やっと先輩の背中が見えたのさ
絵が描けない奴が、どうして漫画部に入ったかって? 友達の入部の付き添いだったんだよ。
地元から離れた高校の一年生になって、初めて出来た友人が漫画部に入るって言ってな。その付き添い役を買って出たのさ。
だから、先輩が「君も入るでしょ?」と言って来た時は戸惑ったもんだ。別に漫画家になりたかった訳じゃなかったし。
でも、その先輩がまた強烈なキャラでさ。まるで漫画の中の登場人物みたいでね。嬉しそうに笑いながらサラサラと落書きしても、誰が見たって一発で判るのに見事なデフォルメで何でも描ける。しかも奇声を上げながら書くんだよ。ひょほーっ!! って具合に。でも、上手いんだよ。
気付けば俺は、丸一年間、その先輩に会いたくて部室代わりの教室に通い続けた。勿論、全然画力は上がらなかった。だって、スタートラインが違い過ぎなんだよ。先輩は幼稚園の頃から毎日毎日、ずーっと絵を描いてた。ひたすらに、ひたすらに。毎日毎日。バイトすら絵を描くバイトを探して、絵を描きながら学校に通い、全く畑違いの電気科で学び、それで部活で絵を描いて、帰宅してまた絵を描いて。
たまーに、先輩の家に遊びに行くと、狭い部屋の壁全部が本棚で、それ全てが漫画と資料の山、山、山。漫画も一度に三冊買うの。保管用、読む用、貸す用。だから、漫画だらけ。
じゃあ、毎日絵を一緒に描いてたかって? それが、そうでもなかった。だって、俺は全く才能が無かった。だから、俺は必死に齧り付く為に字を描いてた。先輩と一緒にとある大学のワークショップに参加した時は、プロのデザイナーさんが話してた内容を必死に字に起こしてた。口述筆記、って奴か? だから、画用紙は絵より字の方が多かったんだ。勿論、たまに描いた俺の絵は下手くそだったよ。
……楽しかったけれど、そんな生活は一年間続いたがある日、一瞬で終わった。先輩が卒業しちまったからだ。
先輩が居なくなった部室は空っぽで、次第に俺の足は遠退いた。そして、俺は二年の始めで退部した。
それからは、自分のデザイン科の課題に取り組む毎日が過ぎ、何とか無事に卒業出来た。不思議な事なんだが、その頃にどんな勉強をしたか、全く憶えていない。記憶に無い。しかし、いまだに卒業前日って夢を見る。だいたい、卒業出来るか判らなくて不安になる夢だ。不思議だが、たまに見る。嫌な思い出なんて別に無いのに。
社会人になり、一人暮らしをし、今の妻と出会い、子供が生まれた。あっと言う間に時間が過ぎた。
絵は描けない。子供に見せたくて絵筆を取っても、呪われたみたいに、全く描けない。あの頃、必死になって会得したくて描いた絵心は、綺麗にサッパと消えて無くなっていた。でも、未練は無かった。仕事は全然関係無い職種だし、あの頃夢中になってた事は、全部遠い昔の思い出だから。
……俺は、漫画家になるつもりは無かった。その筈だった。
ふとしたキッカケで、ネット上に公開されている無料小説を目にする機会があった。ただの暇つぶし、タダだから読んだだけ。書き手も素人だからなのか、大抵はアラの目立つ二次創作系が多かった。
でも、面白かった。学生時代、高校まで電車通学の間、小説ばかり読んでいた。車内で手軽に出来る暇つぶし。教科書読めって? バカ言えデザイン科の教科書ってのはムチャクチャ厚くて重いんだよ? だから、小説ばかり読んでいたんだが、あの頃あったら良かったのに。
しかし、あらかた読んでしまうと、少し違う場所に移り、そこで公表されている作品を読む。だが、直ぐに枯渇しちまう。はは、読むのだけは早かったんだ。だって、毎日毎日、寝る間を惜しみながら徹底的に読んだからね。
……そして、ここを見つけたのさ。
ここは【有名になって出版化された作品も多数ある】【登録も掲載も全て無料】【読むのも書くのも自由】が謳い文句だった。
小説を読もう。シンプルな名前だけど、確かに全てが無料。そして掲載作品数も何十万とあり、一生掛かっても全ては読めない。だって毎日毎日、必ず誰かが投稿し続けているのだから。サイトが消滅しない限り、終わりは無いんだよ。
ただ、優劣も勝ち負けも存在しない代わり、絶対的な価値基準は存在した。
【書く】か、【書かない】か。
別に書かなくても、十分楽しめる。書き手は何万人と居て、気に入った作品が見つかれば無料で読める。但し、投稿頻度は書き手の気分次第だし、最悪の場合は途中で打ち切りもザラだが。
なら、【書いて】みるのはどうか?
本当に簡単だ。ただ、ネットに繋がる端末さえ有れば、一瞬で登録終了してその場で書き始められる。
……但し、書き方は全く教授されない。
どれだけ探し回っても、書き方を指南する小説なんて極少数。読み手には優しくとも、執筆者には厳しい。それが俺の第一印象だった。でも、初めて与えられた玩具に夢中な子供のように、毎日毎日、書き始めた。
初めは、ただ起承転結の繰り返し。誰が何してどうなって、最後に何が起こったか……そんな陳腐なストーリーだったが、それでも白紙を埋めるように毎日、毎日。ただ、ひたすらに。飽きもせず。
そんな俺だったが、一年が過ぎる頃。初めて、自分が書いた作品を読む相手が出てくるようになった。
……嬉しかった。それまで、公開しても公開しても、一切誰も見向きもしなかったのに。何だかやっとスタート出来た気がしたんだが……でも、ゴールは果てしなく遠く……いや、全く見えもしなかった。だって、読む相手は匿名で、更に記録上はタダの「閲覧数・1」でしかなかったから。
でも、そんな事は関係なかった。読まれた事実は動かないのだ。
しかし、数字は増えなかったし、相変わらず孤独な執筆者だった。感想欄はいつもゼロ。居ないなら居ないで構わない、と強気なままで更に時間だけが過ぎていった。
だがある時、俺は何をしているのか考えてみた。
小説を書く、それは何故か。
他の読者に読んでもらい、面白かったと言って欲しかったのだ。いや、だったら自分自身はどうだ? 誰かにそう言った事はあったのか?
