王太子は、ラメル王妃様の腕の中で、スヤスヤと眠っていました。


「大物ね。さすがは王太子殿下」


 とフランソワお嬢様が口にすると、ラメル王妃様も、マリアンヌ伯母様も、そして私、タルトも、皆で声を合わせて笑いました。


◇◇◇


 翌朝、多くの薬草と香草を詰め込んだ馬車に乗って、ラメル王妃様とジャモ王太子殿下は、王宮に帰られました。

 すでに王宮には薬草が咲き乱れ、香草が鉢に植えられ、空気が清浄化されていました。


 そして、半月後ーー。


 デュビー伯爵家の弟夫婦は、詐欺罪で王家から告訴され、有罪となりました。

 弟ランドは五年の労働刑で、鉱山送り。

 ミレーユ伯爵夫人は五年の禁固刑で、造花造りの内職をやらされることになりました。


 五年後、彼らが刑を終えて出てきたところで、デュビー伯爵家はすでにフランソワお嬢様のものになっていました。

 皮肉なことに、「実家なんぞ、潰れてしまえ!」と公言したフランソワ・デュビーが家督を継いで、デュビー伯爵家の存続が許されたのです。


 そして、家督相続直後に彼女がしたことは、自分たちを嘲笑った、デュビー伯爵家が雇用していた鎧騎士どもを一斉解雇することでした。

 泣いて詫びる騎士もいましたが、素行調査を徹底し、賭け事や女遊びに耽った不届者を厳罰に処し、騎士号を剥奪された者も続出したそうです。


 毒親のテルム・デュビー元伯爵は、病気のエレ夫人とともに、デュビー伯爵邸で幽閉されることになり、公的に社交を禁じられ、貴族扱いも停止される措置が取られました。

 裁判によって裁くことはできなかったものの、その悪質な毒親ぶりから、王家からの内々のお達しもあったうえに、新たな家督者であるフランソワお嬢様が、恥ずべき父親を許すはずがありませんでした。

 実際に、地下牢に閉じ込めているうちに、半年でテルムは衰弱死してしまいました。

 決して虐待したわけではなく、食事を普通に運ばせていたのですが、テルムは食事が喉を通らなくなり、亡くなってしまったのです。

 その一方で、同じ地下牢で静養していた、フランソワの母エレ・デュビー元伯爵夫人はなぜだか体調が良くなり、夫が衰弱死したのを尻目に生き生きとして病床から立ち上がり、一年もすると、娘フランソワの許しを得て、庭の散歩を楽しむまでに元気になったといいます。


 このようにフランソワによるデュビー伯爵家の再興が企図される一方で、ランドとミレーユの二人は共に平民落ちとなり、互いに責任をなすりつけ合うばかりで、同居することもままならず、離婚してしまいました。

 ランドは酒場でたむろする飲んだくれになって、出所してから三年を経ずして肝臓を悪くして亡くなりました。

 ミレーユは実家ダニエル子爵家の離れで幽閉同然の生活を送り、再婚する目処は一向に立たないまま、美貌も衰え、一気に老け込んでしまったようです。

 華やかな社交が大好きだったのに、身につける衣裳にも無頓着になってしまいました。



 そして私は、マリアンヌ伯母様とともに、街中の「フランソワの香り店」を任されるようになっていました。


 この頃になると、私、タルトが「フランソワの香り店」の店長になっていることが世間に知られて、かつてお世話になったビルド男爵家の方々にも伝わったようでした。

 ビルド男爵家の奥様、ピレー・ビルド男爵夫人が自ら平民街にある、「フランソワの香り店」にまで足を運んで、香水を納入したい、取り引きを復活させたい、と頼みに来ました。

