7話
適度に食事を摂りながら、ダンスの時間となった。アルヴィスは席を立つと、その足でエリナの元へと向かう。アルヴィスが歩けば、学生たちはその前を開けて行った。そして学生たちが開いた道は、そのままエリナへと続く。
「エリナ、待たせた」
「アルヴィス様」
アルヴィスが傍に向かえば、頬を赤くしながらも微笑むエリナ。その微笑ましい様子に、アルヴィスの頬も緩む。周囲からの視線は感じているものの、今日は見せつけるために来たのだ。昨年のエリナへの不名誉を払拭するためと言ってもいい。
本来ならばしてはいけないのだろうが、アルヴィスは敢えて右手を胸に当てて腰を少し落としながら左手を差し出した。騎士としてならば膝を折ることも出来るが、王太子という立場にある今は出来ないことだ。それでもアルヴィスが望んでエリナと共にいることを示すために、王家がエリナを大切にしていることが伝わるようにとできる限りの礼を示した。そのための騎士礼だ。簡易的なものしかできないことは申し訳ないが、エリナには十分に意図は伝わったらしい。瞳をにじませているエリナをみて、アルヴィスは苦笑する。
「踊ってもらえるか?」
「はいっ! 喜んで」
エリナは直ぐにその手を重ねてくれる。少しばかり力を込めてエリナの手を引けば、力のままにアルヴィスの胸へと飛び込んできた。
「ア、アルヴィス様⁉」
「昨年のやり直しだ」
「えっ?」
エリナが顔を上げる前に、肩を抱きながら中央へと進む。他にも踊るペアはいるのだが、中央は譲ってくれているようだ。ならば、好意に甘えるべきだろう。そうしているうちに音楽が鳴り出す。足を動かし始めるとエリナもそれに合わせてステップを踏む。こうして、エリナと踊るのは三回目。どれも、婚約者としてペアを務めていた。
今回の創立記念パーティーは学園行事ではあるが、アルヴィスにとっては公務の一つ。それほど想い入れがある行事ではない。だが、エリナにとっては苦い思い出の日として強く頭に残っていることだろう。それを上書きすることまでは出来なくとも、良い思い出を作ったままでエリナには学園を卒業してもらいたいとアルヴィスは思う。ここにいるのは、少数の来賓とて国内の貴族や学園関係者たちだ。さほど気を張る相手ではない。
踊っている間に、曲が終わる。テーブルがある方へと視線を向ければ、令嬢たちからの視線を感じた。ファーストダンスは婚約者と踊るのは常識だが、その後は自由だ。アルヴィスの生誕祭の時でさえ、エリナと踊った後は他の令嬢たちとも踊ったのだから、今回もそうだろうという期待が令嬢たちからは見える。
「アルヴィス様、その」
勿論、エリナにもそれはわかっているだろう。そして公爵令嬢としてだけでなく、将来の王太子妃としてどう振舞うべきかも理解できている。淑女の見本として、己を律してきたエリナならばそうするだろうとアルヴィスも分かっていた。だからこそ、アルヴィスは、エリナの腰を己へと寄せる。
「ア、アルヴィス様⁉」
「今日は学園の行事でしかない。王太子の婚約者としてではなく、ただの貴族令嬢として俺に付き合ってほしい」
エリナの表情が驚きに変わる。公爵令嬢と言わずに貴族令嬢としたのは、高位貴族の令嬢としてではないただの令嬢エリナとしてという意味だ。
「ですが」
「婚約者同士が続けて踊るのは珍しくない。だから……まだ付き合ってくれるか?」
「アルヴィス様……はい!」
本当ならば待っている人がいれば譲るべきなのかもしれない。だが、ここは学園でエリナは主役の卒業生の一人。最後の思い出を作るべき人だ。今日くらいは、エリナを優先しても面と向かって指摘する者はいないだろう。
笑みを浮かべながら踊るエリナに、またアルヴィスも微笑んだ。
一方、その様子を外側から見ていた令嬢たちは、肩を落としていた。
「建国祭とかでもエリナ様とは一度だけしか踊らなかったから、今回もと思いましたのに」
「ですわね……残念ですわ」
「当然ですよ、皆さま」
そこへ声を上げて入ってきたのは、ハーバラだ。エスコート役のシオディランは傍にいない。既に一曲踊り終わったため、離れたらしい。
「ハーバラ様、どうしてですの?」
「エリナ様は、アルヴィス殿下をとても慕っておられます。それに……」
ハーバラが視線をエリナとアルヴィスへ向ければ、自然と令嬢たちもそれに倣う。中央で踊る二人は、終始お互いを見ながら微笑んでいた。誰が見ても、政略で繋がった婚約者同士には見えないだろう。
「あのアルヴィス殿下があのような表情をなさるのは、初めて見ました。妹君と踊られた時も、微笑んではいましたけれど」
「あの時も確かに素敵でしたわね」
「そうでしたわね。いつも穏やかな表情をされている方ですけれど、あの時は一際素敵でした」
騎士をしていた頃も、アルヴィスはある意味で有名な人物だった。表に出てこなくとも、騎士として働く姿を目にしたことのある令嬢は少なくない。普段の様子を知っているからこそ、その違いはよくわかるというものだ。
「あのような殿下を見ることができるのも、エリナ様と踊っているからですよ」
「それは……そうですわね」
自分たちと踊ったところで、いつもの社交辞令的な笑みしか向けてはもらえないことは令嬢たちにもわかっていた。令嬢たちの中には、将来の側妃になりたいという想いがないわけではない。ここで印象を付けておけば、その道が開かれるという可能性もあるからだ。
しかし、目の前の二人の様子は皆が見ている。その中に割って入る勇気はここにいる令嬢たちにはなかった。何よりも、同じ学生としてエリナが公爵令嬢として、女性として優れている人物であることを知っているのだから。
そんな様子の令嬢たちを見て、ハーバラはホッと安堵の息を付いた。
「せっかくのパーティーなんです。水を差すのは野暮というものですわ」
「……お前がそこまでしなくとも、殿下はリトアード公爵令嬢を離さないと思うけどな」
離れていたはずのシオディランがいつの間にか近づいてきていた。視線をエリナたちから逸らすことなく、ハーバラは応える。
「それでは、エリナ様が気に病んでしまうかもしれないでしょう。お兄様は、もう少し女性というものを知った方がいいですわよ。お義姉さまに飽きられてしまう前に」
「お前のそれ、外見詐欺だよな。本当に」
「失礼ですわね」
物事をはっきりという女性は、一般的に男性には好まれない。ハーバラとてとっくに理解していることだ。それでも自分を偽ることはしたくないと、ハーバラは思う。結婚できなければそれでいいとも。今は、同じ事件で傷ついた友人が幸せそうになるのを見守るだけでいいと。
「……エリナ様を傷付けたら、殿下でも容赦しませんからね」




