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 バーブルが一ヶ月ぶりの帰宅を果たすと、出迎えたアンナは嬉しそうに頬を綻ばせていた。

「アンナよ。無事に帰ったぞ」

 鷹揚を絵に描いたような顔をしたバーブルに、

「お帰りをずっとお待ちしていました」

 アンナは一貫して殊勝な態度だった。

「留守中、息災であったか」

「ええ、おかげさまで」

「それはよかった。だが、何かあれば隠さず言えよ」

「はい」

 頷くアンナに、バーブルは愛おしげな視線を向けている。二人はしばし互いの瞳を見つめ合っていたが、やがて甘酸っぱい沈黙に耐えられなくなったように彼は彼女の至近に歩み寄って、その華奢な体に両腕を回し、ギュッと抱きしめてしまった。

「ああ、ずっとこうしたかったのだ」

 耳元で囁くバーブルに、「もう」と恥ずかしそうなアンナ。

「……皆が見ていますよ」

「構うものか」

 バーブルは意に介さない。

 アンナは諦めたように、流されるように己の体を彼に預けた。

 しばらくしてようやく満足したのか、バーブルが抱擁を解くと、アンナはこほこほと咳払いしつつ、こんな事を言った。

「そういえば、ハルンさんに聞きましたよ。今回も危険だったんですってね」

「え、ああ、まあ」

 あのおしゃべりめ、とバーブルは心の中で毒づいた。刺客に襲われた事は、結果的に無難に終わった事から、いちいちアンナに話すまでもないと思っていたのだ。話して余計な心配を指せるのも彼の本意ではなかったという事もある。

「フフ、何かあれば隠さず言えよ、と仰ったのは貴方です。それは何も私に限った事ではありませんからね。私達は夫婦になるのですから」

 至極尤もな指摘ではある。

 申し訳なさそうに頭を掻くバーブルに、今度はアンナの方が歩み寄った。

 そして彼の唇に、己の唇を重ねる。

「……」

 困惑しているバーブルに、唇を離したばかりのアンナは、小悪魔もかくやと思える笑みを浮かべていた。そして、改まったようにお辞儀しつつ、「お帰りなさい」と言った。



 バーブルとアンナが婚約したという事実は、王都においてちょっとした噂になっている。

 バーブルが今を時めく紅の騎士の代表的騎士という事もあるが、アンナ自身も王都でも指折りの美人として、ちょっとした有名人になっていた事も大きい。

 アンナは人気者だった。彼女をモデルにした版画がヒットを飛ばし、街中に出回っていたからである。これを仕掛けたのはハルンで、結構な儲けになったという。ハルンは商売人の素質もあるようで、幼い頃から目敏く商材を見つけ出しては巧みに売りさばいて小銭を稼いでいたが、アンナの版画を売りさばいたのはその最たるものだったといえる。ただ兄から大目玉を食らい、以来、そういった事に手は出していない……という。

 ともあれ街の密かなアイドルたるアンナの婚約は少なからぬ波紋を呼んだが、相手が今を時めく紅の騎士バーブルとあっては文句も言えず、文句を吐いたところでお似合いだとする歓声の暴風にかき消されて目立つ事はなかった。しかし二人はは婚約こそしているが、今のところ正式に結婚しているわけではない。

 近いうちに盛大な結婚式を挙行して、正式に夫婦となる予定ではあるが、諸般諸々の事情によって結婚式の日取りが確定しないのである。

 まず第一に、バーブルが多忙過ぎるという事がある。

 つい先日は、王命を帯びて前線の視察に出向き、一ヶ月以上も王都を留守にする羽目となった。そうでない時も、常に何かしらの仕事に追われている。王直属の騎士とは、王の身辺警護や雑用だけをやっていればいいわけではない。王の手足となってその大権執行に携わらねばならず、いわば王直属の高級官僚とも言うべき存在なのだ。デスクワークばかりだと体が鈍るので、鍛錬も怠るわけにはいかず、暇さえあれば剣を振り回し、筋トレや走り込みに勤しみ、戦士としての身体づくりに励まないといけない。それだけに報酬は多く、待遇は厚く、名誉もあり、下級階層出身者が成り上がる為の数少ない出世ルートともなっているが、余りの多忙さに身体を壊してしまう者も少なくなかった。よってバーブルには結婚式など開いている時間がないのだ。

