間話06・甘い生活
間話その6です。読まなくても本筋に変更はありません。きよ子と若様のデートです。
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健康診断の結果は良好だった。きよ子は再び日雇いに戻ろうと考えていたが、
「魔法の修行をしろ。魔力を制御できなければ、感情が爆発する度に死にかけるぞ」
と神官長に脅され、仕方なく神殿で暮らし始めた。皆に『聖女様』と呼ばれ、下にも置かない丁重さでもてなされる。絹のドレスが山ほど作られ、三食、食べきれないご馳走が並べられる。
住まいも『聖女宮』という豪華絢爛な屋敷で、おまけに召使いが百人もついた。きよ子は神官長に訴えた。
「こんなに要りません。自分のことは自分でします」
だが爺さんは承知しない。
「千人でも足りぬ。お前は聖女だぞ。女王のように暮らせ」
「無理です。国民の血税でしょ?」
「違う。神殿資産の運用益だ。心配することはない」
だからって無駄な贅沢はいかがなものか。きよ子は考えに考え抜いて、24名を採用した。早番・日勤・遅番・夜勤の4交代、完全週休2日制だ。
諸々落ち着いたので、侯爵家に挨拶に行くことにした。向こうのご都合を手紙で伺って、訪問の約束をして…というのを召使いがやってくれる。きよ子は当日馬車に乗るだけだった。護衛は、白い鎧に身を固めた神殿騎士10人以上だ。
「少し大袈裟じゃない?すぐそこよね?」
護衛隊長に尋ねたら、これでも少ない方だと言う。仕方なく騎馬に囲まれ、大名行列で向かったが、たったの5分で着いた。
「ようこそお越しくださいました。聖女様」
玄関ホールにはズラリと使用人達が並んでいた。執事長の恭しい態度が、ものすごく落ち着かない。きよ子はいつも通りの挨拶をした。
「ただいま、戻りました」
執事長は頭を振って言い直してくれた。
「お帰りなさい。キコ」
途端に侍女仲間が、わあっと寄ってきた。皆、涙を浮かべてきよ子の帰還を喜んでくれた。
「心配かけてごめんね。これ、お土産。神殿名物の匂い袋よ」
再会を喜び合い、お土産を配り終えてから、一番良い応接間で奥方様とお会いした。
「お帰りなさい!キコ!」
会うなり、奥方様はぎゅうっと強くきよ子を抱きしめた。少し痩せたような気がする。
「申し訳ありません。私、死んでしまって…」
変な謝り方をしたら、奥方様は笑った。
「ありがとう。ジェラルドを無事に帰してくれて。生き返ってくれて」
それから、お茶を飲みながら、きよ子が留守の間にあった事を話してくれた。沢山のご夫人や令嬢が寄付をしてくれたそうだ。葬儀にも多くの人が集まっていた。芳名帳とかあればお礼の手紙を出そう…葬儀で思い出した。
「このドレス、お返しした方が良いですよね?」
ダイヤがいっぱいついた白いドレスを差し出す。おそらく高級品だから、返そうと思って持ってきたのだ。
「あら。キコが持っててくれて良いのに。どうせ結…」
「はい?」
聞き返すと、一瞬、奥方様の笑顔が固まったように見えた。
「いいえ。何でもないわ。一旦、預かるわね」
その後、神殿での慣れない贅沢暮らしについて話したりして、あっという間に帰る時間になってしまった。帰りも5分だった。
◇
週末。副団長はいつも通り実家に帰った。しかし、中に入れてもらえなかった。門番がすまなさそうな顔で手紙を差し出す。馬上で読むと、母が激怒していた。
『何故、未だ求婚していない?この大馬鹿者め。女がいつまでも待つと思うな。どこぞの馬の骨に奪われても良いのか。早く了承を取ってこい。それまで帰ってくるな』
という内容だった。
「え?キコが来たの?」
思わず独り言をもらすと、門の柵の向こうでヨハンが答えた。
「昨日の午後ね。いやー。綺麗になって。お土産もらっちゃいました」
護衛の男は香袋をみせびらかした。ジェラルドは慌てて馬を降りた。
「ちょっと神殿に行ってーー」
「ダメダメ。今や国一番の高位女性なんですよ。先触れしないと。今回は特別にこちらで出しておきました。明日の午後3時に聖女様と面会できます。今夜は神官長と会食してください。場所はオテル・ド・エクランのレストランです。支度は向こうに送ってあるので。はい、馬車来ましたよ」
