間話01・暗くなるまで待って
読まなくても本筋に変更ありません。すいません、セリフ多めで長いです。誤字脱字報告、ありがとうございました!
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ある週末。きよ子は真夜中に目を覚ました。若返ってからは中途覚醒などしなかったのに、なぜか眠れなくなった。
(お水でも飲んでこよう)
寝巻きの上にカーディガンを羽織り、同室の人を起こさないように、そっと部屋を出る。正確な時間は分からないが、女子寮の灯りが全て消えているので0時過ぎだろう。窓から月明かりが入るのでランプは要らなさそうだ。
静まり返った廊下を歩いていたら、不意に備品倉庫の扉が開いた。
(!)
きよ子はサッと暗がりに隠れた。おかしい。鍵が掛かっているはずなのに。柱に隠れて覗き見ると、倉庫の中から小さな影が出てきた。影は周囲を見回してから扉を閉め、廊下の窓の内鍵を外して裏庭に飛び降りた。
泥棒だ。でも出て行ってしまった。もしや本館が狙いか。あっちの方が値打ちがある物が置いてあるし。きよ子は後をつけることにした。寮の出入り口に回って外に出てから、影が去った方に向かう。途中で警護兵に会ったら知らせれば良い。
(ひ弱な泥棒の一人くらい。ウチのガードマンなら楽勝よ)
と高を括っていたが、小さな泥棒が裏門の閂を外しているのを見て、仰天した。外から黒ずくめの男達が続々と入って来たのだ。
剣を持っているから強盗である。見つかったら殺されてしまうかも。生垣の裏で息を殺して数えたら、20人いた。強盗達は物音ひとつ立てずに女子寮へと侵入していく。
(使用人通路から本館に入る気だ!)
警護兵の詰め所に駆け込もうか?それとも大声で皆に知らせようか?迷った末に、きよ子は本館の庭を目指して走った。
◇
バルコニーに人の気配を感じて、侯爵令息は瞬時に目覚めた。ガラス扉のカーテン越しに、ほっそりとしたシルエットが見える。誰だ。訝しんでいたら、
「若様。私です」
キコの囁き声が聞こえた。口から心臓が飛び出るほど驚いた。
「お願いです。開けてください」
「ちょっと待って。心の準備が…」
ジェラルドは胸を押さえて起き上がった。慌ててガウンを羽織り、ランプを点けて寝癖がついていないか鏡で確認する。
昼間は何事もなかったけれど。『急に若様に会いたくなって…』とか?参ったな。何て大胆なんだ。暗くなるのを待って忍んでくるなんてーーそこまで妄想して、彼は、はたと気づいた。
「ここ3階だぞ!?」
サッとカーテンを引いて扉を開けると、キコが人差し指を唇に当てて『静かに』という仕草をした。緩く編んだ三つ編みに葉っぱがいくつもくっ付いている。
「まさか木を登ってきた?」
驚くジェラルドに頷き、彼女は小さな声で報告した。
「強盗です。20人が女子寮の窓から侵入しました。使用人通路から本館に向かっています」
途端に副団長の頭は冴えた。キコの話では、何らかの方法で先に侵入した賊が、裏門から仲間を引き入れたらしい。彼女は謝った。
「申し訳ありません。警護兵より若様に知らせた方が早いと思って」
「いや。良い判断だ。通路はどこに出る?」
「本館1階の使用人女子トイレの脇です」
「…」
全く分からん。子供の頃に侍女長に怒られたので、その辺りは探検したことが無かったのだ。仕方なくキコに案内させることにした。二人はまず、2階の侯爵夫妻の寝室に向かった。
♡
お館様はきよ子の話を聞くと、すぐに妻子に命じた。
「ではジェラルドは賊を頼む。私が警護に知らせる。君はこの部屋から出るな」
「キコもここにいたら?」
奥方様はそう言って下さるが、若様を案内しなければならない。きよ子は丁寧に辞退した。
「ありがとうございます。でも、私がいないと若様が迷ってしまいます」
「ほほほほ。とっくにキコに血迷ってるわよ」
「は?」
「母上!ほら、行くぞ!」
若様がきよ子の手を引き、足早に部屋を出る。ちょっと今の比喩は理解できなかった。だが考える間もなく、目的の女子トイレ横に着いた。本館へ通じるドアには、夜間は鍵が掛かっている。向こう側の強盗団はそれを解錠している最中だった。ギリギリ間に合った。
「後は俺がやるから、君は母の元へ」
と言い、若様はドアの前に仁王立ちになった。グイッと右腕の袖を捲り、前に突き出す。
(何してるんだろう?)
