間話03・お熱いのがお好き
間話その3です。読まなくても、本筋に変わりないです。
◇
今年は冬でもないのに流感が猛威を振るっている。おそらく瘴気濃度が上昇したせいだろう。だが、もっと重い伝染病に苦しむ近隣の国々よりはマシだ。我が国のどこかで聖女が抑えているのだから。
その聖女の捜索は完全に行き詰まっていた。国中の宿屋、口入れ屋、観光名所に似顔絵を回しているが、手掛かりすら見つからない。副団長は他のあらゆる可能性を検討した。
「どこかに監禁されているのでは?」
という提案があり、市中警護隊に問い合わせたところ、老人を狙った犯罪が多発していることが分かった。そこで騎士団は協力という体で摘発に参加することになった。
今日は押し込み強盗が相手だ。通りすがりの老婦人を攫い、家の場所と金品の在処を言わせるらしい。組織の隠れ家が見つかったので、今から踏み込むところだった。
「この婆さんが聖女?品は良さそうだが、金は持ってないんでしょう?どうかなぁ」
警護隊長は似顔絵を見ながら首を捻った。
「万に一つの可能性でもやるしかない。俺たちが先に踏み込むから、そちらは人質を。お名前は『キヨ』だ。丁重に頼む」
もし発見した場合は極秘裏に保護する。副団長は隊長に念を押してから、小隊を率いてアジトの裏口に回った。
「行くぞ。1・2・3!」
合図と共にドアを吹き飛ばして踏み込んだ。
「騎士団だ!武器を捨てて投降しろ!」
♡
孤児院では高熱を出す子供が日に日に増えていた。きよ子は暫く仕事を休み、泊まり込んで世話をすることにした。これはインフルエンザで間違いない。抗インフルエンザ薬も解熱剤もないのだから、弱い子供は死ぬ危険がある。
「水に塩と砂糖、レモン汁を入れて。よく混ぜたら、はい出来上がり!」
お熱の子には手作り経口補水液を、喉の痛みを訴える子には、レモンの蜂蜜漬けをお湯で割って飲ませた。驚いたことに、あっという間に全員が回復した。
(確か、何日も40度近い熱が出てた気が…こちらの人は免疫力が高いのね)
だが一人だけ熱が下がらない子がいた。アトレーユだ。
「初めて罹ったせいかしら。ムガールには流感が無いっていうから」
心配した院長先生が貴重な薬草を手に入れてくれたが、全く効かない。きよ子はちょくちょく様子を見に来てくれるハリソンさんに相談した。
「そりゃ魔力熱だろうよ」
と言って、ハリソンさんが少年の額に手を当てたら、すーっと熱が下がった。高熱をきっかけに発現した魔力が、出口を求めて暴れていたそうだ。魔力持ちの子供にはよくあるらしい。
「お前、火属性だな。訓練すれば良い炎使いになるよ」
ちなみにハリソンさんは水属性で、鼻水がドバドバ出て止まらないパターンだったとか。面白い。
「良かったわね!アトレーユ。あなた魔力があるんですって」
きよ子が喜ぶと、思春期の少年はムスッと不機嫌そうに言った。
「何が良いんだよ」
「いつだって燃料無しにお湯が沸かせるのよ。お料理だってできる。そうだ、灯りも。光熱費が全部無料だなんて、素晴らしいじゃない!」
お風呂屋さん、料理人、陶芸家、鍛冶屋…きよ子は様々な職業を並べた。
「おいおい、騎士じゃないのかよ!風呂屋って!」
ハリソンさんが笑い転げている。アトレーユはベッドから起き上がって怠そうに訊いた。
「キコはどれが良い?」
「お風呂屋さんかな。毎日入れるし」
「騎士の方がカッコいいよ」
「若いうちだけよ。歳をとったら力仕事は難しいの。老後はお風呂屋さんのオーナーになって、悠々自適な生活が良いと思うわ」
きよ子は人生設計の大切さを説いた。するとアトレーユは真っ赤な顔で言った。
「要するにキコは毎日風呂に入りたいんだろ?じゃあ、俺が騎士になって稼いでやる」
「まず開業資金を貯めるってことね。良いわよ。私がお風呂屋さんの雇われ店長になってあげる。頑張ってね、オーナー!」
少年は再びベッドに倒れ込んだ。きよ子は慌てて彼の額に手を当てて熱を測ったが、平熱だった。またハリソンさんが笑い始めた。何はともあれ、子供達も全員元気になったので、きよ子は侯爵邸に戻った。
◇
囚われた老人の中に聖女はいなかった。副団長は諦めずに犯罪組織の摘発を続けていたが、そのうち、市中警護隊の半分以上が流感に罹ってしまった。その為、王都の巡回に騎士団から人員を割くことになった。