後ろを見ると、いつの間にか馬車がいた。御者がジェラルドを馬車に押し込む。乗ってきた馬は馬丁が引いていった。話の流れが読めず、御曹司は窓から尋ねた。
「なんで神官長と?」
「まずは父親の許可を得るものです。聖女様を保護してるのは神官長じゃないですか」
「なるほど」
「行ってらっしゃい。ご武運を」
馬車は王都の高級ホテル街に向かって走り出した。
◇
レストランの個室で神官長が待っていた。部屋で着替えたジェラルドは、遅れた事を詫びて、席についた。神官長は単刀直入に訊いた。
「用件は?」
「キコと結婚します。どうかお許しを」
「今は駄目だ」
まさか断られるとは思わず、彼はカッとなって立ち上がった。
「何故ですか?!絶対に幸せにします!他に何がーー」
「座れ。魔力が漏れてるぞ。今は、と言っただろう。全く、其方は聖女の事となると、すぐ理性を失う」
ジェラルドは深呼吸をしてから着席した。神官長は極秘情報を明かした。
「ビザンツの邪教徒共が聖女の拉致を計画している。連中も召喚術を行っていたらしい。失敗したようだが」
「初めて聞きました」
「今日捕らえた鼠の情報だからな。…現れたのは犬1匹だと。笑えるな。人間ですらない」
老神官は冷淡に言い捨てた。
「それが、反対の理由ですか?未然に防げたのですよね?」
「これまでに侵入を許した鼠は百以上。神殿騎士団の精鋭で厳重に警護していながら、だ。今のままでは、侯爵家に嫁した途端にさらわれる」
驚いた。キコが復活してまだ2週間。こんな短期間に賊が押し寄せていたとは。それだけビザンツ王国の瘴気はまだ濃いということか。
「瘴気は消してもまた生まれるが、際限なく湧くのなら、原因があるのだろう。安易に聖女を拉致して浄化させようなどーー話が逸れたな。とにかく、そういう事だ。婚約なら構わん。婚姻の時期については、警護の問題と、聖女の修行次第だ」
「本当ですか?!」
喜びの余り、ジェラルドはまた魔力の制御を誤った。テーブルに飾ってあった生花を、一瞬で乾燥花にしてしまったのだ。神官長は眉間に深い皺を寄せ、無言で元に戻した。食事の間中、懇々と説教をされたが、彼には全く聞こえていなかった。
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若様から面会の申込みがあり、きよ子は茶の支度を整えて待っていた。会うのは2週間ぶりだ。修行ばかりでストレスが溜まっていたから、とても楽しみだった。
(何を話そうか?お屋敷は行ったばかりだし、孤児院の様子とか?)
そわそわしていたら時間になった。
「パルデュー副団長様がお越しです」
「お通しして」
ドアが開き、キラキラした軍服姿の若様が花束を持って現れた。きよ子は驚いて声を上げた。
「まあ!それが礼服ですか?」
「そう。第二礼装」
「よくお似合いです!その肩のフサフサ、触っても良いですか?」
「?良いよ」
きよ子は金色の房を撫でた。宝塚の衣装みたいで素敵だ。若様の男らしい美貌と気品を、最高に引き立たせている。
応接間に案内しながら、騎士団に挨拶に行けなかったことを詫びた。
「申し訳ありません。警備がどうとかで、出られなくて。お元気でしたか?」
「元気だったよ。事情は神官長から聞いてる。鼠が多いんだってね」
若様は優しく笑って許してくれた。でも、神殿ってそんなに鼠が多いのかしら。見たことないけれど。
「可愛い鼠なら見てみたいです」
「どうだろう。可愛くは…そんな話をしに来たんじゃない。キコ」
「はい」
若様は立ち止まり、真剣な顔できよ子を見た。彼女も背筋を伸ばして見つめ返した。数秒、睨めっこをして、もう限界と目を伏せようとしたら、
「結婚してほしい」
爆弾が落とされた。
「ええっ?!」
きよ子の魔力が爆発した。花束の花はぐんぐんと成長しながら増殖する。観葉植物も鉢を割って根を伸ばす。あっという間に、応接間はジャングルと化した。
「…そんなに嫌なのか…」
傷ついた表情で、若様は肩を落とした。きよ子は大声で否定した。
「違います!」
すると、ポポポポポンっと一斉に蕾が開き、二人の周囲はピンクで埋め尽くされた。
「ご、ごめんなさい。コントロールが…」
何とか植物を退かそうと頑張ってみたが、全く動かない。それどころか、花が喋り始めた。
『好キ!』
『若様、大好キ!』
(ひいいいいいっ!やめてーっ!)
