6話
ハーバラの兄の名前を変更しました。
トール→シオディラン
学園に到着し、馬車が止まった。
「エリナ、行けるか?」
「はい……」
そっとアルヴィスが手を差し出せば、エリナが重ねてくる。重ねられた手を握り返すと、アルヴィスは力を込めて手を引いた。突然のことに、エリナはそのままアルヴィスへと倒れこむ。
「あっ」
「大丈夫だ」
「アルヴィス、さま?」
「昨年とは違う。君の傍には俺がいる」
そっとエリナを抱く腕に力を込めれば、エリナもアルヴィスの背に手をまわす。エリナが落ち着くまで待っていたいところではあるが、ゆっくりしている時間はない。馬車が到着したのだ。後ろにも馬車は控えているのだから、アルヴィスたちがここで時間を費やすわけにはいかない。
「行こう」
「はいっ」
先ほどよりも幾分気分が浮上したエリナに苦笑しながら、アルヴィスは手を取りながら馬車の扉を開ける。外には近衛隊が控えており、降りるのを待ち構えていた。
エリナの手を取って馬車を降りれば、周囲の学生たちからも視線が注がれるのがわかった。昨年と違い、エリナがアルヴィスにエスコートされているのを見に来たのかもしれない。
アルヴィスは本日の来賓のため、本当ならば学園に入ったあとはエリナと別行動になる。学生であるエリナはそのまま会場入りをすればいいが、アルヴィスはそういう訳にはいかないのだから。
そこへ一組の男女が近づいてきた。その女性はハーバラだ。伴っている男性は、ハーバラの兄であるシオディラン・フォン・ランセル。アルヴィスの友人だった。
「シオ……いやランセル卿、久しいな」
「……ご無沙汰をしております、王太子殿下。今日は妹のエスコート役を仰せつかりましたので」
「なるほど」
アルヴィスも貴族同士の家事情は耳にしている。ランセル侯爵家の令嬢が、例の件の被害者の一人であることも。身内である兄を伴っているのは、相手がいないからだ。現在でも、あの件で破棄された婚約者たちはエリナを除いて婚約はしていない。積極的に相手を探しているという話も聞いていなかった。エリナと同様、まだ傷は癒えていないということなのだろう。
アルヴィスはハーバラへと向き直る。
「お久しぶりですね、ハーバラ嬢」
「はい、お久しぶりでございます、殿下」
アルヴィスがハーバラとも面識があるのは、社交界で顔を合わせたことがあるからである。生誕祭にも来ていたが、それ以来となるので半年振りくらいだ。
「エリナから良き友人だと聞いています」
「こちらこそエリナ様と仲良くしていただいて、嬉しく思っております」
「そうですか」
ハーバラらが来たのならちょうどいいと、アルヴィスはエリナへチラリと視線を向ける。一人でエリナを会場に向かわせることは気が進まなかったが、彼らがいるのなら任せられる。アルヴィスは再びシオディランへと向き直った。
「ランセル卿、会場までエリナを頼めるか?」
「はい、お任せを」
シオディランもそのために来たのだろう。恐らくは、ハーバラに頼まれて。女性の友人が一緒ならば、下手な憶測も立たない。エリナも安心できる。
「エリナ、また会場でな」
「はい。お待ちしております」
「あぁ」
そっとエリナの頬に触れると、アルヴィスはそのまま学園へと先に入っていった。この先は近衛隊が同行する。いつもの通り、レックスとディンが付いてきた。
一方、残されたエリナはアルヴィスの姿が見えなくなるまで見送ると、改めてハーバラへと頭を下げる。
「ハーバラ様ありがとうございます」
「私もエリナ様に早く会いたかったですから、お互い様ですわ。それにしても、素敵なドレスですね。とてもエリナ様にお似合いです」
「ありがとうございます。ハーバラ様もとても素敵です」
にっこりと微笑みあう令嬢同士。ここにいては他の学生たちの邪魔になると、エリナたちは会場へと歩き出す。ハーバラとエリナが隣同士で歩くため、シオディランはまるで二人を守る騎士のように後ろから付添っていた。
会場へ入れば、多くの学生たちの姿が見える。例年よりも参加者が多いこともあるのだろうが。エリナたちは己のクラスメイトらが集まっているテーブルへと合流した。
口々に挨拶を交わし、装いをほめたたえる。そこに男性の入る場所はない。エスコート役をした者たちも、少しばかり距離を置くのが常となっていた。
「皆さん、静粛に」
ざわざわとした声が一斉に止む。これからパーティーが始まる。その合図だ。壇上に立っているのは、アネットだった。凛とした声が会場へと通る。彼女の視線が学生たちから横へと移動した。そこには、来賓たちが座る場所が用意されている。静まり返る中、アネットの合図で奥から人が出てくる。先頭を歩くのは学園長だ。学園長が登場するのに合わせて、来賓たちが姿を現した。
「あ……」
「アルヴィス殿下ですわね」
「はい」
一番最後に現れたのは、アルヴィスだった。その背後には近衛隊が控えているので、厳密に言えば最後ではないが。エリナの視線に気付いたアルヴィスは、苦笑する。学生たちの視線を一身に受けるというのは、学園卒業以来のこと。アルヴィス自身も多少の居心地の悪さを感じていた。
「アルヴィス殿下、一言をお願いいたします」
「わかりました」
アネットより、その場を譲られてアルヴィスは壇上の中央へと立つ。皆がこちらを見ているのを確認し、アルヴィスはいつもの笑みを貼り付けた。
「本日は、お招きありがとうございます。卒業する皆さんはあと少しの学園生活となり、在学生の皆さんにとっては先輩方との学生としての最後の交流の場となります」
卒業すれば、大半の学生は貴族社会に属する。そして、成人を迎えるのだ。学生では許されたことも、許されなくなることだろう。己の言動の責任は、己で持たなければならない。それが成人するということなのだから。甘えが許されるのは、学園にいる間だけ。それもあと少しだ。
「どうか、楽しい一日にしてください」
当たり障りのない言葉を述べて、アルヴィスは下がる。在学時に幹部学生として過ごしていたことから、人前に出て挨拶を述べることには慣れている。だが、今のアルヴィスの言葉はそのまま王家の言葉となってしまう。だから、アルヴィスは昨年のことは話題にしなかった。既に終わったこと。蒸し返す必要はない。
来賓席に戻れば、プログラムが進められるのを見守るだけだ。アルヴィスが表に出る必要はない。次の出番は、ダンスまでお預けとなる。時折、会場を見渡しながら、アルヴィスは学生たちの言葉に耳を傾けていた。




