闘い
今週はレノボと猫に振り回され、なかなか書けませんでした。
猫の文太は、どうやらパソコンに嫉妬しているようです…。
チェコは、どっしり腰を落としている。
こうして対峙してみると、クラスで一番小さいとはいえ、チェコは虎の子のような、ヒヤリとする狂暴性を発散させていた。
無論それは、チェコが戦争に出て、大人と殺し合いをした上で、勝ち残っている、という事実も加味されているのだろう。
子犬のパトスにも頭が上がらないような少年であり、クラスにいても、子供っぽいポカをやらかす、あどけない子供に過ぎない面も、確かにある。
だが、戦いに臨んだ、この目の輝きはどうだろう。
百通りの切り刻みかたを吟味して、居合いが最良とセレクトした、と、言うような閃きかたはどうだろう。
彼は、どう、あたしに勝とうとするのだろう…。
フロルは、自分とチェコの間に剣を置きながら、ゆっくり右に回った。
無論、そんなことで崩れるチェコではないのは判っている。
動くことで、微妙に間合いが狂ったり、足運びに乱れが出るようなレベルの男の子じゃない。
そう見えたとしたら、おそらくそれは、チェコが意図して作った作為の隙のはずだ。
だが、チェコはおそらく、フロルにそんなブラフは行わない。
時間をかけても、真正面から戦うはずだ。
チェコが、居合いの形のまま、ずっ、と前に出た。
不意打ちの動きに、フロルは慌てて、跳んで背後に動いた。
今、どう動いた?
フロルは混乱した。
居合いは、動かない剣のはずなのだ。
一瞬で相手に合わせて剣を抜くカウンターアタックであり、相手に向きを合わせるぐらいは出来ても、まさかその居合いのまま、前進する、など考えられない…。
が、今、まさに、チェコはそれをしてのけた。
もとより、歩きながら抜き打ち、振り向きながら切り込むのが、元々の居合いである。
動けない、という訳では決してない。
が、一旦、手に柄を置き、こうして対峙したならば、普通、居合いは動かない。
柄を握るまでは自由でも、一旦、構えたならば不動の姿、それが居合いのはずだ。
相手の動きに即応するのが、居合いだからだ。
無駄な動きを、極力省いた姿なのだ。
だから、動かない。
自ら動いたりしたら、フロルの動きに、合わせられなくなってしまうからだ。
が…。
居合いが、前進するのだとしたら…。
フロルの常識が揺らぎ始めた。
前に動けるのなら、居合いの射程は、ぐんと広がる。
決して、構えた剣に劣らない射程を手に入れられるのではないか?
また、動くということは、すなわち剣の速度も前進速度が加われば、より早い居合いとなる。
のだが…。
フロルはチェコが居合いの形をとってから、細かい所作を見ていなかった。
動かないものを見ても仕方がないからだ。
いったい、チェコはあの形から、どう動いたのだろう?
足を踏み出せば、剣を抜かざるを得ないはずだ。
剣術に、下半身だけが動く、などという行為は不可能だ。
足と手の動きは連動してこそ、最高のパワーを発揮するのであり、別に動いたら、ただの手打ちになってしまう。
これでは、草を刈ることすら不可能だ。
が、今、現にチェコは前に出た…。
フロルは、何が行われたのか、全く判らなかった。
戸惑ったフロルだが、心のどこかで、冷静に考えろ、と合理性の声がした。
そう…。
既に剣を手にかけているのだ。
足を左右に動かす訳はない。
剣と逆の足で踏み出すから、こしがまわり、力のある太刀筋が生まれるのだ。
逆の足が前に出る訳はなかった。
そうであれば…。
推測ではあるが、細かい摺り足を素早く繰り返し、姿勢を崩さずに前進したのだ。
武道では、する意味も無いため行わないが、プロのダンサーレベルの劇舞踊では、動かないような姿のまま、実は相手に合わせて動いている、というような躍りもある。
おそらく、これに近い、なにかが行われたのかのだろう。
普通はしないことだ。
動いている途中に攻撃されては、ひとたまりもない。
だが、あえてチェコはやった。
敵の混乱を誘うためだ。
と、考えてみるが…。
チェコは、たぶん、あたし相手にそんな事はしない。
彼は、勝てる手だけを打ってくる。
そんなハリボテの作戦は、絶対しない…。
フロルにも、そこは判った。
フロルは唾を飲み込んだ。
チェコは居合いの形に構えているが、そこから、打って出てくる。
たぶん…。
あの時、飛び退かなかったら、フロルはやられていた…。
チェコは、本気だ。
ドキン、と胸が高鳴った。
怖く、でも、嬉しい…。
チェコは、あのナルタのように、フロルを花扱いしない。
勝つために、剣を交える対戦相手として、見ている。
ひやり、とした殺気と共に、涼やかな深山の冷気が、彼と共に漂っている。
虎の子供。
猫の子のような赤ちゃんではなく、さりとて山の主のような大人でもない、若い、虎の少年。
そんな香気が、チェコにはある。
常に、ではない。
アドスとふざけ、パトスに怒られている彼は、普通の子供だ。
だが、時折、微かに見える…。
初々しい、若虎の闘気…。
フロルは、前に構えていた剣を、ゆっくり頭上に振り上げた。
闘う!
彼は本気なのだ!
だから、あたしも本気になったとき、二人の心は、きっと触れ合うだろう…。
それは真剣に漂うような、甘美な死の匂いだった。