首を傾げたその時、開いたドアから強盗団が雪崩れ込んできた。逃げ損ねたきよ子は柱の影に隠れた。
「ぎゃあああっ!」
若様の掌から炎の玉が打ち出され、先頭の男が炎に包まれる。魔法だ。初めて見た。
「死にたくなければ、武器を捨てろ」
警告されたのに、頭目っぽい男は剣を抜いて叫んだ。
「怯むな!貴族は一人だ!やっちまえ!」
たちまち若様が囲まれてしまう。それを見たきよ子は、そばにあった掃除用具入れからモップを取り出した。
(今から人を殴ります。神様仏様、どうかお赦しください…)
暴力と無縁に生きてきた女は、ぎゅっと柄を握りしめて祈った。だが10秒もしないうちに若様の声が聞こえた。
「キコ?終わったよ。出ておいで」
いつの間にか廊下の壁ランプが灯り、賊は全員倒れていた。何が起こったのか、さっぱり分からない。若様が奴らを倒したことだけは確かだ。そこへお館様が警護兵を連れてやってきた。手首を縛られた小さな賊を引っ立てている。倉庫から出てきた奴だろう。
「生きてるな?」
お館様は床を一瞥して訊いた。若様はいつもより冷たい声音で答えた。
「はい。肺の空気だけ燃やしたので。その者は?」
「裏門で見張りをしていた。搬入された荷に潜み、暗くなるのを待って仲間を引き入れたんだろう。やれやれ、チェック体制を見直さんとな…おい」
「はっ!」
この場で尋問するらしい。お館様が命じると、警護兵は小さな賊の覆面を剥いだ。出てきたのは浅黒い肌の黒髪黒目の少年だった。痩せ細った手足が痛々しい、哀れな浮浪児であった。
「エクラン人ではないな。ムガール人か?」
若様の問いに、少年は震えながら頷いた。ムガールは南の隣国だ。飢饉で多くの難民が生まれたと聞く。
「こいつらも同じか?」
今度は首を振る。警護兵が倒れた賊共の覆面を剥いだが、浅黒くはなかった。
「そう言えば、近頃、似たような手口で押し入る賊の話を聞いたな。お前たちの仕業か?」
「し…知らない…」
「搬入時の検査をどうやってすり抜けた?」
「分からない…」
少年は何を聞かれても知らない、分からないしか言わない。可哀想に、若様が怖くて言葉が出てこないのだ。きよ子は遠い昔を思い出していた。どんなに苦しくても息子達を飢えさせたことはない。粗末な食事しか出せなかったが、この子よりもずっと肉がついていた。
「あの子はどうなるの?」
きよ子はこっそりと警護兵に尋ねた。兵は賊共を縛りながら、淡々と言った。
「全員死刑だな。侯爵家に押し入ったんだから」
貴族は裁判無しに罪人を処罰する権利がある。賊の頭は王都守護隊に引き渡すが、他は刑場に連行され、見せしめに首を晒されるだろう。
「貴族を舐めるなって事さ」
彼女は堪らず、少年と若様の間に飛び込んだ。
「お願いです!この子はお助けください!」
◇
キコは少年を庇うようにジェラルドの前に立った。いつも冷静な彼女が今にも泣きそうな顔で懇願する。
「こんなに痩せた子、下町にもいません。きっと難民なんです。悪い大人に騙されて、利用されたに違いありません。どうか、どうか命だけは」
「…生かした所で、同じ事をしないという保証は無い」
父が厳しい顔で言った。だがキコは頭を深く下げ、
「お腹が空いていたんです。もうしません。ですから、今回だけはお見逃しください…ほら、あなたも頭を下げて!」
まるで母親のように少年の頭をグイッと押した。『どうする?』という顔で父がジェラルドを見やる。助けてやりたいのは山々だが、生ぬるい対応はできない。するとキコは父の足元に伏して命乞いした。そんなに救いたいのか。
「お願いです、お館様。若様のお風呂の世話でも、何でもいたします」
(そんなに嫌なのか…)
ジェラルドは胸を押さえてよろめいた。父は呆れたように言った。
「“何でも”なんて言っちゃいかんよ。若い娘が。ウチは健全なんだから」
