間話02・マイ・フェア・レディ
間話その2です。読まなくても本筋に変更ありません。長くてすみません〜。
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「ダンスはできる?キコ」
とカトリーヌに訊かれ、きよ子は正直に「できません」と答えた。奥方様が言うのは、男女がペアになって踊る社交ダンスっぽいものだ。決して炭坑節や東京音頭ではない。
「では練習しましょう。再来週開かれるエイゼンシュテイン家の舞踏会に出てほしいの。ジェラルドのパートナーとしてね」
「はあ。夜ですか」
サービス残業かと思ったが、
「もちろん特別手当を出すわよ。次の日も休みでいいわ」
と奥方様は約束してくださった。興味はある。でも平民が行ってもいいのかしら。知らない貴族の人達と挨拶なんかもするだろうし。踵の高い靴だって何十年と履いていないし。
「淑女のお辞儀すらわかりません。やはり別の人に…」
きよ子は自信がないので断ろうとした。
「大丈夫!2週間でマナーからダンスまで完璧にしてくれる先生がいるのよ。発音は全然問題ないし。今日は採寸するから。そのつもりで」
だが有無を言わさず押し切られてしまった。侍女長からも、これも若様担当の仕事だとか何だとか言われ、次の日からきよ子は淑女の修行をすることになった。
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やはり若い脳と体は違う。基本的なダンスのステップはすぐに覚えた。背の高い女性の先生はきよ子を褒めちぎった。
「素晴らしい!あなたは天才です!」
きよ子には踊りの才能があるそうだ。半ば強制的に始まったお稽古事だが、とても楽しい。将来はダンス教師という選択肢もできた。いよいよ舞踏会前日となり、ダンスの最終確認をしているところへ若様が帰ってきた。
「キコ?」
ポカンと口を開けて、先生と踊るきよ子を見つめている。
「ちょうど良いわ。二人で踊ってごらんなさい」
奥方様が合図をすると、先生のお弟子さんがピアノを弾き始めた。きよ子は若様の前に立って淑女の礼をした。若様は慌てて紳士の礼をした。実際に踊ってみたら、先生より背が高くて違和感がある。
「キコさん。もっと相手に任せて大丈夫」
「はい」
時々、先生の指導が入る。若様は叱られていた。
「ジェラルド様。今の所、少し練習した方がよろしいかと」
「…というか、何ですか?!これは?!」
きよ子がパートナーを務めると知らなかったようだ。踊ったまま奥様の説明を聞き、若様は凄く驚いた顔で言った。
「これで習い始めてまだ2週間?上手すぎないか?」
「うふふふ。褒めても何も出ませんよ」
良い気分になったきよ子は笑顔でターンした。しかし、いきなり若様が止まったので、思いきり若様の胸に顔をぶつけた。硬い。一瞬気が遠くなり、彼女の身体は後ろに倒れた。
「ご、ごめん!」
若様に腰を支えられて転倒は防げたが、大きくのけ反ったきよ子の目には、奥方様と先生が逆さまに映る。二人は大きくため息をついた。
「ジェラルドの方に特訓が必要だわ」
「同感でございます」
(いやいや。私は最近覚えたばかりだから。若様は滅多に踊らないんだし、間違えて当然でしょう)
と思ったが、その後2時間、若様はみっちりとダンスの練習をさせられた。お仕事で疲れているのにお気の毒だった。
◇
また母が要らぬお節介を。やっとダンスから解放されたジェラルドは、自室で一人ぼやいた。笑顔の不意打ちを喰らって格好悪いところを見せてしまった。彼女の顔が当たった所が何だか熱い…とシャツを見たが、紅も何も着いていなかった。
(素顔?!あんなに綺麗なのに?)
化粧なんかしたら、どうなるんだ。怖いような楽しみのような、奇妙な興奮でその夜はなかなか寝付けなかった。
翌日は昼前から母がキコを連れ去って行った。女性は時間がかかるもの。ジェラルド自身は夕方過ぎから湯浴みをして軽食を食べ、ゆっくりと支度を整えた。そして居間で待っていた。
「お待たせしました。若様」
執事が開けたドアから、女神が入ってきた。
艶やかな黒髪は結い上げられ、すんなりした首が露わになっている。磨き抜かれた肌は透き通るように白く、ウエストは怖いほど細い。侍女の制服からは想像もできない色気に、言葉を失った。
「…綺麗だ」
やっとのことで褒めたのに、キコは頓珍漢な答えを返した。
「このネックレスとイヤリング、凄く綺麗ですよね。奥方様にお借りしたんです。大金貨300枚ですって。緊張して首が折れそうですよ」
濡れた紅い唇と光沢のある目元が笑う。ジェラルドは雷に打たれた。誰にも見せたくない。母は息子の心を読んだように言った。
「ダメよ。ちゃんとエイゼンシュテイン夫人に紹介してらっしゃい。キコ、最初の一曲はジェラルドと踊って。あとは好きにして良いわよ」
「他の方とも踊った方が良いんですか?」
(全然良くない!)
