路地
そこは、とても豪華な応接室だった。
ダリア爺さんのボロボロの本ではない、高級な皮装丁の本が三方の壁を埋めつくし、奥の窓からは輝く王城が見晴らせた。
「キシュウ、ハイホーへー」
例によって、入れ歯を取った老牧師が神妙に語る。
牧師の座った前には、二つの入れ歯が置かれていた。
いずれも象牙の入れ歯だが、一つは下手に触るのも怖いほど、折れかけている。
話しは、相変わらず、さっぱり判らなかったが、チェコがすることは判っている。
入れ歯を手に取り、賢者の石で、まず折れた台座の木部を溶かして直した。
それから象牙を溶かし、また汚れも落として白くする。
「ハヤァ、プロァトー、イタマケュウカィケ!」
「えっと、お口の中を見せていただけますか?」
チェコは言いながら、超小型のノギスを取り出した。
「ヒシュヒ?」
「台座の仕事が雑のようだから、ピッタリ合わせますよ」
チェコにとっては、リコ村の農夫も大聖堂の牧師も同じだった。
口を覗き、ノギスで計り、ダリア仕込みの細かい仕事で入れ歯を調整した。
「じゃあ、嵌めてみてください」
ぱふん、と牧師は入れ歯を入れて、
「おお、全くぐらつかないぞ!」
と驚いた。
チェコは同じ様に、もう一つも直した。
「いや、驚いた手並みだな。
君は全く、貴族にしておくのが惜しいよ」
アハハとチェコは笑い、
「お安くしておきますよ」
パトスは既に料金計算を終え、ヒヨウを顎で使って明細を書かせていた。
「いやー、儲かっちゃったな」
チェコは喜んでいるが、それはダリアがリコ村で支払えるように配慮した金額だった。
ヒヨウは、そう教えた。
「おそらく、パトリックの家なら十倍は取るだろう」
「まー、俺は別に宮廷錬金術師じゃないし、なるつもりもないし、いいよ」
チェコは、少し危惧し始めていた。
老牧師の入れ歯くらいはいつ直してもいいのだが、錬金術の腕を見込まれたりすると、チェコの夢が遠退いてしまう。
チェコはランカーとしてプロになりたいのだし、できれば世界を旅したかった。
今は学校に行くのも、ランカーの未来に向けて大切なことだ、とキャサリーンも言うので学校に通うつもりだが、カビ臭い錬金術師になどなりたくないのだ。
チェコは馬車で屋敷に戻ると、素早く変装して、屋敷を抜け出した。
バトルシップで、もっと色々なカードを探して、ウサギに付加を付けてみたかった。
例によって塀を飛び降りたチェコだが、
「あれ、ヒヨウ?」
そこにはヒヨウが立っていた。
「休みの日におとなしくしているような奴じゃない、とは思ったが、どうして帰りに寄らないんだ?」
チェコは、老ヴィッキスがダウンタウンに行くのとを許可しない、とうちわけた。
「なるほど、そういうわけか…」
実のところ、ヒヨウの任務は、アルギンバの末裔であるチェコの監視だったので、コクライノに来てからも、ずっとチェコの尾行を続けていた。
前のチェコのお忍びで、悪党を捕まえて倒したのもヒヨウだ。
尾行も面倒になったので従者としてラクサク家に入り込んだが、逆に外に出ていくチェコを追いかけるのは難しい。
だが、老ヴィッキスに話すと、チェコの身辺警護のための外出を認めてもらえたので、ヒヨウはチェコを張っていたのだ。
「その外見は、目立ちすぎる」
と、ヒヨウは乗り合い馬車にチェコを乗せ、ダウンタウンの服飾店に行って、吊るしの服から帽子、ハーフパンツ、靴まで買った。
「へー、変わった服だね?」
分厚いウールのシャツは赤い柄物で、ズボンももっさりした綿織物だ。
「庶民はだいたい、こんな服装なんだ」
シルクのシャツにシルクのズボンを着けたチェコが、使い古した革の上着とブーツを履いて歩くのは、コクライノのダウンタウンでは灯台のように目立っていた。
改めてバトルシップに向かうチェコだが、路地で物音が聞こえた。
パトスの垂れた耳がピンと立ち、
「パトリックの声がした!」
チェコたちは、昼でも薄暗い、コクライノのダウンタウンの路地道に、足を踏み入れていた。
「へへ、囲まれたら、仕方ないだろ」
安いワインの酒樽が三段に積み上げられた奥、パトリックと、同い年のボディーガードの少年が、五人の身なりの汚い若者に取り囲まれていた。
「パトリック!」
チェコが驚くと、近くにいた若者の一人が、
「ち、めんどくせーな!」
とチェコたちに向かった。
チェコが前に出ようとするが、するり、と滑り出たヒヨウが。
何ヵ月も洗っていないような上着の若者の、腕をねじると、若者は無様に倒れた。
と、パトリックを取り囲んでいた男の一人が、吹き飛んだ。
「ん、なんだ?」
ボディーガードの少年が、どうも両手から何かを発射しているようだ。
「コノヤロウ!」
と右手の男が、錆びた剣を振り上げるが、男の手に、何か石のようなものがボディーガードから発射され、剣を取り落とす。
と左手の男が、長い棒を槍のように構えて、少年に向かった。
が、男の顔面に石のようなものが命中し、男はあえなく倒れた。
四人目が、その隙にパトリックを捕まえようと手を伸ばしたので、
「雷!」
チェコがスペルを放って男を倒した。
ヒヨウは五人目を取り押さえていた。
「大丈夫、パトリック?」
パトリックは、シンプルなスーツを着ていたが、仕立ての良いのは一目で判る。
「あ、ああ。
助かったよ。
ちょっと猫を追って路地に入ったら…」
ヒヨウは、
「お前ら、誰かに雇われたのか?」
と、問いただしていた。
「いや、俺たちは酒代が欲しかっただけだよ…」
五人目が、弱々しく答えた。
「…本当のこと、言ってる…」
パトスは、匂いでそういうことも判る。
ヒヨウは、五人目を気絶させた。
「バド、ダメだろ。
チェコさんたちが来たからいいが、ヤバかったぞ」
少年は、いつもは従順に振る舞っていたが、今はきつくパトリックを叱った。
「猫が欲しがったんだ…」
パトリックは、うつむいて呟いた。
パトスが、コゥ、と不思議な鳴き声を立てる。
と、親猫と五匹の子猫が歩いてきた。
「え、君が呼んだのかい?」
驚くパトリックにパトスは、胸を張り。
「…俺は精獣…。
…全ての動物と話ができる…。
どの子が欲しかったんだ…?」
「あ、うん、そのブラウンと白の虎がらの子が可愛くて…」
パトスが語り、親猫は了承した。
「…どのみち、五匹は育たないと思っていたらしい…」
トラがらの子猫は、おどおどとパトリックの側へ歩いていく。
「良かったねー」
ボディーガードの少年が、チェコに頭を下げた。
「俺はカイという。
一人では危なかった。
助かった」
「いやー、パトスがパトリックの声に気がついたんだ。
だから、パトリックが叫んだから、俺たちが来たんだよ」
アハハと笑うチェコと、トラ猫を抱いたパトリックの幸せそうな笑顔が交差したが、
「この辺は危ない。
表通りに出よう」
とヒヨウは指示を出していた。