地形
パトスの乗った食人植物の巨大花が、三分の二ほど海水に浸かる。
その花を中心に半径十メートルは、大森林の中に、不意に海水が広がっていた。
デュエルでは、ほぼ使うものの無い時代遅れのカード、地形カードだが、パトスは実践でなら効果的、と考え、デッキに入れていた。
大会なら、その場では勝てても、次の試合では新たな挑戦者は地形に対応した戦略を立てるので、誰も本気で地形カードなど使わない、という話だったが、実践なら、なかなかその場にカード屋などは無い。
無論、今のように、スペルを操る知能の無い奴が相手、ということも考えられた。
しかも、植物にとって、海水は猛毒とも言える存在だ。
狂暴なスケルトンプラントの群れも、なす統べなくパトスを取り囲んでいた。
海水には六/二のいさなが泳ぎ、そして…。
水流をダメージに変えて敵に二ダメージを打ち込む、モリ打ち魚が新たに召喚されていた。
「モリ打ち魚、攻撃!」
塩水から身を引いていた猫型の骨に海水が突き刺さった。
骨に海水は意味は無かったが、骨を動かしていた植物部には、即効性の毒のように塩水は作用した。
グシャリと猫は潰れた。
「召喚、モリ打ち魚!」
パトスは二体目のモリ打ち魚を召喚する。
敵は、塩水の前に手も足も出ない。
戦いはパトスに有利に動いていたが、しかし敵に包囲されているのはパトスの方だった。
ここでスケルトンプラントを全滅させることは可能だったが、別にパトスに利益は特に無い。
一番いいのは、余分なスペルカードを使わずに、動物森から逃れられる事なのだ。
ただし、森の中で、どこまでが動物森で、どこからが普通の森林なのかを判別する方法は、ほとんど無かった。
何か特徴ある臭いでもあれば…!
パトスは唸る、が…。
微かに、よく知った木の香りが鼻の奥底に届いた。
塩杉か…!
この辺で、塩杉と言えば、おそらく黒龍山と赤竜山の間、鬼の古井戸が一番の群生地だろう…。
それは、パトスが馬車から降りた森の入り口からしたら、ずっと北に位置するはずだった。
鬼の古井戸の規模がどれだけ広いのか、行ったことはないパトスは知らないが、かなり広大な領域であるのは間違いない。
山の、およそ反対面のはずの鬼の古井戸の臭いがパトスの鼻に届く、ということは、おそらく…。
この辺一帯が、低湿原である、ということだ。
山に遮られることなく、遥か北側の鬼の古井戸の塩杉の香気が、微かではあるが漂うのだ!
動物森は、そもそも湿地であり、菌やカビが生えやすい場所だ。
つまり、ここから北にかけて、広く低湿原の動物森が続くのだ!
が、無論、山の地形はそんなに単純ではない。
高い山では風が複雑に巻く。
そのため、明後日の方向の塩杉の香りを運んできた、ということも考えられた。
だが、これは混迷の中でパトスが発見した、一条の光りだった。
これにすがらず、動物森を迷い進んでも、なんの希望も無かった。
「スペル、飛行!」
パトスは、北に鬼の古井戸があると信じ、そうであれば東方面にゴロタの森が広がっている、と信じて、森の東に向かって飛び立った。
しばらく、動物森特有の湿度の高い森が続いた。
パトスの常に濡れた鼻が、敏感に湿度を感じるのだ。
湿度が高いため、低い地層ではあっても、針葉樹や湿度を好む樹木の続く、森というより自然林が広がっている。
パトスは、高度を上げて、風の臭いを探ることにした。
乾いた匂いのあるところ、それが動物森の出口であるはずだ。
ただし動物森は、それが樹木の上であろうと、決して安全とは言えない。
襲ってくるツル草もあるし、菌やカビに犯されていても構わない捕食者、例えば蝋蟻などが待ち構えているのだ。
蝋蟻は、特種な蝋で獲物を包んでしまう蟻で、元気な獲物なら、少々の蝋など掻いて落とせば平気だが、動物森の弱った獲物は蝋漬けにして保存してしまう。
保存された獲物は分解されないから、食人植物にとっては邪魔物だが、蟻は蝋の中に潜り込み、土に巣を作るように獲物が皮膚や内蔵に巣を作るのだ。
まさに、食べられる巣、な訳だ。
この蝋蟻は、健康なパトスには特に恐ろしい敵では無いのだが、蝋蟻の巣は必ず食人植物の獲物だったから、注意しないと、あらぬ攻撃を受ける可能性も低くはない。
ただの蝋漬けの遺体ではないのだ。
また動物森の樹上には、動物森に紛れ込んで、必死の逃走を試みる哀れな獲物を待ち伏せする森林大蜘蛛もかなり巣を張り巡らせていた。
パトスは充分に警戒し、ゆっくりと森を飛行したが…。
まじか…。
目の前に、ほぼ一面の、全ての木の枝に巣を広げた、広大な蜘蛛の巣が、姿を表した。
横に回避しようにも、気がつくと、枝に数匹の脚長蜘蛛が、素早く広がっていく。
完全に、脚長蜘蛛のコロニーに、パトスは包囲されたのだ…。