25
アンリ王子は、既に天下を取ったつもりでいる。
王宮を我が物顔で闊歩し、かつて父が君臨した玉座に自ら鎮座して、王の味を存分に堪能しているのだ。
美酒と美食を貪り、美女や美少年に溺れなければ、政権の主(=摂政)になった甲斐もないとばかり、日夜後宮に入り浸って退廃的な日常を送っている。政務のような面倒な事は一切省みず、権力に物を言わせて遊びつくしている彼は、オスカル王の醜悪な劣化コピーでしかなく、人心は瞬く間に離れていったが、当人は全く気付く素振りもない。相も変わらず天下人気取りで、我が世の春を謳歌し続けていた。
アンリ王子が支配する王宮は、彼の変態的趣向に飲み込まれて、とんでもない事になっていた。
最初のうち、彼は後宮の女官や美少年と交わるだけで満足していた。だがやがて、彼ら彼女らを根こそぎ搔き集めて乱交に耽り出し、他人同士が交わる姿を見るのも好きだった彼の下、王宮のそこかしこで全裸の男女が睦み合う異様な光景が見られるようになった。それだけではない。アンリは、寵愛する少年パリスの“妻”であると宣言し、妻として夫たるパリスに隷従する事を愉しみとするようになった。公衆の面前で、本来は従者に過ぎないパリスに叱責され、あるいは乱暴されて喜ぶアンリの姿は、滑稽を通り越して狂気であり、臣下達は呆れて物が言えず、ただ離れていくしかなかった。
権力を得て、倒錯した性的趣向をひたすら暴走させたアンリは、当然の如く、誰からも見放され、見限られる事になる。
そうした者の中に、筋金入りのアンリ派と目されていたハルン・フェルトの姿もあった。
ハルンは、アンリに取り入る事で勢力を得た。今の彼は騎士であると共に、王都でも指折りの資産家に成り上がっていたが、全てはアンリ王子の後ろ盾があればこそ得られたものだった。
しかし、機を見るに敏な彼は、アンリに未来が無い事を察するや、密かに裏切る準備を進め出したのだ。
折も折、アンリの政権掌握に異を唱えて、兄のバーブルが挙兵した。
バーブル軍には彼を慕う民衆や、ライナルト派、フィリップ派の貴族騎士の他、アンリの醜態に愛想を尽かした者が続々と馳せ参じているという。膨れ上がったバーブル軍はじきに王都に達する。離脱者、逃亡者が相次ぐアンリ政権に勝ち目はない。であれば、今のうちに兄に頭を下げて許してもらわねばならぬ。あの兄の事だ。なんだかんだ言って、自分が平身低頭謝罪すれば許してくれるはずだ。……と、ハルンは虫の良い事を考えている。
行動するなら早い方がいい。
そこでハルンは、兄に対して誠意を示す為に、妻のアンナを使者として差し向ける事にした。
兄のかつての想い人。
かつての婚約者。
そして兄を裏切った女。
未練に駆られた兄が、彼女との復縁を求めるならば、それでもいい。
あるいは怒り狂った兄が彼女を八つ裂きにしたとしても、それでも構わない。
それで兄の気が済むならば、アンナがどうなろうと知った事ではなかった。
それをやらせたのは自分だと言うのに、それは棚に上げている。
彼は愛よりも義理よりも、自分が大事であった。
そういう男であった。
六月二十日。
アンリ政権に反発する貴族、民衆を糾合しつつ、進軍を重ねるバーブル軍は、今や総勢五万にまで拡大した。そして王都エンリルまで、あと二日の距離にまで迫っていた。
ここで彼らは、ライナルト王子と、彼を擁するシェルード宰相が率いる軍勢と合流を果たした。軍勢といっても僅か二千騎足らずで、五万に迫るバーブル軍と比すれば無いも同然だが、ここで重要なのは数ではなく、ライナルト王子の存在にあった。王子であり、正統の王位継承候補者たる彼の存在こそが、バーブル軍が挙兵し、王都に迫っている事の大義名分そのものなのだ。
「殿下。お待ち申し上げておりました」
だからバーブルは、ザール・ザルやルイス・ペローなど主だった諸将を引き攣れて、やたら仰々しく、とにかく派手に出迎えたのである。
「ああ、その方がフェルト将軍か。此度の事は大儀であった」
齢十歳とは思えぬほど、堂々と振舞っている少年王子に、バーブルはいささか驚きに似た感情を覚えた。
「宰相閣下も御無事で何より。王都に異変が生じたと知った時は、お二方の無事を案じたものですが、今こうして御無事な姿を拝見でき、嬉しく思います」
この程度の世辞は、昔、王宮にて紅の騎士として過ごした彼にとっては造作もない事だった。
「ああ、フェルト卿も元気そうで何よりだ。新年の挨拶の折は、体調が芳しくなかったようだからな」
「ハハハ、まあ、あの時は……。されど、あれから半年過ぎましたからな。静養に努めまして、今はもうこの通りすっかり元気になりました。そろそろ王都に上らねば、と思っていた矢先にかような事態になってしまって、いささか困惑しております」
「全くだ。余もこんな事になるとは思わなかった。アンリ殿下も短慮が過ぎるというものだ」
そこまで言って、シェルード宰相は小さく嘆息した。
「それにしても、さすがはフェルト卿だな。この短期間のうちにこれほどの大軍を集めてしまうとは」
彼らの視界の先に、雲霞の如き大軍勢が所狭しと群がり、揃いも揃って規律正しく野営していた。その規律正しさに、宰相は驚きを禁じ得なかった。バーブル軍など、勢いに任せて急膨張した、寄せ集めの烏合の衆と思っていたのに、これを見る限りまがりなりにも軍隊と称して良い。
「いえ、かほどの大軍が集まったのは、時宜を得たのと、ライナルト殿下の令旨が効果を発揮したからでございます。王家の正統たる殿下の登極を、天下の民は一日千秋の思いで待ちわびた結果が、これでございます」
そう言ってバーブルはライナルト王子の方に視線を移した。
そのライナルトは、「さようか」と素っ気なく答えただけだが、何を思ったか、突然馬に跨り、傲然とこんな事を言った。
「フェルト将軍。余は“余の兵”を実際に見てみたい。案内せよ」
「……はっ」
王子の、何とも評し難い迫力に圧倒されて、つい間の抜けた返しになってしまうバーブルだった。元より、ライナルト王子に閲兵を賜る事は予定の範囲内だった。逆にそれをやらねば、ライナルトの存在を全軍に誇示できない。しかし、それを王子から言われてしまうとは、全く想定外であったのだ。
齢十歳の王子。
しかしライナルトという少年は、なかなかに底が知れない感じがした。