 ですが、かつて下女働きしていた時分から、私は奥様と良い思い出はありません。

 ほとんど口を利いたことがなかったし、一瞥もされず、空気のように、存在を無視され続けたことしかなかったので、


 「他のお客様との取り引きがありますので」


 と私は、今後のお付き合いをお断りしました。

 私の主人であるフランソワ伯爵から、


「貴女を冷遇した者と、今後一切、取り引きするつもりはありません。

 もし、かつての主人が顔を出したなら、無視して、必ず追い返しなさい」


 と厳命されていました。

 実際、私自身も、奥様の依頼を断ると、思いの外、気が晴れたことがわかりました。


 後に、風の噂で聞いたところでは、気落ちした奥様が、連日、あの下女頭を酷く折檻した挙句、ついには解雇して、屋敷から放り出してしまったんだそうです。

 あの、眉間に皺を寄せてばかりいた下女頭が、その後、どうなったかは、知りません。


 そして、私が任されたのは、「フランソワの香り店」の店長だけではありませんでした。


 一ヶ月に一度、私は薬と香水を献上するため、王宮に顔を出すことになっていました。

 本来なら王宮に足を踏み入れることも叶わない身分なのに、ラメル王妃様がジャモ王太子殿下を抱えて自ら出向いてくださり、中庭で、お逢いすることが特別に許されたのです。


 ジャモ王太子は、やはり、私と体質が似ていたようで、かつて私が痩せ細り、体調不良であった際に、フランソワお嬢様から処方された香水とお薬を提供しただけで、すっかり元気になっていきました。


 そのせいか、王妃様は、ぜひ、私を「ジャモ王太子の侍女に!」と仰せになります。

 そのように誘われるたびに、私は両手を振ってお断りしました。


「王太子殿下が健康になられたのは、フランソワ伯爵のお見立てが良かったからで、私の手柄ではありません」と。


 それでも、王妃様は諦めてくれず、


「フランソワ・デュビー伯爵ったら、釣れないのよ。

 いくら私が頼んでも、王宮お抱えの薬師にはなってくれないんだもの。

 いつもツンツンしながら、

『昔のデュビー伯爵家のように、お薬と香水を王宮に献上致しますので、それでご勘弁を』

 と言うばかりなの。

 どう思われます?」


 と、頬を膨らませる。


 とりあえず、私はフランソワお嬢様の弁護をしました。


「フランソワ伯爵様は、根っからの研究肌なんですよ。

 誰も嗅いだことのない、未知の香水、そして万能薬ーー。

 これらの開発に、余念がないのです」


 私の答弁を予測しておられたようで、王妃様は居住まいを正し、目を細めます。


「ですから、貴女をジャモ王太子の侍女に、とお願いしているのです」


 私はまたもや両手をブンブンと振って、


「平民が王宮に勤めることは、前例がございません」


 と断ると、今度は、私の手をガシッと強く握り締めて、


「国王陛下にお願いして、特別に貴女に爵号を与えるように致します。

 いえーーそうだわ。もっと簡単な方法があります。

 貴女がデュビー伯爵家の養女になれば良いのよ。

 そうなれば、貴女も立派な伯爵令嬢です。

 そうしたら、王太子の専任侍女になってくれますよね?」


 とまで言われて、私は困ってしまいました。



 ちなみに、一週間に一度、私は、森の中の研究所を訪問し、フランソワ・デュビー伯爵とお会いする決まりになっています。

 店の経営状態の報告を終えると、そのまま、フランソワお嬢様と一緒に、新たな薬や香水の調合法を検討し合う習慣になっていました。

 そして、二人で様々な薬草や香草を用いての実験を楽しむのです。


 その折に、「王妃様が私を王太子殿下の侍女にしようとしています」と報告したら、フランソワお嬢様は、口をへの字にしてから、大きく嘆息しました。


「王妃様にも困ったものね。

 これ以上、貴女を王太子付きの侍女にしようとしたら、

『もう薬も香水も王宮に献上いたしません。

 デュビー伯爵家の家督返上も辞さない覚悟です!』

 って言ってやるわ。

 タルト。

 貴女は私が見出した研究仲間で、お友達、そして家族です。

 たとえ王妃様の命令でも、王宮にやるつもりはありませんからね」


 顔を赤くしながらツンツンするフランソワお嬢様を眺めながら、目頭が熱くなります。


「ありがとうございます、お嬢様ーーいえ、フランソワ伯爵様」


 と、感謝を口にして、目尻に溢れた涙を拭います。

 すると、後ろに控えていた護衛騎士パーシーさんが、そっとハンカチを差し出してくれました。


 私、タルトは、ハンカチを頬に当てながら、笑顔になりました。

 なんて自分は幸せ者だろう、と内心で思いながら。


(了)

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