11話
足早に戻ってきたのは、自室だ。着替える予定の時間は過ぎている。既に衣装を用意してティレアらが待ち構えていた。
今回の衣装は、朝に身に着けていたのとはまた違った騎士服に近い。袖を通すと、その上からマントを着る。これで着替えは終わりだ。
「アルヴィス様、少し座って下さい」
「座る?」
「お髪を整えます」
「別にこのままで――」
「アルヴィス様」
さほど時間もないので気にするところではないとアルヴィスは思うのだが、ナリスやティレアらの考えは違うらしい。アルヴィスの髪質は固定することが難しい。乱れるような動きはしていなくとも、サラサラとしているので前髪が下りてきてしまうのだ。
アルヴィス自身はもう慣れているため何とも思わない。だが、出来るだけ前髪を上げた方がいいというのが女性陣の総意だった。近くに控えていたエドワルドやレックスに助けを求める視線を向けても、逸らされるだけだ。助けは期待できない。即ち、身を委ねるしかないということだった。
「手短に頼む」
「それほどお時間は頂きません。お任せ下さい」
「わかった……」
ソファへ腰を下ろし、背を預ける。アルヴィスがするのは、黙っていること。ナリスたちの手が動くのに、耐えるだけだ。
「終わりましたよ」
「あぁ」
「夜は軽食を用意しておきますので」
「……助かる。遅くなった場合は、ナリスとティレア以外は帰していい」
「承知しました」
予定通りに部屋に戻れるとは限らない。明日もあるのだ。全員で待つ必要はなかった。皆が頷くのを確認して、アルヴィスは部屋を出る。
追従するのは、護衛のレックスとディン、そしてエドワルドの三人だ。向かう先は、パーティーが開かれる会場の隣接している控室。ここには、国内参加者である一部の高位貴族らの控室になっていた。
ノックをしてから扉を開ければ、準備万端で待っているベルフィアス公爵家とリトアード公爵家が談笑しているところだった。扉が開いたことに気づいた面々が、一斉に顔を向ける。
「遅くなりました」
「いや、それほど遅れてはいない。忙しいのだから仕方がないことだ」
「ありがとうございます、父上」
ここにいる全員の中で、身分が上なのはアルヴィスだ。言葉では謝罪をしても、頭は下げない。それが父であったとしても。満足気に目元の皺を増やしている父を見て、アルヴィスは心の中で安堵した。
リトアード公爵とも挨拶を交わすと、アルヴィスは兄のマグリアの元へ足を向ける。側にいるのは、アルヴィスの義理の姉であるミントだ。
「兄上、それに義姉上もお久しぶりです。体調は大丈夫なのですか?」
ミントは数ヶ月前まで妊婦だったのだ。既に出産を終え、外出も問題ないとはいえ、これが出産後初の社交界復帰となる。子育ては乳母と共に行っているのだが、疲れていない筈がない。それ故の心配だったのだが、当のミントは微笑んでいた。
「ありがとうございます、アルヴィス様。ご心配おかけして申し訳ありません」
「ミントが辛いようなら不参加にするつもりだった。今日は体調も良いからな」
「はい。本当に問題ありませんから、それほど気を遣って頂かなくとも大丈夫です。私も、ベルフィアス公爵家の嫁としての責任を果たしたいと思っておりますので」
マグリアが反対していないのならば、アルヴィスから言うことは何もない。ミント自身の顔色なども悪くはなかった。本人が大丈夫だというのならば、アルヴィスには信じるしかない。
「わかりました。ですが、無理はしないようにお願いします」
「はい。承知しております」
「アルヴィスも一度くらい顔を見に来い。可愛いぞ、子どもは」
「もう少し落ち着いたら、ですね」
アルヴィスにとっては甥っ子。ベルフィアス公爵家の将来を担う男児。ベルフィアス公爵家には、まだ学園にも通っていないアルヴィスの弟妹がいる。長兄の息子とはいっても、実際には末っ子のようだ。そんな甥っ子に会える日はいつになるのか。曖昧な返答しか出来ないことに、申し訳なさを感じていた。
マグリアの息子自慢が続きそうなので、アルヴィスはその場を離れる。その足で一歩引いた場所にいたエリナの元へ向かった。既に各々が話をしているので、アルヴィスの動向に過敏な反応を示す者はいない。
「エリナ」
「は、はい……アルヴィスさま」
「? どうかしたのか?」
「っ……い、いえ」
少し挙動不審なエリナに、アルヴィスは首を傾げた。何かあったのかと考えを巡らせていると、エリナが視線を逸らしながら口を開く。
「さ、先ほど……部屋で」
「部屋? あぁ……」
エリナと部屋で何をしていたのか。それを思い出してアルヴィスは納得した。アルヴィス自身は、警護やマラーナの事などで頭の切り替えは済んでいたのだが、エリナはそうではなかったらしい。
アルヴィスは指で頬を掻きながら、少し小さな声で話しかける。回りに聞こえないように。
「間違っていたらすまない。もしかして照れているのか?」
「っ……い、いけませんか? 誰だって慕っている方にあんなことをされれば恥ずかしくなります」
「いや、悪くはないが」
今更だろう。アルヴィスの頭にはそれしか浮かばなかった。半ば無理矢理咄嗟の事とはいえ、生誕パーティーの時よりマシではないかと。
そのままエリナに伝えるのは憚られる気がして、言葉は呑み込んだ。アルヴィス自身、らしくないことをした自覚もある。それをエリナに本気で照れられると、アルヴィスも流石に動揺してしまう。決して表情には出さないが。
これまでに似たような事をした際には、喜ばれることが多く、エリナの様に照れたり戸惑うような態度を取る相手はいなかった。幾度となく見せられている公爵令嬢とは違う素のエリナの表情。この表情をさせたのは他でもないアルヴィス自身だ。そのことに、アルヴィスは嬉しさを感じ始めている己に気づき始めていた。
まだ少し顔が赤いエリナに困ったように笑みを向けながら、アルヴィスはその頬に触れる。
「会場には共に出てもらうことになるが、大丈夫か?」
「……大丈夫、です。私も公爵令嬢として、アルヴィス様に恥を掻かせるわけにはいきませんから」
「そうか。なら、頼む」
「はい、お任せ下さい」
女の子という表情から、貴族令嬢としての顔つきに変化したエリナ。それを頼もしく感じるアルヴィスは、頬から手を離し腕を差し出した。男性が女性をエスコートするときの仕草だ。躊躇うことなく、エリナは腕に手をかける。
そんな二人のやり取りを微笑ましそうに見つめる親たちの視線がそこにはあった。




