19話
手際よく用意される紅茶。目の前にカップが置かれると、向かい合う形でカリアンヌが座る。優雅にカップを手に取ると、そのまま口に含んだ。
すると、カリアンヌと視線が合う。にっこりと微笑むカリアンヌは、紅茶には何も含んでいないと示している様だった。
「我が国から持ってきた茶葉を使っているのですよ。どうぞ、召し上がって下さい」
「……」
しかし、アルヴィスはカップに手を触れることはなかった。じっと、カリアンヌを見ているだけだ。
「アルヴィス殿下?」
「ご招待にあずかりはしましたが、お茶を楽しむつもりはありません」
「……何を、仰りたいのです?」
カップを持つ手が止まる。笑みを崩さないのは流石といえるだろう。
「昨日の申し出について、断りに来ただけですから」
「……昨日の今日ですよ。もう少しお考えになられてからでも良いのではありませんか?」
「いつになろうと、私の考えは変わりません」
「そうですか」
笑みを消し、カリアンヌは視線をカップに落とした。その時、何か空気がピリッと変わるような気配を感じ、アルヴィスは反射的にマナで全身を覆う。
「出来ればアルヴィス殿下自身の意志で、ご英断していただきたかったのですが、仕方ありません。意志が変わらぬと仰るなら、予定を早めましょう」
「カリアンヌ王女」
部屋の中に入った時に感じた甘い匂いが増す。その中心はカリアンヌだ。口許に笑みを浮かべながらカリアンヌは立ち上がった。その足でアルヴィスの前に来ると、アルヴィスの右手を取る。
「塗り替えて差し上げます。その想いを」
「……」
「偽りの記憶の中で、私に焦がれて下さいな……きゃっ」
顔を近づけて来ようとするカリアンヌに、アルヴィスはその手を振り払った。更に、カリアンヌの腕を取ったかと思うと後ろ手にまわして拘束する。
「な、何をなさるのですか!」
「ディンっ!」
アルヴィスは大声を出し、溜めたマナを放って閉じられた扉を破壊した。その際には、剣を手にしたディンがいる。他にも数人の近衛隊が集っていた。駆け寄ってきたディンと、アルヴィスはカリアンヌの拘束を代わる。
すると、カリアンヌは声を荒げ抵抗した。
「無礼ですわよっ! 来賓である私の部屋に押し入るなど、ルベリアは無礼者の集りなのですかっ!」
「今、ここにいる貴女は来賓ではありません。少なくとも、あの薬を使った時点で」
「私は、マラーナの王女なのよ!」
尚も叫ぶカリアンヌ。それをアルヴィスは無視して、己の前に用意されたカップを視た。中からは、紅茶にはあるはずのない成分が混ざっているのがわかる。カリアンヌのカップも念のため確認するが、そちらには見られなかった。
「少し成分は違うが、リリアンが持っていたものと似ている。カリアンヌ王女、貴女はこれを一体どこで?」
「っ……な、んで」
何故わかるのか。驚きに満ちた表情は、毒を盛ったと認めているようなものだ。しかし、重要なのはどこからこれを入手したかである。心当たりは一つしかない。
「宰相殿、ですか?」
「知らないわっ」
「……私と婚姻するというのは、宰相からの指示だったはず。そして、貴女は先ほどこう言った。予定を早めた、と」
「……っそんなこと言っておりませんわ! 私にこの様なことをして、ただで済むと思っておりますの? マラーナを敵に回しますのよ!」
淑やかな様子は完全に剥がれたカリアンヌだが、己の行ったことは認めないと叫ぶ。薬を使ったかどうかは調べれば直ぐに解る。アルヴィスでなくとも、成分程度調べることは騎士団にも出来ること。既に他の近衛隊がカップを回収していった。カリアンヌが認めなくとも、その事実は明らかになる。この場合、責められるのはマラーナであり、ルベリアではない。
「確かに、マラーナは友好国。だが、万が一敵となったとしても、ルベリアには勝てない」
「そんなことありません! マラーナを侮辱することは、例えアルヴィス殿下と言えども許しませんわよ!」
「そうではありませんよ。……だからこそ、宰相殿は王女を俺にけしかけたのでしょう?」
「何を、仰っておりますの……?」
「わからなくても構いませんよ。ですが、貴女の身柄は一時監視下に置かせてもらいます」
他国の王族では、牢に入れることも出来ない。目の届く場所にいてもらうのが、一番良い。そのままカリアンヌの部屋を移動させ、騎士団の女性団員が監視することになった。今は大人しくしていると、騎士団から報告を受けている。
そして、アルヴィス本人は執務室のソファの上で横になっていた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……問題ない」
ディンが、冷やしたタオルをアルヴィスの額の上に乗せる。
あの部屋に充満していた甘い匂い。それは、リリアンが持っていた薬を気化させたものだった。匂いを嗅ぐことで、判断力を鈍らせる代物だ。出来るだけ吸い込まないようにと、マナで膜を張っていたが、それでも影響はゼロではなかった。酔いが回ったかのような怠さが残ってしまったのだ。
休んでいれば治るということなので、こうして横になっている。
「……私は反対しました。そんなに急ぐ必要はない、と。何故、そこまで急いで事を運ばれたのです?」
「この情報が、事実なら……リリアンの命は助かる」
「……意味がわかりかねます」
「だろう、な……」
リリアンの処遇は、意見が割れている。断罪すべきだという声が主だが、少女を手にかけるのを躊躇う者がいるのもまた事実。後者の者たちは、ただ無知な少女が利用されたと考えている者が多い。しかしアルヴィスは、そのどちらでもなかった。
「エリナが……リリアンの生を、望んでいる」
「リトアード公爵令嬢、ですか」
「あの事件のことは、エリナは知らない。……だが、どこかで……生きているならって。エリナは話していた」
手紙で、エリナからその話題を振ってきた。友人と、その後のリリアンがどうなったのかと話題に上がったらしい。エリナの友人も、リリアンが原因で婚約破棄をされた一人。まだその友人は、立ち直りきってはいないらしい。ならば、尚の事思い出したいことではないはずだと、アルヴィスは思った。だが、エリナの考えは違った。
「彼女がいなければ……俺と、会うことはなかった。だから、今は少しだけ感謝も、しているとな」
「……そうでしたか」
「愚かだと、思うか?」
「いえ……」
この場合の愚か者は、アルヴィスかエリナか。アルヴィスもわかっている。私情を優先するなど、為政者がしてはいけないことだと。
だから、リリアンの功績を示したかった。批判はあるだろうが、それに見合うことを成し遂げたならば、ゼロまでにはならなくとも死は免れることも出来るかもしれないと。
「それに、殺すのは簡単だ……」
「その点は同意します」
免れることがなければ、アルヴィスが手を下す。少女一人だ。いつでも出来ることなのだから。
「アルヴィス殿下、今回のようなことはこれで最後にしてください」
「あぁ……すまなかった」
投稿ペースが遅くなるかもしれません。申し訳ありません。