気持ちを切り替え、息子はある提案をした。
「父上。ではアレをいたしましょう」
「そうだな」
ジェラルドは少年の肋の浮き出た胸に手を翳した。少年は熱さと痛みで悲鳴を上げる。すぐに手のひら大の魔法陣がくっきりと刻印された。
「3日もすれば薄くなり、見えなくなる。だが消えたわけじゃない。この魔法は一生お前を見張るんだ。また悪事ーー悪いことをしたら、一瞬でお前の心臓を燃やすぞ。忘れるなよ」
と脅すと、少年はコクコクと何回も頷いた。そして警護兵に連れられていった。これで一件落着か。ふとキコを見ると、まだ床に手をついて、青い顔でジェラルドを見上げていた。
「どこまで許されるんですか?」
「ん?」
彼女は真剣な顔で訊いてきた。
「カエルのお尻に麦藁を刺して破裂させるとか。梅酒の実だけ全部食べて酔っ払うとか。女の子のスカートを捲って泣かせるとか。俺の右手には魔王が封印されてるって阿保な嘘をつくとかは…」
やけに具体的だ。男兄弟がいたのかな。ジェラルドは種を明かした。
「大丈夫だよ。アレは悪い事をした子供を戒める幻覚魔法なんだ」
さらに父が笑いながら息子の悪戯話を披露した。
「そうそう。説教しても懲りないだろ?貴族の子なら1回はやられるよ。ジェラルドも6歳ぐらいの時、庭園の椿の蕾をみんな捥いでしまってね。カンカンに怒った母親にやられてたな」
学校の友達が教えてくれるまで、また悪い事をすると死ぬと本気で信じていた。
「ほら。立ってキコ」
手を差し出すと、キコはようやく立ち上がった。それから深く頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございます。お館様、若様」
もういつもの静かなキコだった。少し残念に思いつつ、ジェラルドは彼女の髪についた葉っぱを取ってやった。すると白い頬がほんのりと色づいた…ような気がした。
♡
強盗騒動の数日後、きよ子は金一封を貰った。いち早く賊を発見して知らせた褒美だそうな。大金貨3枚だから30万円ぐらいか。多すぎる気がしたが、お館様が、
「使用人が誰も被害に遭わなかったんだ。安いもんだよ」
とおっしゃったので、ありがたく頂戴した。でも警護兵の皆さんの面子を潰してしまったのではないか。お詫びにクッキーを焼いて詰所に差し入れたが、杞憂だった。
「全然気にしてないよ。搬入物の確認が甘かったわけだし。おっ。綺麗な模様だね」
ココアを練り込んだ生地と普通の生地で市松模様にしてみたのだ。図らずもダジャレになった。ふふ。
休憩中の警護兵たちは喜んで食べてくれた。きよ子はムガール人少年のその後を尋ねた。
「あの子はどうなったんですか?」
「パルデュー家が支援してる孤児院に入ったよ。本当は外国人はダメなんだけど。侯爵閣下がねじ込んで、何とかね」
良かった。街に放り出されたら、すぐまた悪事に手を染めるだろう。しばらくは、あの焼印がこけ脅しだと気づきませんように。ついでに強盗団のその後も教えてくれた。
「大人の方は前科有りだったから、全員、縛り首だってよ。若君が随分手加減してやったみたいなのに」
それを聞いて、きよ子は思い出した。
「ところで、若様はどうやって奴らを倒したんでしょう?」
「見てたんだろ?」
「気づいたら倒れてたんです。魔法みたいに」
「だから魔法だよ」
火の玉は見たけど、一瞬で敵を倒す魔法があるんだ。もしかして、若様って物凄く強いのでは?と訊いてみたら、皆、真顔で頷いた。
「べらぼうに強い。剣も魔法も王国一…いや、世界一かもしれない」
士官学校時代はずっと首席。武闘大会でも優勝すること十数回。数々の手柄を挙げて、あっという間に副団長になった。いずれは騎士団長になるだろう。最高の御曹司だ。誇らしげに語る彼らに、同じ侯爵家に仕える身として大いに共感した。