「…本当に?」
あまりの恥ずかしさに、両手で顔を覆う彼女を、若様は抱き寄せた。
「俺と結婚してくれるね?キコ」
「…はい…」
万事休す。きよ子は頷いた。
「これは一体、何事だ?!」
そこへ神官長が駆けつけ、魔法でジャングルに穴を開けた。結局、大騒ぎになってしまい、二人は延々と怒られた。
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後日、侯爵夫妻と神官長立会の下、婚約申請書みたいな書類にサインをした。国王陛下のお許しを求めて送った使者は、その足で許可証を持って帰ってきた。お館様が根回ししてくれたのか、異様に早い。何はともあれ、きよ子は正式に若様の婚約者となったのである。
両家で和やかに茶を飲んでいると、神官長とお館様が、聞き捨てならない会話をしていた。
「では持参金は大金貨10万枚ということで」
「承知しました」
「あの。それはいくら何でも多過ぎるのでは?」
きよ子が思わず口を挟むと、神官長は尊大な口調で答えた。
「多くない。新居の増築や警備兵の増員が要る。何度も言っているだろう。其方は聖女だ。並の扱いでは誰も納得しない」
「…」
何度聞いても、爺さんの理論が腑に落ちない。何しろ、こちらは筋金入りの庶民なのだ。絹の布団で寝起きして召使いに傅かれても、罪悪感が常にある。
(良いんだろうか。こんな贅沢して)
その思いは、日に日に大きくなっていった。
◇
数週間後の朝。実家で眠っていたジェラルドは、優しい声に起こされた。
「若様。朝ですよ」
「…今週は忙しかったんだ。もうちょっと寝かせて…」
カーテンが開けられ、彼は光から顔を背けた。
「朝食はこちらで召し上がりますか?ジュースは何にしましょう?」
「うん…リンゴジュースで…はっ!」
御曹司は飛び起きた。ベッドの横に、侍女の制服を着たキコが立っている。神殿にいるはずだ。夢か幻か。まさか時間が回帰したのか。いや、机の上の、読みかけの本は昨夜のままだ。じゃあ両親の悪ふざけ?今は領地に行っているはずだがーー様々なことを考えていたら、ノックと執事の焦った声が聞こえた。
「失礼します!神殿より知らせが!聖女様が…わあああっ!!」
ドアを開けて駆け込んできた執事は、キコを見て悲鳴を上げた。それを聞いて護衛もやってきた。彼は呑気に訊いた。
「あれ?いつ来たんだい?キコ嬢」
◇
神殿からの連絡は『聖女様がお目覚めにならない。至急来られたし』だった。声をかけても揺すっても起きないらしい。
こちらにもう一人のキコがいると知らせたら、すぐに神官長が来た。キコはジェラルドの部屋で静かに立っている。見るなり、神官長は断定した。
「生き霊だ。それほど副団長に会いたかったのか?」
感激したジェラルドは、思わず彼女を抱きしめようとした。しかし、手が突き抜けて触れることができない。仕方がないので、優しく声をかけた。
「先週は手紙だけで、ごめん。寂しかったね」
「…」
「俺も会いたかったよ。今日はゆっくり話そう」
「…」
反応が無い。するとヨハンが提案した。
「多分、違います。何か命じてみてください」
ジェラルドは訳が分からないまま、「キコ。神官長にお茶を差し上げてくれ」と命じた。
「かしこまりました」
キコは慣れた手つきで茶を淹れ始める。彼は驚いて訊いた。
「茶器に触ってる!どういうことです?」
「高度な光魔法で霊体に質量を持たせている。さすが聖女だ。しかし、なぜ急に?」
神官長は考え込んだ。ジェラルドにもさっぱりだ。だが護衛の男は、あっさりとその謎を解いてみせた。
「侍女の制服を着てるでしょう?で、若君の命令にだけ反応する。つまり、働きたいんですよ。キコ嬢は。ユーレイになって元の職場に出ちゃうくらい、労働に飢えてるんです」
