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 シュメリア大陸暦一〇〇〇年六月一五日。

 サクラカンド王国の王都エンリルより、国王オスカル四世自ら率いる総勢三万のサクラカンド軍が大挙して出撃していった。その中に王直属の精鋭部隊、紅の騎士団の姿もある。

 紅の騎士団は総員一千に過ぎない。うち二百名は王都に残留して留守政府を掌るシェルード宰相の補佐に回り、五百騎はオスカル王の身辺警護の任に就き、残りは各軍各部隊に政治将校のような形で配されている。バーブル・フェルトは政治将校として、テト・シャムーデ将軍麾下の部隊に身を置いていた。

 政治将校たる紅の騎士に課された役目は、基本的には指揮官に適宜適切な助言を行う参謀役が主である。しかし実態としては監視役と目されている。王の意向は彼らを通じて各指揮官に伝えられ、そして各指揮官や兵達の行動は逐一彼らを通じて国王に伝わるからである。彼らは王の目であり、王の耳だった。王など見た事もない現場の兵達の中には、王そのものと見做す者も多い。

 バーブルはなるべく監視役とは思われないよう、マイルドに振舞うよう努めていた。野営する時はなるべく兵達の輪に混じって、共に食事をとり、共に語り合った。ゲームや賭け事に興じていても咎め立てせず、むしろ自らその中に混じって一緒にやった。最初、兵達は紅の騎士たる彼に対して警戒心を隠さず、敬遠の姿勢を崩さなかったが、出陣以来、毎晩の如く同じ釜の飯を食らい、胸襟を開いて語り合い、あるいは遊んだりしているうちに、兵達の心の壁は次第に薄らいでいったのである。



「バーブルの旦那は、変な人ですねえ」

 ある頃から、兵達は彼の事を“バーブルの旦那”あるいは単に“旦那”と呼ぶようになっていた。

 バーブル個人としては、呼び捨てにしてもらっても構わなかったのだが、親しき仲にも礼儀ありというし、部隊内では将軍に次ぐ事実上のナンバー2を呼び捨てにすれば、幹部達に何を言われるか分からないという事もあって、妥協案として兵達はそう呼ぶようになったのだ。

「何がだ?」

 今宵も、兵達に混じって賭け事やら遊びに興じている彼は、確かに変人である。騎士や貴族出身の将校は、そもそも下級兵士達には近づこうともしない。彼らと同じ釜の飯を食い、共に語り、共に遊ぼうとする騎士など、彼らにとって空前絶後の存在であったのだ。

「いやね、旦那は本当にあの紅の騎士様なのかなって思いましてね」

「ああ、一応そういう事になっているが」

「一度聞こうと思ってたんですけど、紅の騎士って、どうやったらなれるんですかい?」

 いつしか遊び疲れた兵達がバーブルの周りに群がっている。

 誰もが興味津々を絵に描いたような顔をして、彼に視線を集中させていた。

「そうだなァ。まずは戦場で手柄を挙げる事だな」

「でも手柄っても、そんなに機会なんてないですよ」

 兵達が嘆息するのも無理はない。二十年前に内戦が終結して以来、サクラカンド王国は太平の世を謳歌してきた。無論、その間も戦が全くなかったわけではないが、盗賊退治か、あるいは国境周辺で延々と繰り返される隣国との小競り合いぐらいのもので、正直言って戦と呼べるほどのものではなかった。ゆえに手柄を立てる機会など滅多になく、手柄を立てればいいと言われても兵達にとっては現実味がなく、困惑するしかなかったのである。

「じゃあ、旦那はどんな手柄を挙げたんですか? その若さで紅の騎士様に成り上がるなんて、よっぽどの手柄をお立てなすったんでしょう。まあ、旦那は騎士の御家柄だから、平民上がりの俺達とは違うのかもしれませんがね」

 現実味がないからこそ、逆に手柄を立てて紅の騎士になったというバーブルに対して、兵達の興味や好奇は膨れ上がる一方だったようである。

 兵達から向けられる熱い視線に対して、バーブルは努めて淡々と答えた。

「そうだな。俺は確かに騎士の家に生まれたが、吹けば飛ぶような下級騎士に過ぎなかった。そういう意味では、お前達とあまり大差はないな。

 ……俺は十五の時に軍隊に志願した。家計にも余裕があったわけではないから、食っていくには働くしかなく、手っ取り早く安定収入を得ようと思ったら、軍に入るぐらいしか道がなかったわけだ。入隊して間もなく俺は北の国境に配された。そこではヴァルト王国などの北方諸国と小競り合いが続いていたが、ある時、ヴァルト軍が大挙して攻め込んできた事があった。不意討ちだったので迎撃態勢など整っておらず、ただ一人、俺の部隊だけが応戦できる状態だった。俺の部隊といっても数はたかだか二十名程度。しかし俺は果敢に立ち向かった。仲間の多くが死んだが、俺は生き残った。もう何人殺したか、覚えてもいないよ。俺自身、結構深手を負って、死ぬかと思った。だがそうやって俺達が踏ん張っている間に態勢を整えた味方が駆けつけてくれて、何とか九死に一生を得たのだ。この戦いで俺の名前はそれなりに有名になり、やがて国王陛下の御耳にも届いて、紅の騎士として抜擢されたというわけだ」

