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 銅鑼が鳴り、ラッパが響く。

 それは開戦の合図だった。

 先に動いたのはハスラード軍である。兵力で圧倒的優位に立つ彼らは、得意の人海戦術でもって一挙に押し潰そうとしたのだ。

 一方のサクラカンド軍は、即席で築いた簡易的な堅塁に隠れ、弓兵や礫による遠距離攻撃に徹し、歩兵には槍衾を作らせ、あたかも甲羅の内に身を潜めた亀の如く防御を固める事で、兵力的な不利を補おうとする構えである。とはいえ、弓矢や礫を幾ら放とうとハスラード軍の猛攻を押しとどめる事は出来ず、間もなく彼らはサクラカンド軍を飲み込むに至った。サクラカンド側も歩兵を繰り出し応戦し、ここにいよいよ壮絶激烈な白兵戦が幕を開ける事となった。

「死を恐れるなっ、かかれーっ!」

 バーブルも歩兵に混じって、自ら果敢に激戦の渦中に身を晒していく。

 騎士だという事を忘れたように馬を降りて戦う彼の姿には、独特な違和感がある。それでも水を得た魚の如く戦場を所狭しと暴れ回る姿はさすがと言う他なかった。

 バーブルは強い。

 ハスラードの雑魚兵が幾ら束になってかかろうと、相手にもならない。倒すどころか、傷一つ、かすり傷一つ負わせる事も難しかった。ひとたび戦場に身を置いたバーブルは、傍目には鬼か化け物にしか見えない。返り血塗れの外見、見た目の華奢さも相まって、その一挙手一投足には著しく現実味が欠けていた。

 だが、ハスラード兵の真の恐ろしさは、キリがないという一点に尽きた。彼らは数に物を言わせて猛進してくる。単騎で挑んでくる事はない。常に多対一に持ち込む事こそハスラード軍が誇る必勝の戦法であった。

 ゆえに、

 倒しても殺しても、

 屍山血河を築こうと、

 それを乗り越えて、構わず押し寄せてくるハスラード軍には、さすがのバーブルも閉口せざるを得なかった。しかし、彼の隣で戦っているザルは、嬉しそうに暴れ回っている。敵兵を殺す事が趣味とでも言いたげなこの男は殺しても殺しても次々と新手が出てくる状況に欣喜雀躍するばかりで、辟易や疲労といった感覚とは無縁な感じであった。

 だが、少数の猛者達が幾ら単騎で何百人を相手に互角以上の戦いを繰り広げようと、戦局自体を左右するには不十分だった。

「殿、これはヤバイかもしれません」

 ザルは先走る昂奮を抑えきれないような声でそんな事を言った。

「見て下さいよ。右翼の方が崩れ始めてます」

 物言いが物言いだけに少しも悲壮感がない。

 しかし彼が指し示している事実は、その物言いとは裏腹にかなり衝撃的であった。

「まじか」

 バーブルはそう答えたきりで、しばし迫りくる敵との戦いに明け暮れていたが、間もなく目の前の敵相手に個人的武勇を誇示していても仕方がないと気付くに至った。敵は益々勢いづいていたし、見れば右翼は総崩れに陥り、左翼部隊も崩れかかっていた。バーブルが身を置くシャムーデ隊が属す中央部隊にも苦戦は波及しつつあり、じきに全軍総崩れ、潰走状態に陥る事は目に見えていた。

 そして、

「国王陛下がお逃げあそばしたぞ!」

 どこからともなく、とどめの一撃ともなり得る、そんな声が響き渡った。

「王が逃げた?」

「負けるのか?」

「もう負けてるようなもんだ!」

 辛うじて戦場に踏みとどまっていた兵達の心を、急速に動揺と混乱が蝕んでいく。

「これ以上ここに残ってたら、俺達も殺されちまうぞ」

 そして恐怖は瞬く間に伝染していく。

「逃げるなっ!」

「逃げれば殺すぞ!」

「戦えっ!」

 こうなっては、指揮官達が何を言っても効果はなかった。

 しまいには指揮官達にも恐怖が伝播して、部下を見捨てて、逃げ出してしまう者が相次いだ。何しろ“国王が逃げた”のだ。全軍の大元帥たるオスカル王と、王の下で指揮権を欲しい侭にしていた取巻き達が真っ先に逃げ出した以上、自分達が逃げたとて誰が咎められると言うのか。

