17話
翌日、アルヴィスの姿は己の執務室にあった。書類を見直していたのだ。その対象は、スーベニアとマラーナのものである。
「アルヴィス様、確認済みのものを今更見てどうするのですか?」
「ちょっと、な」
「アルヴィス様?」
目の前にあるものは、全て事前に確認したものばかり。知っていることばかりの事を確認して意味があるのかと、エドワルドは言っているのだろう。
そんなエドワルドに、アルヴィスは苦笑する。
「……俺は、本当の意味で背負う覚悟を知らなかった。足りなかったらしい」
「え?」
「たまたま都合の良いところにいたからここにいるのだと、心のどこかで考えていた。代わりなどいくらでもいると」
「そんなこと――」
「俺の価値は、父上の子であること。今となっては、この宿った力が追加されたが……それだけだった」
「アルヴィス様……」
「それなりに優秀で使える人間であるようにと努めてきたし、与えられた以上は役割をこなすだけだ。そして……上手くやっていると思っていた」
下手なことはしていないという自負はある。ここまで失敗はしていない。少なくとも政においては。しかし、それだけだ。
「リティに言われた。ただ一人の人間を幸せに出来ない人に、国を……国民を幸せにすることなど出来ないと」
「王女殿下が、ですか」
「そんなこと、考えたこともなかったんだ……」
リティーヌは国王との会話を聞いていた。そして、苛立ちを感じてアルヴィスを叱咤したのだ。
ルべリアの為に、アルヴィスは己の扱いが面倒になると感じた。だから、最悪は今の地位を下りることまで考えた。その方がルべリアにとっても良いだろうと。そうすればエリナとの婚約もなかったことにしなければならない。
エリナと婚約したから、アルヴィスは王太子となった。王太子でなくなるなら、エリナと共にはいられない。それも構わなかったのだ。マラーナのガリバースの様な輩を近づけるくらいなら、その方がエリナの為になると。リティーヌには最低だと言われてしまったが。
書類を机の上に置き、アルヴィスは自分の掌に目を落とした。そのままの状態で切り出す。
「エド」
「何ですか?」
「俺に、出来ると思うか?」
「……常に周りを思ってきたアルヴィス様に、出来ないわけがありません」
当たり前のことのように答えたエドワルドに、思わず顔を上げた。ただただ真剣な表情でアルヴィスを見返しているエドワルドには、少しの迷いも見受けられない。
「そうか」
「そうです」
「……お前に言われると、少し安心するな」
エドワルドは侍従として、アルヴィスが学園を卒業するまで一番傍にいた人間だ。親よりも共に過ごした時間は長い。エドワルドにとってはアルヴィスは主人だが、アルヴィスから見ればもう一人の幼馴染であり兄でもある人だ。
エドワルドはアルヴィスに偽りを告げない。昔、公爵家から言うべきでないと指示されたこともあったが、指示を受けたと正直にアルヴィスに話したくらいだ。
アルヴィスは立ち上がると、いくつかの紙をエドワルドへと渡す。
「これを渡してきてほしい。出来るだけ早く」
「ですが、この宛先の方々は」
「話した感じだと、こちら側の考え方を持っていた。ならば、利用させてもらう」
「アルヴィス様」
「共にいると決めたからには、憂いを少しでも断つために動く。……いずれにしろ巻き込みたくはないことに変わりはないからな」
アルヴィスに足りないものは、覚悟だけではない。経験も、人脈もないのだ。
今、城内には来賓として各国の重鎮が滞在している。顔を合わす機会はあるが、個人的に繋がりを確保しておきたい。今後のためにも。
「それはリトアード公爵令嬢様のこと、ですか?」
「そうだ」
間髪をいれずに答える。エドワルドは少しだけ目を見張る様子を見せたが、次には微笑んでいた。まるで良かったと告げるように。そして腰を折った。
「わかりました。早急に対応します」
「頼む」
「お任せください」
颯爽と出ていくエドワルドを見送り、アルヴィスは再び腰を下ろした。そうして服の中に仕舞っていた手紙を取り出す。宛先は、アルヴィスの名前。差出人は、カリアンヌの名が記されていた。
「……後は俺自身だな」
カリアンヌからのお茶の誘いである。アルヴィスはこの誘いに乗るつもりである。いずれにしろ昨夜の話もあるので、アルヴィスも会わなければと思っていたのだ。昨日の今日で早すぎるとは思うが、どれだけ時間が延びても最早アルヴィスの考えは変わらない。
問題は、カリアンヌが何を仕掛けてくるかだ。例の伯爵の影が消えない以上、用心しなければならない。手紙に目を通しながら、アルヴィスは拳に力を入れた。