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 シュメリア大陸では、もう数百年に渡って戦乱が続いている。

 国が興り、そして滅ぶ。また興る。

 延々と、その繰り返し。

 だが変化が全く見られないわけではない。

 優勝劣敗の原則の下、無数の国が興亡に明け暮れていくうちに、勝ち残った国が各地域の覇権を牛耳る大国として頭角を現し始めたのだ。

 大陸東方の大国であるサクラカンドもその一つ。

 サクラカンド王国は、シュメリアの地が戦乱に陥る以前から存在する古豪で、その歴史は、かつて大陸を支配したシュメリア帝国に仕えた騎士ライナルト・サンジュストが東方の地に領地を与えられ、エンリル城を築いた事に端を発する。ライナルトは更に功績を挙げ、サクラカンド辺境伯に叙された事で、サクラカンド王国は実質的に成立した。ライナルトの死後数代に渡ってサンジュスト家の直系男子が辺境伯の地位を継承し、シュメリア皇帝への忠誠を保ちつつ順次領土を拡大していったが、五代目のサクラカンド辺境伯シモンの時に帝国は内紛に陥って事実上瓦解し、棚から牡丹餅の如く独立を果たす事になった。シモンはシュメリア大陸暦五二〇年に正式に国王に即位し、こうしてサクラカンド王国は名実ともに完成したと言うわけであった。

 サクラカンド王国は第三代のライナルト二世の時代に最盛期を迎えた。建国者と同じ名を持つ彼は、先祖と同様、偉大な戦士であり、積極的な対外遠征を繰り返す事で国土を二倍に拡大した。貴族を重んじ、彼らを中心とする国家体制を構築する一方で、国王権力を確保する為に紅の騎士団に代表される国王直轄武力の強化も怠らなかった。ライナルト二世の時代、王国はまさしく全盛期であり、大王とも呼ばれたが、カリスマ性に満ちた“ライナルト大王”の崩御以降は緩やかに衰退の道を歩み続け、現在に至っている。

 建国から五百年を経た現在は、三十四代目のオスカル四世が王国に君臨していた。

 在位四十年を超え、御年七十。長いだけで特筆すべき事績は何もないと揶揄される灰色の老王の下、サクラカンドの衰退ぶりは拍車がかかる一方だった。特に英明で知られたシャルル王太子が父に父に先んじて先日薨御してからは、王国を真に舵取り出来る人間は皆無となり、無気力な老王と、場当たり的対応に終始する官僚的な宰相、そして兄の死によって空席となった王太子の座を狙う王子達の下で、王国を蝕む退廃と退潮はいよいよ深刻なものとなりつつあった。

 そのオスカル王の御前に、バーブル・フェルトの姿がある。

 無論、この場にいるのは彼だけではない。

 紅の騎士団の団長、副長、参謀、一番隊長など主だった幹部が一堂に会し、その中に彼も加わっていたという形である。騎士団内で具体的な肩書を有するわけではない“一般団員”という建前の彼がこの場にいるのは、彼こそが騎士団最強の戦士にして王の覚えめでたく、将来の騎士団長と目される存在だからであった。一応は平団員の代表という立ち位置で幹部達と肩を並べている。

 そんな彼らに対し、老王の傍らに控えていたシェルード宰相が声をかけた。



「――先ほど使い烏より知らせが届けられた。曰く、ハスラードに不穏な動きがみられるとの事だ」

 齢五十歳を超えた壮年の宰相は、厳かを装うように、殊更低い声で言った。

「ハスラードの王が勅令を発し、それに基づき大軍が編成されつつあると言うのだ。その思惑や方針は未だ定かではないが、奴らが軍を集めているとすれば、十中八九、我らを攻撃する腹を固めたという事であろう」

 ざわめきが沸き起こる。

 宰相の言う通り、ハスラードが軍を集めているとすれば、その目的はサクラカンド王国討伐の為だろう。先日、両国の最前線たるエスティリア平原で両軍が対峙し、一触即発の状態に陥ったばかりでもある。あの時は激突寸前で講和が成り、無難に収まったというが、表面だけ取り繕っただけで火種は水面下で燻り続けていたのかもしれない。

 周囲の視線と関心がバーブルに向けられる。あの時、現地にいた彼が一番事情に精通しているはずだからである。バーブルはしばし困ったように表情を曇らせていたが、やがて意を決したように口を開いた。

「ありうる事かと。あの折、両軍が対峙するに至ったのは、我が方が水資源の供給を断つと脅したからでした。結果としてそれを引き下げたから、和議が成ったわけですが、ハスラード側にしてみれば我らに水源を抑えられている限り、生殺与奪の権を握られているも同義なわけで、先の一件でその事を思い知ったとすれば、本腰を挙げて水源奪取に乗り出そうとしても少しも不思議ではありません。あるいは、奴らが和議に応じたのは、その為の準備時間を確保する為であったのかもしれません」

 バーブルの説明に対して、宰相や騎士団幹部は特に驚くでも、感銘を受けた様子でもなかった。その程度の事は彼らもはなから承知していたのだ。

「フェルト卿の申した事が事実であるか、今のところ調べようもないが、恐らくそんなところなのだろう。いずれにせよハスラードが国を挙げて攻め込んでくるからには、我らも国を挙げて迎撃せねばならぬ。そこでだ」

