饗宴
チェコは、エルフ風の草で作った靴で、尾根を歩いていく。
空は、朝の雲が何処かに消え去ると、群青の青空が一面に広がっていた。
夏に向かう太陽が眩しい。
赤竜山ほどの標高ではないので、尾根と言っても土の道だ。
草の靴が、柔らかく道を掴んで、とても歩きやすい。
時折、突風が吹くが、むしろ涼しくていい。
尾根道は、ゆっくりと登りになっていった。
先に、森がある。
今までチェコが歩いていたのは、銀嶺山の東の外れの川沿いだったので、森は、山の中心に向かうルートのようだ。
野生動物はいるが、襲うような生き物はいないはずだった。
無論、夜には吸血鬼が出る。
それは、あの悪魔が真似たような、途方もない怪物だ。
ただ、どうも寝た人間に手出しはしないもののようだ。
夜には寝ろ、とヒヨウとナミは教える。
聖地なので、吸血鬼とも、なにか取り決めをエルフは結んだのかもしれなかった。
森に近づくと、さっき届いた香りが濃厚に漂ってきた。
アンズ…、だよな…?
匂いは、まさにアンズの花の香りだったが、しかしもっと早春に咲く花のはずだ。
もう少しすれば、実が収穫できてもおかしくない時期だ。
アンズのジャムは大好きだし、アンズの実を木からもいでまる噛りするのも、チェコは大好きだった。
少し固くて酸っぱいぐらいの奴が好きだ。
森に入ると、森は一面のアンズの森で、白い花が、まさに花盛りに咲き誇っていた。
塩杉もいい匂いだけど、やっぱりアンズは最高だな…。
うっとりとチェコは香りを楽しみ、そして、ここでも瞑想をすることにした。
ちょうどいい石を見つけ、足を組んで座る。
アンズの花の匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。
花の香りのせいだろうか、すぐに頭がぼんやりしてくる。
なにか、周りじゅうから笑い声が聞こえるようだ。
その声は、一ヶ所に留まってはいない。
あちらに飛び、そちらに移り、木々の間を笑いながら、飛び回っているようだ。
楽しそうだ…。
ぼんやりとチェコは思った。
自分も笑い出したいような、楽しい気分になってくる。
美しい笛の音が聞こえてきた。
踊るような、楽しげな調べだ。
小さな、人間の形をした虫のようなものが、楽しげに踊っている。
歌い、笛を吹き、楽しげに踊っているのだ。
特に振り付けがある、のではなくて、みんなそれぞれが、喜びを自由に体に表している、ようだった。
だんだんチェコの頭の中に、彼らの姿が明瞭に見えてきた。
蝶の羽根やトンボの羽根を持つ、小さな人間が、アンズの森で、枝から枝に飛びながら、歌い踊っていた。
中に、ふえを吹くものや、太鼓を叩くものもいて、とても賑やかだ。
そして、その賑やかな躍りを、奥で眺める存在をチェコは感じた。
見て、不意にチェコは思い出す。
それは針の山の黒姫だった。
だが、今、黒姫は闇をまとっておらず、黒いエルフ風の衣服を着た、小さな少女であり、自らも笑い、歌っている様子だった。
それは、とても楽しい光景だった。
「…チェコ、チェコ…!」
パトスに足を噛られ、チェコは、うーん、と唸るように起きた。
「…あれ、俺は、夢を見ていたのかな?」
凄く楽しげなお祭りだった。
チェコは大きな欠伸をし、立ち上がって伸びをした。
「うーん、まあ、とにかく先に進むか」
アンズの森のとろけるような香りの中、チェコは道を進んだ。
しばらくアンズの森を登ると、だんだん生える植物が変わり、谷地に池が見えてきた。
谷なので日が差さず、ヒヤリと涼しい。
「おー、なんか、魚、いたよね?」
チェコは、ルンルンと瞑想できそうな場所を探す。
「…ちょっと、お前、やりすぎなんじゃないのか…?」
さすがにパトスも心配し始めている。
「えー、色々、見えてるよ。
大丈夫だよ!」
チェコの目は、ややヤバい輝きが灯り始めていた。
「、、瞑想しすぎると、違うものを見てしまうことも多いのよ、、」
と、ちさも止める。
「、、少し木陰で眠ってみて、、」
「えー、そんな時間はないよ…」
と、チェコはごねたが、ちさとパトスが言うので、渋々、大木の根元でうずくまった。
チェコは、スイッチが切れたように眠った。
暗い場所に、チェコはいた。
上に、ぼんやりと光りがある。
明瞭には、見えない。
緑と青の境界線を揺らぐような、そんな霧が周囲に立ち込めているようだ。
そんな、緑と青の霧の奥に、なにかがたたずんでいるのを感じる。
とても、大きなものだ。
近づこう、と思って、チェコは己が水の中にいるのに気がついた。
おお…、息ができる…。
不思議なことに、チェコは魚のように、水の中で呼吸をしていた。
驚きながらも、チェコは霧の先にいるなにかに、近寄って行った。
なにかは、チェコをじっと見ていた。
チェコはゆっくり、なにかの反応を見ながら、接近していく。
と…。
こん、とチェコの頭に木の実が当たり、チェコは目が覚めた。