「何と言ってもお優しいし…若様は素晴らしい方ですよね」
キコが頷いて賛同すると、彼らはますます褒め称えた。
「だろ?男前だし。惚れちゃうだろ?」
「あんな立派な貴公子が花嫁募集中だよ?どうよ?」
本当に愛されてる。その若様に花嫁…彼女の瞼に若様そっくりの幼児がよちよちと歩く姿が浮かんだ。絶対に可愛い。きよ子は手を挙げて宣言した。
「私、お子様のお世話係に立候補します!」
「…」
マッチョなガードマン達は、なぜか渋い顔をして黙った。
◆
侍女が去った後、警護兵達の緊急会議が開かれた。先ほどの会話で分かった。若君は彼女に全く意識されていない。
「ダメだこりゃ…」
「強さより優しさが響くようだ」
「奥方様に報告します?」
使用人達は侯爵夫人と侍女長に、美貌の侍女と若君を恋人にせよと厳命されている。だが今の所脈は無い。ジェラルド様は奥手だし、キコ嬢は鈍感だし。
「前途多難だな」
全員の『はあーっ』というため息で、会議は締めくくられた。
♡
翌週、きよ子は孤児院を訪ねた。あの少年がちゃんと食べているか心配だったのだ。
(確か給食費が月3千円だったわね。一食150円だとして、一か月あたり1万4千円くらいかしら?)
一年分で大金貨1枚と小金貨7枚弱か。金一封も出たので、寄付するつもりで用意してきた。しかし、
「ご安心を。侯爵様から5年分を既にいただいております」
と院長に言われてしまった。何と大金貨20枚。さすがお館様、太っ腹だ。素朴だが清潔な院長室からは貧しい感じはしない。出されたお茶も美味しいので、良い孤児院だと思う。
「では些少ですが、これで絵本や文具でもお買いください」
きよ子は寄付金を差し出した。品のいい中年女性は笑顔で受け取ってくれた。
「ありがとうございます。あの子に会いますか?」
「いえ。怖がらせそうですし。遠くから見るだけで結構です」
健康状態だけ確認して帰ろうと思ったが、院長に強く薦められた。
「そう仰らず。ぜひ会ってやってください…実は、未だに一言も喋らないんです。名前も言わないので“ムガール”と呼ばれていて」
「虐められている?」
「いずれそうなるでしょう」
仕方なく、きよ子は少年に会うことにした。袖振り合うも他生の縁、こうなったら、とことん付き合うしかない。
他の子供達は庭で遊んでいるのに、あの少年は隅っこの木に寄りかかってぼんやりしていた。
「こんにちは」
きよ子が声をかけると、ビクッと体をこわばらせた。少しふっくらとして、こざっぱりとした格好をしている。洗って綺麗になった黒髪はサラサラのセミロングで、なかなかの美少年だ。
「元気そうだけど。なんで名前を教えないの?」
直球で訊いたら、少年は不機嫌そうに答えた。
「…エクラン語、よく分からない」
「そうなの?若様と話してたじゃない」
「ムガール語だった」
そうだったかしら?首を傾げていると、少年はそっぽを向いたまま言う。
「あんたも喋ってる。でもここの奴らは、できない」
神隠しの恩恵なのか、きよ子には全て日本語に聞こえる。だが四六時中彼のそばにいて通訳してやるわけにもいかない。
「院長先生に相談してみるけど、君も努力してみて。身振り手振りでも、案外通じるものよ。じゃあね、アトレーユ。また来るわ」
ポカンと口を開けている少年に別れを告げ、彼女は院長室に戻った。相談した結果、ムガール語ができる爺さんが近所にいるらしく、その人に少年の教育を頼んでみることになった。きよ子の寄付金が役立ちそうだ。
「おばさん」
門を出て帰ろうとしたら、数人の子供達に引き止められた。
「なあに?」
「ムガールの家族なの?」
「違うわよ。それに、あの子はムガールって名前じゃないから」
「じゃあ、何?」
「アトレーユ。彼はこの国の言葉ができないの。勉強するから、優しくしてね」
