奴隷
その朝から、チェコと共に、ヒヨウが馬車に同乗した。
と、言ってもヒヨウは御者席で馬を巧みに操っていて、老ヴィッキスは驚き、
「さすがエルフですな。
何年も馬と暮らしたように性格を把握している!」
チェコは馬に触ったことすら無かったが、老ヴィッキスによると四頭だての馬車を操るのは、なかなか難しいらしい。
「構わないとスネる馬や、逆の馬もいますからな」
朝のコクライノの混雑する道も巧みに繰り抜けて、いつもより十分早く、チェコはドリュグ聖学院に到着した。
「あら、お早いのね」
見ると、フロル・エネルが、黒髪を後ろで結って、不思議なパンツルックで歩いていた。
「あれ、フロルその格好は…」
チェコはエクメルの解説を待ったが、隣のヒヨウが、
「チェコ。
それは貴族の、弓道の衣装だ。
昔の弓兵士はこうした姿で戦ったんだな」
と教えた。
「あら、この方?」
首を傾げるフロルに、チェコが、
「ヒヨウだよ。
俺の従者になってくれたんだ」
「あら。
エルフの従者なのね!
素晴らしい、どこで知り合ったの?」
チェコはニコニコと、
「山では一緒に戦ったんだよ。
というか、ヒヨウがいたから、俺は生きてここにいるんだ!」
「まー、では実戦の勇者ね。
ここの生徒会長もエルフの貴族なのよ」
「え、そうだったの?」
ええ、とフロルはにんまり笑い。
「とってもイケメンなのよ」
ふーん?
チェコは近い歳の女子と話した経験が無かったので、イケメンの意味が判らなかった。
聖学院の校舎に向かう石畳の通路の左右は、様々な運動部の朝練習が行われていた。
フロルも部の途中だったらしく、
「また、後でね、勇者くん♡」
と手を振って走り去った。
「なんだろ、勇者くんって?」
「たぶん、お前の実力が認められつつあるんだろう。
昨日は、助けにいこうとしたら、大男を一発KOしてただろ」
とヒヨウ。
「あれはカイザーナックルを出しただけだよ?」
「お前はスペルランカーなのだから、そういうのを自在に操れれば、それが実力なんだ。
なんにしろ、俺の見たところ、相手も腕には自信を持っていたようだ。
そう簡単な相手じゃなかったさ」
「ふーん、そうかな?」
ドリュグ聖学院の校舎は、過去には要塞として使われた事もある、六階建ての七つの塔を持つ城塞だった。
各塔の部分は螺旋階段であり、その他に入り口にはダリアの家がすっぽり入るほどの広さの大階段が作られていた。
が、チェコたち一年は一階の講堂が教室のため、階段は上がらない。
一階は講堂以外にも、職員室や保健室、裏庭沿いにはレストランや購買も併設されている。
「チェコ!
彼はなんだ!」
確か名門錬金術師の家柄のパトリックがヒヨウに驚いた。
チェコは山で一緒にたたかった、とヒヨウを紹介した。
クラスは、初めてエルフを見た人間も多く、大騒ぎになったが、
「従者とは、さすがにプロヴァンヌ候は金持ちだな」
とアドスは言った。
「え?
貴族って、金持ちだから貴族じゃないの?」
とチェコは素朴な疑問を口にする。
アドスは、ハァ、と肩をすくめ、
「領地を持ってヴァルダヴァ候に爵位を授かったから貴族だ。
だけど、うちなんか領地は山の中で痩せているし、男爵だし、カツカツなんだよ」
「へー、貴族は皆金持ちなんだと思ってたよ」
驚くチェコに、
「貴族より、あっちのパトリックとかの方がよっぽど金持ちだぜ」
そういえば、とチェコはメガネのパトリックを見る。
彼はお坊ちゃんなのか、廊下に常にお付きの少年が立っていて、教科書などは彼が持ち運び、授業の度に交換している。
そういう人間は、パトリック以外にも、エズラ・ルァビアンなども大人の女性を立たせていた。
「あの人たちも従者?」
ハハ、とアドスは笑い、
「あれは奴隷だよ」
ぬ、とチェコは考えた。
チェコも奴隷を見たことはある。
リコ村のような辺鄙な田舎にも、村長の家のような大きな農家はあり、そこでは奴隷を買って農作業をさせている。
だが、廊下に立っている彼らは身なりも、リコ村の村長よりも立派だった。
「従者は、無論、雇用形態にもよるが、俺のように隣に座り、学習も受けられる」
と、どこかに行っていたヒヨウがパトスを挟んで隣に座る。
「奴隷と言っても、農奴と家奴はだいぶ違う」
語り、チェコとアドスに耳打ちした。
「あの二人は、おそらくボディーガードだ。
二人とも素人じゃない」
少年の方は、歳もチェコと同じくらいだったが、言われてみれば、目つきが鋭い。
「パトリックとエズラには逆らわない方が賢明だ。
俺でも、平地では戦いたくない」
木が生えていれば、いくらでもやりようはあるがな、とヒヨウは笑う。
「へぇ、錬金術師ってのは儲かるんだなぁ」
とアドスは皮肉っぽく笑った。
「有名な錬金術師なの?」
チェコが聞くと、
「無論、ヴァルダヴァ候お抱えだよ。
だから爵位はなくとも、ここにいるわけだ」
だが、少年が、ちら、とアドスを見た。
「おやおや。
あいつ、チェコとたぶん同い年だが、唇まで読むみたいだぞ。
アドス、俺はチェコの従者だから、一緒じゃないときまで面倒は見れないぞ」
アドスは、わざと震えて見せて、
「せいぜい、気をつけるよ」
と笑った。