7話
アルヴィスは、ジラルドが放置していた公務についてユスフォス老に説明する。穏やかな空気が変わった。眉間にシワを目一杯寄せている。
「愚か者が……」
「ざっと見たところでは、騎士団関係と学園関連が多いみたいです。事情は騎士団長にでも確認するべきだと思いますが」
「……アルヴィス様の仰る通りですな。まずは、事態を確認することが優先すべきことでしょう。であるならば……アルヴィス様に処理をお願いできますかな?」
「老……わかっておられると思いますが、私はまだ王族の一人に過ぎません」
王族に戻すと言われ、手続きは完了している。しかし、立太子していない状態なので、正式に王太子となるのは明日以降だ。机の上にある書類は、王太子の許可を必要とするもの。まだその地位にはいないアルヴィスが行うことは出来ない。無論、そのようなことはユスフォス老も知っているはずである。
「勿論わかっております。ですが、署名さえしなければよいのですよ。現時点で、アルヴィス様がどの程度までお出来になるのか、この老いぼれが判断したいだけですからのう。状況次第では、教育など不要になるかもしれませんしな」
「……そういうことならば」
「ご理解いただけて何よりですじゃ」
そう促され、アルヴィスは執務机の椅子に座り、積み上げられた書類に目を通し始めた。
「して、ヴィクター殿は引き続き侍従をされるのですかな?」
「いえ……私は殿下の案内役としてこの場にいることを許されただけでございます」
「左様か……ならば、ここはもうよい。下がるがいい」
「……かしこまりました。では、アルヴィス様……私はこれで」
「あ、あぁ、わかった。案内をしてくれたこと、礼を言う」
「……ありがとうございます。では、御前を失礼致します」
深く頭を下げて、ヴィクターは部屋を出ていった。パタンと扉が閉まるのを確認すると、ユスフォス老は改めてアルヴィスと机を介して向き合う。
「……ユスフォス老、わざわざヴィクターを追い出したようですが」
「既に侍従の任を解かれたのであれば、この場には不要ですからのう」
「……」
「時には無情に切り捨てなければならぬこともあるのです、アルヴィス様。ジラルド殿を諌めることが出来なかった責務は、ヴィクターにもあります故に」
「それは……理解できるが」
アルヴィスの侍従に成らなかったのも、それが一つの要因だ。尤も、アルヴィス自身がヴィクターをよく知らず、ヴィクターもアルヴィスのことなどほとんど知らない。下手にジラルドを知っているからこそ、相応しくないと判断されたのかもしれないが。
ふぅと息をつくと、アルヴィスは書類を一つ一つ確認し始めた。
内容を軽く見て、優先度を決めておく。今のアルヴィスには決定権がない。内容を吟味するよりは、明日以降の作業のことを考える方が効率がいい。束にはなっているが、軽い確認だけならば今日だけでも可能だろう。集中していれば、ユスフォス老からの視線など気にならなくなる。こうした書類仕事は苦手ではない。学園に在籍していた時は、学園で幹部生徒として権力の頂点にいたこともあるのだから。
半分ほど終えたところで、ユスフォス老が口を挟んできた。
「ふむ……学園での成績も優秀でしたし、アルヴィス様ならば多少補う形でも構わないかもしれませんな」
「ユスフォス老?」
「仕分けを優先し、内容は余り確認をされておられないようですが、何故ですかな?」
「……正式に地位を預かった後に確認します。その辺りを曖昧にして動くつもりはありません」
しつこいようでも、アルヴィスは線引きをすべきと考えている。ただの王族の男子と違い、王太子では、持ちうる権力が桁外れだ。ジラルドがどう捉えていたかはわからないが、次期国王というのは、ルベリア王国において国王に次ぐ権力を持つ存在である。国王に代わって、政治を動かすことさえあり得る立場だ。だからこそ、その地位にいない間は手を出すべき領域を間違えてはいけないと、アルヴィスは考えている。
「なるほど……確かに、仰る通りです。慎重なお考え、と申しましょうか。それとも……いえ、これは止めておきましょうな」
「……」
「さて、そろそろお時間のようですから、一息をいれてはどうですかな?」
「……そのようですね」
タイミングよく、扉がノックされた。許可を出すと、扉を開いてアルヴィス付き侍女のアンナが現れる。
「アルヴィス様、ベルフィアス公爵様がお着きになられました。応接室へお越しになる様にと」
「わかった」
「では、わしは陛下のところに行っております。午後にまたお訪ねしましょうぞ」
「……お願いします」
「では、侍女殿」
アンナにも声をかけて、ユスフォス老は去っていった。