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どうしてこんな事になったのだろう。
暗闇の中で、彼女はよくそう思った。
自分は悪魔憑きだ。
人はそう言うし、両親すらもそう言うのだから、そうなのだろう。実際、よく風邪を引くし、体調も崩すが、理由も原因もよくわからないので、憑りついている悪魔の仕業だと言われれば納得する他なかったという事もある。
だとしたら、どうやったら悪魔から解放されるのか。
お祓い、祈祷、投薬……、
出来る事は全てやった。
だが効果はなかった。
相変わらず自分はよく体調を崩した。
悪魔が憑りつき続けている可能性がある以上、野放しにはできないと言って、両親は自分をこの部屋に閉じ込めた。それは確かにそうなのかもしれないが、そもそも悪魔が憑りつく事になったのは両親が勧めてきた祈祷師の行った禁呪のせいだし、最初からそれと分かったうえで祈祷を依頼したのは両親なのだから、自分だけが全ての業を背負って閉じ込められるのは筋が違うし、おかしいんじゃないかと思うのである。少なくとも両親から「悪魔の子」とか「悪魔憑き」と罵られ、蔑まれるのは意味が分からなかった。
最初のうち、彼女は外に出たくてたまらなかった。
窓の外で、自分と同世代の子供達が遊んでいるのを見るたび、
姉のアンナが友人のバーブルやハルンと楽しそうに遊んでいるのを見るたび、
彼女は自分もその中に混じりたいという衝動に駆られて、いてもたってもいられなくなった。
だが父母は決して許さなかった。姉のアンナもなんだかんだ理由をつけて、結局許してはくれなかった。
いつしか閉じ籠る日々にも馴れて、外に出たいという気持ちも薄らいでいった。そもそもエレナは、性格的に外向的な方ではなかったから、引きこもりの生活にも順応しやすかったという事もある。
それでも思うのである。
自分以外の家族が幸せを謳歌しているのを、壁越しに聞くごとに思う。
どうしてこんな事になったのかと。
どうして自分だけがこんな目に遭わないといけないのかと。
どうしてアンナだけが幸せを謳歌できて、自分は許されないのかと。
大病を患わなければ。
あんな祈祷師に治療を依頼しなければ。
だが、時と共にそんな人間らしい感情も消え失せていった。文句や不平を示せば、父親に殴られたという事もある。父は酷いもので、幼い頃は文句や不満を口にしても平手打ちしたり殴る程度で済ませていたが、時と共に身体が成長して女らしさが増すにつれて、ひとしきり殴った後は、弱り切った自分の姿に欲情して襲ってくるようになった。ケダモノの如く本能剥き出しで迫ってくる父に付き合っているうちに、人間らしい感情など保っていられなくなったのだ。
ちなみに母と姉は、父の暗部に薄々気づいていたようだが、見て見ぬ振りを決め込み、姉に至っては近づきもしなくなった。想い人のバーブルが時折思い出したように「エレナを救い出そう」と口にするので、適当に合わせてはいたようだが、実際にバーブルが行動に移そうとするとなんだかんだ理由をつけて抑え込み、遂に何もさせなかった。なぜその事を自分が知っているかというと、ヘイワード家を訪れたバーブルとアンナが庭先でそんな話をしているのを偶然耳にしてしまったからである。
その後、バーブルは軍に入った為にヘイワード家を訪れる事はなくなり、風の噂で紅の騎士に出世したという事を聞いた。バーブルはエレナにとって頼もしい兄的存在であり、密かに憧れていた人でもあったから、出世したと聞いた時は自分の事のように嬉しかったが、バーブルの想い人はあくまでアンナであり、バーブルとアンナが婚約したと聞いた時はこの世の終わりの如き衝撃を覚えたものだった。父に襲われても、母に無視されても、外面だけは良い姉に裏切られても平然と振舞う事に馴れていた自分が、この程度の事でこんな感覚を抱くというのは不思議な気もしたが、それだけ自分の中でバーブル・フェルトという男の存在が大きくなっていたという事なのだろう。
ある時、アンナがやってきた事がある。
薄暗い部屋の中、実の父によって全裸に剥かれて、好き放題弄り倒された直後の彼女を、アンナは冷然と見下ろしていた。
長居するのも躊躇われるとばかり、アンナは慌ただしく口を開いて、こんな事を言った。
「私、ハルンさんと結婚する事になったわ」
どういう事、とエレナは心の中で思った。
アンナの結婚相手はバーブルではなかったか。
しかしバーブルは今、王の軍に参加して不在だという事を、エレナは知っていた。それだけに彼女の背筋には嫌な予感が走った。その予感を裏付けるように、アンナはバーブルが死んだ事を告げたのだ。
エレナにとって、それはこの世の終わりにも等しいショッキングな出来事だった。この世のあらゆる事に絶望していた彼女は、バーブルという偶像に縋りつく事で辛うじて精神を保っていたところがあったが、その最後の壁が音を立てて崩れてしまったのだ。以来、エレナはありとあらゆる事に絶望し、ただ死を待つだけの不毛な日々を過ごす事になった。
そしてこの日に至る。
この日も、エレナは朝から父親の相手を務め、手枷足枷を填められた状態で、床の上に転がっていた。
裸でいる事にも随分と馴れた。
喉の渇きも、空腹も、苦ではなかった。どうせ耐えていれば、父が持ってくる。それまで待っていればいいのだ。しばらくぼんやりと過ごしていると、扉の向こうに気配が迫ってきた。それはいつもと少し違う気もするが、気のせいだろう。父親の他に、この部屋に近づこうとする者などいないはずなのだ。
扉の外が騒がしい。
やがて静まったかと思うと、
扉がギィィィと鈍い音を張り上げながら開き始めた。
光と共に新鮮な空気が流れ込み、それらを背にして姿を現したのは、
あのおぞましい父ではなかった。
「え、エレナ?」
忘れもしない、それは夢にまで見た、あの少年の成長した姿だった。




