01 聖女召喚
王城地下にある召喚の間。そこでは限られた人間が見守る中、重大な儀式が始まろうとしていた。
『聖女召喚』
数百年間行われた事のない伝説の魔法儀式だ。とてつもない魔力を供給するため、莫大な数の魔石が準備された。神官長が月と星の巡りを計算した結果、今夜が最適だと判断したのである。
聖女を呼ぶ理由は唯一つ。瘴気だ。
日ごとに増え続け、もはや神官達が行う邪気払い程度では消せなくなってきている。麦の収穫量も減り、今年の税収は過去最低にまで落ち込んだ。周辺国ではすでに飢饉に疫病、魔物津波まで発生している。このままでは世界が滅ぶという。
召喚を言い出したのは王子だ。
『数百年前の古文書に、異世界から来た乙女が瘴気を祓ったと書かれています。何卒、聖女召喚の許可を!』
と数ヶ月前の会議で提案した。陛下は眉をひそめて王子に訊いた。
『誘拐か拉致だぞ?はたして聖女が協力するだろうか?』
『お任せください!私が説得してみせます!』
聖女は絶世の美人だったらしい。結局、他に有効な手立ても見つからず、召喚が決定された。
だが儀式に立ち会っている1人、騎士団の副団長は疑問だった。
(本当に聖女なんているのか?)
ただの人間にそんな力があるのか、どうにも信じられない。
「では始める」
神官長の杖の先が床に描かれた魔法陣に触れた。すぐさま術が発動する。そこに壁際に積まれた魔石の山から魔力が流れ込むと、巨大な光の柱が立った。
「!」
一瞬目が眩む。光はすぐに消えた。王、王子、神官長、騎士団長と副団長の視線が、魔法陣の中央に向けられた。そこに1人の女性が立っていた。魔力が切れた神官長は崩折れ、王子が叫んだ。
「召喚は失敗だ!」
女性は小柄だった。真っ白な髪と皺深い肌。まごうことなき、ただの老女であった。
♡
きよ子は寝支度をして布団に入った所だった。部屋がぱあっと光ったと思ったら、石造りの暗い部屋の中央に立っていた。床には摩訶不思議な模様が描かれている。誰かが大きな声で何か言ったので、顔を上げると、5人の外人がきよ子を見ていた。
(夢かしら?)
寝る前に金曜映画ショーを観たせいか。洋画風だ。叫んだのは若い頃のディカプリオみたいな美男だ。白いローブを着た老人が床に膝を突いている。ロード・オブ・なんとかの白の魔法使いに似ている。
「なんということだ…」
王冠を被った50がらみの渋い男が額を押さえた。クリントそっくりだわ。きよ子は西部劇の名優を思い出した。やがてドアが開いて、甲冑を着た人がわらわら入ってきた。最初から部屋にいたごま塩頭の男が、倒れた魔法使いを運び出すよう指示している。こちらは初代ボンド氏に似ている。ディカプリオは無言で出ていった。
きよ子はポツンと残された。黙って突っ立っていると、最後に部屋を出ようとした男が気づいてくれた。30くらいの甲冑を着た黒髪の男だ。『ローマの休日』のグレゴリー・ペックに似ている。
「住まいはどこだ?」
グレゴリーが済まなさそうな顔で訊いた。きよ子は素直に答えた。
「西東京市です」
「都の西地区か。夜が明けたら兵に送らせる。今夜のことは他言無用で頼む」
日本語が凄く上手なのに、変な聞き間違いをされた。そもそもここはどこなのか。きよ子が聞こうとしたら、グレゴリーは金色のコインを1枚くれた。そして人を呼んで、彼女を託すと行ってしまった。
♡
若い甲冑がきよ子を案内してくれた。小さな部屋に通され、朝まで過ごすように言われた。ベッドに座った老女は不思議な状況を推理した。
(夢じゃない。じゃあ何だろう。ドッキリかな?)
どこかに隠しカメラがあって、きよ子の反応を窺っているのかもしれない。そうに違いない。ここはあそこだ。昔孫を連れていった浦安の遊園地だ。もう20年は行っていないが、いつも新エリアがオープンしたとか言っているから。日本語が上手な外人役者まで揃えて。ご苦労なことだ。
(引っかかるのも癪だわね)
きよ子は知らぬふりをしてベッドに入った。いつ「ドッキリ大成功!」と書かれた看板が出てきても良いように身構えていた。しかし一向に現れないので寝てしまった。
♡
「起きろ!」
まだ夜も明けきらぬうちに、乱暴に叩き起こされた。また違う甲冑がきよ子を小さな扉まで連れていった。
「あっちが西地区だ。1人で帰れるな」
甲冑はそう言って老女を外に押し出すと扉を閉めてしまった。グレゴリーの話と違う。仕方なく、きよ子は夜明けの遊園地を歩いていった。振り返って見上げても高い塀しか見えなかった。
きよ子は歩きながら考えた。寝床から連れてこられたから寝巻きで裸足だ。足裏が痛い。どこかで履き物を買わなければ。しかし財布が無い。念のため寝巻きのポケットを探ると、グレゴリーがくれたコインが手に触れた。
(これ、本物の金だったら何十万円もするわよね)
直径3センチぐらいある。換金して靴を手に入れて電車に乗って帰ろう。その前に、お腹も空いてきたから朝ごはんを食べていこう。年金暮らしだとどうしてもケチケチしてしまう。きよ子は久しぶりに贅沢をしようと決めた。
「あの。すみません」
通りすがりの従業員の人に声をかける。ファンタジックな衣装の女性だ。ジュリア・ロバーツみたいに口が大きい。彼女は裸足のきよ子を見てギョッとしていた。
「履き物を買いたいのですが。金貨を買ってくれるお店も教えていただけますか?」
きよ子は丁寧に訊いた。
「追い剥ぎにでもあったの?おばあちゃん」
「いいえ。靴を失くしてしまって」
「まあ。痛いでしょうに」
女性はひどく同情してくれた。そしてきよ子を換金屋に連れて行ってくれた。早朝だというのに店が開いている。これまたアニメみたいな服装の主人が金のコインを査定してくれた。
「大金貨1枚。確かにね。小金貨9枚と銀貨9枚だね」
換金手数料が銀貨1枚だと言う。混乱したきよ子は質問した。
「ごめんなさい。こちらの貨幣に不慣れなもので。それぞれの価値を教えていただける?」
「外国人なのかい?良いよ」
主人は優しく通貨単位を教えてくれた。なるほど。お客は外国人なのか。園内で使えるお金まであるなんて。まるで豊洲にある子供の労働体験施設のようだ。
銅貨10枚で銀貨1枚。銀貨10枚で小金貨1枚。小金貨10枚で大金貨1枚。価値は大体銅貨1枚=パン1つだそうだ。
「靴は幾らぐらいかしら?」
きよ子の問いに、付き添ってくれたジュリアが答えた。
「中古なら銀貨5枚もあれば良いのが買えるよ」
次に彼女は古着屋に案内してくれた。本当に親切な女性だ。そこできよ子は靴と服を買った。さすがに寝巻きで電車は恥ずかしい。極力『コスプレ』風にならないようなワンピースと前掛け、髪を覆う帽子を選んだ。鏡に映ったのは田舎ぐらしを満喫する自然派老女だった。
「お礼に朝ごはんを奢らせてくださいな。お嬢さん」
きよ子の申し出にジュリアは喜んだ。2人は彼女の行きつけというカフェに向かった。