無垢な質問を、邪念だらけの男は遮った。
「さあ、遅れてしまう。では母上、行ってきます」
ジェラルドはキコの手を取ると、馬車までエスコートした。彼女がどれほど男達を騒がせるか。それを思うと今から憂鬱だった。
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暗い街道を馬車が進む。舞踏会は王都城壁外の森にある伯爵家の別荘で開かれる。きよ子はご機嫌だった。こんな綺麗な格好をしたのは初めて。しかも今夜の若様は、また一段と男振りが良い。気をつけないと頬が緩んでしまう。
だが当の色男は先ほどから黙りこくっている。やっと口を開いたと思ったら、変な事を訊いてきた。
「キコ。その、他の男と踊りたい?」
「いえ。全く」
即答すると笑顔になった。社交が苦手だと言っていたから、早く帰りたいのだろう。主催者に挨拶をして、一曲踊ったら、適当に美味しそうなものを飲み食いして、綺麗な娘さんたちの踊りを見物して上がろう。
「あ。王子様って来るんですか?」
きよ子はふと思いついて尋ねた。
「王太子殿下?お越しになる予定だよ。なぜ?」
「王子様とガラスの靴を履いた令嬢が踊っていたら楽しいかなって」
きょとんとする若様に、彼女は灰かぶりの童話を教えた。若様は真剣に聞いてくれたが、
「カボチャを馬車に…土魔法?小動物を人間に見せる幻術か。しかも予め決めておいた時刻に解ける術式だって?凄いな…」
と唸っている。魔法使いのお婆さんの方に興味を持ったようだ。
「ガラスの靴には、登録者以外を拒絶する刻印が施してあったんだろう。なら納得だ」
「…」
そうだったんだ。愛の力じゃなかったんだ。きよ子は少しがっかりした。その時、馬車がガタン、と大きく揺れて止まった。
「何事だ?」
若様が御者台の後ろの小窓を開けて訊いた。
「申し訳ありません!前方に何者かがいます!」
「確かめて参ります」
御者と護衛の人が降りていった。そして1分もしないうちに戻ってきて報告した。
「近隣の村人だそうです。助けを求めています」
「助け?」
「どうも妊婦連れで…」
護衛は言葉を濁したが、良くない状況だと察したきよ子は若様に頼んだ。
「降ろしてください。私も話を聞きます」
◇
薄手のケープを羽織ったキコは、早足で前方の人影に向かった。真っ暗な田舎道の傍に女がうずくまり、その横に男が立っている。若い平民だった。近づいて良く見れば、女の腹は大きい。
「いつ破水したの?」
ドレスが汚れるのも気にせず、キコはしゃがみ込んで尋ねた。女は荒い息で答えた。
「多分、3時間くらい前…」
「陣痛はどれくらいの間隔?」
「わ…分からない…」
キコはジェラルドに頼んだ。
「中で診ます。若様、運んでください」
「分かった」
ジェラルドは御者に指示を出した。
「馬車を道路脇に寄せろ。床に毛布を敷くんだ」
彼は妊婦を抱き上げて馬車まで運んだ。夫だという男は自分がやると言ったが、無理だと見て断った。男は済まなさそうに詫びた。
「旦那様の服が汚れちまって…」
「構わん」
馬車のカンテラを外して、中を照らせるようにすると、キコは扉を閉めた。だが3分もしないうちに出てきてキッパリと言った。
「もうすぐ生まれそうです。運ぶ時間はありません」
どうしてそんな事が分かるんだ。戸惑う男達にキコは説明した。
「シキュウコウが全開なんです。急いで準備をしましょう」
「…何が要る?言ってくれ、キコ」
全く分からないが、この場の指揮官はキコだ。ジェラルドは指示を仰いだ。
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まるで歴戦の産婆のように言ったものの、きよ子は内心パニックだった。遥か昔に自宅で母の出産を見た記憶がある。自身も3人の母だった。この場で赤子を取り上げる事ができるのは、きよ子しかいない。でも、助産師でも何でもない。怖い。
(逆子だったらどうしよう。大量出血を起こしたら…)
その時、若様がきよ子の肩に手を置いて言った。