きよ子はスカートのポケットから賄賂の飴玉を出して配った。子供達はその場で食べてしまった。証拠隠滅で包み紙を回収する。ふっふっふっ。これでこの子らはきよ子の味方だ。
それから度々、彼女は孤児院を訪れた。
◆
「キコが最近、孤児院に顔を出してるらしい。ほら」
パルデュー侯爵は妻に院長からの手紙を見せた。
「例の少年を気にかけているようだ。報奨金もほとんど寄付してしまって。お人好しだな」
「へえ…キコはムガール語ができるの。どこで習ったのかしら?」
妻は別のところに興味を持った。そう言われれば、外国語を習得する平民は珍しい。謎が多い娘だ。
「ジェラルドもたまに慰問に行ってるわよね?偶然を装って二人を会わせてちょうだい。キコは優しい男が好みのようだから」
「…そこまでするのか?」
こういうのは自然に任せたほうが…と夫はそれとなく諌めた。しかし妻は、
「嫌よ。絶対、三年以内に孫を抱っこするんだから」
と悔しそうに言った。また茶会で孫自慢を聞かされたな。しかたない。侯爵は侍女長からキコの予定を聞き、息子に適当な用事を言いつけた。そして心の中でぼやいた。
(それもこれも、お前が結婚せんからだ。気張れ。息子よ)
♡
きよ子が孤児院の表門から入ると、立派な馬が3頭繋がれていた。彼女は馬の世話をしている少女に声をかけた。
「お客様が来ているの?」
「騎士様だよ。いつも剣を教えに来てくれるの」
「へえ」
ちょっと覗いてみよう。裏の庭に回って木陰からそっと見ると、軍服っぽい服を着た大きな男が3人いた。木刀みたいな棒で子供達に稽古をつけているようだった。
「もっと腰を入れて!次!」
聞き覚えのある声がしたので、よく見たら若様だった。騎士団の制服姿を初めて見た。なかなかどうして格好良い。肩章が他の2人より豪華だから階級が上なのがすぐ分かる。
浅黒い肌の少年が別の騎士に打ち掛かった。すぐさま流され、たたらを踏む。しかし諦めずに相手の脚を狙っていった。素人目にもガッツがある。騎士も笑顔で褒めた。
「良いぞ!身長差を活かせてる!」
とは言え、あっさり尻を木刀で叩かれて交代した。掛かり稽古が終わると、子供達は2人1組になって型みたいな動作の練習を始めた。騎士達は個別にアドバイスを与えてゆく。案外、本格的だった。最後は整列し、若様に続いて騎士道精神を唱和していた。
「勇気と忠誠、名誉と礼節を重んじ、貴婦人への献身を誓います!」
軍隊みたいでちょっと怖い。その後、騎士と子供達は戯れるように遊び始めた。
「どうだ?もう慣れたか?」
きよ子が隠れる木陰の前で、若様は浅黒い肌の少年に話しかけた。聞き耳を立てていると、
「エクラン語で良いです。もう大体分かります」
少年は敬語で答えた。成長している。きよ子はハンカチで目頭を抑えた。
「凄いな!俺なんかムガール語が聞き取れるまで一年以上かかったぞ。剣の筋も良い。このまま頑張れば士官学校だって入れるよ」
さすが副団長、褒めて伸ばすのが上手い。若様は少年の頭をクシャっと撫でた。撫でられた方は遥かに背の高い騎士を見上げて言った。
「…そうすれば、キコのそばにいられますか?」
「え?」
「キコは貴婦人でしょ?僕、立派な騎士になって彼女を守ります」
「君、何歳?」
「10歳。歳は関係ありません。あなたより強くなる。絶対に」
二人の間に沈黙が落ちる。まずい。あの子の助命を嘆願し、語学教師代を出したのは確かにきよ子だが、罪をうやむやにして孤児院に入れ、養育費を出したのは侯爵家だ。つまり少年は若様に感謝すべきなのだ。きよ子はこの場で正そうか迷った。
しかし、若様は鷹揚に笑って尋ねた。
「そうか。…君の名前は?」
少年が答える前に別の子供達が乱入してきた。
「アトレーユだよ!僕も!僕もキコの騎士になりたい!」
「俺も!あんな綺麗な人、見たことないもん」
「キコは凄いんだよ。痛いの痛いの飛んでいけって、治しちゃうんだ」
