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 ――シュメリア大陸暦二〇〇二年の六月の頃。

 サクラカンド王国全土に、驚くべき情報が津波の如く駆け巡っていた。

 サルード城主たるバーブル・フェルトが挙兵したというのだ。

 エルミラの英雄、紅の勇者、サルードの眠れる獅子……。

 今や無数の二つ名を有する彼は、この一年、王国全土の注目と関心を集め続けてきた。

 何しろ彼はエルミラの戦いで迫りくるハスラード軍を迎え撃ち、見事国難を救った英雄だった。そして、婚約者をまんまと奪われ、失意のうちに領地に引き籠ってしまった悲劇的な英雄でもある。その一方で領地経営に成功し、辺境の小藩を、一躍、天下の雄藩に育て上げたやり手の政治家という顔も持っていた。特に周辺領主の僻みや怒りなど物ともせずに、平然と善政を貫く傲岸さと辣腕ぶりは、伝統的な領主達による恣意的な暴政に苦しんできた民衆の心を大いに掴み取るに至った。庶民にとっては、救国の英雄だの戦場の猛者などと言っても他人事のようにしか聞こえないが、“良い領主様”という評判は骨身に染みるのである。

 そんなバーブル・フェルトが決起した。

 これには王国全土がひっくり返った。

 表向きには王都エンリルで生じた政変で、アンリ王子が政権を奪取してしまった事に異を唱える為、という事になっている。そのアンリ王子は、六月三日に軍事クーデターを起こし、王宮から下町に至る王都の全域を制圧した。ライバルのライナルト王子と彼を支えるシェルード宰相には逃げられてしまったものの、フィリップ王子の処刑と、オスカル王の確保には成功し、自らは摂政王太子を称して新政権の樹立を宣言したのだった。

 アンリ王子はかねてより挙兵も視野に準備を進めていたが、直接的な引き金となったのは、ライナルト派たるシェルード宰相とバーブル・フェルトが急接近しつつある事を察したからである。バーブルがライナルト派に付いた場合、アンリ派の劣勢は顕著となる。そうなってしまう前に実力で政権を奪い、玉を抑えて、有利な立場を作っておこうと考えたのだ。だがそのような政権を、バーブルが認められるはずもない。折も良く、サルードの地にやってきたルイス・ペローの説得もあり、“抗議の為”に上洛を決意した彼には、有志の男達が“護衛”として随従していた。表向きは、あくまで護衛だが、その数三千に達するうえ、いずれも完全武装ときては、もはやただの護衛隊とは言い難い。王都の奪還すら可能な、まさしく“上洛軍”と評して良かった。



 動き出したバーブル軍には、連日、加勢が集まっている。

 日頃、領主達の悪政に苦しんでいた民衆が、一揆を組んだうえで、農具たる鍬や自作の竹槍を手に、フェルト将軍を護衛したいと言って彼の下に続々と馳せ参じているのだ。中にはバーブルに親近感を抱いていた開明派の領主や、アンリ王子に滅ぼされたフィリップ王子を支持していた貴族の姿もある。言うまでもない事だが、ライナルト王子派の貴族達の姿もあるが、これは数が少なく、バーブル軍全体から見れば微々たる存在に過ぎなかった。

 進軍の都度、増援が加わり続けるバーブル軍は、挙兵から僅か三日で総勢二万に達するまでに膨れ上がっていた。これを急拡大と捉えるか、単なる水膨れと見るかは人によって異なるが、バーブル軍の基本は厳正な軍規にあり、それを守れぬ者は参加自体を認めぬスタンスは頑なに維持していたし、実際、軍規に背いた者は例え貴族配下の将兵であろうと容赦なく罰したので、今のところは軍としての一体性は保たれているように見えた。

「フェルト卿。王都から“勅使”が参っておりますが」

 床几に腰を据え、悠然と将帥を気取っている彼の下に、伝令が駆け込んできた。

「勅使?」

 バーブルの口調が疑問形なのは、主に二つの理由からだった。

 一つは、なぜ勅使が来るのか、という事。

 今一つは、本当に勅使なのか(・・・・・・・・)、という事。

「通しますか?」

 ザルがわざとらしく問うと、

「ああ」

 バーブルは軽く頷いた。

 しばらくして、“勅使”がやってくる。それらしいローブを纏い、頭には冠を帯びた男と、それに随従する二人の護衛。武装や恰好からして近衛兵であろう事は容易に推察がつく。

「フェルト男爵。王太子殿下の名において、国王陛下の勅命を申し渡す!」

 朗々と響く、仰々しい声。

 王太子!