 そこまで言って、シェルード宰相は一呼吸を間に挟んだ。

「我が国も直ちに総動員体制に入る。その為の準備と調整を例によって騎士団に任せる。此度はその事を伝える為にそなたらを招集したのだ」

「はっ」

 団長のルイス・ペローが団員を代表して大仰に頷き、ひれ伏すと、他の幹部達もその後に続いて頭を下げ出した。バーブルとて例外ではない。

「また、此度の戦には国王陛下も参加なされる」

 シェルード宰相の言葉に、先ほどから玉座の上で興味なさげに欠伸ばかりしているオスカル王に団員の視線が集中した。

「御親征なされるので?」

 ペロー団長が問う。

「陛下たってのご希望なのだ」

 老王は相変わらず心ここにあらずという感じである。

 とても自ら希望しているとは思い難いが、これについて王は特に何かを言う事はなかった。である以上、宰相の言は重い。宰相が王の希望だと言うなら、騎士団としては額面通りに受け入れるだけである。

「承知いたしました。万事滞りなく準備と調整を進めます。期限はいつになりましょうか?」

 団長の下問に、宰相は淡々と答えた。

「直ちにだ。いつハスラード軍が動き出すか分からぬ。あえて期限を切るとすれば、そうだな。三日だ。三日後には出陣する」

「み、三日でございますか?」

 息を呑んだのはペロー団長に限らなかった。

 団員皆、呆気にとられたようにその場に固まっている。

 たった三日で準備を終えられるはずがない。王都にある兵力を集めるぐらいならば容易だ。しかし各地に散っている兵を搔き集め、その膨大な兵力を滞りなく運用できるだけの物資を集めるとなれば、どれだけ早くても半月はかかる。それを僅か三日でとは……。無理難題も過ぎるというものであった。

 しかし王の代理たる宰相の言は絶対である。

 そして命じられたからには確実に執行するのが騎士団の役目だった。

 最終的に、ペロー団長は「承知いたしました」とだけ答え、顔面蒼白のまま逃げるように御前から退散していった。幹部達もその後に続く。バーブルだけは残るように求められ、それまで退屈そうにしていた老王から声をかけられた。

「バーブルよ。そなたの弟は元気にしておるか?」

「弟というと、ハルンの事でしょうか?」

 面食らったように問い返すバーブルに、老王は「そうじゃ」と答えた。

「一応、元気ではありますが」

「そうか。それはよかった。あれは実に良い近侍であったからな。いずれまた余に仕えさせたいと思っておったのだ」

「……そ、それは」

 ハルンはかつて国王に近侍として仕えていた事がある。バーブルが紅の騎士に叙任されて間もない頃の事だ。近侍とは王の身の回りの事を甲斐甲斐しく世話するのが役目で、また毒見役や、王の男色の相手を務める事もある。オスカル王にも多聞に漏れず男色の傾向があり、多くの近侍がその毒牙にかかったが、ハルンはとりわけお気に入りであったという。ただハルン自身に男色の趣味はなく、かつ当時の彼は王の寵愛を得る事の重要性を深く理解していなかったので、兄に泣きついて近侍の任から解いてもらったのである。

「確かに元気を取り戻しつつありますが、まだ完璧ではございません。陛下の御側に侍るのは、まだ荷が重いかと」

 バーブルは弟の為に嘘をついた。

 老王は無言のままじっと彼を睨んでいたが、やがて堪えかねたようにケラケラと笑い出した。

「案ずるな。無理強いする気はない。だが体調が戻ったならば、その時は余の下に出仕するように伝えておけ。それと、アンリの奴も会いたがっておったからな。余に限らずアンリの心も奪うとは、なかなかに隅に置けぬ童じゃて」

「……」

 老王の言葉は、バーブルを困惑させるに十分だった。

 第二王子たるアンリは、シャルル王太子の死後、次期国王の最右翼と目されている人物である。一方で、美麗な少年には目が無いと言われ、その性的趣向は変態性が強すぎると称されていた。ハルンが王の近侍の役を解いてほしいと訴えてきた時、アンリの事は口にしなかったが、あるいはアンリに気に入られ過ぎた事が真因なのではないか、という疑念が急速に首を擡げてきたのだ。

 しかし、アンリ王子は有力者である。王に限らず、彼の不興を買う事も、今後の事を考えると得策とは言い難い。さて、どう返すべきかと悩んでいると、

「まあ、アンリの事などはどうでもよい。余は待っておるとだけ伝えよ。奴にはそれだけで十分に伝わろう」

「……は、はっ」

 バーブルは改めて一礼してから、逃げるように御前から退散していく。もし王の気が変わって、今から連れて来いと命じられてはたまらないからである。

 御前から下がり、王宮の廊下を出口に向かって歩きながら、彼はふと考える。

 ハルンがオスカル王に近侍として仕えていた期間は僅かに過ぎない。にもかかわらず王やアンリ王子の心を掴むとは、わが弟ながら確かに隅に置けないではないか。弟に対する寵遇は、あるいは今後何かの役に立つかもしれない。魔窟より複雑怪奇な宮廷を生き抜いていくには、王族の信頼や寵愛は幾らあっても足りないと言う事はないのだ。


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