閑話 令嬢は怯まない
音楽が始まり、ガリバースが動き始めるのに合わせて、エリナも身体を動かした。ガリバースはアルヴィスよりも身長が高い。必然的に見上げなければ顔を見ることは出来ない体勢だ。だが、エリナはガリバースの顔を見ていなかった。不自然にならない程度に、首元へと視線を向けている。
そんなエリナの注意を引きたかったのか、ガリバースはわざとらしく咳払いをした。エリナも少しだけ顔を上げる。
「私はダンスは得意な方なのだが、エリナもダンスが上手いようだね。とても踊りやすい」
「お褒めいただきありがとうございます」
貴族令嬢として、ダンスは最低限の嗜みの一つ。踊れることは当然だし、何よりもエリナは幼少期から王太子妃となるべく教育されてきたのだ。他の令嬢の見本となるように、必死に練習を積んできた。褒められて嫌な気分にはならないものの、誇れるようなものではないとエリナは思っている。
それでも、ガリバースに悪気があるわけではない。エリナは令嬢としての社交用の笑みを張り付けて、お礼を伝えた。
「我が国も、パーティーは頻繁に行われていてね。踊る機会は多い。その中でも、上手い方だろうな」
それからガリバースは、マラーナ王国ではどの様なことが行われているのかを語り始めた。
お茶会を始めとした催しもあれば、盛大なパーティーもある。月に数回は開催されるという行事に、エリナは疑念を抱いた。
ガリバースはマラーナ王国の王太子である。ルべリアにおけるアルヴィスと同じ立場だ。エリナが知るかぎりでは、ジラルドもアルヴィスも公務という仕事を多く受け持っていた。時には、王都から離れることもある。仕事の内容までは知らされていないが、パーティー一つ開くだけでも準備に少なくない資金が必要とされ、それだけ時間もかかる。その資金は、国庫金だ。要するに、国民の税で賄われている。何度も開けるようなものではない事くらい、エリナにも理解できることだ。
それを月に数回行うということはどういうことなのか。ガリバースは、エリナの目の前で誇らしげに華やかな面を語っている。国力という意味で、マラーナとルべリアに然程の差はない。エリナは父よりそう聞いていた。ならば、何故マラーナではそこまで頻繁に行事が行われているのだろうか。
エリナは少しだけ尋ねてみることにした。
「それほどまでに行事をされている上で、国政も担っているというのは、マラーナ王太子殿下も大変でこざいますね」
「ん? あぁそうかもしれないが……我が国には優秀な宰相がいるからね。大抵のことは、宰相に任せればいい」
「え……?」
「難しいことは得意ではなくてね。適材適所さ。そういうことは、カリアンヌが得意としているのもあるから、私は見守っていることが多いな」
ガリバースの答えに、エリナは何を言われているのか一瞬理解できなかった。聞き間違いでなければ、ガリバースは政務を行っていないと話しているのだ。
仮にそれが本当だとしても、王太子という地位にいながら、他国の令嬢であるエリナに話すべきことではない。ましてや、エリナはルべリア王太子の婚約者だ。エリナからアルヴィスへと伝えられることもあり得るというのに。マラーナのことを考えたなら、話すべきことではない筈だ。
「だから、エリナ。君もマラーナに嫁いでこないかい?」
「……」
「ルべリアの前王太子から酷い仕打ちをされたことは聞いている。最早、ルべリア王族に従う必要はないだろう? それよりも、そんなことは忘れて私の所に来るといい。不自由はさせないし、毎日お茶会をして暮らせばいいのだから」
このとき、エリナはそれでも踊り続けている己に感謝した。思考が止まりそうになっても、身体は動いてくれていたのだ。
反応を示さないエリナに気付かずに、ガリバースは話を続ける。
「覚えていないかな? 私たちは昔に出会っているんだよ。ほら、ジラルド殿下の誕生日だったかな」
「……」
話している内容は、エリナがまだジラルドの婚約者となる前のことのようだった。マラーナから招かれたガリバースは、ジラルドの誕生日の祝いにと訪れていたエリナを見初めたのだという。
その後、ジラルドの婚約者として定められたため、仕方なく身を引いたのだそうだ。
「もっと早く私が行動していれば、悲しませずにすんだというのに……すまなかったエリナ。迎えに来るのが遅くなって」
ガリバースの話し振りでは、結ばれなかった恋人を迎えに来た相手の様だ。あまりにも一方的な話に、流石のエリナも身を引く。ちょうど音楽も終わった。義務は果たした筈だと、エリナはガリバースから逃げようとする。
しかし、身を離しても腕を掴まれてしまう。エリナの力では、男性であるガリバースを振り切ることはできない。
「離してください」
「なら、私の国へ来てくれるかい?」
「お断り致します」
「婚約のことなら問題ない。エリナが求めれば、ルべリア王家は受け入れるしかないだろう? 一度、君を傷付けているのだから。安心するといい」
ガリバースの中に、断るという選択肢はない。否、ガリバースの中ではエリナがガリバースを好いていることになっているようだ。仕方なくアルヴィスと婚約しているのだと。エリナは笑みを消して、ガリバースを見据えた。
「私は、アルヴィス様をお慕いしています。例え政略だとしても、私が望んでここにいるのです」
「っ!」
社交辞令を消し去ったエリナの態度には、流石のガリバースも息を飲んだ。これまで令嬢らしく聞き役に回っていたのが、突然噛みついてきたように見えただろう。他国の王太子相手に、やってはいけない態度だとエリナもわかっている。しかし、そのまま捨て置くことはできなかった。
「私より、彼がいいというのか? 何故だ? 彼は君を愛してなどいないだろう。だが私はエリナを愛する。それが幸せのはずだ」
女性は愛された方が幸せになれる。エリナも同じ考えを持っていた。慎ましい女性の方が愛される。行動的な女性よりも、大人しく黙って付いてきてくれる女性を男性は好むと。
だからエリナは耐えてきた。例えジラルドに愛されなくとも、好ましい女性であろうと。どのようなことも受け入れる女性であるべきだと。その結果が、婚約破棄騒動である。
ジラルドは、積極的で行動的な女性を選んだ。ただ黙って待っているだけだったエリナではなかったのだ。
「そのお考えは否定いたしません。ですが、私は待つのは止めたのです。ただ待っていて後悔するのならば、悔いのないように行動をしたいと思います」
「なっ……」
「ですから、お断り致します」
「だ、だが……アルヴィス殿が私の所に嫁ぐように言ったなら、どうするのだ?」
この問いにエリナは、目を伏せて考えた。
アルヴィスが何と言うか。この数ヶ月で、アルヴィスの人となりは少しずつわかってきていた。万が一何かが起きて、アルヴィスにそう告げられたならどうするだろうか。
目を開けてガリバースを映し、エリナは出てきた答えを告げる。
「……もし、アルヴィス様が王太子として下された決断ならば、私はそれに従います。私は、ルべリアの貴族ですから」
「ならば、私と――」
「そこまでにしてもらえますか」
エリナを掴んでいた腕に更に力を入れようとしたガリバースの手が、横から払い除けられた。
鬱展開で、皆さまには不快を感じさせてしまったようです。すみません。
ですが、もう少しだけ待っていてください・・・
そして、いつも誤字・変換間違いの指摘等ありがとうございます。