 運が良かったのだと、付け加えながら、バーブルは糧食を無造作に貪った。

「そりゃ凄い。でもそれは旦那だからできた事で、俺達には無理ですよ」

「無理とは限らんさ」

「でも」

「俺だって、そんな事が出来るとは思ってなかった。だが、出来た。運もあるが、逆に言えば運さえあれば誰にでも可能性はある。お前達は日頃鍛錬を積んできた精鋭だ。確かに戦の経験は少ない、あるいはないかもしれんが、日頃の訓練は裏切らん。一方、敵のハスラード軍は数こそ多いが、その辺の民衆を捕まえて編成したような烏合の衆。死に物狂いに戦えば、手柄を立てる事はそんなに難しくないさ」

「……そんなもんですかね」

 兵達はなお半信半疑と言わんばかりの顔をしている。

「そんなもんだよ」

 対するバーブルは終始一貫して淡々としていた。



 サクラカンド軍は順調に進軍を続け、六月二十日にエルミラ要塞に入った。そこから国境があるエスティリア平原までは徒歩で二日ほどの距離であった。

 ハスラード軍に関する詳報も矢継ぎ早にもたらされる。

 曰く、ハスラード軍は総勢十万に達し、明日にもエスティリアに入るという。その最高指揮官はランベルト・ティリス・エル・フラゴナール公爵と言い、ハスラード王リーンハルト一世を支える重臣中の重臣として知られていた。それらの詳報を基に、今後の方針を決するべく、エルミラ要塞の大会議室にて主だった諸将が集まり、国王オスカル四世臨席の下、御前会議形式にて軍議が開かれる事になった。

「フラゴナール公といえば音に聞こえた名将。しかもリーンハルト王の“三柱臣”と評されるほどの人物だ。彼が出てきたからには、ハスラードも本気であると言わざるを得ん」

 誰かがそんな事を言えば、

「いや、誰が出てこようとハスラード軍など雑魚だ。奴らは国民軍などと大そうな名前を称しているが、その実態は民衆の寄せ集めに過ぎん。武器など持った事も触った事すらない素人に武器だけ与えて軍隊っぽく仕立て上げているだけの奴らの一体何を恐れる。誰が指揮してようと、関係ない」

 そう言い放つ者もいる。

「確かにそうだが、奴らの数は脅威だ。奴らは十万。我らは三万。ここは安易に野戦に打って出るのではなく、籠城して時を稼ぎ、奴らの息切れを待つのが上策ではないか。幸い、このエルミラ要塞は難攻不落の堅城であり、籠城には適している。物資も豊富だ。三万の兵が一年や二年籠城しても問題ない」

「籠城だと! それでは栄えある我が軍が、雑魚揃いと名高きハスラード軍に恐れをなしたと思われるではないか。正々堂々の会戦にて正面から粉砕してこそ、わが軍の強さを満天下に誇示できるというものであるし、ハスラードに対して身の程を思い知らせる事が出来るというものだ」

「そうだそうだ!」

 威勢の良い主張に対しては、賛同の声も多く集まる。

 逆に慎重な意見に対してはブーイングが飛ぶような有様だった。

 士気が高まっている、と言えなくもない。だが反対意見を勢いで封殺するような有様に対して、軍議の末席に身を置いていたバーブルは少なからぬ危惧を覚えた。

 バーブルはハスラード軍など恐れるに足りないと思っている。だが一方で、ハスラードという国は、これまでに多くの国を滅ぼしてその勢力を急激に拡大させてきたのだ。滅ぼされた国の中には、その直前までハスラードを雑魚と侮っていた者も多かっただろう。だがハスラードはあらゆる下馬評を覆して勝利を重ね、新興の大国と呼ばれる地位を築いたわけで、その実績を過小評価すべきでないとも思う。

 しかし結局は、賛同をより集めた意見が順当に採択されるに至った。

 エルミラ要塞を出撃し、エスティリア平原にて迎え撃つ。正々堂々の一大会戦にてハスラード王国軍を返り討ちにするというのが、サクラカンド軍の基本方針となった。

 ちなみに諸将が喧々諤々の議論を戦わせ、作戦が決定に至るまでの間、玉座に腰を据えた老王は、舟を漕ぐ事に忙しく、結局一言も発する事はなかった。


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