「大丈夫だ。リュミエールがお守り下さる。我々は人事を尽くすのみだ」
こちらの神様の名前だ。きよ子は心の底から願った。
(この親子をお救いください)
すると、不思議なほど気力が湧いてきた。彼女はドレスを捲り上げて、幾重にも詰まっている布を引きちぎった。
「キコ?!」
「ナイフはありますか?できれば煮沸消毒したいです」
きよ子が訊くと、妊婦の夫が鍋を差し出した。芋煮会の帰りなのかしら、と思ったが、妊婦が苦しみ始めたので、慌てて馬車に戻った。
「それは任せろ」
若様はそう言って扉を閉めた。伯爵邸に知らせに行けと命じる声が聞こえる。舞踏会をすっかり忘れていた。不義理をしてしまった…ぎゅうっと手を握られ、きよ子はハッと我に帰った。彼女は頭を振って雑念を払い、うめく妊婦を励ました。
「さあ、赤ちゃんも頑張ってるわ。息を止めないで!」
◇
護衛が魔法で鍋に水を張った。ジェラルドの火魔法で沸騰させ、その中に手持ちの短刀を入れる。煮ている間に妊婦の夫に事情を聞いた。
「昨日、嫁の妹の結婚式があったんです。鍋は足りないから貸してくれって。で、帰る途中で産気づいちまって」
通りがかる馬車に助けを求めたが、ことごとく無視されたそうだ。
「そりゃあ間が悪かったな。今夜は貴族しか通らなかったろ」
護衛は気の毒そうに言った。男は平伏せんばかりに頭を下げた。
「本当にすいません。あんな綺麗なお姫様に…。ドレスも台無しだ」
「気にするな。赤子の命の方が大事だ」
ジェラルドはむしろ、キコの優しい心根に打たれた。助けを乞う民を見捨てた奴らの何千倍も尊い。ドレスなんかまた作れば良いんだ。そうだ、次は俺が贈ろう。もっと豪華なのを…などと、考えながら短刀を取り出していたら、
「熱っ!」
指を熱湯につけてしまった。その短刀を清潔なハンカチに包み、馬車の扉に声をかけた。
「消毒できたぞ」
キコは少しだけ扉を開けて受け取った。
「ありがとうございます。お湯は捨てないでください」
「了解だ」
それから後は男どもはする事がなくなった。時々、妊婦の呻き声が聞こえる。尋常でない苦しみ方だ。ジェラルドはどうにも落ち着かなくてウロウロしていたが、子持ちの護衛はのんきにタバコを吸いながら、『初産?最初は女の子が良いよ。育てやすいし』などと、妊婦の夫と話している。
星空の下、待つこと30分ばかり。産声が聞こえた。
(生まれた!)
ジェラルドは急いで適温にした湯を持っていった。暫くして、ケープに包まれた赤子を抱いたキコが出てきて、父親に赤子を渡した。
「おめでとうございます。可愛い女の子ですよ。お父さん」
「ありがとうございます…」
我が子を抱いた男は震える声で礼を言った。ジェラルドはよく見えるように、炎で照らしてやった。キコはまた馬車に戻っていった。
そこへ伯爵家へ知らせに行っていた御者が荷馬車で戻ってきた。荷台から老女がゆっくりと降りてくる。伯爵夫人が急いで探してくれた産婆だそうだ。
「間に合いませんでしたか?」
御者は残念そうに言ったが、キコに産婆の到着を知らせると、
「良かった!今、後産が終わったんです!これで大丈夫でしょうか?」
と喜んで産婆を馬車に上げた。母親と赤子をじっくりと診察した後、産婆はキコを誉めた。
「問題ございませんよ。お嬢様には産婆の才能がありますね」
「運が良かっただけです」
キコは心底安堵したように微笑む。ジェラルドは御者に親子を村まで送るように命じた。産婆もそこまで付き添うよう頼み、大金貨を1枚渡した。
「すまんな。これで足りるか?」
「貰いすぎですよ」
「何の。無理を聞いてくれた礼だ」
産婆は笑って受け取った。荷馬車から何度も頭を下げる夫婦を見送って、全てが終わった。残されたジェラルド、キコ、護衛の3人は同時に深く息を吐いた。
「舞踏会、終わっちゃいました?まだ間に合うかしら?」
キコが思い出したように言った。護衛は呆れ顔で彼女のドレスを指差した。
「ぺっちゃんこじゃないか。今夜はよしたが良いよ。疲れただろう?」
「それもそうね」