「きっと本物の妖精なんだよ!」
なんて良い子達。陰で聞いていた本人は胸が熱くなった。ご褒美の飴は足りるかしら。そこへ院長が出てきて一礼する。気づいた若様は子供達に別れを告げた。
「なら勉強も稽古も頑張れ。そうすれば、きっと立派な騎士になれるさ。今日はここまでだ。じゃあな、アトレーユ」
「バイバーイ!」
子供達は手を振って見送った。若様が院長室へと入ったのを確認し、きよ子は庭に出て行った。たちまち子供達に囲まれたが、飴を配って黙らせると、彼女はムガール人少年を捕まえて説教した。
「若様に何て失礼な口を聞くの。生きてここにいられるのは、全てお館様と若様のお陰なのよ。感謝しなきゃダメじゃない」
「…」
「あなたの気持ちは嬉しいわ。ありがとね。私も外国人だから、今すぐ養子を取るのは難しいと思う。でも5年真面目に働けば国籍が貰えるそうなの。待っててね。アトレーユ」
長いまつ毛に縁取られた黒い瞳が大きく見開かれた。肌の色こそ違えども、同じ黒髪黒目、きっと親子に見えるだろう。だが少年は顔を歪めて拒絶した。
「違う!俺はキコの息子になりたいんじゃない!」
と言って走り去ってしまった。え?じゃあ何?久しぶりの思春期の癇癪に、きよ子は面食らった。結局、今日は子供達と遊ぶ気になれず、早々に帰ることにした。
◇
副団長が父親から託された書類を院長に渡し、外に出たらもう日暮れだった。王城までの道を馬で走っていると、ほっそりとした女性が前を歩いていた。追い越しがてらチラリと見たら、
「キコ?!」
慌てて馬を止めて引き返す。彼女は顔を上げて彼を見た。
「若様」
「どうした?もうすぐ暗くなるぞ。危ないじゃないか」
「すみません。いつもなら護衛の方が迎えに来るまで孤児院にいるんですが、今日は早めに出てしまって。そのうち出会えるかなと思って…」
何だかぼんやりとして元気がない。副団長は馬を降りた。部下2名も降りて手綱を引いて歩いてきた。
「いつも若様がお世話になっております」
キコは部下に頭を下げた。
「いえ、その。我々こそお世話になってます」
彼らは顔を赤くして答えた。副団長は少しだけムッとした。夕日に照らされた彼女があまりに美しくて、誰にも見られたくなかったのだ。
「お仕事中ですよね?構わず行ってください」
と彼女は言うが、こんな田舎道に一人で置いて行ける訳がない。仕方ない。ここは二人乗りだ。副団長は先に騎乗し、キコを引っ張り上げて後ろに乗せた。
「しっかり掴まって。大丈夫。走らないから」
3頭の馬はゆるゆると歩き出した。浮かない様子だった彼女は、だんだんと楽し気になってきた。
「結構揺れますね!お尻、痛くならないんですか?」
「最初は痛いよ。…孤児院で何かあった?」
気になったので尋ねたら、彼女はムガール人の少年を怒らせてしまった、養子に迎えたいと申し出たら拒否された、と寂しそうに言った。
「あの年頃の男の子って難しいですね…」
副団長は絶句した。鈍い。鈍すぎる。あの子は男としてキコのそばにいたいと言ったんだ。一丁前にジェラルドを牽制して。それがどうして養子縁組になるんだ。その時、前方から二輪馬車が来た。それに気づいたキコが呼びかける。
「あ、ハリソンさん!」
侯爵家からの迎えだった。護衛の手を借りてキコは馬を降り、馬車に移った。急に背中が寂しくなる。今日は王城の宿舎に戻るから、彼女とは途中で分かれた。
「若様、ありがとうございました。皆様もお気をつけて」
「ああ。君も」
日も落ちてすっかり暗くなった。騎馬は駆け足で帰路に着く。地方に派遣した捜索隊員がそろそろ戻る時間だ。果たして聖女の足跡は見つかったのか。もう彼の頭の中は仕事でいっぱいだった。
(あれ?さっきの御者、ハリソンなんて名前だったか?)
少しばかりかすめた疑問は、あっという間に忘れられてしまった。