 それだけではない。

 アンナの実家、ヘイワード家の方にも事情はあった。

 ヘイワード家には娘が二人いる。長女のアンナと、次女のエレナだが、その次女は悪魔憑きとして忌避される存在だった。無論、生まれつきそうだったわけではない。幼少の頃に大病を患い、尋常の医療では治しようもなく、藁にも縋る気持ちで両親が縋ったのが、禁忌の術を専門とする祈祷師だった。あらゆる病を癒す代わりに悪魔に身を捧げるという秘術により確かにエレナは助かったのだが、代わりに悪魔憑きの汚名をも引き受ける羽目になった。病が癒えた後も断続的に不調に陥る事があり、それが憑りついた悪魔の仕業だと見做された事も大きい。

 当初、両親はエレナの大病が治癒した事に満足して、悪評の事は余り気にしていなかった。だが、親類縁者などからある事ない事吹き込まれていくうちに次第に心証が悪化していき、世間体も気になりだした彼らは、彼女の存在自体をなかった事にすべく家の奥深くに押し込めて外界から隔離してしまったのだ。

 要するにエレナの存在はヘイワード家の恥部なのである。

 その恥部を放置したまま、栄えある紅の騎士に長女を嫁がせるわけにはいかない、という理不尽な忖度こそがバーブルとアンナの結婚式が挙行できないでいる真因なのであった。

 とはいえ、フェルト家とヘイワード家は古くからの付き合いである。

 当然に、バーブル含め、フェルト家の人々もエレナの事を知っていた。しかし他家の家庭事情に安易に首を突っ込むわけにもいかず、エレナは病弱だから家の中で静かに過ごしているという説明に納得して、一向に姿を現さない次女の事をあれこれ詮索したりはしなかっただけの事だった。

 バーブルは、エレナが本当に悪魔憑きだろうと気にしないし、何なら彼女の面倒もこちらで看ても良いとまで伝えていたが、それが逆にヘイワード家の人々を視野狭窄に追い込み、疑心暗鬼の袋小路に叩き落したのかもしれない。即ちバーブルに憐れまれていると感じたのだ。ただでさえ紅の騎士に成り上がったバーブルに対し、ヘイワード家は引け目を感じている。そのバーブルに憐れまれては、ヘイワード家としては立つ瀬がないと言うものだった。

「エレナの事は、余り気にしないで。こちらで上手くやるから」

 見かねたアンナは、そう言ってこの問題からバーブルを遠ざけようとした。

 バーブルが下手に絡むと、話がややこしくなるという事もあったが、彼女としてはバーブルの意識が妹に向く事が気に入らないのだ。

「お前がそう言うなら、俺が口を出す事でもないが、こんな事で俺達の結婚に水が差されるのは困るぞ」

 表面的には大人しく引き下がったバーブルだが、内心の不服は露骨に顔の上にも表れており、納得しきっていない事は明白だった。

 そもそもバーブルは、ヘイワード家のエレナに対する扱いに、密かに義憤を抱いている。エレナとは、彼女が大病を患う以前にアンナやハルンを交えて遊んだ事もある。悪魔憑きの悪評が知れ渡る事を恐れた父母によって幽閉されて以降は、アンナを通じて彼女の近況を知ってきた。アンナとは囚われのエレナを救い出す事を誓い合ったものだが、姫を捕らえている魔王が実の両親では、安易に騎士(ナイト)を気取って助け出してしまうわけにもいかなかった。しかしアンナとの結婚はそれを果たす良い機会のはずだった。だからこそ彼は、エレナの面倒も看ると啖呵を切ったのだが、彼女の両親はともかく、アンナにまで反対されたのは全く予想外であって、だからこそ大人しく引き下がりつつも納得できなかったのである。

 とはいえ、他家の事に首を突っ込み過ぎても、ろくな事にならない。

 今のところバーブルにとってヘイワード家は他家なのだ。

 しかし結婚してしまえば義実家である。

 あれこれ理由をつけて、必ずエレナを助け出そう。そして彼女に相応しい男を見繕って、結婚を世話してやるのだ。さしあたりハルンはどうだろうか。幼い頃、四人で遊んでいた当時、ハルンとエレナは仲が良かった。当時と今では状況も当人達の考え方や価値観も随分と変わってしまったが、瓢箪から駒、嘘から出た実という言葉もある事で、勧めてやれば案外上手くいくかもしれない。

 そんな事を考えていると、使用人の一人がやってきて、

「王宮から御使者が参られ、至急参内せよとの事です」

 と告げた。

 バーブルとアンナは何事だろうと首を傾げながら互いの顔を見合わせていたが、ともあれバーブルは再び王宮に参内すべく家の外に出ていった。


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