閑話 知己との相対
機嫌を降下させながらガリバースは、回りを見回しながらエリナの姿を探していた。
「踊ることを了承したというのに、何故共に来ないのだ。全く、余計な手間を……」
ぶつぶつと悪態をつきながら歩いていると、漸くエリナの姿を見つけた。思わず口許が緩むが、その隣にいる人物が目に入ると目を見開く。
「マグリア……何故、奴が……」
足を止めそうになるガリバースだが、行かなければエリナと踊ることは出来ない。
「ふん、今の奴はアルヴィス殿の兄でしかない。私は王太子なのだ。ただ、エリナを誘うだけでマグリアと話をするわけではないのだから」
ガリバースの方が立場は上。幼少期ならばともかく、決して対等ではないのだから怯む必要はない。そう言い聞かせて、ガリバースは足を進めた。
先にガリバースに気が付いたのは、残念ながらマグリアだった。
「ガリバース殿ではないですか」
「ひ、久しいなマグリア殿」
紳士らしい笑みを浮かべて前に出るマグリアに、顔をひきつらせながらガリバースは答える。マグリアが出てしまいエリナの姿が隠れてしまった。舌打ちしたい気持ちを抑えながら、ガリバースは身体をずらしてエリナを視界に入れる。
「エリナ」
「……先ほど振りでございます、マラーナ王太子殿下」
「ガリバース、と呼んでもらえないかい?」
「申し訳ございません。私がお名前をお呼びする殿方は、家族とアルヴィス様だけでございます。お許し下さい」
「っ……そ、そうか」
頭を下げているエリナが顔を上げると、そこにはどこか拒絶している雰囲気が感じられた。だが、ガリバースには目的がある。この程度で引き下がることは出来ない。
「先ほど、ダンスを踊ると約束したのだからと誘いに来たのだが……お願いできるかい?」
「そんな約束をしたのですか、エリナ嬢?」
横槍を入れてきたのはマグリア。すかさずエリナの横に並び、ガリバースではなくエリナへと問いかけている。邪魔をするなと言いたい言葉を呑み込み、ガリバースは笑みを向けた。
「挨拶の時に約束したのですよ、マグリア殿。彼女から離れてくれないか?」
「弟に言われるのならともかく、貴方に言われる筋合いはありませんよ。それと、私が聞いているのは貴方ではなくエリナ嬢です」
存外に黙れという威圧を込めた笑顔を向けられ、ガリバースは笑みが崩れないようにするのが精一杯だった。口角が震えるのを堪えて、マグリアとエリナの様子を見守る。
「アルヴィス様がマラーナ王女殿下と踊るので、王女殿下が王太子殿下と踊らないかと仰ったのです」
「それで、アルヴィスは許可したのですか?」
「はい。アルヴィス様から頼まれました」
「なるほど……それなら断れないですね。仕方ないですが、他国の来賓との交流は、義務でもあります。ということで、ガリバース殿」
「……何か?」
身体を正面に向けたマグリアは、変わらずにエリナを庇うように位置取る。面白くはないが、話の流れ的にガリバースの望む方向であることはわかる。いちいち、頼まれたと言わなくてもいいとガリバースは思う。聞いている者は他にもいるのだ。
チラリと横を見れば、他の来賓から視線を向けられているのがわかる。状況を窺っているのだろう。それもまた、ガリバースには面白くなかった。
この時ガリバースは、マグリアとエリナのやり取りがパフォーマンスの一種だとは気が付いていなかった。見ている者は気が付いていただろう。エリナが婚約者であるアルヴィスの頼みで、ガリバースの相手をするということが。ガリバースに対して他意を持っていないことも伝わる。
目を細めながらエリナの後ろに回ったマグリアは、ガリバースへと少しだけ頭を下げた。
「という訳で、我が義妹の相手をお願い出来ますか? 勿論、エリナ嬢も疲れますので終わり次第返して下さい」
「……何故、お前に言われなければならない……」
「ん? 何か仰いましたか?」
「……ふん、随分と過保護なことだなと感心したのだよ。結婚したわけでもない。まだ妹ではない令嬢に対して気を配り過ぎではないのか?」
言葉では感心していると話しているが、勿論感心などしていない。まだアルヴィスとエリナは、単なる婚約者同士の関係。ならば、マグリアは義理でもない関係だ。他人である。他人が、ただの公爵家の者がでしゃばるな。それが本心だ。
本心を隠しきれず、ガリバースは嫌味のように告げてしまう。
「エリナ嬢は、私の妹になりますよ。断言してもいい」
「何?」
「……弟自身はまだ自覚はないかもしれません。しかし、弟はエリナ嬢を手離すことは出来ないでしょう」
「マグリア卿?」
マグリアの言葉に困惑しているのはガリバースだけではない。エリナもだった。それに気付いているのかいないのか。マグリアは続ける。
「だから、無駄ですよ? まぁ、それでもやるならいい機会にはなるかもしれませんが」
「一体何の話を――」
「さて、エリナ嬢。さっさと済ませて来て下さい。でないと、私が弟に叱られますから」
「あの……はい、わかりました」
戸惑いを隠せないもののエリナはガリバースの前に立つ。ダンスをする時のマナーは、男性側から手を差し出さなければならない。だが、ガリバースは困惑の中にいてエリナではなく、マグリアをじっと見ていた。
「ほら、ダンスのマナー位はわきまえているのでしょう。我が国の令嬢に恥を掻かせないで下さい」
「っ……わかっている」
ゴホンと咳払いをし、ガリバースはいつもの王太子としての笑みをエリナへと向けて手を差し出した。重ねられた手を軽く握れば、エリナは手を引こうと一瞬だけ動くがガリバースは気に止めることなく、手を引いて歩いていった。
見送ったマグリアは、重い息を吐く。あとは、無事にエリナが戻るのを見届けるだけだ。
「相変わらず、扱いやすい男だね。だが女性への扱いは貴族としても最低だ。とはいえあれほどの積極性……アルヴィスは少し見習うべきかな」
そうして視線を向けるのは、カリアンヌと踊っているアルヴィスだ。そつなくこなすその様子に、おかしなところは見受けられない。しかし、エリナと踊っている時にはあった自然な表情が出ていない。カリアンヌとのダンスは、アルヴィスにとって楽しいものではないようだ。
逆に言えば、それだけエリナとの距離は近づいているのだろう。好ましい変化だと思うが、当の本人が意識していない。原因は、アルヴィスの性格にもある。否、アルヴィスの考え方と言った方が正しいかもしれない。
弟の様子に、マグリアは肩を落とす。
「自己犠牲は、時に人を不幸にすることもある。個を大切にすることも、必要なんだよ……アルヴィス。どうか――」
最後の祈るように小さな声は、周囲の喧騒の中へと消え去った。




