窪地
チェコは岩に座って、瞑想を開始した。
「…チェコ、落ちるなよ…」
とパトスが注意する。
垂直な岩の頂上であり、さっきのように転げれば、そのまま崖を真下の遠吠え川まで真っ直ぐに落ちる場所だった。
落ちれば、命は無い。
「うん、気を付けるよ」
チェコは答えるが、意識は晴れ渡った空と、雄大な光景に奪われている様子だった。
最初に、ハァー、と大きく長く息を吐き。
チェコは瞑想に入った。
まぶしい陽光がチェコの肌を焼いていく。
瞑想すると、川の香気のようなものを、チェコはかすかに感じた。
焼ける石の匂いもする。
何処かから花の香りも漂っている。
なんだろう…?
知ってる匂いだ…。
あ、アンズか…。
そんな風に断片的な思考を浮かべては、頭から掃き流しながら、チェコの目は、だんだん景色を捉えるのを止めていく。
気配は…。
無いか…。
息を吸い、長く吐いていく。
できるだけ、意識を広く広げていく。
気配は…、あるはずではないのか…。
あるはずだ…。
チェコは、瞑想しながら、守護聖獣の気配を探っていた。
意識を広げれば…。
見つかるはずだ…。
岩の上…。
奥の尾根筋…。
岸壁…。
「、、チェコ、集中するのよ、、」
不意にちさが声をかけた。
あ、探すのに夢中になっていたか…。
チェコは、息を整え直し、大きく息を吐いた。
空か…。
それは、ずっと、チェコの頭上にいたようだった。
…カーマか…?
そこまでは判らない。
そもそもチェコにできるのは、ぼんやりと何かを感じるだけだ。
あの時、カーマが見えたのは、カーマがチェコに会うことにしたからだった。
だから、さっきと同じように、チェコはただ、息を吸い、吐くだけだった。
もし、聖獣に意思があるなら、チェコに接近するかも知れず、しないかもしれない。
チェコの側に、それを決める術は全く無かった。
チェコの頭上に、それはあり続けた。
チェコは、世界も見ず、気配も感じず、ただ、意識だけは途切れないように保ちながら、瞑想を続ける。
あ…。
不意に、頭上の聖獣の姿を、チェコは感じた。
ヒヨウぐらいの歳の、しかしずっと痩せた少年だ。
だが、弱そうではない。
強烈な魔法が、少年の内部から輝いているのを感じる。
少年はチェコを見下ろし、微かに微笑み、西に飛んで行った。
「おー」
チェコは瞑想を解いた。
ぐらり、と揺れて焦ったが、慌てて石にしがみついた。
「なんとか童子って言ってたな…」
「、、聖童子よ、、」
と、ちさが教える。
「あ、ちさちゃん、見えてたの?」
「、、あたしは判るけど、チェコに教えることはできないの、、。
あなたと、守護聖獣の契約だから、、」
聖童子か…。
強そうだったな…。
チェコはぼんやり考えていたが、
「あ、先に進もう!」
慌てて現実に立ち返った。
岩を降りて、尾根に立つ。
尾根沿いに道は続くのだが、問題は水だ。
「パトス、水の匂いはない?」
「…あるぞ、こっちだ…」
と言って、パトスは尾根を歩き、数分後に右に折れた。
細い道が、そこに続いていた。
パトスの鼻がなければ、初見の人間には、とても判らない道だ。
しばらく下ると、風がひんやりしてくる。
水の気配だ。
窪地に、水が湧き出す場所があった。
残った水を飲み、新しく汲んだ。
はぁ、と一休みして、湧きたての清水で喉を潤す。
さて。
さっきの尾根に戻るか、窪地の先にも道があるようだった。
「あ、瞑想か」
チェコは窪地の脇で、座れそうな場所を選んだ。
今度は涼やかな日陰での瞑想だった。
息を吐き、お腹を膨らませるように、大きく息を吸った。
あまり聖獣を探したりしないで、しっかり集中する。
しばらくすると、気分がゆったりしてきた。
そして、向かいの木の上に、巨大な白い毛の猿がいることに気がついた。
猿が、ニィ、と笑う。
猿は動かなかったので、チェコも瞑想を続けたが、不意に、どた、とチェコは後ろに倒れてしまった。
「…どうした…」
「、、瞑想を、し続けすぎたのよ、、。
人間が、その状態を維持するのは、とても難しいの、、」
「あー、もうちょっとだったのに!」
チェコは頭を抱えるが、
「、、まだ時間はあるわ、。
とても順調よ、、」
ちさに言われ、そうだな、とチェコも頷いた。
「よし、尾根に行こうか!」
「…こっちの道の方が日陰ではないか…」
パトスは言うが。
「水は、また必要になるからね。
どのみち引き返すんだよ」
言って、チェコは斜面を登る。
森を抜けて、尾根に上がった。
風が、チェコをもみくちゃにし、空に飛び去っていった。
「あ、今の…」
たぶん黄金虫だった…。
とチェコには、判った。