2話
そんなある日、アルヴィスは久しぶりに学園の門の前に立っていた。馬車を降りれば、懐かしい学び舎が目に入る。門をくぐり抜けて敷地内に入ると、広々とした並木道が出迎えてくれていた。
「この時間だと流石に静かだな」
「ですね。ですが、お懐かしいです」
講義中でなければ、学生たちの姿が見えることもあるところだ。だが、今は建物を見上げても、人の姿はほとんどなかった。騒ぎにならぬようにと学生たちが講義中の時間を狙ってきているので、逆に学生がいると困るのだが。
今回、同行しているのは護衛であるレックスとディンを含めた少数の近衛隊たち。そしてエドワルドだ。エドワルドは、学園在籍時にアルヴィスの傍にいた。遠くを見るようにして懐かしんでいるのは、当時のアルヴィスのことだろう。
そんなアルヴィスたちの元へ、老紳士らしき人物と若い女性が近づいてきた。
「王太子殿下、お待ちしておりました」
「ヴォーゲン先生、お久しぶりです」
眼鏡の老紳士は、目元の皺を増やして微笑みながら頭を下げた。彼は、アルヴィスが在学時にも教鞭を振るっていた教師である。そんなヴォーゲンに合わせて同行していた女性も頭を下げる。見覚えがある女性にアルヴィスは少し驚くが、敢えて彼女に声はかけなかった。
「本当にお久しぶりでございます。ご苦労も多いかと思いますが、お元気そうで安心しました」
「ありがとうございます」
「では、学園長の元へご案内致します」
「はい、お願いします」
ヴォーゲンの前を女性が先導する形で、中へと入る。案内された部屋は校舎内でも一番奥にある学園長室だ。女性がノックをすると、中から承諾の声が返ってきた。開かれた扉の中へとアルヴィスは入る。ヴォーゲンらは案内役だったようで、中には入らなかった。
「ようこそおいでくださいました、王太子殿下。わざわざご足労いただき、申し訳ありません」
「いえ」
部屋に入ると、学園長はアルヴィスの前に立ち、胸に手を当てて頭を下げる。臣下の礼だ。在学時には、アルヴィスの方が頭を下げる側だった。そのためか、違和感が拭えずアルヴィスは返答に詰まってしまう。そんなアルヴィスの変化を悟った学園長は、苦笑する。
「変わりませんね、ベルフィアスは」
「え?」
「いえ、こちらの話です」
更に困惑するアルヴィスを余所に、学園長に勧められるままソファに座った。そのアルヴィスの後ろに、レックスやエドワルドは立つ。この場に入室していない近衛隊たちは学園入口で待機だ。
「改めまして、本日はありがとうございます。本来なら私どもが出向くところを、お手を煩わせてしまいました」
「昨年のこともありますので、そのように仰っていただく必要はありませんよ学園長。むしろ、昨年はこちらが面倒をかけてしまいましたから」
ジラルドが起こしたことによってパーティーも中断されてしまい、学園側も対応に追われた。学生側やその親たちへの対応。今年の特例についても。
そう、今回アルヴィスが学園にきたのは創立記念パーティーの打ち合わせの為だった。本来ならば、わざわざアルヴィスが出向く必要はない。書面や代理人を立ててのやり取りでも十分である。そうしなかったのは、昨年の不始末が尾を引いているからに他ならない。
「王太子殿下が謝罪をする必要はありません。陛下より、既に謝罪は受け取っております。かの元殿下の処遇も伝え聞いております故、これ以上の謝罪は不要でございます」
「感謝します、学園長」
打ち合わせの内容といっても、学園側の意向とアルヴィスが参加するための警備などの突き合わせがメインだ。アルヴィスが来るということは、近衛隊が警備に参加するということ。そして近衛隊が行うのは、アルヴィスの護衛のみ。学園の警備たちは、例年通り学園内に目を配っていればいい。基本的にはこの方針なのだが、お互い配置が重ならないように組み替える必要はある。
今回、近衛隊については全権をアルヴィスに委ねられているため、この場で決定することが出来た。あとは、結果をルークに伝えるだけでいい。こうして無事に打ち合わせは終わった。
「では、これを警備班へと伝えておきます」
「お願いします」
「この後は、どうされますか?」
「もう学生たちも動き回る時間でしょうから、我々は帰るつもりですが」
「少し、見学をされていかれませんか?」
見学する。それは学園に初めてくる人ならば当てはまるだろうが、アルヴィスは学園の卒業生だ。見学するも何もない。ならば学園長が意図することは、ただ一つ。エリナだろう。
「許可、していただけるのですか?」
「噂の殿下が来られるとなれば、学生たちも喜びます。多少ならば構いませんでしょう」
「……ありがとうございます」
喜ぶことに同意はしかねるが、噂になっていることは理解できる。アルヴィスがベルフィアス公爵家次男であったことは、周知の事実。立太子の儀式の件も既に知れ渡っていることだ。それを否定することは出来ない。
「では、失礼します」
「案内は、アネット先生にお願いしていますので」
「案内、ですか?」
「不要だとは思いますが、殿下を案内もせずにというのは学園としても不手際と取られかねませんので」
「わかりました」
一人で歩き回るわけではないが、学園側も了承しているという趣旨を示すためには必要ということだ。これを拒否する必要はない。
学園長の呼び出しに応じたのは先ほどの女性だ。キリッとした表情でアルヴィスに頭を下げる。
「では、ご案内致します」
「あ、あぁ頼む」
学園長室を後にすると、彼女はアルヴィスと向かい合った。
「お久しぶり、と言っていいでしょうか。覚えていらっしゃいます?」
「あぁ。アネット・フォン・ビーンズ。流石に、クラスメイトのことは忘れない。まさか君が教師になっているとは思わなかったが」
「驚かせてしまいましたか。でも、王太子殿下となられたベルフィアス様とは比べ物になりません」
「……それもそうだな」
アネット・フォン・ビーンズ。アルヴィスが在学時の同級生だ。実家は子爵家でアネットは次女だった。アルヴィスが驚いたのは、貴族の娘である彼女が働いていたからである。通常ならば、既にいずこかの家に嫁入りしている年齢だ。この年齢まで未婚でいることは、社交界では行き遅れとされてしまう。
アネットとは特に親しい間柄でもない。多少会話をした程度の関係だ。そのため、何故働くことを選んだのかは想像することも出来ない。エドワルドらにも挨拶をすると、アネットは前を向いてしまった。
「では、リトアード公爵令嬢のところへご案内致しますね」
「頼む」
「はい」
先頭を行くアネットの後ろをアルヴィスらは付いていった。




