1.求婚は突然に
「ヴィオラ、ありがとう! あなたの占いのとおりにしたら彼と恋人になれたわ……!」
私の両手を握り締めて、ぶんぶんと振り回しているのは、ふわふわした金髪の綺麗な女性。彼女の名前はクロエ、数日前に私の元へとやってきたお客様だ。
「クロエさんの恋が叶ってよかったです」
「思い切って噂の【恋の魔法使い】に相談してよかったわ」
いつの間にか付けられていた二つ名に、思わず口元を引き攣らせる。ヴェールであまり見えてはいないはずだけど、それでも相手はお客様だから愛想良く。
「私はただの占い師で、そんな大層なものじゃ……」
「そういう謙虚なところが大人の女性っていう感じよね。憧れちゃうわ。きっとそのヴェールの下も、その瞳のようにさぞ綺麗なのでしょうね」
ぽーっとした様子で言われる言葉に、表情筋が引き攣りそう。そろそろ解放してもらえないかなと思ったところで、彼女は言った。
「そんなヴィオラにこれ。彼に焼いた余りなのだけど、お礼に受け取って?」
「いえ、お代は既に頂いてるので……」
「ほんの気持ちだから。っと、ごめんなさい。待ち合わせに遅れちゃうから、行くわね。本当にありがとう、ヴィオラ!」
「えっ、ちょっ……!?」
開店準備をしているところに唐突にやってきた彼女は、嵐のように去って行った。残ったのは、私の手に取り残された小さな包み。そっと手に持てば、甘い香りが漂う。
「少し気が引けるけど、せっかくのご厚意だものね」
甘いものは嫌いどころか、むしろ好きだ。砂糖を使ったお菓子は割高だから、たまのご褒美に奮発でもしない限り買えない。自分で作るのは……母さんから台所の出禁を解いて貰うところから始めないとだし。
「でも、クロエさんの恋、上手く行ったならよかった……」
彼女の恋に関して、うまく行くという結果も出たけれど、一つだけ気がかりなことがあったから、本当にホッとした。
――占いに私情を挟んではいけないよ。
脳裏を過った今はもういない懐かしい声とその言葉に、一瞬だけ気持ちが揺らぐ。得体のしれない何かを振り払い、気合いを入れる。
「大丈夫。だって、あんなに喜んでたんだもの、大丈夫」
そう言い聞かせて、私は中途半端だった開店準備を再開した。細い路地の前に敷いたベルベッドの敷物の端に座り、私の前に大きな水晶玉を飾りとして置く。これはどちらかと言えば、客寄せであり、場の浄化のためのものだ。置いてあるだけでソレっぽさが出るし、本当に助かる。
「失礼。キミが【恋の魔法使い】、かな?」
ほら、こうして今日も一人釣られて……いや、元々私を探してきたらしいお客様を見上げる。そこには、高級そうな服に身を包んだ、金色の長い髪を束ねた美青年が微笑みを浮かべて立っていた。
男性がお客として来るのはたまにあるから、それは何ら驚くことじゃない。ただこう言ってはなんだけど、見た感じ女性に困るタイプには見えなくて、そんな人が私のところにやってきたということに驚きを隠せなかった。
「レディ?」
呼びかけにハッとすれば、夜空を切り取ったような青い瞳がニコニコと私へ向けられていた。何か既視感のようなものを覚えたものの、私の返事を待っていることを思い出し、居住まいを正して営業用の笑顔を浮かべて言った。
「失礼いたしました。占い師ヴィオラをお捜しでしたら私です」
「やはりキミだったか」
そう言って、彼は蕩けるような笑みを浮かべてしゃがみ込んだ。はっきり言って近い。近すぎる。眩しすぎて直視するのも大変なのに、これ以上近付かないでほしい。いや、目の前に座らないと占いできないのだけども!
