大砲のガニオン
チェコの顔を見ると、貧民窟の皆が道を開けてくれた。
右目を髪に隠したジモンが、いち早くチェコに気がついた。
「なんだ…」
どやしつけよう、と思ってから、チェコの身なりがドリュグ聖学院の制服、と気がついて。
「あんたは?」
と、子供扱いを途中で止めた。
「私はチェコ・ラクサク。
縁があって、今、貧民の生活向上の手助けをしています」
老ヴィッキスの特訓の成果もあって、上流階級の喋り方で、チェコは落ち着いて語った。
ほう、と大砲のガニオンは小柄な少年、しかもタメクの思惑で長い睫の美少年に変貌しているチェコを見下ろした。
「じゃあ、俺たちと同じって訳だ」
「同じ?」
どう考えても貧民のみなと争っているようだったので、チェコは小首をかしげた。
「そうさ。
俺たちは、ゴブリンを退治してやろう、と申し出ているんだよ」
なるほど…。
ゴブリンが障害となって貧民窟に入れないので、まずそれを退治しようというわけだ。
アハハ、とチェコは笑い。
「ゴブリンとは話をつけているんです。
貧民窟の人間は襲わない、という約束になっています。
だから、ご親切で恐縮ですが、それは必要ありません」
さらり、とチェコは語った。
「おいおい。
化物との約束を信じているのか。
あんな下等生物、いつ気が変わるか知れたもんじゃないぜ」
と、ジモン。
「ゴブリンはちゃんとした魔法生物だ。
信頼はできる。
私はそう習いましたよ」
チェコは涼しい顔をする。
「認識が甘いな。
怪物を信用しすぎない方がいい」
と大砲のガニオンが戦場で鍛えられた枯れた声で、諭す。
「そうなのかもしれないが…」
とチェコは肩をすくめ、
「今のところ、関係はとてもうまく行っているのです。
なにより憲兵がゴブリンを恐れて立ち入らない、というのは、ここの人にとって、とても有用な事なのですよ。
だから、彼らはあなたたちを拒んでいる」
と流れるように語り、
「なのでお引き取り願えませんか?」
と、自分の倍は身長のあるガニオンを金色の目で無表情に見つめた。
ガニオンは、既に微かに生え始めた顎髭をジャリジャリこすり、
「なるほど君は山の英雄、というのは嘘では無いようだな。
育ちの良さそうな顔をしていても、この俺を微塵も恐れないとはな」
と、薄く笑う。
「昨日、見にきたパックは、ゴブリンなんていなかった、って言ってたぜ」
横からジモンが言うと。
ああ、とチェコは笑い。
「昨日、陵墓の森で黒猫の獣人と友達になりました。
僕の友達には、ゴブリンは手をだしません。
ここの住人にもね。
ただ、あなたたちはそうはいきませんよ」
チェコは平然と巨体の上に、背中に大砲を背負っているガニオンを指差した。
「ゴブリンと戦って損をするのはあんたたちだ。
もう、帰ってもらおうか!」
ドスを効かせた声で宣言すると、回りの住人たちも一斉に声を上げた。
ケケケ、とガニオンは背中の大砲を叩いて、
「俺は台座なしで、片手で抱えてこいつが打てる。
お陰で大砲のガニオンなんて呼び名をつけられちまった」
獰猛に、ヤニで黒くなった歯を剥いた。
「俺はジモン」
とイケメン男は、前髪で隠した片目を見せる。
その目は、魚の目のようにまん丸で、顔から飛び出しており、しかも痙攣するように目玉を四方に動かし続けていた。
「こいつが魔眼だ。
これのお陰で、俺は背中に飛んでるハエでも殺せる」
キシシと笑い。
「あんまり○毛も生えないガキのくせして、威勢の良いこと言うんじゃねぇよ。
軍隊にゃあ、通用したかもしれんけどな、スペルランカー。
実戦で、俺たちと張れるなんて思わんこった!」
赤黒く光る魔眼をチェコに近づける。
「よせ、ジモン!」
とガニオンは若いジモンを制して、
「ま、俺たちはならず者だ、ラクサク卿。
君の慈善意識は美しいが、俺たちを敵に回したら、お前、裸で下水道に遺体をさらすことになるぜ」
ガニオンはチェコを睨み付けると、貧民窟から出ていった。
「…クズどもめ…」
パトスは唸る。
「いや、チェコ。
奴らは腕が立つようだ」
ヒヨウは語る。
手には、小さな金属の玉が幾つか乗っていた。
「これは、おそらく色粉を入れた玉だ。
数日たって調べれば、足跡で我々の動きが判る。
おそらく、若いジモンは別だろうが、あの大男はプルートゥと同じ傭兵だろうな。
色々な引き出しを持った食えない奴だ」
住人全員で探させ、数十の玉を拾った。
「嫌な奴らに目をつけられたな」
長髪の男は唸る。
チェコは、
「あいつらはプロだ。
戦ったりせずに、なにかあったら知らせに来て」
と皆に話した。
「でも、あいつらさ、チェコ兄ちゃんに○毛がないなんて言ったけど、本当はあるよね!」
キャハハ、と貧民の子供が笑う。
が、チェコは真顔で顔を赤らめて、
「い、いや、俺…、昨日脱毛したんだ…」
と腕を見せた。
ツヤツヤに産毛も無くなっていた。
興味本位でルーンから買ったのだが、バスルームでこっそり使ってみると、面白いように毛が取れるので、つい、チェコは身体中の毛を取り除いてしまっていた。
「ま、まさか、魔眼って、それも見えるのかな…?」
そこには肝を潰したらしい。
「…ふん、俺は臭いで判った…」
勝ち誇るパトス。
なんと、りぃんは、
「俺ハちぇこノ体ニ入ッテ体験シタ。
金持チハ可笑シナ事ヲスル」
これにはキャー、とチェコは頭を抱えて、
「そんなの見ないでよー」
と悶絶した。
貧民窟の皆は笑った。
「おそらく見た目で推測したんだろう、気にするなチェコ。
それにお前は、遅かれ早かれタメクに毛を抜かれるところだったろうから、まあ丁度いい。
お前は、同級生と同じ様にしていた方が良いんだ」
とヒヨウも笑った。
今のチェコは、ごく普通のドリュグ聖学院生にしか見えないほど、美容に気を使った姿になっていた。
血筋の露見を考えれば、良い兆候だ、とヒヨウは嫌いなタメクに微かに感謝した。