 その一部始終を呆然と見守っていたバーブルは、無論、役目を放棄して逃げ出すような真似はしなかった。むしろ自ら率先して敵と戦い、兵達が逃げる時間を稼ごうとすらした。そんな彼の雄姿を見て、ひとたびは恐怖に駆られて逃げ出そうとした兵達も考えを改めて戦陣に戻ってきた。シャムーデ隊やその周辺にいた中央部隊各隊が総崩れに陥る事無く、態勢を保ったまま整然と撤退する事に成功しえたのは、全くバーブルの手腕に拠るところが大きかった。シャムーデ将軍など各隊の幹部達が既に逃げ出した後であったという事も、バーブルが実質的な指揮権を掌握するうえでは有利に働いた。

 バーブルが五千にも及んだ“敗兵”を率いて、撤退という奇跡を果たし得たのには、主に二つの要因があった。

 一つは、バーブルの麾下に集った兵達は、組織的規律と秩序を保ち、大将(バーブル)が下す適切な指示を瞬時に的確に遂行出来た事である。おかげで“バーブル軍”は数少ない正解に向かって全力で驀進でき、その結果が奇跡となったのだ。

 今一つは、組織的結束を保ったバーブル軍は、勝勢に乗るハスラード軍にとっても手強い敵であったという事である。ハスラード兵もわざわざ手強い敵に挑むより、叩きやすい方から先に潰した方が確実だし、第一、楽である。要するに恐怖に駆られて個別に逃げ惑っていた味方が無残に無慈悲に狩られている隙に、バーブル軍はまんまと戦場から離脱したというわけだ。

 ともかくもエスティリア平原から命辛々撤退に成功したバーブル軍は、その暫定的名称そのままにバーブルの指揮で進路を東にとり、エルミラ要塞を目指した。難攻不落の堅城として名高く、備蓄されている物資も豊富なエルミラは、敗軍が逃げ込んで再起を図るにはこれ以上ない拠点となり得たからである。

「他の敗残兵もエルミラに逃げ込んでいるはずだ。敗軍を糾合したうえで、エルミラの堅城に拠っていれば、まだ勝機はある。要は時間を稼げばいい。そうすればハスラード軍はじきに物資切れに陥って撤退を強いられるだろう。我々はまだ負けてはいないのだ」

 撤退の途上、怯える兵達に、バーブルは事あるごとにそんな事を言っていた。

 そんなこんなで、バーブル軍はエスティリア平原の戦いの二日後にエルミラ要塞に達し、入城を果たしたが、驚くべき事に城内には人っ子一人いない有様で、物資だけが山の如く残されているという状態だった。僅かに残っていた兵に事情を確認すると、守備兵を含めて城内に残っていた兵のほとんどは、エスティリアの地から、いの一番に逃げてきたオスカル王によって“護衛”として駆り出され、悉くオスカル王と共に王都に向かって出陣してしまったとの事であった。敵の追撃を恐れるオスカル王はかなり慌てていたらしく、城内の備蓄物資を持ち出す余裕はなかったというが、せめてそれだけは不幸中の幸いであったと、バーブルは内心で思った。

「しかし、よかったじゃありませんか」

 ザルは不意にそんな事を言った。

 首を傾げるバーブルに、彼はしたり顔で続けた。

「だって、これで殿が好きに采配出来ますよ。仮に王やその側近連中が残っていたとしたら、一介の紅の騎士に過ぎぬ殿は、その他大勢に成り下がったでしょうよ、上の連中が誰もいない今なら、殿が大将です。すっきりして、むしろよかったんじゃないですかね」

「……ま、それはそうだが」

 モノは言い様、何事も考え方次第。

 確かにザルの言う通り、オスカル王やその取巻きたる紅の騎士の幹部達が根こそぎ王都に逃げ帰った事は、バーブルにとって決して悪い話ではない。兵まで連れていかれた事は困りものだが、物資は手つかずで残っている。バーブル自身が引き連れてきた五千の兵に加え、今後戦場から逃げてくるであろう敗残兵を加えれば、防衛戦力としてはそれなりに形になるだろう。そしてその防衛力を、バーブルは自分の判断で好きに動かせるのだ。これはかなり大きい。

 しかし、裏を返せば、全ての責任が自分の肩の上に乗っかっているという事でもある。

 エルミラ要塞に集まっている兵の命も、ひいてはサクラカンド王国の未来すらも、自分の判断一つにかかっている。そう思うと、ザルの如くお気楽に振舞う事も出来ず、バーブルの心境は複雑を極める事になった。


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