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04 黒い瞳

            ♡



 きよ子は王都の西から東に移った。こちらはいわゆる山の手地区だ。貴族の屋敷が建ち並び、富裕層向けの店が集まっている。数日、街の様子を探ってから口入れ屋に行ってみたら、保証人がいないので日雇いの仕事しかないと言われた。それでも構わなかったので、きよ子は毎日違うお屋敷の下働きに行った。


 庭の草むしりとか厨房の下拵えとか。力仕事ばかりだが、若返ったおかげで難なくこなせる。屋台の売り子より賃金も高くて、その点は良かった。


「侍女が回収した食器を洗い場まで運んで。お客様に姿を見せないように」


 今日は貴族のお屋敷の宴会仕事だ。侍女長という女性が説明してくれる。きよ子以外にも数人の日雇いがいた。夕方から夜半までの数時間で日給をもらえるそうだ。


 きよ子たちは会場の裏手と洗い場をひたすら往復した。高そうな食器をカートで運ぶだけの簡単な仕事だった。


「大体終わったわね。あなたたちはもう上がって良いわよ。あちらに食事を用意してあるから、どうぞ」


 思ったよりも早く終了を告げられた。他の日雇い仲間は賄いを食べてから帰ると言う。きよ子はそれほど空腹ではなかったので、先に帰ることにした。しかし裏門に続く庭を歩いていた時、声を掛けられた。


「ちょっと君。グラスを下げてくれ」


 庭に面した部屋の窓から若い男が呼んでいる。


(それは侍女の仕事なんだけど。面倒くさいなぁ)


 と思いつつ、きよ子はお屋敷に戻った。渋々、その辺にあったカートを押して呼ばれた部屋のドアをノックした。


「失礼します」


 綺麗な小部屋では、酔った男がだらしなくソファに寝そべっている。


「失礼しました」


 淡々とグラスを回収し、部屋を出ようとしたら、いつの間にか男が至近距離にいた。いきなり顎を掴まれ、きよ子はギョッとした。


「君。ここの侍女?」


「いいえ」


 男の顔が近づいた。彼女はやっと気づいた。婦女子の大ピンチだ。



            ◇



 副団長は普段、騎士団の独身寮で寝起きしている。実家である侯爵家に帰るのは月に数回程で、聖女の捜索が始まってからは殆ど帰っていなかった。親に呼ばれたので久しぶりに顔を出すと、侯爵家主催の夜会に出席しろと言われた。


「ほら。たまには息抜きも必要よ~」


「令嬢も沢山来るぞ~」


 早く結婚しろと両親の顔に書いてある。確かに20代後半にもなって婚約者もいない貴族は珍しい。しかし瘴気問題が片付くまでそれどころではない。世界が滅ぶかもしれないと言うのに。


 結局、親がうるさいので夜会に出たが、長い時間作り笑顔でいたら気疲れしてしまった。副団長は使用人しか通らない裏庭のベンチで休息していた。そこで不思議なものを見た。


(…妖精?)


 見知らぬ黒髪の女性が歩いている。お仕着せを着ていないから、臨時雇いか。滑らかな白い肌は年齢がよく分からない。とにかく細い。人間とは思えないほど厚みのない身体をしている。ぼんやりと見ていたら、男の声が聞こえた。


「ちょっと君。グラスを下げてくれ」


 女性は少し顔を顰めて屋敷に戻っていった。副団長は嫌な予感がした。こっそりと後をつけると、案の定、酔っ払いが乱暴を働こうとしていた。



            ♡



「やめてくださいっ!」


 きよ子は顔を背けて、男の唇を避けた。しかし、あっという間に床に押し倒された。服を脱がされまいと抵抗したら()たれた。口の端が切れて血が出る。


「何をしている!」


 急に酔っ払いの体が吹っ飛んだ。なぜかグレゴリーがいた。彼が奴を突き飛ばしたようだ。助かった。

 

「貴様。俺の家でよくもこんな真似を」


 きよ子と男の間に立ちはだかり、押し殺した声でグレゴリーは言った。卑劣漢はふらふらと立ち上がった。


「ああ。侯爵令息でしたか。失礼しました。一緒に楽しみませんか?」


「何?」


 淫魔がゾッとするほど邪悪な誘惑を囁く。


「ご覧なさい。この細い腰。極上の快楽を保証しますよ」


 狂ってる。きよ子はへたり込んだまま後退った。


「…」


 グレゴリーの背中しか見えない。顔が見えないのが怖い。だが次の瞬間、卑劣漢の顔にグレゴリーの右ストレートが決まった。




            ◇



 男は気絶した。とんでもない下等生物だ。副団長は召使いを呼んでゴミを片付けさせた。どこの家門か知らないが、厳重に抗議する。


 黒髪の美しい女性は震えながら胸を押さえていた。唇には血が滲み、黒曜石の瞳はうっすらと潤んでいる。可哀想に、怖い思いをさせてしまった。


「血が…」


 ハンカチを差し出すと、彼女は受け取った。


「ありがとうございます。あの、もう帰っても良いでしょうか?」


「大丈夫かい?」


「はい。グ…侯爵令息。ありがとうございました。このご恩は一生忘れません。ハンカチも洗ってお返しします」


 女性は深く頭を下げた。副団長は裏門まで彼女に付き添い、ほっそりとした後ろ姿が見えなくなるまで見送った。黒い瞳がいつまでも心に残った。



            ♡



 自分の認識は甘かった。安宿のベッドに寝転びながら、きよ子は反省した。


(年寄りだったから、今まで無事だったんだわ)


 あの卑劣漢は侍女かどうか確認した。日雇いの女などゴミ屑と一緒なんだ。これが差別されるという事か。人間以下の扱いを受けたのは初めてだった。悔しい。でもグレゴリーがやっつけてくれたので、少しは溜飲が下がった。


(東洋人は若く見られるって本当なんだ。気をつけなくちゃ)


 でも、世の中悪い人ばかりじゃない。グレゴリーみたいな正義の人もいる。また彼に助けられた。きよ子は借りたハンカチを眺めた。血のシミができてしまった。漂白剤とか無いだろうなあ。大根のしぼり汁が良いんだっけ。明日試してみよう。そんなことを考えているうちに眠ってしまった。


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