思わず全力でその場から逃げ出したい衝動に駆られるのを抑え、彼を見上げる。そうして、彼は甘ったるい笑顔を浮かべたまま片膝をつくと、そっと私の手を取って言った。
「オレと結婚してもらえないか?」
言われた言葉に、笑顔のまま凍り付く。
ケッコンってなんだっけ? 血痕? 痛いのは嫌だなぁ。というか、そもそも初対面でそんなこと言うとも思えないし、何か聞き間違えたのかもしれない。きっとそうだ。
そう思って、ニッコリ微笑み返しながら問いかけた。
「ええと、申し訳ありません、お客様。今、何と……?」
「オレと、結婚してもらえないだろうか。そう言ったんだ」
もう一度繰り返される言葉に、思わず無言になる。なるほど、聞き間違いじゃないらしい。混乱する頭の中を、ケッコンの四文字が頭を飛び交う。そんな中、私の頭がはじき出した答えはこれだった。
「結婚運に関する占いをご所望ということでしょうか?」
冷静に冷静に、と頭で繰り返しながら、問いかける。すると彼は、キョトンとした様子で目を瞬かせたあと、ニッコリと微笑んだ。ああ、やっぱりそう意味だったのねと、ホッと胸を撫で下ろそうとしたときだった。
「ならば占って貰おうかな。キミとオレの結婚運について」
そう言って彼は、私の右手をそのまま持ち上げた。そして、言われた言葉に唖然としている私の前で、彼の唇が手の甲に触れた瞬間、私の口から乙女の悲鳴とはほど遠い叫び声が上がったのだった。
***
あれから、悲鳴を聞いた街の人から注目を浴びた私は、名も知らない男性の手を振り払い、仕事道具を慌てて纏めてその場から逃げ出した。人気のない路地裏に逃げ込み、周囲に人がいないことを確認して紺色のヴェールとローブを脱いで、仕事道具の包みの中へ押し込む。
目元の化粧も拭き取ってしまえば、地味で平凡な街娘の出来上がりだ。カラスのような真っ黒い髪を一つに結い上げ、私は何食わぬ顔で表の通りへ戻る。そこでは急に叫んで逃げ出した占い師のことでみんなザワついていたけれど、誰もその本人が横を通っても気付かない。
そんな街中を通り過ぎ、噴水のある公園のベンチに腰かけた。
「もー……今日、まだ一つも稼いでなかったのに、何なのよ」
一人でごちる私の脳裏を過ったのは、さっきの彼だ。なんかこう無駄にキラキラしい人。営業妨害された恨みも込めて、キラキラ男と勝手に渾名をつける。
「いきなり結婚とか言われても、意味わからない」
「言葉どおりの意味なんだけどね」
「言葉どおりかどうかじゃなく、そもそも全く知らない人がどう、して……」
自然と相槌を打たれて、思わず素のまま返していたけれど、途中でハタと固まる。聞き覚えのある声に、そーっと振り返れば、そこに居たのはさっきのキラキラ男。
「やぁ、ヴィオラ。いや、今はソフィアと呼んだ方がいいかな?」
「ぎゃーー!!」
彼が何故ここにいるのかとか、色々混乱する中、彼が紡いだ名前に対し、思わず仕事道具を抱えて身構える。そんな私に彼は、両手を挙げて言った。
「ソフィアに脅しをかけたり危害を加えるつもりはないよ。オレは話を聞いてもらいたくて来たんだ」
「なんでっ……」
「うん?」
「なんで、私がヴィオラだってわかったの!?」
ヴィオラは私の仕事における表向きの名だ。
何故そんなことをしてるかと言えば、私を心配した母さんの出した条件が『私の正体を伏せること』だったから。だから私は、ヴィオラとしてあそこに座るときは、必ずヴェールで髪の全てと口元を隠した。
そうやって、この一年素性を隠していたのに。一体どこで気付かれるヘマをしてしまったのかがわからず、ただただ得体のしれない目の前の相手が怖くて、問わずにはいられなかった。
そんな私に、彼は右手で自分の目を人さし指で示しながら言った。
「目が同じだからね」
「目って……それだけ、で?」
目を瞬かせた私に、彼はまたこうキラキラとした微笑みを浮かべて言った。
「菫の花と同じヴァイオレットの瞳。神秘的なその目をオレが見間違えるわけがない」
歯の浮くような台詞に鳥肌が立つ。
「なら名前は? 何故私の名を……?」
「オレは元々、ヴィオラじゃなくて、ソフィアに用があったんだよ」
まさか本来の私の方に用があると言われるとは思わず、呆気に取られる。こんな地味女に用があると言われても、目的が見えなかった。
「私にご用とはなんでしょうか?」
「もちろん、さっきの返事についてだよ」
その言葉に、顔が引き攣るのを止められない。忘れたわけではなかったけれど、そもそも見ず知らずの人――それもいかにも育ちが良さそうな人が、平民の『ソフィア』に求婚する理由がわからない。
「何故、私なんですか? 私じゃなくても綺麗な女性はたくさんいるでしょう?」
クロエさんのような美人ならわかる。だけど、私みたいな胸ぺったんで貧相な町娘に言い寄っても仕方ないだろうに。
そんな私に彼は、苦笑しながら言った。
「これに見覚えはないかな?」
「それ……」
彼が襟元から取り出して見せたのは、小さなペンダント。でも重要なのはそこじゃない。大事なのは細いワイヤーで抱きかかえられるように揺れる青い石。彫られたラインに流し込まれたインクが象る正方形は、私が思うものならただの模様じゃない。
ルーン文字の一つ、イング。豊穣神のシンボルで、幸運を意味する正も逆もない完成されたルーンだ。
彼はペンダントの鎖ごと外して、それを私に差し出した。ころんと私の手の中に転がり、太陽の光を受けて光るそれが、幼い頃の記憶のものと重なる。
「おばあちゃんのルーン……」
それは亡き祖母が生前よく使っていた占い道具の一部だった。
仕事道具の奥に眠る金でペンタクルの模様を刻んだ袋に入ったルーン。それはイングのルーンだけが欠けていて、仕事には使えない私のお守りだった。
欠けたイングのルーンと共に思い出すのは、雨の中で泣いていた金髪の男の子との思い出だ。
「これは十年前、ある男の子にお守り代わりに渡したものよ」
「あのときはありがとう、ソフィア。キミのおばあさまと、キミがくれたそのお守りのおかげで、オレは……いや、オレの家は助けられたんだ」
髪の長さは違うけれど、記憶の男の子の顔にあった左顎のほくろが、目の前の彼に重なる。
「あなた、まさかエド……なの?」
「ああ、覚えててくれたんだね、ソフィア」
そう言って、十年ぶりに再会した彼――エドは嬉しそうに笑い、その笑顔に胸が小さく鳴いたのだった。
5話構成の2万字弱の短編になりますので、もし好みに合いそうでしたら、お付き合いいただけますと幸いです。