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目が覚めたら、なぜか若様と神官長がいた。きよ子は不思議に思いつつも挨拶をした。
「おはようございます。若様、神官長様」
「おはよう。キコ。気分はどう?」
若様が心配そうに訊いた。召使い達は涙を拭いている。何があったのだろうか。
「元気ですよ?」
「良かった」
その後、3人で朝食を食べながら、今朝起こった事件の話を聞いた。全く覚えていない。きよ子は始め、信じなかった。でも執事と護衛も確かに生き霊を見たという。若様と神官長が密かに連れ帰り、『戻れ』と命じたら消えたそうだ。
(本当なんだ…)
彼女はすうっと血の気が引くのを感じた。
「私、夢遊病なんですか?」
「違う。霊体離脱だ。心理的負荷が原因だろう。…それほど仕事がしたいのか?」
爺さんにズバリ訊かれて、きよ子は体を強張らせた。その通りだ。でも言いづらい。
(こんなに良くしてもらっているのに。不満があるなんて)
しかし、何とかしないと、また生き霊を飛ばしてしまう。どうしよう、どうしようと焦る心が、魔力を乱す。すると、
『ソウヨ!何デモイイノ。働カセテチョウダイ』
いきなり、テーブル装花の1輪が喋り始めた。
「何だこれは?!精霊か?!」
驚く神官長に、若様が説明する。
「彼女の本音を代弁する何かです。そうだよな?」
『ソウ。ズット貧乏ダッタカラ、贅沢怖イ。オ金、イツカ無クナル。アト、若様大好キ♡』
「ありがとう。俺も大好きだよ。でも、どうして黙っていたんだ?」
普通に花と会話している。きよ子は必死に止めようとしたが、なぜか声が出ない。こうなったら実力行使、と花を掴もうと手を伸ばしたら、逃げられた。
『オ爺サン、トッテモ大事ニシテクレル。悪クテ言エナカッタ。ゴメンネ』
花はテトテトと歩いて神官長の前に行くと、頭?を下げた。爺さんは花ときよ子を見比べて唸った。
「…他に言いたいことはあるか?花の精霊よ」
『友達ニ会イタイ。孤児院ニ行キタイ。街ヲ散歩シタイ』
「友は神殿に呼べ。孤児院も街も行って良い。ただし、必ず副団長と護衛数名を同行すること。分かったな?」
『アリガトウ!オ爺サン!』
「神官長と呼べ」
『ハーイ』
役目を終えた花は、パタっと倒れ、そのまま動かなくなった。
「あの…」
声が戻った。きよ子は、恐る恐る神官長を見た。
「仕事だな。分かった。今日の修行は休みだ。副団長と気晴らししてこい」
爺さんは花を拾って席を立った。一応、新魔法か分析するそうだ。若様も嬉しそうに立ち上がった。
「じゃあ、評判のケーキ屋に行かないか?買い物もしよう!」
きよ子は急遽、若様とお出かけをすることになった。
◇
キコが支度をする間、ジェラルドは神殿騎士団の護衛隊長と打ち合わせをした。聖女の外出に、隊長は良い顔をしなかった。しかし、いつまでも神殿にこもるわけにはいかない。
「この菓子店と宝飾店は一軒家で警備がしやすい。今、ウチの者が貸切にできるか確認している。女性騎士を2名つけられるか?化粧室も一人にはさせないように」
副団長は東地区の地図を見ながら指示した。隊長は感心したように言った。
「慣れていらっしゃいますね。お忍びで行かれるのかと思いました」
「陛下がよく視察に行かれるからな。お忍びなんてしないよ。危険すぎる。現場の指揮は君に任せるぞ」
「承知いたしました。副団長もデートをお楽しみください」
そうだ。婚約して初めての外出だ。部下に評判のケーキ屋と宝飾店を聞いておいて良かった。洒落たレストランも押さえたし、これで完璧だ。
浮き足立った副団長は、鏡で髪を整えたり、意味もなく歩き回ったりして待っていた。そこへ、
「お待たせしました。出られます」
華やかなドレスを着た女神が降臨した。いつもより首元が見えているのに、宝飾品が無い。後で買おう。