護衛が御者となって侯爵家へと戻ることにする。帰る間、キコはしきりと謝った。若様だけでも行けば良かったとか、せっかくのドレスがボロボロだとか、馬車の床が汚れただとか。どうでもいい事だ。ジェラルドは首を振った。
「俺だけ裸馬で行ったら変だろう。ドレスはまた作れば良い。汚れは洗えば落ちる」
だが彼女が「せめてドレス代はお給料から引いてください」と頑なに払おうとするから、
「じゃあ出世払いだ。もっとダンスが上手くなったら、俺に教えてくれ」
こっそりと自分に有利な提案をした。するとキコは嬉しそうに頷いた。
「では産婆の修行もして、お世継ぎも私が取り上げます!」
「は?お世継ぎ?」
開いていた小窓から、護衛が口を挟む。
「若君のお子様のお世話係じゃなかったっけ?」
「ええっ!?」
そこまで相手にされていないとは…ジェラルドは胸を押さえてよろめいた。護衛が小声で主人にだけ聞こえるように言った。
「もそっと強引に行かないと。鈍いから気づきませんよ」
「…公平じゃない。彼女は断れないんだから」
「アンフェアで良いと思いますがね」
「黙れ」
気づくとキコは眠っていた。化粧も剥げているし、髪も乱れている。なのに神々しいまでに美しかった。無理に手折ってはいけない。ジェラルドはそっと自分の上着を掛けてやった。
◆
その頃。エイゼンシュテイン伯爵の別荘では、華やかな舞踏会が最高潮に達していた。中座していた伯爵夫人は会場に戻ると、夫に何事か囁いた。
「どうした?エイゼンシュテイン伯爵」
それに気づいた王太子が声をかけた。
「いえ。パルデュー卿が欠席だと連絡が入ったもので」
「今頃?何かあったのか?」
「こちらに向かう途中で、産気づいた女性を救助しているそうです」
伯爵夫人は扇で口元を隠し、目を細めて言った。
「おかしな事。先にお着きになった方々には見えなかったようね」
何人かの客がぎくりと目を逸らした。使者によると、パルデュー卿とパートナーがまさに今、お産の手助けをしているとか。
「公明正大なジェラルドらしいな。その令嬢は誰だ?」
王太子はつまらなさそうに訊いた。
パルデュー侯爵は王弟、つまり王太子と侯爵令息は従兄弟である。継承権もそれぞれ一位、三位と、何かと比べられる間柄であった。令息が結婚をしない理由も、王家に遠慮してと見られていたが、ここにきて婚約者候補の女性が現れた。
「侯爵家の侍女だそうです。パルデュー卿が、それはもう溺愛しているとか。今夜紹介していただく予定でしたのに。残念ですこと」
「侍女だって?正気か?何を考えてるんだ、あいつは」
美しい顔に侮蔑の表情を浮かべ、王太子は取り巻き達と行ってしまった。元から身分や容姿に拘る王子だった。最近は荒れた生活をしているらしい。今夜の一件で侯爵令息への評価が上がるのは間違いないだろう。伯爵夫人は不敬な事を思った。
(パルデュー朝になる日も近いかしらね)
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後日、赤ちゃんの親からお礼の品が侯爵邸に届いた。彼らはリンゴ農家だった。大量のリンゴは従業員みんなで食べても孤児院にお裾分けしても、まだ余った。
「パイにするのはどうだい?」
と料理長が言うので、きよ子も手伝ってリンゴのパイを沢山焼いた。
「美味しいわ。ジェラルドにも届けてあげたら?」
と奥方様が言うので、きよ子は若様の住む騎士団の寮にパイを持っていった。
寮の受付で差し入れる物を検査された。若様はまだ戻っていないそうだ。もうとっくに日も暮れてるのに、案外ブラックな職場みたいだ。係の人にパイが入った籠を預けようとしたら、若様が走ってきた。
「キコ?な…何?」
ゼエゼエと息を切らせている。忙しい時に申し訳なかったかな。きよ子は手短に事情を説明した。
「すみません。急に。実はあのご夫婦が…」
若様はとても喜んでくれた。
「ありがとう!リンゴのパイ、大好物なんだ」
「良かったです。じゃあ、お仕事頑張ってください」
籠を渡して帰ろうとすると、金髪の青年が話しかけてきた。
「まあまあ。お茶でも。いっそ夕食も召し上がってください。ね?副団長!」