副団長自らが警邏をしていると、東地区の銀行の前で揉めている女がいると通報があった。駆けつけてみたら、なんと、キコと老婦人が言い合いをしていた。
「だから!絶対詐欺なんだってば!渡しちゃダメよ!」
驚いた。いつも静かな彼女が怒っている。老婦人も負けじと大声で言い張った。
「いいえ!今日中にお金を渡さないと、息子がマフィアに殺されちゃうのよ!本当なのよ!」
何の話だ。とりあえず、野次馬をかき分けて止めに入った。
「キコ。どうしたんだ?」
「あ!若様。この方、オレオレ詐欺に騙されてるんです。大金貨100枚も引き出して、詐欺師に渡そうとしてて」
なるほど、確かに近頃よく聞く詐欺のようだ。しかし老婦人は両手を固く握り合わせ、懇願した。
「お願い、払わせて!ボスの情婦を孕ませたなんて、酷い拷問を受けるわ!」
キコは呆れたように首を振った。
「そんなの嘘よ。大体ね、ボスの情婦なんて凄い美女に決まってるでしょうが。美女がフラフラっとよろめくのは、ウチの若様みたいな美男子なの。見なさい!この男らしい整ったお顔!均整の取れた逞しい身体!大人の色気!あなたの息子が勝てるとでも?!」
老婦人はまじまじと副団長を見上げた。そしてポツリと呟いた。
「…完敗よ」
「分かってもらえて嬉しいわ」
ジェラルドは動揺のあまり、魔力が漏れて炎を吐きそうになった。それに気づいた水属性の部下が急いで水をぶっ掛けてくれた。
「あれ。若様。お顔がびしょびしょですよ」
「水も滴る良い男ね」
キコと老婦人はすっかり落ち着いている。ハンカチで顔を拭いた副団長は、二人を警護隊の詰め所に連れて行き、詳しい話を聞くことにした。
♡
侯爵邸でもインフルエンザが大流行中だった。従業員の多くが寝込んでしまい、元気な人間は担当外の仕事も掛け持ちしている。きよ子は倒れた執事に頼まれて、業者への支払いをしに銀行に行ったのだ。
「それで、この方が大金を下ろそうとしているのを見て、おかしいと思ったんです。話を聞いたら、港町で働いている息子さんがマフィアに捕まってて、今日中にお金を渡さないと海に沈められるんですって。ボスの情婦に手を出して妊娠させちゃったとかで。どう考えても詐欺でしょう?若様みたいな色男ならともかくーー」
「キコ。分かった。もう良い」
若様はきよ子の説明を遮った。次に老婦人の聴取が行われた。
「息子さんの名は?職場と住まいの住所も教えてくれ。確認する」
それらを小さな紙に書くと、若様の部下がどこからか鳩を持ってきた。脚についた筒に紙を丸めて入れて窓から放す。すると1時間もしないうちに返事が届いた。その間にお屋敷からハリソンさんが来てくれた。
「息子さんは職場にいたよ。お手柄だったね、キコ」
さすが若様、またたく間に解決してしまった。
「お騒がせして申し訳ありません。本当にありがとうございます」
老婦人は何度も礼を言って帰っていった。きよ子は若様に尋ねた。
「詐欺師を捕まえないんですか?」
「え?」
「お金を渡すフリをして、逮捕しましょう」
「いや、そこまでする必要は…」
「ありますとも。親の愛情を利用して大金を騙し取る、極悪人ですよ。私がご婦人の役をします。お金を取りにきた受け子を捕まえてください」
きよ子の提案を、若様は目を閉じて考えていた。迷っている。するとハリソンさんが援護してくれた。
「俺が使用人役でついていきますよ。それなら良いでしょう?若君」
「まあ、それなら…」
こうして急遽、オレオレ詐欺の囮捜査が始まった。
◇
通常だったら、警護隊の小柄な隊員に頼むところだが、流感で人手が足りない。仕方なく、ジェラルドはキコに囮役を頼んだ。
「彼女の安全が最優先だからな」
変装した護衛に何度も釘を刺す。護衛はニヤリと笑って、ジェラルドに耳打ちした。
「了解です。若君も格好良いところ、頼みますよ」
「…」
地味な馬車にキコと護衛を乗せて、詐欺師に指定された路地裏の建物に向かった。騎士団10名は密かに後をつけている。馬車が停まり、フードで顔を隠したキコが降りてきた。少し前屈みの硬い歩き方が先ほどの老婦人にそっくりだった。
(驚いたな。役者の才能もあるのか)
副団長は感心した。彼女の後ろには大きな鞄を持った護衛が続く。こちらも年配の従者を装っているが、それほど上手くはなかった。
護衛が酒場の扉を4回叩くと、すぐに人相の悪い男が出てきた。短いやり取りの後、二人は中に入った。風属性持ちの部下が耳を澄ませて様子を伺う。