「とても綺麗だ。さあ、行こうか」
ジェラルドは婚約者の手を取ると、人生初のデートに出発した。
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きよ子と若様が乗った馬車は、高級店街にあるケーキ屋さんに着いた。開店直後なのか、他にお客さんは見当たらない。すぐに支配人という男性が挨拶に来た。
「これは聖女様。パルデュー副団長様。お越しいただき、ありがとうございます!ささ。こちらのお席にどうぞ」
通されたのは庭が見える良い席だった。メニューに書かれたケーキは100種類近くある。
「キコは何にする?」
「紅茶と、あと…どれも美味しそうですね。うーん、迷っちゃう」
きよ子が決めかねていたら、若様はウェイターに言った。
「じゃあ全部持ってきてくれ。俺も紅茶で」
「かしこまりました」
きよ子が絶句している間に、ウェイターは下がった。もしかして、この店のケーキって1センチ角ぐらいなのかも。それなら2人でも食べ切れるわね…という希望的観測は、すぐに打ち砕かれた。
大量のケーキがワゴンに乗せられてきたが、どれも普通サイズだった。若様はその1つを指した。
「俺はこのリンゴのにしよう。キコはどれが良い?」
「…えーっと。その横の苺の…」
ウェイターは紅茶と指定したケーキをテーブルに並べた。甘くて美味しい。美味しいが値段が気になる。残った分はどうなるのかも。きよ子は、さりげなく化粧室に立った。
ついでに、女性の神殿騎士達に相談した。
「残ったケーキ、どうすべきかしら?」
「お持ち帰りになれますよ。侯爵家に届けさせてもよろしいかと」
「そうしましょう。ねえ、貴族って多めに注文するものなの?」
女性騎士は首を傾げた。
「自分は男爵家出身なので、何とも。さすが侯爵令息と思いましたが…」
きよ子は『今度、奥方様に訊いてみよう』と判断を保留した。席に戻っても他の客の姿は見えない。貸し切り疑惑も浮上する。
「ご馳走様でした。もうお腹いっぱいです。20個ほど、神殿に持ち帰って良いですか?残りは侯爵邸へ…」
彼女が言いかけると、若様は、
「神殿の聖女宮へ100、パルデュー家に100、届けてくれ。あと、グリフィス孤児院に焼き菓子を100だ」
更に追加発注した。
「かしこまりました!毎度、ありがとうございます!」
支配人は深々と頭を下げる。若様はサラサラと請求書にサインした。値段は見えないが、大金貨2枚は確実だ。
(ま、まあ。職員と孤児院への差し入れだと思えば…)
きよ子は無理矢理納得した。次に2人は立派な店構えの宝飾店に行った。やはり他のお客はいない。
「まああ!聖女様!パルデュー副団長様!よくお越しくださいました!どうぞ、こちらへ!」
賑やかな女性オーナーが奥の部屋に案内する。きよ子はソファに座りながら、疑問に思った。
(あれ?ショーケースを眺めて楽しむんじゃないの?)
オーナーが手を叩く。すると店員が次々とビロード貼りの箱を運んできた。
「今日の聖女様のお召し物には、こちらのダイヤのネックレスなどが…」
「少し石が小さいな」
「でしたら、こちらは如何でしょう?」
目眩がする。若様と店主の会話が遠くに聞こえる。どこにも値札が付いていない。怖すぎる。
一通り、商品の説明を聞き、どれか選ぶようにと言われた。
「婚約記念だから遠慮しないで」
こちらでは、女性に指輪ではなく記念品を贈るらしい。庶民派聖女は、またしても屁理屈を捏ねた。
(高くても仕方ないか。給料3ヶ月分って、昔から言うじゃない)
きよ子は『重いと肩が凝る』と言い張って、華奢なデザインのネックレスを選んだ。それが一番地味で小さな石だったからだ。しかし店主は大喜びした。
「さすが聖女様!お目が高い!最高級のファイヤー・ストーンでございます!」
(ええっ?!)
