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シュメリア大陸暦一〇〇一年六月。
籠城開始から丸一年が過ぎた。
エルミラ要塞を巡って、籠るバーブル軍と、攻めるハスラード軍の間で延々と繰り広げられていた壮絶激烈な攻防戦は、未だに続いていた。とはいえ、この一年で双方ともに手は出し尽くして、互いに有効な打つ手を欠き、ここ二ヶ月ほどは不毛な膠着状態に陥っており、厭戦気分だけが化け物のように膨れ上がりつつあった。
約一年に渡り、一方的に攻勢に晒され続けたバーブル軍は惨憺たる有様にある。切り立った岩山の頂上に築かれているはずの要塞は、熱気球を使った火焔爆撃に、投石機を用いた遠距離攻撃によって壊滅的打撃を受け、今や地上部分の施設は悉く使い物にならなくなっている。兵達は瓦礫の山を出来る範囲で修復したり、瓦礫の山自体を壁として使ってハスラード軍の猛攻を防ぎつつ、日常の生活は地下で送るようになっていた。とはいえ、地下室自体は広くないので、そこに六千弱の兵が入れば窮屈極まりないが、耐えるしかなかった。
いや、ただ窮屈なだけであれば、耐えるだけで済むが、窮屈さに加え、衛生環境が悪化した事で病が蔓延し出した事は、耐えるだけでは済まされない深刻な問題だった。一応、軍医はいるものの、肝心の薬が無い以上は、出来る範囲での治療――栄養補給と十分な睡眠――に留めざるを得ず、病が悪化して死亡する兵も相次いだ。この絶望的状況に耐え切れなくなって自殺した者や、敵の攻勢を受け止める中で戦死してしまった者も含めていくと、この一年で二千を超える兵が死んでおり、最末期のバーブル軍は総勢四千を下回っていた。
不幸中の幸いと言うのも妙ながら、兵の減少は皮肉にもエルミラ要塞を蝕んでいた問題を改善させた。人数が減った事で住環境は多少なりと改善されたし、改善によって体調やメンタルの不調に陥る者も激減した。また備蓄物資の消費量も少なくなった。
とはいえ、目の前で次々と戦友が死んでいく様を見る事ほど辛い事はない。
しかも、次が自分でないと言い切れる者は少ない。
次は自分かもしれない、という強迫観念は兵達の精神を大きくすり減らした。それはバーブルも例外ではなかったが、彼の場合は、自分が死んでしまう事より、死ぬ事によってアンナに会えなくなる事、アンナを悲しませてしまうかもしれない事が気がかりで、いてもたってもいられなかったのだった。
最近の彼は、もう生きては帰れないという事も視野に入れつつあった。
だからアンナには、違う形で幸せを見つけてほしいと、何度か使い烏を送った事もある。
あるいは、アンナを保護して、留守を守っているハルンに対して、「後は任せる」などと弱音を綴った文を送った事すらあった。
何にしても、これ以上猛攻に晒され続けたら、さすがに持たないという認識は、バーブルから下は末端の兵卒に至るまで、城内の誰もが否応にも持たざるを得なくなっていた。兵の減少によって多少なりと状況が改善されても、そんなものは焼け石に水でしかないし、兵の減少は防衛力の減少に直結する。生き残った兵もその多くが満身創痍では、ハスラード軍が数に物を言わせて総攻撃をかけてきた時に、防ぎきれるはずもないからである。
一方、ハスラード軍の方も惨憺たる有様であった。
この一年、どう攻めても、難攻不落のエルミラ要塞はびくともしない。熱気球を放って焼き尽くしても、投石機を撃ちまくっても、城兵の戦意は衰えず抵抗の手は全く弱まらないからである。もういい頃合いかと思って総攻撃に打って出ても、進撃ルートが狭い事もあって各個撃破されてしまい、戦果は全く上がらなかった。
いっそ、エルミラ要塞など無視してエンリルに進撃しようかとも思った。
しかし、エルミラ要塞は交通の要衝に位置する。ここが敵の手にある中で進撃すれば、背後を叩かれるかもしれないし、物資供給が滞る恐れもある。ハスラード軍は十万の大軍である以上、物資供給の円滑な遂行は軍を維持していくうえで欠かせない事なのだ。
そうこうしているうちに、一年が過ぎてしまった。
ハスラード王国とて、無限に十万の大軍を養い続けられるわけではない。