よし、書いてみよう。見てろよ、俺は書く側なんだから一味違う感想を書いてやる。
生意気な奴だろう。たかが幾つかの字の羅列を集めた何かを、ほんの一握りに過ぎない方が読んでくれていただけなのに、随分思い上がったものだ。
そうしてありったけの思いを籠めて感想を書き、気付けば徹底的に考え抜いたレビューも書いた。それがどれだけ作者や読者の心に届いたのかは、判らない。しかし、結果は目に見えて現れた。
感想には、返信がある。作者の大半は俺と同じように、一日千秋の思いで感想を待っていると思う。だから、返信があった時は俺と同じように返事を書くだろう。そう思うと急に満ち足りた気持ちになり、孤独な執筆から抜け出した気がした。今までは顔も知らない執筆者だったのが、急に親近感の持てる血の通った存在に変わった瞬間だった。
それがきっかけで、感想を書いた執筆者の活動報告にお邪魔するようになった。恐る恐る、だが。
最初は高い敷居を跨ぐのがやっとだったが、少しづつ他の執筆者の方々と交流するうちに、幾つも気付く事があった。
みんな年下なんだと思っていたが、結構家庭持ちの同世代も多かった。そして、ペンネームだけでは判らなかったが女性も案外多く、更に自ら筆を取り絵を描く人も居る事を。
天は二物を、なんてよく言うが実際に居るものなんだな、と羨ましかったが、その気持ちはチクリと心の奥底に突き刺さり、抜けなくなった。だが、何故か懐かしい気持ちも芽生えたのだ。
俺より遥かに勝れた才能と、人並外れた努力で自らの道を切り開いた先輩も、この世界の何処かで表現者として、今もどこかで活躍しているのだろうか、と。
そりゃ、こんな世の中だから、ネット検索すれば後ろ姿位は見つけられると思う。だが、同時に怖かったんだ。もし、見つけられなかったら……そう思うと検索出来なかった。
でも、そんな心配は無用だった。ある日、娘の元に届いた通信教育の勧誘冊子が届き、中身を確かめる為に開封したんだ。そうしたら、【聞いてみよう!憧れの職業】みたいなページに先輩がドーンッ! と載ってたんだ。
ああ、そりゃ当たり前だよ。俺のちっぽけな思惑なんて一切無関係。先輩は、あの時からずーっと変わらず漫画家してたんだから。
俺は、漫画家になりたかった訳じゃない。先輩の横で彼の絵を、眺めていたかったのかもしれない。
……だから、絵を諦めて字を繰るようになった。
先輩は小さな頃からずーっと絵を描いていた。そして俺は、自慢じゃないが小さな頃からずーっと本を読んでいた。だから、一心不乱に書いたら何か、モノに出来るんじゃないかと考えたんだ。
勿論、何か賞が貰えれば金になるかもしれないし、宝くじより確率高いんじゃないか? と思っている。自惚れるにも程が有るが、宝くじと違うのは、個人の努力で確率が上がる点だ。
そう気付くと更に更に執筆熱は加速していったが、二年過ぎ、三年目を越えても一次通過すらしなかった。歳を重ねる毎に先輩の背中がまた、遠退いていく。
【無駄な努力だよ。他の作品と見比べてみな? 読まれないから選ばれないんだよ】
心の中の冷徹な自分が、醒め切った目で俺を見ながら嘯く。そうした気持ちに傾き掛けた時、踏み留まって立ち直れたのは他の執筆者が記した言葉だった。
【 個性的な文章ですよ 】
たった五十二文字の組み合わせ。その羅列に漢字を宛てて文章に仕立て上げる。そして何度も繰り返し表記を換えながら意味を深め、やがて小説にする。その中で俺は、何かを人の心に残せていたのか? それは全く目に見えないものだからこそ、確かめる術の無いモノなのだが……
俺は、個性的な文章を書いているのか。そうか、そうなのか……よかった。安心した。じゃないと、俺は機械に負けちまう。A.I.使えば書ける文章なんて、意味が無いんだから。
よし、もっとだ。もっと……頑張らないと。遥か彼方の先輩の背中を、やっと見つけたんだ。見失うものか。
書こう、もっと。賞レースなんてどうでもいい。いや、箔付けも大事かもしれんし、金は欲しい。だが、それよりも今はもっと書かなければダメだ。駄文でも何でも構わない。知恵を絞り、創意工夫を凝らし、より良い文章目指して。
そして去年初めて、一次通過を果たした。
ああ、そうさ。たったの一歩だよ。遥か彼方の先輩に、たった一歩近付いただけ。果たしてどれだけ執筆すれば、更に近付けるのか。全く判らない。勿論、二次は通過しなかった。だから、またやり直しだ。ただ、数字を追い掛けたりはせず、一人でも多くの読者の心を揺さぶるような文章を、目指して、ただひたすらに。ひたすらに。
で、いつか同じ表現者として、ひょっこりと顔を見せて言いたいんだ。
「……お久し振りです、先輩!!」
ってね。