左手
今の、硬骨魚だよな…。
と、木の根の間から身を起こして、チェコはぼんやりと考えた。
見るだけなら、けっこうな数の聖獣を見た。
ただ、神秘体験が必要だと言うから、まだ、もう一歩、守護してもらうまでには届いていないのだろう。
とにかくチェコには二日しかないのだ。
先に進もう、とチェコは立ち上がった。
「…チェコ、もういいのか…」
「うん、もう、平気みたいだ」
寝たおかげか、頭はスッキリしたような気がする。
池沿いに進んで行くと、森は高木が多くなり、薄暗い深い森になっていく。
森には、朝の涼しさがまだ残っていて、歩きやすい。
アップダウンはあるものの、本格的な上り下りではなく楽な道が続いた。
かさ、と森の奥で、物音がした。
ん、とよく見てみると、木と木の間に、入れそうな隙間があった。
チェコは、鞘のままの青鋼で下生えの草を叩き、安全を確認しながら脇道に潜り込んだ。
稲科の背の高い草が、チェコの背より高く繁っている。
日差しが頭頂部を焼いた。
「おー、木が無くなったねぇ…」
三六○度の草原なので、どうなっているのか、は判らない。
草を払えば良いのだが、聖地なのでやめておく。
ただ、歩く道は、獣道のようなものが、続いていた。
チェコはともかく、前に進んだ。
ふと、道が別の道と交わる。
来た道を除けば、三つの分かれ道があった。
ん、と一瞬迷ったチェコだが、左に曲がった。
「…チェコ、なぜ曲がった…?」
パトスは問うが、チェコは。
「ほら…、声がしてるじゃん…」
と、ささやく。
しかし周りは膨大な草の原であり、微かな風でも草が揺れて、賑やかな葉鳴りが一面に聞こえている。
声?
パトスは首をかしげるが、チェコは確かになにかを捉えているらしく、前も見えない草原を、小走りに進んでいく。
と、チェコが道をそれた。
おい、とパトスは言うが、次の瞬間には、チェコたちは、丸く草が倒れた場所に飛び出していた。
草は、まるで編まれたように、交差しながら倒れており、おそらく真円に、草はきれいに平地になっていた。
「おー、火炎鳥かぁー」
チェコは晴れ渡った空を見上げて、手を広げて回っているが、パトスには何も見えない。
「…これ、大丈夫なのか…?」
困惑するが、
「大丈夫」
りぃんが、パトスの側に立った。
「ちぇこハチャント、捉エテイル」
しばらくクルクルと回っていたチェコだが、
「あー、行っちゃった…」
と残念そうに呟いた。
すとん、とチェコは編まれた草の上に座り、
「少し休むか」
と首から下げた袋を開いた。
広い草原から、東の方に山が続いているのが見える。
チェコは麦せんべいと干した果実を食べ、パトスは干し肉を齧った。
「ねー、パトス…」
チェコは周りを見渡し、
「これ、どうやって出ればいいの?」
確かに、クルクル回っていたので、どこがどことも判らなくなっていた。
りぃんに道を探してもらい、チェコたちは、元の山道に戻れた。
「…遭難しかけた…」
パトスは憮然とするが、チェコは、
「あと三つ、竜とてっそと、何だったかな?」
「…わからん…」
何しろ、何をチェコが見たのかも、パトスは知らなかった。
ただ、だんだん神がかったテンションにチェコがなっていくのを、横で見ていただけだ。
深い森は長く続き。
「、、チェコ、もうそろそろ夜になるわよ、、。
日が落ちれば、吸血鬼も現れる、、夜営の準備をした方がいいわ、、」
森は、確かに、少し前よりずいぶん暗くなってきたようだった。
「パトス、水は無いよね?」
パトスは、クンクンと臭いをかいで、
「…ある、こっちだ…」
道を進むと、ほどなく普通は判らないような横道があり、森は唐突に岩場になり、静かな小川が流れていた。
岩場の手前は巨大な塩杉がそびえ、その前に馬車一台分ほどの平地があって、休めそうだった。
小川と岩の分、空が見えており、陽はだいぶ赤くなっているようだ。
少し食べると、チェコは袋の底にあった厚手の布を出し、かぶって眠った。
チェコは、気がつくと、岩の上にカーマが座っているのが判った。
(剣を抜け!)
チェコは青鋼を抜いた。
(違う!
左手で持つのだ!)
おお、とチェコは剣を持ち変える。
今まで習ったものとは、全く違った戦い方だった。
左手で剣を操り、右手は鉄のガントレットを装着する。
ガントレットは、盾にもなり、また殴る事も出来る。
多彩な蹴り技もあり、また掴んで投げる技もあった。
常に動いており、相手も動かすことで優位を得ようとする剣技だ。
ブーツの踵にも、鉄の輪をつける。
これで敵を引き裂く技もある。
チェコは汗みどろで技を習った。
「…チェコ…」
パトスに耳を噛まれて、チェコは悲鳴を上げた。
これは一番痛い奴だ。
足を噛んでも起きなかったのだという。
爽やかな朝であり…。
チェコは、汗だらけで、右手にガントレットをつけ、ブーツに金具を装着して、寝ていたらしい。