閑話 令嬢と祭り
パーティーがあった翌日。エリナは、侯爵令嬢であるハーバラと共に侯爵家の馬車に乗っていた。貴族令嬢が城下街を歩き回ることは、この人混みでは簡単にはできない。護衛にも負担がかかるということで、こうして馬車の中から雰囲気を味わうのが常だった。
「こうしてエリナ様と回るのは初めてですわね」
「はい、そうですね」
「祭りには、毎年参加なさっていらしたのですか?」
「周りを見るということは、していましたが……それだけでした」
家族と、ただ馬車の中から様子を見るだけ。それが、エリナが知る城下街。建国祭は、ただでさえ人が増える期間だ。王太子の婚約者という立場もあって、自らどこかに足を運んだことはない。友人とこうして街を回ること自体が、エリナは初めての経験だった。
「あの方ともですか?」
「そうですね。一度もありませんでした。昨年は、リリアンさんと来ていたそうですけれど」
公務があるからと、ジラルドはエリナを誘ってくれることはなかった。王太子なのだから万が一のこともある。エリナも特に誘われなかったことを気にすることもなかった。しかし去年、ジラルドは祭りに姿を見せていたらしい。リリアンを伴って。
リリアンの名前が出たところで、ハーバラがため息をついたのが見えた。
「あ……ごめんなさい、ハーバラ様」
「気になさらないでください。ただ、あの方への評価が更に下がっただけですから」
「ハーバラ様?」
「昨年は、彼も誘ってくださいませんでした。彼女と共に行くのだと……結局は、あの方にその座を取られてしまったので彼も彼女とは行けませんでしたのですが……そもそもエリナ様を一度も誘わないなど、あの方は婚約者として最低だったのだと改めて認識致しました」
ハーバラは、毎年婚約者だった彼と祭りを楽しんでいたという。小さな頃は、平民とまではいかなくとも少し裕福な商家程度に見られるようにと身なりを代えて。成長してからは、堂々と回っていたと。護衛がいるのは当然なので、時間は限られてしまうし、歩き回るというよりは店の中などで楽しむことになる。それでも、ハーバラは十分楽しめたようだ。
話を聞いているだけで、エリナも顔が綻んでくる。それと同時に寂しくも思った。どれだけハーバラと彼が親しかったのか。それが、よく伝わってきたからだ。
そんな複雑そうな表情をするエリナに、ハーバラは困ったように笑った。
「ありがとうございます、エリナ様。今となっては少し寂しく思いますが、こうしてエリナ様とご一緒出来ることも、私にとっては嬉しいのですから」
「私も、とても嬉しいです。誘って下さって、ありがとうございます」
「楽しみましょうね、エリナ様」
「はい」
今回はハーバラからの誘いということもあって、どこに向かうのかなどは全てハーバラに任せていた。元々、城下には詳しくないエリナ。だがそんなエリナとは違い、ハーバラは侯爵令嬢だというのに街にとても詳しかった。
立ち寄ったお店は、全て個室。案内された中には、エリナが知っているお店も含まれていた。リトアード公爵家の場合、店側から届けさせることが多いため、店の場所さえエリナは知らない。博識なハーバラの様子に、エリナは己の無知さを痛感していた。
有名な菓子店でお茶をしている中、エリナは思わず重く息を吐いてしまった。
「エリナ様?」
「……羨ましいです、ハーバラ様が」
「私が、ですか?」
「私は、この街に住んでいながらこの街のことをほとんど知りません。ですが、ハーバラ様は沢山のことを知っています」
学園では教えてもらえないこと。その一つが、今エリナが痛感していることだろう。王妃教育でも学ぶことはない。だが、同じ高位貴族令嬢であるハーバラはそれを知っている。
「私も……もっと知りたいと思っているのです。もっと沢山のお話が出来るように」
「それは……アルヴィス殿下と、ですか?」
「はい……」
エリナは、アルヴィスは仕事で城下を訪れる時間はないのだという話をした。近衛隊が建国祭の期間中、警備として巡回を行っていることはハーバラも知っていることだ。きっと、昨年までは城下で祭りの雰囲気を感じながら、仕事をこなしていたに違いない。
しかし、今年は城下に下りることさえ出来ないのだ。だから祭りでの話を持っていきたいとエリナは思うのだが、その土台がそもそもない。ハーバラならば、きっと昨年との違いなども含めて、お話が出来ただろう。もしかしたら、何か有意義な話も出たかもしれない。
「今の私では、城下の様子をお伝えするには力不足で……」
「あの……エリナ様、そこまで深く考えなくてもいいと思いますわよ?」
「考えすぎ、でしょうか?」
「考えすぎです。祭りは楽しむものですから、エリナ様が楽しかったことをそのままお伝えするのが一番ではありませんか?」
「私が楽しかったこと……」
ここまでで楽しかったこと。ハーバラとの食事や、お買い物。そしてお茶をしながら、お話出来たことだ。友人と出掛ける事自体があまりなかったこともあり、どれも新鮮で楽しく感じられた。
「しかし、それではアルヴィス様は退屈ではありませんか?」
男性というのは、女性からの買い物などの話は嫌うもの。エリナの認識はそうだ。身近にいる両親を見ても、母からドレスを買ったことなどを話されても、父は相槌を打つだけ。楽しそうには見えなかった。
「それは私の両親も同じですわね……あ、では何か記念になるようなものをお渡ししてはどうですか?」
「記念になるようなもの、ですか?」
「私の友人に、器用な方がいるのです。確か、建国祭の間は記念にと特別なサービスを行っていたはずですわ」
手を合わせて名案だとばかりに、ハーバラは立ち上がった。そこは、ここからそれほど離れていないお店だという。少し興奮ぎみのハーバラに手を引かれて、エリナは少し駆け足でお店を出ることになった。
そこで買ったのが、彫刻入りのペン。そして、アルヴィスとお揃いで、エリナの分も買っていたのだった。