「男が金を受け取りました。『息子は明日の朝までに解放する』と言っています」
「よし。踏み込むぞ」
突入しようとしたが、部下が『待て』のサインを出した。
「…キコ嬢が何か…『お母さんが泣いているわよ。今すぐ自首しなさい』と」
「突入!」
慌てて副団長は命じた。甘い。説得できると思っている。案の定、踏み込んでみれば、護衛が数人のチンピラと戦っていた。キコを守りつつなので押されている。そこへ騎士が突入すると、形勢逆転、詐欺師のほとんどを倒した。しかし一部は奥の部屋に逃げた。
「脱出口があります!」
どうやら下水道に逃げ込んだらしい。副団長は各人に指示を出した。部下の半分に制圧した奴らを捕縛させ、残りは地上から下水の排出口に回らせた。
「俺が下から追う。キコは屋敷に戻りなさい。頼んだぞ、ヨハン」
護衛は敬礼で応える。それから副団長は地下への階段を駆け降りた。
♡
若様は悪者を追って行ってしまった。残されたきよ子はハリソンさんに諭された。
「ああいう連中に話は通じないよ。金の為なら何だってやるんだから。どうして説得なんかしたのさ」
「だって、まだ若い子達だったから。自首した方が罪が軽くなるでしょ?」
捕まえてくれと言ったのは自分だが、縛り首とかは嫌だ。刑務所に入って更生してほしい。でもハリソンさんを危険に晒してしまった。反省した彼女は頭を下げて謝った。
「勝手なことをして、ごめんなさい」
「いいよ。それより若君の活躍、ちゃんと見た?」
「はい。前みたいに魔法じゃなかったですね」
強盗団を倒した時と違って剣を使っていた。ハリソンさんは説明してくれた。
「狭い空間に敵味方が入り混じってたからな。剣と魔法、どっちが格好良かった?」
「若様は何をしても格好良いですよ?」
鳩の頭をそっと撫でる優しいお顔も素敵だった。それを聞いたハリソンさんは腹を抱えて笑った。
「そうくるか!」
騎士の方々は、縛り上げた詐欺師達を馬車に詰め込んだ。
「ご協力、感謝いたします!キコ嬢!りんごのパイもご馳走様でした!」
寮住まいの人達が笑顔で礼を言う。きよ子達は手を振って彼らを見送った。侯爵邸までは少し遠いけれど、侍女と護衛はのんびり歩いて帰った。だが、留守にしている間にもインフルエンザで続々と従業員が倒れていた。
◇
王都の下水道を散々逃げ回った後、詐欺師たちは地上に出た。そこを待ち伏せた部下と挟み討ちにして捕まえたが、全てが終わった時には夜になっていた。
「俺は汚れを落としてから戻るよ」
汚水にまみれた副団長は周囲を見た。水魔法で流してもらってもまだ臭う。風呂屋でもあれば良かったが、あいにく貴族街のど真ん中だった。
「副団長のお宅が近いのでは?後は私達で処理しておきますので、今日はどうぞお帰りください」
部下が帰宅を勧める。
「そうさせてもらおう。後は頼む」
ジェラルドは部下達と別れて侯爵邸に向かった。徒歩で帰ったら門番をひどく驚かせてしまった。事情を話して中に入り、玄関まで歩くうちに、何となく邸内が静かな事に気づいた。
「申し訳ありません。流感で召使いの半分以上が休んでおりまして…」
執事は全滅したらしく、警護兵がタオルを用意してくれた。そう言えば、キコからそんな話を聞いたな。両親は領地に行っていて留守だった。王都の流感がおさまるまでは帰らないそうだ。少ない人数で屋敷を回すのは大変だろう。
「今から沸かしますので、少々お待ちください」
と言われたが、早く入りたいので、さっさと汚れた服を脱いだ。
「水は張ってあるんだろ?良いよ。俺が沸かすから」
「お願いします。浴室係も休みでして。代わりの者を寄越します」
「良い。一人でできる」
ジェラルドは魔法で水を温めると、体と髪を洗った。しかし、なかなか髪の臭いが取れない。何回も洗ううちに洗髪料が空になってしまった。
「おーい!洗髪料を持ってきてくれ!」
脱衣室に向かって大声で頼むと、遠くで「はーい!ただいま!」と返事があった。再び体を洗っていたら、誰かが浴室の扉を開けた。
「ありがとう。そこに置いといてくれ」
「わ。まだ臭いますね。お手伝いします」
「いや自分で…って、キコ?!」
袖を捲り、裸足になったキコが桶を抱えて入ってくる。ジェラルドは慌てて浴槽に飛び込んだ。
(風呂の世話は嫌だって言ってたよな?!)