「へえ。これが。火の魔力が込められるらしいな」
若様は手のひらをかざして、オパールみたいな石に魔力を注いだ。そしてきよ子の首につけてくれた。
「よく似合ってる。懐炉代わりにもなるよ。キコ、冷え症だろう?」
「ありがとうございます…温かいです…」
顔色一つ変えずにサインする若様が、神々しい。超高級カイロを首に下げ、きよ子はヨロヨロと店を出た。
◇
ちょうど昼になったので、ジェラルドはレストランに馬車を回した。人工池のほとりに建つ瀟洒な一軒家だ。宝飾店で疲れてしまったのか、キコは元気が無かったが、ゆっくりと食事を取るうちに顔色も良くなった。
食後の茶を飲みながら、午後の予定を相談する。
「次はブティックでドレスでも見ようか?」
まだ買い足りない男はそう提案したが、キコはブンブン首を振った。
「ふ、服は沢山ありますので!そうだ、お芝居とかどうですか?私、そういうの大好きなんです」
「じゃあ、劇場に行こうか?」
彼女は力強く頷く。従者に調べさせたら、午後の回に間に合うとのことだった。護衛隊長も許可したので、2人は王立劇場に向かった。
開演ギリギリにロビーに入ると、支配人が待っていた。
「これはパルデュー副団長様。聖女様。ようこそおいで下さいました」
「急にすまない」
「滅相もない。さあ、どうぞ」
舞台正面の桟敷席に案内される。ジェラルド達の姿を見て、観客達は一斉に拍手した。キコは驚いたように彼の腕に縋り、小声で訊いた。
「なんか目立ってますよ?」
「仕方ない。君は有名人だから」
席に着いてすぐ、芝居が始まった。演目は『ある侍女の物語』だ。新作の歌劇らしい。2人は何の予備知識もなく見始めた。
主人公は異国の王女。謀反で国を追われ、日雇い仕事で生きている。そして公爵家の夜会で卑劣な貴族に襲われたところを、令息に救われる。
(何だこれ?まるで俺とーー)
「若様…これ…」
完全に、ジェラルドとキコの出会いだった。
◇
馬車に乗るまで、キコはずっと無言だった。副団長の方はデートの難しさを痛感していた。
(まさか俺たちの事が芝居になってるとは。準備が甘かった…)
「…甘かったですね」
キコがポツリと言った。ジェラルドは慌てて謝った。
「すまなかった!次はちゃんとする!」
「いえ、あの、お芝居の事です。あんなにベタベタしてませんよ。私たち」
真っ赤な顔で口を尖らせる。確かに主人公達は、頻繁に手を取るか抱き合っていた。
「芝居だから。大袈裟に演じるんだろう」
「令息が侍女を思って歌う場面も、おかしいですよね?ドラゴンに見つかっちゃう」
「まあ、そんな余裕は無かったな。9割、飯の事を思ってたよ」
「でも歌はどれも良かったです」
「じゃあ、次は同じ作曲家の、別の芝居を観に行こう」
「はいっ!」
キコは嬉しそうに頷いた。それから2人は感想を言い合ったり、たわいもないお喋りを楽しんで、デートは終わった。
その後、聖女と副団長が『ある侍女の物語』を観劇したという噂が広がり、劇場は連日大盛況、支配人から感謝の手紙が届いた。再訪を乞われたが、あの演目だけは二度と観に行かなかった。
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神官長は、きよ子に授与品を企画する仕事を与えた。現状、神殿で販売しているのは匂い袋と数珠くらいで、聖女に因んだ品が欲しいという声が寄せられているそうだ。
「やるからには利益を出すように。赤字分は其方の給料から引くからな」
まずは企画書を出せと、出資者である爺さんは命じた。面白そうな仕事だ。きよ子は喜んで引き受けた。
「はい!絶対、黒字化してみせます!」
「他に言いたい事は?」
「はい?」
ずいっと、神官長は一輪挿しをきよ子の前に押し出した。
「…無いか。花の精霊でも何でも良いから、思いを伝えてくれ。80の其方の方が厚かましくて良かったぞ」
「まあ。神官長様ったら」
「義父上と呼べ」
「えー?」
「何だ。その嫌そうな顔は」
だって、爺さんの方が若いのに。きよ子は笑いを堪えるのに苦労した。
彼女はその後、参道の土産物店と競合しない授与品を考えた。その結果、『聖なる鍋』の販売が決定した。大中小を揃え、壁に掛けて魔除けにしても良し、料理に使っても良し。ただ湯を沸かしただけで、うっすら甘いと大評判になった。