誘拐
「ふーん、貧乏って割には、馬なんて持ってるんだね…」
リコ村では駆動のスペルカードで、だいたいの馬車は動いていた。
「たぶん盗んだんだろ!
ただならば、雑草でも食べさせておけば、そこそこには働くからな」
とカイが教えた。
なるほど、それならカードより、むしろ安い訳か。
「町は市場が大きいからな。
盗むメリットも高い」
ヒヨウも、馬を駈りながら語った。
「しかし盗んで雑草を食べさせた二頭の馬では、きちんと手入れのなされた六頭馬車からは逃げ切れない」
二台の距離は、どんどん縮んできた。
長髪の男の髪が、蛇でできているかのように四方に躍り続けている。
馬車も、ラクサク家の物と違い、ろくにサスペンションもない、車輪つきの板のようなものなのだろう。
「横付けしてくれ!
俺が乗り込む!」
と、カイは言うが、ヒヨウは。
「あの男は、おそらく、殺人など何とも思ってないだろう。
それよりはエルフを呼ぼう!」
語ると、片手を不思議な形に開いて、ピョー、と独特の音を鳴らした。
町の、あちこちから、ピョー、と音が帰ってくる。
「これで、奴を見失いさえしなければ、捕獲が可能だ」
馬車は、男の馬車の真後ろに張り付いた。
「ほんとに悪い奴なんだね!
真面目に働けば良いのにさ!」
チェコは怒るが、カイは。
「貧民窟の人間に、普通の仕事なんか無いんだ。
奴は下水道に詳しかっただろ。
あの辺ぐらいなんだよ。
貧民窟の人間が働ける場所は…」
カイが、急に語りだした。
「下水道だって良いじゃないか。
どぶさらいぐらい、田舎だったら当たり前だよ!」
かくゆうチェコも、かなりダリア爺さんの小遣い稼ぎに、どぶを掻いた。
気味の悪い虫が多いが、だからといって殺人とはイカれている。
「この辺の下水道には、危険な生物も多くいるから、かなり危険な仕事なのだ」
ヒヨウが教えた。
「それで親を亡くす子供も多いんだ…」
と、カイ。
「危険な動物って?」
チェコは、勤めてさりげなく聞いた。
心は、既にトレースカードを握っていた。
「多いのはどぶカエル。
五十センチぐらいのカエルだけど、人に喰らいついいてくる、恐ろしい奴だ」
ヒヨウが語る。
「それに、まだら蛇は猛毒で、子供は丸のみにする。
魚は、ピラニア、これは残飯でも生物でも数秒で食い尽くす殺人魚だ。
これらは、ヴァルダヴァ王家が意図的に放しているものだから、勝手に殺すと罪になるのだ」
「罪に?
襲われても身を守れないの?」
「そうだ」
とカイ。
「とはいえ、貧民窟では、ピラニアなんかは釣って食べるけどね」
ふぅん?
とチェコは首を傾けた。
なかなか複雑なルールがあるようだ。
「王室の手形を得れば、漁も可能だが、むろんドブの魚など貧民窟以外では買うものはない。
ほとんど利益は出ない」
ヒヨウは話す。
「どぶさらいはお金になるんでしょ?」
チェコが聞くと、カイは。
「貧民窟でギリギリ生活できるぐらいにね。
貧民窟に生まれたものは、ドブから外へは出られないんだ…」
と呟いた。
難しい社会問題があるようだが、チェコはまだ、それを理解できていなかった。
長髪の男の馬車は、ダウンタウンへ入っていく。
だんだん道の左右に、荷車や、荷馬車が停められるようになり、道幅は狭まる。
同時に、庭鳥やブタ、山羊などの動物の姿も見られるようになり、獣臭も漂ってくる。
ただし、リコ村で育ったチェコには、それは親しい臭いだった。
山羊の乳など、チェコにはご馳走だった。
豪華な黒塗りの馬車は、車幅も大きい。
長髪の男の荷馬車は小型なので、ひょいひょい、と隙間を抜けて、ここぞとばかりに差をつけてきた。
「ヒヨウ、これって、路地に入って逃げる気じゃない?」
チェコが聞くと、
「おそらく、その通りだろう。
だが…」
いつの間にか、ラクサク家の馬車の横に、馬に乗った男が並走していた。
見ると、エルフだ。
ヒヨウはエルフ語で何か語る。
男は、返事代わりに、ピュ、と口笛を鳴らした。
「俺たちは、大通りを走ればいい。
騎馬には、荷馬車は敵わない」
ふふん、とヒヨウは笑う。
「エルフってのは、仲間が大勢いるんだな…」
カイは、己の力不足を嘆いた。
「カイやパトリックには、俺たちがいるだろ!」
と、チェコは励ました。
ピュー、ビィー、と複数の口笛があちこちで聞こえた。
「エルフの口笛は、山で狩りをするために発達したもので、言葉のように、話し合える。
俺たちは先回りをするぞ」
ヒヨウは語り、ダウンタウンの道からそれて、広い静かな道に出た。
左手はヴァルダヴァ城の深い森になるエリアだ。
ダウンタウンの坂の上、に位置する場所だった。
下のダウンタウンから、口笛が聞こえてくる。
「どうやらコクライノの北側に向かっているようだな」
「ヤバいよ!」
とカイは叫んだ。
「奴は貧民窟に向かうつもりだ。
あそこなら、無数の貧民が奴に味方するからな!」
貴族の馬車などが入ったら、大変なことになる、とカイは教えた。