「そのままで良いので、頭、出してください」
にじり寄る侍女。ジェラルドは湯の中で体を縮めて拒絶した。
「だ、大丈夫だ!自分でできる!」
「地肌が洗えてないんです。毛穴が汚れてるとハゲますよ」
「男の召使いは?!」
「警護さん以外の男性職員は全滅しました。さあ!若様のお風呂が終わらないと、夕食の支度ができないんです!」
キコに急かされ、仕方なく仰向けに頭を預ける。湯が泡だらけで不透明なのが幸いだった。彼女は洗髪料をたっぷりとジェラルドの髪に塗りつけた。
「痒いところはありませんか?」
「…無い」
柔らかな指が丁寧に彼の髪を洗い、マッサージするように頭皮を揉みほぐしていく。気持ち良い。心拍数が上がる。漏れ出た魔力で少しずつ湯温も上がっていく。
「今日はお疲れ様でした。逃げた人、捕まえたんですよね?」
キコの声が額のすぐ上で聞こえる。髪の匂いを嗅ぐの、やめてほしい。
「うん」
ジェラルドは頷いた。湯温は42度を超えた。
「ハリソンさんに言われちゃいました。余計な事をして、すみません」
「気にしなくて良い」
45度。さすがに熱い。
「アトレーユが火属性だったんです。だから、将来、一緒にお風呂屋さんをやろうって」
「そうか」
48度。何の話だろう。意識が朦朧としてきた。
「さあ、綺麗になりましたよ」
もう限界だ。キコが湯で洗髪料を流すと同時に、ジェラルドは気を失った。
◇
目が覚めると、ジェラルドは自室のベッドに寝かされていた。額には氷嚢が乗せられている。話し声が聞こえたので、横目でそちらを見た。
「火属性持ちは長湯しちゃダメなんだよ。すぐに湯当たりするから。さっきの風呂、50度はいってたぜ。さすがに危なかった」
護衛のヨハンだ。彼が引き上げてくれたのか。
「ごめんなさい。全然、気が付きませんでした。私は熱いのが好きなので…」
涙声でキコが謝っている。ジェラルドは飛び起きた。
「違う!俺が悪いんだ」
目が回ってふらつくのを、キコが支えてくれた。差し出されたグラスの水を飲み干してから、改めて自分の非であると説明した。
「魔力が漏れて湯温が上がってしまったんだ。君のせいじゃない」
「いいえ。冷たいお飲み物を用意すべきでした」
可哀想に、すっかり落ち込んでいる。少し潤んだ瞳が心臓に悪い。ジェラルドは慌てて話題を変えた。
「ありがとう、ヨハン。着替えまでしてくれて」
護衛は肩をすくめ、
「冷水ぶっかけてから運んだのは俺ですけど。着替えさせたのはキコ嬢ですよ」
「え?」
「いけね、馬の世話しなくっちゃ。では失礼します。あー忙しい、忙しい」
と言って逃げていった。今、衝撃的な事を聞いた気がする。キコは香油瓶を取り出して、真顔で更に恐ろしい事を言った。
「お風呂上がりのオイルを塗るのを忘れてました。すいません、もう一度脱いでください」
ジェラルドは口から火を吐きそうになったが、無理矢理飲み込んだ。
「もういい!そうだ、腹が減ったから夕食を頼む!早く!」
何とかキコを追い出した後、熱を下げるためにピッチャーの水をがぶ飲みした。もう恥ずかしいを通り越して悲しい。昼間、美男子だの何だのと言っていたのは何だったのか…ジェラルドはガックリと肩を落とした。
だが夕食を運んできたヨハンがニヤニヤしながら暴露した。
「見てなかったんですか?キコ嬢の耳。真っ赤っかでしたよ」
「ええっ?!」
全然気がつかなかった。
「若いですねぇ。二人とも。昔の俺と嫁さんを見てるようです」
「…この料理、食べた事ない。なんて言うんだ?」
ジェラルドは照れ隠しに話を逸らした。ヨハンはワインを注ぎながら教えてくれた。
「『肉じゃが』です。キコ嬢の故郷の料理らしいですよ」
「そうか。美味いな」
先程まで地を這っていた気分が急上昇する。いつか頬まで真っ赤になったキコを見てみたい。普段は早食いの副団長は、彼女の態度みたいにあっさりした芋料理をじっくりと味わった。