それ以上に何より、フラゴナール公は本国の考えが気になっていた。苦戦を続ける自分に、リーンハルト王は怒っているのではないか。怒るだけならまだいいが、失望された場合は目も当てられない。リーンハルト王は使えない人材に対して厳しい。
そこでフラゴナール公はそれとなく本国に使者を送り、宮廷の情勢を探らせてみたりした。
当然というべきか、宮廷においてはフラゴナール公に対する否定的な論調が強まっており、彼を更迭して代わりの人間を司令官として送り込むべきではないかという意見が大勢を占めつつあるという。これを主導しているのは、ライバルのアポリネール公であって、今のところリーンハルト王の真意は定かではない。だが王の判断が、更迭に傾く事は十分にあり得たので、そうなってしまう前にフラゴナール公としては目の前の戦に一定の決着をつける必要に迫られる事になった。
そこで公は、腹心のシャミナード将軍を使者としてエルミラ要塞に送り込む事にした。
少しでも有利な形で和議を結ぶ為である。
和睦交渉は数日に渡って続いた。
フラゴナール公の意向を代弁する立場のシャミナードとしては、少しでも有利な形――最低限でもエルミラ要塞の開城、明け渡し――で和議を結びたい。しかしバーブルの側も不利な条件で和議を結ぶつもりはない。そんな事をしては、一年の長きに渡って共に戦ってきた同志達に申し訳が立たないし、そもそも国王の許可もなしにそんな勝手はできないという事情もあった。結果として両者の主張は平行線を辿り、容易に決着しなかったのだ。
とはいえ、双方ともに、本音では和議を結びたいと思っているし、というより結ばねば破滅する他ないというのはお互い様であったので、交渉自体が破綻する事も、破局を迎える事もない。そうなりそうになると、どちらからともなく妥協が生じ、続交渉となる。そんな事を、ここ数日、延々と続けてきたのだ。
茶番にも似た交渉にも決着の時がやってきた。
最終的にはハスラード軍がエルミラ要塞明け渡しを断念する代わり、エスティリア湖を含むエスティリア平原全域の支配権をハスラードが掌握する事を、サクラカンド側が認めるという形の和議案で両者が納得するに至ったのだ。
サクラカンドにとってはエスティリア平原の支配権を失う事は痛い。とはいえ、一年前のエスティリア平原の戦いに敗れた時点で、平原の実効支配権はハスラード軍に奪われており、実態としては現状を追認するだけの事だった。西部国境の要たるエルミラを維持できたという一点だけでも、まず満足すべき結果と言えた。
逆にハスラードにしてみると、エスティリア平原の支配権を名実共に確実に出来たという点では確かに評価すべき内容であったが、事実の拡大ではなく確認に終わったという点では無念の残る結果と言わざるを得なかった。しかし本国で高まるフラゴナール公排除の動きが本格化する前に戦を決着させるには、多少の不満は飲み込む他はない。得られた成果をせいぜい大袈裟に触れ回って誤魔化し、捲土重来を期すのだ。
エルミラ要塞に出向いていたシャミナードと、バーブルの間で和議案が固まると、六月十日にはバーブルとフラゴナール公の直接会談が行われて、その場で和議案が正式に調印される運びとなった。
その調印の儀にて、
「貴公がフェルト将軍か」
公は、バーブルの姿を見るなり、悔しさとも諦めともつかぬ複雑な表情のまま呼びかけたという。
「貴方が公爵閣下か。お初にお目にかかる」
対するバーブルは、一年に及んだ壮絶な籠城戦を経たとは思えぬほど溌溂とした顔であった。あるいはそんな両雄の差こそが、今回の戦の結果を端的に表していたのかもしれない。
「ああ、お互い、随分と長く付き合ってきたが、こうして初めて会えたのも何かの縁だ。今後、我らはいろいろあるだろうが、その時はよろしく」
「御意。今後は閣下との友誼を通じ、両国がいがみ合う事無く、手を取り合う事が出来れば重畳に存じます」
バーブルは軽く一礼した。
「そうだな。我らが手を取り合えば、この天下とて思いのままであろう」
そう言ってフラゴナール公は右手を差し出す。
バーブルは躊躇う事なく、自らの右手で応えた。
二つの手が重なり、一つとなる。
その瞬間に、和議は成った。
形式的な文書にサインをし、名実共に和議が成立すると、それを履行すべくバーブルは城内に戻り、フラゴナール公は全軍に撤退を号令した。
こうして一年に及んだエルミラ要塞攻防戦は幕を下ろす事になったのだった。