「そ、そうだな」
誰?と思っていたら、青年はきよ子の手を取って淑女への挨拶をした。
「失礼しました、キコ嬢。エイゼンシュテインと申します。副団長の補佐をしております」
「あら、まあ。先日は大変失礼いたしました」
なんと舞踏会の主催者のお家の人だった。彼は流れるようにリンゴのパイを夕食のデザートに出す手配をし、ハリソンさんに2時間後に迎えに来るよう頼んで、きよ子を士官用の食堂に案内した。
気づくと若様と金髪の副官氏と向かい合って夕食を給仕されている。すぐ帰るつもりだったので侍女の制服で来てしまった。場違いな気もするが、人の職場のご飯に興味もあったので、喜んでいただくことにした。
「肉が多いですね」
「力仕事ですから。ワインもどうぞ」
金髪の副官氏は、サッとグラスに赤ワインを注いでくれた。タンパク質多めのフルコースで、とても美味しい。でも、多忙なのに時間を取らせてしまった。
「お忙しいのに、すみません」
きよ子が詫びると、若様は首を振った。
「今日はたまたまなんだ。厄介な事件があって」
「事件ですか?」
金髪の副官氏が事情を教えてくれた。
「守秘義務があるので詳しくは言えませんが…老人ばかりを狙った強盗事件ですよ。本来は市中警護隊の管轄ですが、手が回らないので、騎士団も協力することになったんです」
それから、副団長が日々、王都の住民、ひいては国民の安全にどれだけ貢献しているかを話してくれた。
(さすが若様!)
きよ子は誇らしくて熱心に聞いた。でも当人は終始無言だった。照れくさいんだと思う。
デザートが運ばれると、金髪の副官氏は席を立った。
「私は向こうでいただきますね。キコ嬢。ゆっくりしていってください」
きよ子と若様の前に、クリームを添えたパイが出された。皿には赤いソースで可愛らしい大小のハートマークが描かれている。
「…」
若様は凄い勢いで食べてしまった。よほどリンゴのパイが好きなようだ。また作ってもらおう。きよ子はハートを愛でつつ、デザートを味わった。
◇
母の手が騎士団にまで及んでいた。ジェラルドはフォークに突き刺したパイで、急いでハートを消した。士官食堂は貸切状態で、普段と違って灯りも雰囲気がある。いつの間にか花なんか飾って。どこからかバイオリンを奏でる音まで聞こえる。
蝋燭に照らされたキコに見惚れていると、彼女は真剣な顔で言った。
「若様。絶対に犯罪者グループを捕まえてください」
「え?」
「許せないんです。一生懸命貯めたお金を奪っていく悪人が」
その瞳に怒りの炎がある。後ろに給仕もいたので、詳しく聞くのは憚られた。代わりに全力を尽くすと約束した。
「と言っても、主にエイゼンシュテイン卿に任せている。俺は一斉捜査の時に出るくらいかな」
「さっきの有能そうな人ですね?」
(もしや、ああいう知的な男が好みなのか?)
密かに動揺した副団長は、カチャリとカップの音を立ててしまった。
「…彼が気に入った?」
それとなく訊くと、キコは輝くような笑顔で言った。
「伯爵家からお見舞金をいただいたんです。ドレス代とか馬車の洗浄代とか、諸経費を差し引いた残りを、奥方様が支給してくれて。もちろんハリソンさんと御者さんと山分けですよ。感謝感激です!よろしくお伝えください!」
「…」
ジェラルドは脱力した。すると彼女は急に顔色を変えた。
「あ。若様の分、忘れてました。どうしましょう」
狼狽える顔がおかしくて、つい声を立てて笑ってしまう。
「俺は良いよ。向こうもそういうつもりだから」
「そんなの公平じゃないです!」
「じゃあ、次は俺にドレスを作らせてくれ」
そう頼むと、キコは驚いたように瞬きをした。
「そんなので良いんですか?」
「ああ」
「若様は欲がないですね」
とんでもない。独占欲だらけだよ。曖昧に微笑んでいたら、必殺の一撃を喰らった。
「じゃあ、沢山踊りましょう。朝まで寝かせませんよ?」
「!」
迎えの護衛が来たので彼女は帰っていった。油断した。胸を押さえる瀕死の副団長を、部下たちが物陰から生温かく見守っていた。