 その単語に、バーブルの表情がぴくりと震える。彼の帷幕に集う諸将も同様だった。その中には、紅の騎士団を率いるルイス・ペローの姿もある。

 しかし勅使(・・)は構わず淡々と続けた。

「男爵が此度、叛乱を起こしたのは何故の事か。理由如何によっては容赦せぬが、とはいえ、男爵は国家国防に大功ある英雄。男爵が大人しく兵を退くのであれば、此度に限り不問に付すとの有難い仰せである」

 一応、勅使であり、王命ということで、バーブル以下の諸将は皆、一段下の場所で大人しく頭を下げている。だが、勅命の一切を言い渡し終えて、勅使たる任を全うしてしまうと、不満や怨嗟の声がたちどころに沸き起こった。

「叛乱とは聞き捨てならぬ。何をバカな。叛乱したのは、お前達の方であろうが」

「そうだそうだ。大体、王太子殿下とは何者だ。シャルル殿下亡き今、この国に王太子なるものは存在しないはずだ」

「アンリ王子は、幽閉している国王陛下を速やかに解放しろ。陛下を騙って偽勅を発するなど言語道断だ!」

 諸将の主張は尤もだった。

 少なくともバーブルはそう思い、黙ったまま事の成り行きを見守っている。

 勅使はあれこれ反論していたようだが、結局諸将の凄まじい剣幕にあてられて、何も言えずに這う這うの体で引き下がるしかなかった。

 茶番の終焉を見届けると、バーブルはゆっくりと立ち上がり、未だ興奮冷めやらぬ様子の諸将に向かって宣した。

「今更言うまでもないが、我らは叛軍などではない。むしろ叛乱を起こして王都を占領した叛徒アンリ一派を退治し、囚われの国王陛下をお救いする正義の軍である。その証拠に、我が手元には、ライナルト殿下の名において発された令旨がある。囚われの父を救ってくれとの、重い御意である。

 皆もわかっているだろう。父を捕らえた子よりも、囚われの父を助けんとする子の方に正義があるのは誰の目にも明らかだ。戦友諸君! 同志諸君。胸を張れ。自信を持て! 我らは正義の戦を始めようとしているのだ」



 軍議を終えたバーブルは、その足で彼の為に割り当てられた宿所に戻った。

 バーブルはあくまで新政権に抗議する為に王都に向かっている。戦をする為ではないのだ。……という事もあって、彼はこの軍にエレナを帯同していた。出陣に際して大切な人を後方に残しておくという事に、彼は深刻なトラウマを抱えていたし、エレナ自身も随行を望んだ事が主な理由である。

 とはいえ、あまり褒められた事ではない。

 戦場に女連れなど、縁起が良いとは言えなかったし、

 そもそも女であれ男であれ、戦に通じているわけでもない素人など足手まといにしかならないからである。

 女連れのバーブルを、驕りの表れとみて不安がる者がいる一方、

 逆に余裕の表れと見做して、安心する者もいないわけではない。

 エレナ自身は、美麗な容姿に御淑やかな性格に加え、軍務に余計な口出しもしないので、諸将からの受けはさほどに悪くはなかった。

「エレナよ。この分だと俺は本当に弟とやり合う事になりそうだぞ」

 苦笑を浮かべながら、バーブルはそんな事を言う。

「ハルン様とですか。と言う事は、私は姉とやり合う事になるのですね」

 釣られたようにエレナもまた苦笑を浮かべている。

「ハハハ。そうだな。姉と敵対するのはやはり嫌か?」

「まあ、血を分けた姉ですから」

「そうか。嫌か」

「バーブル様にとっても、姉上はかつての婚約者でしょう。敵対の立場にある事には、いろいろ思うところがあるのでは?」

 小悪魔が憑りついたような笑みを浮かべるエレナに、バーブルは「はっはっは」と豪快に高笑いしてみせた。ひとしきり笑い終えてから、彼はこう続けた。

「痛いところを突いてくるな。まあ、確かに思うところはあるな。あれでもかつては愛した女だ。だが、今は違う。今の俺はお前しか見えない」

「……もう」

 気恥ずかしそうに顔を赤らめて、プイっとそっぽを向く辺りは、やはりアンナの妹なのだと思わずにはいられない。そう思ってしまう事自体が失礼だと分かっていても、こればかりは致し方なかった。エレナもまた、バーブルの内心を察しながら、しかしいちいち咎める事はなかった。

「でも、勝てるんですか?」

 エレナはどこか深刻そうな顔をして問う。

「ああ。そこは安心してくれていい。負けるような戦にお前を連れてこないよ」

「そうですか」

 いかにも嬉し気に、エレナははにかんでいる。

 最近は、飽きるほど見る事が出来るようになったエレナの笑顔だが、笑顔だけは幾ら見ても見飽きる事がないなと呆けた事を考えながら、バーブルはいつものように彼女の隣に腰を下ろし、その華奢な体に手をまわして、力のままに抱き寄せてしまった。


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