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以前書いた短編小説の連載版です。

 ――シュメリア大陸暦の一〇〇〇年五月の頃。

 サクラカンド王国とハスラード王国は、初めての“接触”以来何度となく武力衝突を繰り返してきたが、この日も両国の国境沿いに広がるエスティリア平原を舞台に、両軍は愚にもつかぬ睨み合いに明け暮れていた。

 大陸東方の伝統的大国として名を馳せてきたサクラカンドと、中原の小国から成り上がって今や中原全域を制覇し、東方にも食指を伸ばし始めたハスラードは、成り立ちや経緯からして全く相容れぬ存在であり、そんな両国が国境を接してしまった事は全く不幸という他なく、衝突は避け難い事であった。

 そもそもエスティリア平原は、東半分をサクラカンドが、西半分は属国のエスティリア公国が領していて、全域がサクラカンドの勢力圏だったのだが、エスティリア公国が西より迫るハスラードに降伏した事で状況は一変した。属国の裏切りはサクラカンドにとって面白くないし、一方、エスティリア公国を傘下に収めたハスラードにとっても、平原における唯一の水源たるエスティリア湖をサクラカンドに抑えられている現状を放置しておくわけにもいかず、現場レベルでは一触即発の状態が続いていた。それが両国の間で火種が絶えない原因であったわけだが、ただ、互いに手強い強国という意識は持っていたので、当然、共倒れの懸念から全面衝突は避けたいという心理が働き、それが自重となって、結果として小競り合い程度で収まっていたのだった。

 この日の戦いも水を巡って生じた。

 サクラカンドが水供給の停止をちらつかせたので、それを阻止すべくハスラード軍が威嚇に乗り出し、するとサクラカンド側も迎撃に出るという、いつも通りの構図であった。

 しかしいつもと異なったのは、ハスラード側が動員した兵力が万に達し、事態を小競り合いで収めるには大袈裟に過ぎたという事だった。大軍を繰り出されては、サクラカンドも応じざるを得ず、結果として両軍合わせて二万を超える大兵力が国境を間に挟んで睨み合う羽目に陥ってしまったのである。



「馬鹿げた事だよ」

 戦場を見やりながら独り言ちているのは、バーブル・フェルトという男だった。

 深紅の鎧兜を身に纏い、その隙間から白銀に煌めく鎖帷子を覗かせ、腰には使い古した剣を佩び、颯爽と馬に跨る彼は、いかにも典型的なサクラカンドの騎士という感じである。実際彼は、サクラカンド王国が誇る王立騎士団――紅の騎士団――に属する騎士であり、“紅剣のバーブル”といえば大陸東方一帯で知らぬ者はいないと言われるほどだった。

 王直属の紅の騎士として王都エンリルに常駐する事を義務付けられている彼がこの地に在ったのは、特命によりエスティリア前線司令部の現状を視察していた為であった。その最中に今回の騒動に巻き込まれたのだ。

「しかし、ハスラードの奴らは日ごとに増長している。この際、徹底的に叩きのめして、奴らに身の程を思い知らせてやるのも一興かと」

 そう答えるのは、彼の弟のハルン・フェルトであった。

 兄譲りの整った容姿と、落ち着き払ったような雰囲気を身に纏う彼は、凄腕の戦士としての名声が却って粗野に受け取られがちな兄と違って、温厚篤実な紳士の如く見られる事も多い。しかし、実態としての彼は、兄以上に血気盛んであり、また気位の高さが高じて感情的になりがちなところもあって、要するに評判とは全く異なる人間であった。むしろ血気盛ん、粗野と評されている兄の方が、弟の暴走を止めにかかる事も多いのだが、ハルンは外面だけは良いので、その真実を知る者はそう多くなかった。

「フン、叩きのめせればよいがな。逆にこちらが痛い目を見る事もあり得るぞ」

 ハスラードは大国である。

 しかしただの大国ではない。

 新興の大国なのだ。

 伝統的大国という聞こえの良い表現で悦に浸っているサクラカンドとは大国としての質や出来が全く違う。一言で表現するならば、勢いという事になるだろうか。ハスラードはここ十年で急激に勢力を拡大してきた、いわば昇竜の如き存在である。その勢いは未だ衰える気配すらない。一方、サクラカンドは建国から五百年以上を経て、羽振りの良い時期などとうの昔に見失い、今となっては滅亡という終着点を目指して斜陽の道を漫然と突き進んでいるような国だ。簡単に言えば、ハスラードは朝陽だが、サクラカンドは夕陽である。

「兄者は相変わらずの心配性だ。我らサクラカンド軍は常勝無敗。ハスラードの雑魚兵どもに後れを取ったりはしないよ」

「常勝無敗か。そう言えば確かに聞こえは良いが、要するに勝てそうな相手としか戦っていないだけの事だろう。そう偉そうに誇れるほどのもんじゃないさ」

「……」

 評判に反して慎重が過ぎる兄の事を、ハルンは内心余り快く思ってはいない。

 これは何も戦の事に限らない。

 兄は何をするにも、いちいち石橋を叩かねば渡らない主義で、叩くだけならともかく、叩き過ぎて壊してしまう事すら珍しくなかった。それも時には良いだろうが、常にそれでは、人生一体何が楽しいのかと思うのである。色恋沙汰もその一つ。兄には幼い頃から好意を寄せている女がいた。どう見ても好きなくせに、慎重に毒され過ぎて、全く一歩を踏み出そうとしないから、仲は友達の枠内に踏みとどまったまま一向に進展しなかった。今年に入って、ようやく重い腰を上げる気になり、遂に婚約したと言うが、十年以上も悶々とした気持ちを抱えたまま、つかず離れずの微妙な関係を続けて時間のみ空費するなど、ハルンにしてみればあり得ない事だった。とっとと白黒はっきりさせてしまえば、無駄に心煩う事もないのに、と彼は思っている。

「時に兄者」

 話題を転じるように、ハルンは言った。

「そういえば、婚約したんだってな。おめでとうをまだ言ってなかったな」

「ん、あ、ああ。まあな」

 思わぬ言葉を投げかけられて、バーブルは気恥ずかしそうに頭を掻いた。

「よかったじゃないか。もう十年以上になるのか? よくぞそんな気の遠くなるような恋路を実らせたもんだ」

「まあな。お前にもいろいろ骨を折ってもらって、すまなかったし、助かった」

「いいってことよ。兄者と俺の仲だろう」

 そう言うハルンの表情には若干の陰りがある。

 それを見逃すようなバーブルでもないが、この件に関しては、弟に返しきれないほどの借りがあるので、特に追及する気にはなれなかった。

「なら、なおの事、こんな馬鹿げた戦はとっとと終わらせて、都に帰らないとな」

「ああ、だが、今の俺は実質的に客将の立場だ。何かできるわけでもないがな」

 苦笑交じりの兄に対し、

「いやいや、“紅剣のバーブル”様を無視する愚か者はいないよ。兄者が戦場で暴れ回れば、味方の士気は大いに高まるだろう。このくだらない戦も一瞬で決着がつくさ」

 ハルンは少し誇らしげに、どこか疎ましげに、そんな事を言った。バーブルは「そうか」と満更でもなさそうに微笑んでいた。


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