妖精の唄
パトスは、息を殺して、その不思議な生き物を眺めた。
いま、妖精は、まるで小鳥のように、川の上を跳んで歩いている。
あの辺は、昼間、パトスが大きなフナに襲われたところで、思うより、ずっと深いはずだ。
だが妖精は、踊るような足取りで、水の上を跳んでいく。
「…なにをしているんだ…?」
「、、妖精のする事など、判らないわ、、」
パトスは、前に山でキャサリーンが連れていたハナという妖精を思い出した。
ちさに話すと、
「、、確かに、人に害を与えるものじゃないわ、、。
でも、野生の妖精は、とても強いアースを持っているものなのよ、、。
警戒心もとても強いわ、、。
関わるべきものじゃないのよ、、」
なるほど、相手がプルートゥや軍隊では太刀打ちできないにしろ、パトスとの力関係で言えば、確かに妖精の方が圧倒的に強いだろう。
パトスが灌木の根元で見守るうちに、妖精は水の上で舞い踊り、そしてそよ風のような声で歌った。
別に、妖精など見ていても、何の得もない…。
思うが、パトスはなにかに惹かれるように妖精を見続けた。
「…よぅいよい…」
パトスの耳が、ピクリと動く。
「はいぎゃはいぎゃのぅ…、いってんにくうぅるりわぁ…」
祭りの歌だ…。
あの祭りは、何の祭りだったのか…?
秋に、収穫した作物を神に感謝する、たぶんはそんな祭りだと思っていたのだが…。
いま、パトスの目の前で、ほんのパトスの鼻先ほどの大きさの妖精は、確かにリコ村の祭りの歌を歌っていた。
「…さおになわをかけてのぅ…、ほしぃまんまぁ…」
リコ村の祭りの歌を歌っているのだが…。
あの祭りでは歌われていない歌詞が、妖精の口からこぼれてくる。
無論、方言がすごくて、まるで意味は判らないが…。
あの歌は、ただリコ村でだけ歌うものでは無いのだろうか?
そして、村では歌われない部分は、なにを意味しているんだ…?
パトスは妖精の歌に聴覚を集中させたが、そのためもあってか、いつの間にか寝入ってしまっていた。
川面に刺さる鋭い朝日が、パトスの顔に反射して、パトスは呻きながら起きた。
普段なら、夜明けと共に目を覚まし、チェコを起こすのだが、昨夜のパトスは夜中に目を覚ましすぎていたようだ。
辺りは、まだ早朝のようで、小鳥たちがのんびりと世間話に花を咲かせていた。
「エルシラがこの辺に現れるなんて、珍しいね」
灌木の雀が笑うように語った。
「はいぎゃの唄なんて、何年かぶりに聞いたわ」
近くの木の枝のメジロが話した。
パトスは興味を持ったが、鳥を脅かすのは避けて、ただ聞き耳だけを立てていた。
「供物を捧げて婚姻を願う唄だからね。
だけど、変なセリフが入っていたね、さおにままつけて…」
その時、大きな水鳥が、うるさい鳴き声と共に川に飛び込んできたので、鳥たちのお喋りは終わりになってしまった。
供物を捧げて婚姻を願うまじない唄だったのか…、とパトスは驚いたが、肝心な所は判らなかった。
妖精エルシラは、昨夜、珍しくこの場所に現れ、しかも供物を捧げて婚姻を願うまじないを歌ったのだ。
妖精のまじないなら、人間が毎年の祭りで唄うのとは訳が違うだろう。
だが、その訳というのが、パトスには判らなかった。
妖精は、オバケとは違い、どちらかと言えば天使に近い、つまり上の側の存在だ。
だから、特に悪い意味は無いのだろうが、しかし偶然とはいえ、自分が見かけた、と言うのは気にはなった。
だが…。
黒龍山で、のんびり考え込んでもいられない。
現在、灌木の木の根元に掘った穴の中で休んでいる、とはいえ、一晩立てば腹も空くし、喉も乾く。
川辺へ出ても平気そうだが、山で気を抜くと、その一瞬で命取り、ということもあり得た。
五感を研ぎ澄まして、安全を確認し、数分後にパトスは灌木の根から、ソロリと鼻を覗かせた。
森に開けた川の流れであり、ちょうどペンのインクを溜める筋のように折れ曲がっているため、そこに石や砂利が集まって深いよどみを作っていた。
大きな魚がいるらしく、さっき降りてきた水鳥がさかんに水に潜っている。
水辺を賑やかす鳥がいるのは、むしろ好都合なので、パトスは用心深く川岸に近づき、水を舐めた。
場所は吟味しており、水越しに、川底の砂利が見えている。
魚が近づくには姿を隠せない場所であり、底も浅い。
水面に、夜明けの淡い青空と、薄桃色の雲が見えていた。
パトスは水をすすり、不意に気がついた。
水鳥が、上がってこない…。
どのくらい立っただろう。
三十秒…?
一分…?
いや…。
確かに、もっと長い時間が立っているのは、間違いなかった。
無論、水鳥は息が長く、驚くほど深くも潜ることはできる。
だが…。
何か不穏な空気が、川辺に漂っているようにもパトスは感じた。